鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

夜の小田原

2010-09-10 | お散歩


2 0 1 0 年 9 月 4 日 ( 土 )

午 後 5 時 0 0 分

神 奈 川 県 小 田 原 市

小 田 原 駅 西 口



小田原城【国指定史跡】の登城を終え、小田原駅前に戻りました。

このあとのこの日の予定は・・・なし。
いや、正しくは、小田原駅から列車に乗って西へ向かいます・・・0時31分発の列車で。

というわけで、約7時間半のあいだ、小田原の地で待機することに。



時間をつぶすべく、小田原駅周辺をぶらり。



駅西口に立っている北条早雲公像

北条早雲は、本名を伊勢盛時といい、もとは京都に住まう幕府の役人であったといいます。
彼自身は「北条」姓を名乗ったことはありませんでしたが、本稿では「北条早雲」と称します。
早雲の叔母は今川家に嫁いでおり、伊勢家と今川家はほぼ同等の家柄であったそうです。

今川家に家督相続問題が生じたとき、早雲は京より下向して問題に介入し、叔母の子である今川氏親を当主に据えることに成功しました。
早雲はこのときに駿河東部にある興国寺城を与えられました。

その6年後、隣国伊豆に攻め入り、堀越公方(伊豆堀越に御所を構えた室町将軍家の一族)足利茶々丸を滅ぼし、伊豆を制圧しました。
伊豆を本拠地とした早雲は、細かい税を撤廃するなどの手厚い民政を施したといいます。
また早雲は、一国の統治者でありながら「守護」を名乗らなかったため、彼が最初の戦国大名であるとされています。


そしてこの銅像は、老齢となった早雲が「火牛の計」で小田原城を乗っ取ったシーンをモチーフとしているようです。

伊豆を制した早雲の野望は尽きず、その矛先を相模へ向けます。
相模の要衝・小田原城の城主は大森藤頼

まず早雲は、藤頼に贈り物をするなどして親しく付き合いました。
藤頼が警戒心を解いてきたところで、早雲は国境付近で狩猟を催します。
鹿が逃げて国境を越えたため、早雲は藤頼に対し「鹿が境を越えたので、勢子(狩猟などで獲物を追い立てる役目の者)を入れさせてもらいたい」と依頼し、藤頼は承諾しました。

早雲が何度も狩猟し、そのたびに勢子を入れる。
藤頼はすっかり油断してしまいました。

そのときを見計らって、早雲はいつもどおり勢子を越境させます。
しかしこのときは、勢子に扮した足軽だったのです。
早雲は小田原城下に攻め込みます。
さらに、牛の角にたいまつをつけ、大勢の兵士が迫り来るかのように見せたのです。
慌てた藤頼は、小田原城を捨てて逃亡したのでした。


実際は、早雲の独断で小田原を攻め取ったのではないようです。
大森藤頼が、盟主の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏から離反したため、早雲は扇谷上杉氏の要請を受けたという説が有力となっています。

攻め取った小田原城は、嫡男の氏綱に守らせます。
小田原城は北条氏の本拠地となり、代がかわるごとに拡張し、上杉謙信武田信玄も落とせず、22万の軍勢をもった豊臣秀吉も櫓ひとつ落とせなかった天下の堅城となっていきます。

さて早雲はさらに東へ。
このころになると扇谷上杉氏の勢力は衰えていました。
三浦半島の三崎城に立て籠もる三浦義同(よしあつ)は、3年もの間抗戦しましたが、

討つものも 討たるる者も 土器(かわらけ)
くたけて後は もとの土くれ


豪勇で知られた義同は、それにふさわしい辞世を詠んで最後の決戦に臨み、豪勇ぶりをあらわして自害。三崎城は落城しました。
水族館のある油壷という地名は、このときの城兵が流した血が油のようだったことからついたのだそうです。


ともあれ、早雲は一代で伊豆、相模を制しました。
早雲のあとを継いだ氏綱は姓を「北条」と名乗り、伊勢盛時は「北条早雲」と呼ばれています。




早雲公像から歩き、長居のできるファミレスを探します。
そして最初に見つけたのは、中華ファミレスのバーミアン

ここに着くたった3時間前、やはり中華料理の餃子の王将で昼食をとったので、あまり気乗りがしなかったのですが・・・このままうろつくのも暑いので、入店しました。
長居の口実としてはおなじみのドリンクバー、それととりあえずW焼餃子と唐揚げを注文して・・・・・・待機。

日本100名城の本を読んで、翌日のプランを考える。
TOEIC対策の単語の勉強。
買った絵葉書の鑑賞。
パンフレットの参照。

ひま。

この日は夜行列車に乗るため車中泊、当然お風呂には入れません。
そこで携帯の地図サイトで銭湯の場所を調べて、銭湯に入ってこようと思い立ったのでした。




午 後 9 時 4 0 分 ご ろ

バ ー ミ ア ン を 出 る


バーミアンを出て、調べた銭湯へ向かって歩き出しました。
しかしこれがこの旅しばらく続く苦難の始まりだったのです。


その銭湯は、小田原駅から約2キロのところにありました
近くに「万葉の湯」なる入浴施設があったのですが、入場料2,400円をケチり、遠くの銭湯を選択。


その途上、道を間違え、意外と人通りのない夜道にビビり、調べておいた銭湯に着いたのは午後10時25分。
銭湯の扉を開けるや、番台の翁は開口一番、

「終わりですよ」

どうしても銭湯に入りたい私はなおも食い下がったのですが・・・
さっさと寝たいであろうこの老人は聞く耳を持ちません。

さらに話を聞と、どうやらこのあたりの銭湯は午後10時でおしまいだというのです。

風呂抜きで夜行に乗りたくねぇよ~

そうだ、まだネットカフェがあった!
シャワーつきのところならば・・・!


携帯の地図で「ネットカフェ」「まんが喫茶」を検索するも、出たのは1件だけ。
さらにそこへ行っても、それらしい店舗が見つかりません。

ならば駅前をしらみつぶしに探すことにして、雑居ビルの看板を注視しながら散策。
そしてようやく1軒のネットカフェを見つけ入店。しかし、

「シャワーはありません」

これで1日目は風呂なし確定。



仕方なく、トイレに籠もる。
全身をギャツビーのペーパーボディタオルでぬぐって、不潔な体をごまかす手段をとるしかなかったのでした。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿