旅ときどきマラソン&ビール

前期高齢者の日常報告。家庭菜園、マラソン大会。好きなビールの他、ワイン等の話題。手料理の披露。ときどき旅の話題も。

タイ・ミヤンマー・アンコールワット旅行(その5)

2010-03-30 21:14:08 | 旅行

1ケ月のタイ滞在の最後は、南部への小旅行。2月16日から1泊2日の旅。
もちろん、フアランポーン駅から鉄道の旅で、フアヒン海岸とさらに南部のスラタニまでの強行軍。
フアヒン海岸には20年前にも行ったが、すっかり状況が変わっていた。
さびれた小さな町のイメージが、すっかり観光地化。
なんと海岸近くのビアガーデンではビール1杯が約200バーツ(約600円)と、バンコクの歓楽街の3倍もの値段。外国人も多く、駅近くのマーケットも無くなっていた。
早々にフアヒンを発つことにし、さらに南部のスラタニまで寝台列車で移動。
平日なのに、夜の8時台の列車しか指定がとれない。まだ暗い朝5時近くにスラタニ駅到着。「深夜特急」の沢木耕太郎も降り立った駅である。
彼は「駅前には、なにもなかった」と書いていましたが、そのとおり。実は、鉄道駅は町からそうとう離れており、バスで町までいく必要がある。それをしないで彼はさらに南へ向かったが、私はまちを見たく、バスを1時間近く待ち、町中へ。
ちょうど通学時の子供たちが多く、活気を感じたが、大きな町ではなく、すぐにタイランド湾へ出るダービー川のフェリー発着場へ。リゾート地としてすっかり有名になったサムイ島への船もあり、次回は船で島へ渡ってみたいと感じたところである。
さて、今回の旅はこれで終わり。バンコクへの帰路は、長距離バスを選択。昼間の長距離バスはいいものである。南の国特有のヤシの木のプランテーションが多くあり、見ているだけであきない。10時間後にバンコクの南バスターミナルへ無事到着。奮発してタクシーでホテルへ帰還。いろいろあった4週間が終わった・・・・。
この小旅行のあとは、お土産の買い物と、都心の公園で実に24日ぶりのジョギング。痛めた右ヒザも何とか持ちこたえ、1時間半ほどゆっくりと走ることができた。
これで今年もなんとか、春からのレースや道内一周ランもOKか。一安心して日本へ帰国。
しかし、今回利用した大韓航空は便利である。仁川空港乗り換えで新千歳空港まで直。
今月26日にオープンした新千歳空港の国際線ターミナルの利用が、これからは多くなることは間違いない。

写真は、夕暮れのフアヒン海岸です。

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タイ・ミヤンマー・アンコールワット旅行(その4)

2010-03-20 21:27:25 | 旅行
バンコクのスワンナプーム空港からわずか45分のフライトで行けるカンボジアのシェムリアップ空港。アンコールワット遺跡群の拠点となる小さな空港である。2月10日から2泊3日で待望の世界遺産を観てきた。
右ひざが回復していない状態で遺跡を見て廻れるか、不安はあったが、ビザの関係もあり行くことに。
初日のシェムリアップ空港行のフライトは8時発。午前5時にホテルをでて、指定の6時に搭乗手続きを済ませる。小型のA320機。わずかなフライト時間でも簡単な朝食がでる。しかし、出入国カードや税関申告書、さらに事前にビザを取得しなかったために、シェムリアップ空港でのビザ申請書などを機内で記載しなければならない。あわただしいフライトであった。
空港に着陸後、入国審査前に、写真1枚、ビザ申請書、ビザ料金20USDを提出し、1ケ月の観光ビザを取得。入国審査も問題なく通り、現地ツアーガイドと合流し、遺跡巡りの開始である。
合流後、ただちにアンコールトム遺跡群に向かう。トムの中心のバイヨンに、強烈なショックと感動を覚える。すごい、の一言。しかし、急な石の階段が多い。上りは問題ないが、下りは、右ヒザに負担をかけないよう、右足で一段づつ降りる。このやり方で3日間をとおし、なんとか右ヒザももった。
暑い中の遺跡廻りは本当にキツイ。広い遺跡群を効率よく廻るには、「ツアーの選択」もありか。とくに今回は、若いカップル二人と私の3人のみのツアーであり、ガイドの話もよく聞くことができた。また、二人との会話も楽しいものであった。
なお、シェムリアップでは米国ドルがそのまま通用する。が、すべてが観光客価格で高い。たとえば食事時のビール。暑い中での遺跡巡りで汗をかいた後で、本当にうまい。しかし、一般の店(?)では生ビール一杯が50セント。これが2~3ドルにもなっている。今回の2泊3日のツアーで、現地で使ったドルはビール代およびガイドと運転手へのチップのみで数十ドルになった。
いずれにしても、ここの遺跡群にも、中国人や韓国人が多く来ている。両国のパワーを感じずにはいられない。
写真は、3日目の早朝5時に宿泊のホテルをでて、アンコールワットのサンライズを鑑賞したときのものである。
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タイ・ミヤンマー・アンコールワット旅行(その3)

2010-03-16 21:58:37 | 旅行

今回の旅行ではタイの北方へも行ってきました。
バンコクのフアランポーン駅からチェンマイまで、夜行寝台列車で約14時間。タイで寝台列車に乗るのは初めて。ビールを飲んで、いつの間にかウトウト。朝があけて、予定より1時間ほど遅れて20年ぶりのチュンマイです。
チェンマイ駅からメイン通りをぶらぶら。懐かしい堀と城壁跡。バンコクの喧騒から逃れ、どこか落ち着く小都市の雰囲気はいいものでした。
そして、バスで次の町「チェンライ」へ。この町は初めて。少し古いガイドブックのため到着したバスターミナルを町中と勘違いし、方向を磁石で確認し歩く。が、行けども行けども目指す時計台が見えない。泊まるホテルも探さねばと、結局到着したターミナルへ戻り、TAXIで町中へ。数年前に第2バスターミナルができ、長距離バスはここに到着とのこと。町中から6Kくらい離れている。時間をロス。ようやく夕方に町中でエコノミークラスのホテルにチェックイン。一泊400バーツ(約1120円)なり。
翌日は、ワットを2か所見て、すぐにローカルバスにて、ミヤンマーとの国境の町メーサイへ。エアコン無しのバスに揺られて約2時間。途中、タイ警察による検問が2か所。外国人はパスポートを見せるだけですが、タイ人にはIDカードのチェックが厳しいようでした。やはり、北方からの密入国者が多いのでしょうか。
メーサイ到着後、タイ・ミヤンマー・ラオス3国が接している地点、いわゆるゴールデントライアングルへ。乗ったソンテウ(トラックを改造した乗り合いタクシー)の運転手は、「40分後には戻ってくる」と言っていましたが、1時間半たっても戻ってきません。仕方がなく、さらに先の町チャーンセンへ。そこで、なんとその運転手を見つけることができました。が、「今日はもうメーサイへ行く車はない」とのこと。途方に暮れていると、営業を終了したハズのソンテウの別の運転手が「500バーツでどうだ」と言ってきます。350バーツまで値切って、ソンテウ貸切でメーサイへ無事?に戻り、やはりエコノミーホテルへチェックイン。
翌日はミヤンマーの町タチレクへ。陸路を徒歩で国境を通過するのは初めての体験。タイ出国は簡単。しかし、ミヤンマーでは入国ビザ代が1日10ドルとられ、さらにパスポートを預けて、写真付の入国許可証でようやくタチレクへ入るという手順。
国境付近は屋台マーケットが多く、また物売りが多く、声かけを断るのに、ゆっくり歩くこともままなりません。マーケットから離れ、ミヤンマーの生活を見て歩きました。驚いたことは、携帯電話のネットワークがここでもキチンと届いていることでした。
しかし、メイン通りでは目つきの鋭い軍人が大勢乗ったトラックが頻繁に行き来し、やはりここはタイとは違うんだと実感した瞬間でした。
タイへの再入国。ミヤンマー側ではパスポートを返してもらいまったく問題なく出国。しかし、タイ入国管理事務所では、陸路入国なので滞在許可が「14日」とのスタンプを押されてしまいました。帰国予定日がオーバーステイになってしまいます。
しかし、アンコールワットへ行くつもりでしたので、そのまま大人しく引き下がり、タイへ再入国しました。
その後、バンコク行きの長距離夜行バスに乗り、翌朝5時45分に、無事、バンコク北バスターミナルへ到着し、4泊の強行日程の小旅行を終えました。

写真は、メーサイからミヤンマーへ陸路で入国するイミグレーションです。

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タイ・ミヤンマー・アンコールワット旅行(その2)

2010-03-09 21:24:44 | 旅行

今回の旅行で、どうしても行きたかったところはアユタヤである。
20年前のバンコク滞在中に、友人や親せきを案内して、車で3回ほど行ったところである。破壊されつくした遺跡の印象は強烈であったが、アユタヤという「町」の記憶はほとんどない。昼に、どこかの大きな通りに面したレストランで美味しいビールとタイ料理を満喫した記憶のみである。
 そこで、今回はバンコクの鉄道の中心駅フアランポーン駅から普通列車(3等列車)に1時間半揺られて、アユタヤへ行った。列車内では、タイの人々や、スイスから遊びに来た若い女性との会話を楽しみ、あっと言う間の1時間半で、アユタヤ駅に着いた。
 アユタヤ駅前で纏わりつくツクツク(3輪タクシー)やタクシーの運転手を無視し、地図をみながら、西に向かってパサック川(チャオプラヤ川の支流)を渡し船で渡り、町中をゆっくりと歩いて、世界遺産の遺跡を巡った。
 町中は歩道に設けた屋台と行きかう人々で活気に溢れていた。
 各遺跡も、懐かしいところや、見逃していたものなど、ゆったりとした観光地巡りができ、のんびりした1日を過ごした。
 写真は、最も有名なアユタヤ遺跡のワット・プラ・シー・サンペットのシンボル3基の塔である。

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