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鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

小田原城

2010-09-08 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 0 年 9 月 4 日 ( 土 )

午 後 3 時 0 0 分

神 奈 川 県 小 田 原 市

小 田 原 駅 前



小田原の「餃子の王将」で遅めの昼食を餃子を賞味し、店を出ました。
このあとは、この旅二つ目の城・小田原城【国指定史跡】に向かいます。


その前に、近くにあった北条氏政公・氏照公墓所へ寄りました。



小田原の街中から細い道に入ったところにある墓所。
繁華街のなかにポツンと残されたかのようでもありますが、となりはなんとラブホテルだったりします。


北条氏政は北条家4代当主で、「相模の獅子」と称された北条氏康の長男。

氏康が隠居し当主となると、弟の氏照氏邦氏規らの補佐をうけて版図を着実に拡大し、北条家の最盛期を築き上げます。
のち隠居し、子の氏直に当主の座を譲ったのちも、実権を握り続けました。

しかし、隣国の真田昌幸との紛争(名胡桃城攻撃)が生じてしまい、このときに事後処理を誤ってしまいます。
関白・豊臣秀吉は、自身が発した惣無事令(私戦禁止令)に反したという口実で、北条家の征伐(小田原征伐)に乗り出しました。

氏政や氏照、氏直らは、難攻不落の小田原城に籠城。

秀吉は、周辺の城砦をひとつずつ落としていき、小田原城は次第に孤立。
大軍で城を取り囲み、海上には水軍を展開し、周囲との交通を完全に断ちます。
さらに小田原城を見下ろすかたちで石垣山城を築きました。
小田原を落とすまでは、いつまでも軍を留める意思を明らかにしたのでした。

ついに小田原城の開城へ・・・。
氏政と氏照は、敗軍の責を負い切腹。
氏直は、高野山へと追放となり、関東に覇を唱えた北条家は滅んだのでした。

しかし北条家の民政はきわめて優れたものであり、小田原の民衆は江戸時代になってからも北条家の治世を懐かしんだといいます。



北条公墓所から小田原駅にもどり、さらに歩くこと約10分、小田原城址公園に到着。
いよいよ登城開始。

 

まず第一の門・馬出門を難なく通過。



第二の門・銅門(あかがねもん)まで到達。
門の装飾が銅板でできていたことから、その名が付いたといいます。

銅門を抜けると、歴史見聞館がありますが、とりあえず天守の攻略を優先するため、パスさせていただきました。

本丸への門・常盤木門



「常盤木」とは、年中緑を絶やさない常緑樹のことで、ここではそばにある松の大木になぞらえて名付けられています。

常盤木門をくぐると、本丸。いよいよ天守が現れます。


本丸では、甲冑や打掛けの衣装を貸してくれるところがあります。
1回200円と思いの外安いのですが、暑さと汗にやられている私にはなんとも無用の長物・・・やめとこう。


そして天守へ。



天守の脇、付櫓から天守に入れます。
入場料は、大人400円(中・小学生150円)。
歴史見聞館の共通券は、大人600円(中・小学生200円)。

ここでは400円の天守閣入場券を購入し、歴史見聞館はパス。
時間がなかったための措置であり、決して入場料をケチったわけではありませんよぉ~(^_^;)

小田原城天守閣は、鉄筋コンクリート造りであるので、城内部の撮影はなし。
いや、もともと撮影禁止なんですがね。

内部では、刀剣・甲冑・古道具などの展示や、小田原城の城主についての資料、とくに早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の北条5代の治世を紹介する資料が並びます。
あと、和菓子のういろうも小田原が発祥だそうで、その資料もありました。
ちなみに私は、ういろうがあまり好きではないのです・・・。

最上階に到達。



東京ではあれだけ晴れていた空も、小田原に着いてからは雲がひろがってきました。
相模湾越しに伊豆大島が見えるそうだが、この日は見えませんでした。

それでも、涼風はとても心地よかったです。



最上階のおみやげ屋で絵葉書を買いました。

そして、100名城スタンプを探す。
スタンプ帳には、天守1階にあるとのことだが・・・

ない!どこにも置いてない!

お掃除のおばちゃんに尋ねてみると、「入口の受付でもらってください」
というので、入口の受付に戻ってみると、

受付の淑女がいねぇぞ!!

入口で20分近く待っていると、さっきのお掃除のおばちゃんが通りかかったので、スタンプを求めました。
おばちゃんは、受付にしまってあったスタンプを出してくれたのでした。

 撮影地:バーミヤン小田原店

23番、小田原城!

最後に、天守の撮影スポットを探して歩きましたが、成果なしで終了。
午後4時半ごろ、小田原城を後にしました。





江戸城・後編~本丸へ

2010-09-07 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 0 年 9 月 4 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 5 5 分

東 京 都 千 代 田 区

江 戸 城 大 手 門



日本100名城をできるだけ回るという今回の旅。
幸先よく江戸城のスタンプをゲットした私は、そのまま江戸城の登城を敢行し、本丸をめざします。

しかし時節は9月の初頭。
気温は確実に上がり始めていました・・・




さてさて私は本丸へ向かうべく、大手門【再建】をくぐります。



外門(一ノ門)は高麗門という形式の門であるのに対し、



内門(二ノ門)は厳重な櫓門
そして内門と外門とで囲まれた枡形という空間で敵兵を包囲殲滅できる枡形門の形式です。

この枡形門、各地の城の重要通路でよく見られる構造です。覚えておきましょう(^^♪


大手門をくぐると、管理棟の職員から入園札を受け取ることとなります。
そしてほかに代金を支払う必要はありません。すなわち無料。
なお入園札は、城域を出るときに返却する必要があります。なくさないように気を付けましょう。



大手門から中に入ると、まず同心番所があり、



さらに大きな百人番所【現存】があります。

この百人番所は、大手門周辺の警備を担当した伊賀衆や鉄砲隊などの詰所だったといいます。
その名のとおり100人くらいの警備兵の詰所でしたので、建物がとても長いです。



それにしても暑い。

涼を求めて、番所近くの休憩所で休憩をとることとしました。
この休憩所でも100名城スタンプをもらえるようです。

休憩所で購入したアイスモナカを2個ほおばります。
休みながら天皇陛下のご公務を紹介するVTRを拝見しました。



快適な休憩所を出て、暑い暑い江戸城登城を再開。
大番所中雀門跡と来て、その先が本丸です。



本丸に入って、まずは回り道。
本丸のはずれの方には、人目を避けるかのようにひっそり建つ富士見櫓【現存】があります。



この富士見櫓も、現存する3つの櫓のひとつです。
現存する江戸城の遺構のなかではもっとも古いものといわれます。
そして隅櫓ではありますが、他の城の天守閣と比べてもまったく遜色ない威容を誇ります。まぁ、見づらいですが。
後に言及しますが、江戸城は天守閣が再建されないままでした。
そのためこの富士見櫓が天守閣の役目を担ったともいいます。

しかしながら本丸からは、門扉で封鎖されているため、近づくことはできません。残念。


本丸の外周を歩くと、



忠臣蔵の刃傷事件の舞台となった「松の廊下」も、今となっては草木が生い茂っているだけ。


本丸の大広場に築き上げられている天守台



江戸城は、かつて天守閣が将軍の代ごとに建て替えられていました。
しかし明暦の大火(振袖火事)で天守が焼け落ちてしまいました。
天守のみにとどまらず江戸八百八町の多くを焼き尽くした大火に際し、幕府は江戸市中の復興を優先しました。
その結果、天守閣は再建されずに時は流れていきました。

そして現在は、天守台のみが残っています。

さて、天守台からの眺めは・・・



天守の向こうは北の丸です。
現在は北の丸公園となっており、北側には日本武道館があります。
サンプラザ中野氏が歌う「光るタマネギ」の屋根ですね。



いっぽう天守台の南側。
江戸城の御殿が建っていたところであり、芝生の広場になっているところが女の園・大奥でした。



天守台を下りて、北へ。



桔橋はねばしで、いったん入園札を返します。

門が面する通りの向こうは北の丸。
ですが本日は、時間と体力の関係でカットさせていただきました。

それにしても石垣の高いこと高いこと。





平川門【現存】から再び入場。



再び入園札を受け取り、二の丸庭園をぜいぜい言いながら歩きました。


いやぁ~、暑いねぇ。


大手門で入園札を返し、退出。正午ごろに江戸城を後にしました。





江戸城・前編~皇居外苑

2010-09-06 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 0 年 9 月 4 日 ( 土 )

午 前 9 時 5 0 分

東 京 都 千 代 田 区

江 戸 城 ・ 皇 居 外 苑



旅の始まりの地は東京。
そして100名城登城の旅、最初の城は江戸城【国指定特別史跡】です!!


東京駅丸の内中央口から、広々とした行幸通りをまっすぐ歩いて10分。



江戸城の本丸をめざす前に、まずは皇居外苑を歩きます。



皇居外苑のシンボルともいうべき銅像・大楠公騎馬像(楠公像)です。

創業200年を迎えた住友家より献納された銅像です。
顔が高村光雲、甲冑と身体が石川光明山田鬼斉、騎馬は後藤貞行が制作した騎馬像で、「東京三大銅像」のひとつに数えられています。

騎馬のしっぽのところは空洞があり、そこには雀だか何だかがが巣をつくって棲みついていました。



楠公像のそばにある楠公レストハウスで、早くも最初の100名城スタンプをもらうことができました。

 撮影地:楠公像前のベンチ

21番、江戸城!

こういう番号があるスタンプというのは、やはり1番からスタートしたいというのが人情というもの。
しかし1番はなんと北海道の東の果て、根室に行かなければなりません。
「1番、根室半島チャシ群!」の名乗りを上げることができるのはいつのことだろう・・・?

とはいえ、こうもあっさりと最初のスタンプをゲットできました。
とても幸先がよいスタートを切ったといえるでしょう。



スタンプをゲットしたので、ゆるりと江戸城の登城を再開です。



まずは楠公像から桜田門【国指定重要文化財】へ。





とても広い枡形をもつ門は、現存する江戸城の門では最大の規模を誇ります。
幕末の大老・井伊直弼が水戸藩士らに暗殺された桜田門外の変でであまりにも有名な門。
現代となっては、大名行列ではなく、皇居ランナーがワラワラと出てくる門になってしまいました(^_^;)

それにしても「直弼」が一発変換できることを、この文章を編集しているときに知りました。世の中便利になったものよのぅ。


桜田門からお濠ぞいに歩くと、東京観光でも外せない二重橋に着きます。



手前側の石橋は正門石橋、もう1本の橋は正門鉄橋という鉄橋。
「二重橋」とは、この濠に架かる2本の橋をいう・・・のではありません!
本来の「二重橋」は、奥側の正門鉄橋のみを指すのです。
もともと正門鉄橋は、江戸時代は木造の橋でしたが、お濠からの高さがあまりにも大きいため、橋を2階建て構造にして造られていたことに由来します。

正門鉄橋の奥に見える櫓は、伏見櫓【現存】です。
江戸城に20基以上あった櫓のうち、現在も残っている3基のひとつです。

正門石橋の向こうには皇居正門があり、皇宮警察が寝ずの番をしております。



二重橋からお濠沿いに進むと、皇宮警察に厳重に守られた門があります。

 

この門は坂下門【再建】です。
この門でも、幕末に坂下門外の変という襲撃事件が起きています。
桜田門外の変後に幕府を主導した老中・安藤信正が、皇女和宮降嫁(和宮と将軍・徳川家茂との婚姻)に反対した尊攘派の浪士に襲撃された事件です。

なお、坂下門の先には宮内庁庁舎があります。


そして、さらにお濠沿いを行くと、



大きな二階櫓のたつみ【再建】、



さらにその先、大手門【再建】が構えています。
大手門こそ江戸城の正門。
その先は二の丸です。



この日は暑かったなぁ。





名古屋城

2009-09-14 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 0 年 9 月 5 日 ( 日 )

午 後 3 時 4 7 分

名 古 屋 市 中 区

名 古 屋 城 二 の 丸



この日最後の城は、名古屋城【国指定特別史跡】。
観覧料500円を支払い、二の丸へと入ります。



まず見えてくる東南隅櫓【国指定重要文化財】。
十二支で表すと東南は辰巳(たつみ)というので、「辰巳櫓」とも呼ばれていました。
名古屋城に現存している3基の櫓のひとつです。



清正公石曳きの像
江戸幕府が成立して間もないころ、徳川家康は名古屋や駿府などの要所に大規模な城を建てる「天下普請」で、西国の外様大名を動員しました。
肥後の大名で熊本城主の加藤清正は尾張出身で、「天下普請」を請け負ったひとりです。
藤堂高虎黒田官兵衛孝高とともに、築城の名手とされています。



名古屋城一の巨石といわれる「清正石」
清正自ら音頭をとって民衆に運ばせたといいます。

しかし傍らに立つ掲示は、
「・・・この石塁は黒田長政の丁場であったので、『清正石』というのは単なる伝説であろう。」
と、そっけない記述で一蹴しています・・・。



さて、これから天守に入ろうというとき、他の観光客から「難敵」の存在を耳にします。

「天守閣は午後4時で閉まる」

難敵・閉館時間が攻め寄せてきたというのです!
ここに至ってはとにかく急ぎ天守に上るのみ。



「尾張名古屋は城でもつ」と言わしめるご立派な大天守
天守閣では日本一の容積を誇ります。



2010年当時は本丸御殿の復元工事をしており、少々興をそぐものも写っておりますが・・・
大天守には入るには、画像左の小天守を経由します。



大天守の中に入りました。
中では刀剣甲冑のほか、金のしゃちほこのレプリカを展示していました。
しかしながら時間がないので、エレベータ(!)を使って速やかに最上階へ上ります。



200万都市・名古屋を眺めます。
中央付近のツインタワーはJR名古屋駅



とりあえず天守は制覇(?)したので、あとは時間の許す範囲で城内を歩いていきます。



現存する遺構のひとつ、西南隅櫓【国指定重要文化財】。
十二支の方位から、未申(ひつじさる)櫓」とも呼ばれます。
天守に目を奪われがちではありますが、歴史的に価値のあるのはむしろこちら。



そうそう、閉館時間になる前に、100名城スタンプをもらっておかなければなりません。
手持ちのガイドブックに従い、正門近くの案内所へ急ぎ歩きます。



44番、名古屋城!
インクがにじんでしまった・・・
チハタの本社がある名古屋で、でシャチハタ式スタンプにてこずってしまいました。



スタンプを確保したところで、落ち着いて城内を巡ろうとした刹那、

ほぉた~るの ひぃか~り
まどのゆ~きぃ~~


城をじっくり見て回りたい私にとっては恐怖の「蛍の光」が響き始めました!
こうなっては退却せざるを得ません・・・。



二之丸庭園【国指定名勝】をチラ見するのが精一杯。
「蛍の光」の圧力に屈し、無念の撤退を余儀なくされたのでした。