小田原の「餃子の王将」で遅めの昼食を餃子を賞味し、店を出ました。
このあとは、この旅二つ目の城・小田原城【国指定史跡】に向かいます。
その前に、近くにあった北条氏政公・氏照公墓所へ寄りました。
小田原の街中から細い道に入ったところにある墓所。
繁華街のなかにポツンと残されたかのようでもありますが、となりはなんとラブホテルだったりします。
北条氏政は北条家4代当主で、「相模の獅子」と称された北条氏康の長男。
氏康が隠居し当主となると、弟の氏照や氏邦、氏規らの補佐をうけて版図を着実に拡大し、北条家の最盛期を築き上げます。
のち隠居し、子の氏直に当主の座を譲ったのちも、実権を握り続けました。
しかし、隣国の真田昌幸との紛争(名胡桃城攻撃)が生じてしまい、このときに事後処理を誤ってしまいます。
関白・豊臣秀吉は、自身が発した惣無事令(私戦禁止令)に反したという口実で、北条家の征伐(小田原征伐)に乗り出しました。
氏政や氏照、氏直らは、難攻不落の小田原城に籠城。
秀吉は、周辺の城砦をひとつずつ落としていき、小田原城は次第に孤立。
大軍で城を取り囲み、海上には水軍を展開し、周囲との交通を完全に断ちます。
さらに小田原城を見下ろすかたちで石垣山城を築きました。
小田原を落とすまでは、いつまでも軍を留める意思を明らかにしたのでした。
ついに小田原城の開城へ・・・。
氏政と氏照は、敗軍の責を負い切腹。
氏直は、高野山へと追放となり、関東に覇を唱えた北条家は滅んだのでした。
しかし北条家の民政はきわめて優れたものであり、小田原の民衆は江戸時代になってからも北条家の治世を懐かしんだといいます。
北条公墓所から小田原駅にもどり、さらに歩くこと約10分、小田原城址公園に到着。
いよいよ登城開始。
まず第一の門・馬出門を難なく通過。
第二の門・
門の装飾が銅板でできていたことから、その名が付いたといいます。
銅門を抜けると、歴史見聞館がありますが、とりあえず天守の攻略を優先するため、パスさせていただきました。
本丸への門・常盤木門。
「常盤木」とは、年中緑を絶やさない常緑樹のことで、ここではそばにある松の大木になぞらえて名付けられています。
常盤木門をくぐると、本丸。いよいよ天守が現れます。
本丸では、甲冑や打掛けの衣装を貸してくれるところがあります。
1回200円と思いの外安いのですが、暑さと汗にやられている私にはなんとも無用の長物・・・やめとこう。
そして天守へ。
天守の脇、付櫓から天守に入れます。
入場料は、大人400円(中・小学生150円)。
歴史見聞館の共通券は、大人600円(中・小学生200円)。
ここでは400円の天守閣入場券を購入し、歴史見聞館はパス。
時間がなかったための措置であり、決して入場料をケチったわけではありませんよぉ~(^_^;)
小田原城天守閣は、鉄筋コンクリート造りであるので、城内部の撮影はなし。
いや、もともと撮影禁止なんですがね。
内部では、刀剣・甲冑・古道具などの展示や、小田原城の城主についての資料、とくに早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の北条5代の治世を紹介する資料が並びます。
あと、和菓子のういろうも小田原が発祥だそうで、その資料もありました。
ちなみに私は、ういろうがあまり好きではないのです・・・。
最上階に到達。
東京ではあれだけ晴れていた空も、小田原に着いてからは雲がひろがってきました。
相模湾越しに伊豆大島が見えるそうだが、この日は見えませんでした。
それでも、涼風はとても心地よかったです。
最上階のおみやげ屋で絵葉書を買いました。
そして、100名城スタンプを探す。
スタンプ帳には、天守1階にあるとのことだが・・・
ない!どこにも置いてない!
お掃除のおばちゃんに尋ねてみると、「入口の受付でもらってください」
というので、入口の受付に戻ってみると、
受付の淑女がいねぇぞ!!
入口で20分近く待っていると、さっきのお掃除のおばちゃんが通りかかったので、スタンプを求めました。
おばちゃんは、受付にしまってあったスタンプを出してくれたのでした。
撮影地:バーミヤン小田原店
23番、小田原城!
最後に、天守の撮影スポットを探して歩きましたが、成果なしで終了。
午後4時半ごろ、小田原城を後にしました。
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