手作りせんきょ日記
ガンバレ よし子さん
ヴィルデ・フラングに片思い(番外編)
シベコインチームのみなさんこんにちは。
シベコン広報部長兼ヴィルデ・フラング応援団長のクレタです。
いつもご覧いただきありがとうございます。
さて、本日のテーマは何と言ってもコチラ。

ヴィルデ・フラング、再臨。
無限の可能性を秘めてキラキラ輝くノルウェーのビスクドールが
再び日本にやって来ました。
しかし手放しで喜ぶことはできません。
ヴィルデ・フラング応援団長こと私クレタ、昨年末以降ブログを一度も更新しないままこの日を迎えてしまったことに、忸怩たる思いがあります。今までいったい何をしていた?前回の続きはどうなった?と、ヴィルデの再来日をことほぐ前に、私はまず過去の自分を厳しく問い直さなければなりません。
ブログの更新が滞る。その背景には「自分の体験に処理能力が追いつかない」という本質的な問題があります。テキストを書く前と書いた後では目の前の世界が違って見える、そういうテキストを書きたい、自分のブログに残したい、と私は考えています。でも自分が設定したレベルのテキストを定期的にアウトプットするには私の脳内メモリは小さすぎる。メモリが不足したら増設する。PCなら簡単にできます。でも人間はそうはいかない。人間のメモリは手づくりで増やしていくもので、それには時間がかる。その間ブログは放置状態になってしまう。
2012年前半はマイブログでヴィルデをプッシュして来日を援護射撃(?)するつもりだったのに、結局何もできなかった。応援団長として反省の余地はあります。でもそこにポジティブな側面がないわけではない。脳内メモリを増設すること。能力の限界値を上げること。それは人類史上不滅のテーマです。2011年3月のシベコン演奏会のレビューを書くことは自らの能力の限界を押し拡げるプロセスである。そう考えると、その取組みは私の人生に大きな意味を持ってきます。このテキストを書き終えたら、(わずかでも)世界が変わる。その期待があるうちは、とりあえず納得いくまでこの話題にこだわって時間をかけてみよう、と私は考えています。
とはいえ、1年以上前の演奏会のレビューを書くのは相当面倒くさい作業です。記憶は時間とともに消えていく。それを脳内にずっと留めておくのは時間の流れに逆らっている状態で、すごくエネルギーがいる。古いレビューを記憶だけを頼りに書いていると、新しい体験に記憶が上書きされそうな気がして、だんだん演奏会に行くのが億劫になってくる。その引きこもりマインドは当然ながらヴィルデの演奏会にも暗い影を落としてきます。
ヴィルデの登場が待ち遠しい。ニールセンのコンチェルト超楽しみ。
私は心からそう思っています。でもその気持ちは
耳に残るシベコンの音色をかき消されるくらいなら、いっそ聴かずに済ませたい。
ただでさえ小さいメモリにこれ以上データを追加したら、
ほんとに私の手に負えなくなってしまいそう。
という不安と背中合わせになっていて、その不安は日を追うごとに
ヴィルデのコンチェルトを聴きたいんだけど、聴きたくない。
という矛盾した気持ちを私の胸にもたらすのです。でももちろん聴かないわけにはいきません。勇気を奮い起して行ってきましたよ、オペラシティに。そして行ってみたら・・・・!
というわけで前置きが長くなりましたが、ヴィルデファンのみなさん、お待たせしました。
ここからは先日の東京オペラシティの演奏会のレポートです。
テキストを書いているうちに日にちが経ってしまったので、時間を巻き戻して読んでください。
*** *** *** *** ***
2012年5月11日
東京交響楽団演奏会
シベリウスとニールセン
北欧音楽感謝デー
指揮/サンットゥ=マティアス・ロウヴァリ
ヴァイオリン/ヴィルデ・フラング
楽器への影響を考慮しているのかもしれないけど、開演を待つ間空調が寒くて、スカートを穿いた足元がすうすうして落ち着かなかった。私は普段はスカートなんか穿かない。普段着はもっぱらジーンズ。無理しないで普段着で行こうかな。そのほうが楽だしあったかい。演奏会当日はいつも出がけにそう思う。でも結局スカートを選ぶ。それは私の原則だ。
足元の冷えが膝へと上ってきたころに、ようやく会場係がホールの扉を閉め始める。閉ざされた扉は演奏が終わるまで開かない。さっきまでは扉の向こう側にいて、そこにはいろんな自由があった。私は電話もできたし、食べ物も食べれたし、本も読めた。でもこれからは違う。私は扉のこちら側で自由を奪われてひとつのシートに監禁される・・・そう思うと、とつぜん不安に襲われる。
途中でトイレに行きたくなったらどうしよう。
そのせいで気が散ってコンチェルトに集中できなかったらどうしよう。
トイレにはさっき行ったばかりだし、開演前に水分は採ってない。でも尿意(のようなもの)を感じる。きっと足元が冷えたせいだ、スカートなんか穿いてくるから、と後悔してももう遅い。扉は全て閉じられて、間もなく演奏が始まろうとしている。
客電がゆっくりと落とされて、客席と床と人間が闇に紛れると、自分と外部の境界が暗がりの中で混ざり合い、しだいに曖昧になっていく。客席にいる私の存在が薄れていくのと引き換えに、ステージの上の譜面台や指揮台が、ライトの光を受けてくっきりと存在を主張する。客席が明るいころ、私は自分がステージから遠く隔てられていると感じた。もっと近い席が取れればよかったのに、と不満に思った。でも今は打って変わってステージをとても近く感じる。ちょっと手を伸ばせばあの譜面台に届きそうだ。闇の中では距離は意味を失う。距離のない世界には自分と他人の区別もない。今から私はどこにでも行けるし、誰にでもなれる。
コンサートホールは私にとって特別な場所だ。
私は普通ではない、特別なものを求めて、ただそのためだけに、ここにいる。そして普通ではない、特別なものを手に入れたいと望む人は、まず自らが進んで日常を離れるべきだ、と私は考える。私が普段は穿かないスカートを穿いているのはそのためだ。今日のソリストはヴィルデ・フラング。私が待ちに待った主役の登場だ。ヴィルデがコンチェルトを弾くからには、これからここで普通ではない、特別なことが起こる。そう確信する私が普段着でホールに日常を持ち込むわけにはいかない。多少足元が冷えたとしても、特別な格好をして、特別な気持ちで演奏に臨む。それが私の原則だ。
それに私はこの尿意が幻だと知っている。
待ち時間に尿意を感じて不安になるのはいつものことで、その不安は演奏への期待に比例して大きくなる。それは自分が作り出した幻で、演奏が始まればたちまち消えてしまう。ようするに私はそれだけ今夜のコンチェルトに期待し、緊張しているのだ。そして開演の遅れが私の幻覚パニックに拍車をかけている。オケの人たちよ、早く出てこい。いくらなんでも遅すぎるぞ。心の中でコールが始まる。すると男性がひとりマイクを手にステージに現れた。いよいよスタートだ。そう思ったら案の定、幻の尿意は引っ込んでしまった。
クラシックの演奏会はアンプラグドが前提で、そこにマイクを持った人が出てきたら、それは演奏前のプレトークと相場は決まっている。でも今日はなんか変だ。今からプレトークを始めたら終わるのは何時?プログラムは3曲もあるというのに。それにマイクを持っているのはどう見てもただのスタッフで、プロのオーラをみじんも放ってない。開演を待ちわびる聴衆の前に素人が立っている。みょうに場違いなこの感じは、もはやプレトークではない。なにかアクシデントが起きたんだ。私が異変を感知したのと同時に男性がアナウンスを始めた。
今日の主役のヴィルデさんはさっきまでここでゲネプロをやっていました。その時は元気にコンチェルトを弾いていました。しかしその後突如ハライタとハキケに襲われ、開演時間になっても症状が回復しないため、ステージに立つことができません。代役を立てようにも時間がなく、今日のコンチェルトは取りやめになりました。
・・・ってことは、
ドタキャン キタ――( ゜д゜)――!
ここまで鮮やかなドタキャンを食らうとお客さんも納得するしかない。
不測の事態。苦渋の決断。男性からはぶっつけ本番の空気がひしひしと感じられた。
しかし残念。
私はこの演奏会をほんとうに楽しみにしていたし、事前の準備も万全だった。それは服装の準備だけではない。東京交響楽団がヴィルデをゲストに呼ぶ。そのニュースを知ったのは昨年のことで、私はそれからすぐに東響の後援会に入会した。入会にあたっていくつか事務手続き―― ぶっちゃけ寄付ですわ ――が発生したけど、ヴィルデのコンチェルトをいっちょう盛り上げよう、という気持ちで快く献金した。長引く不況の影響でどこのオケも経営が苦しいのは周知の事実。たとえどんなに優れたソリストがいても、どれだけ素晴らしい曲が残されていても、一緒に演奏してくれるオケがいなければコンチェルトは成立しない。共演に先立って「ヴィルデの伴奏、頼んだよ」とオケにエールを送っておくのは応援団長である私の務めだ。当然チケットも大盤振る舞い。1階平土間のS席で、聴く気満々でスタンバっていた。
その根回しが、一瞬にしてパー。
でもヴィルデが受けたであろうダメージに比べれば、そんなの全然たいしたことじゃない。
彼女が弾く予定だったニールセンのコンチェルト。前半のラルゴからアレグロはCDで聴くと20分ちかくかかる壮大なもので、シベコンにも通ずる異次元性を湛えている。この曲に挑むソリストは、まず第一に、その異次元性に拮抗するオリジナルな価値観を打ち立てなければならない。それができないと、ただ単にだらだらと長いだけの演奏になってしまう。ヴィルデがうまく異次元を突破できるか否か。それは今夜の一番の聴きどころだったし、彼女もそのための準備を整えていたはずだ。
スタミナをつけ、メンタルを鍛え、必要な筋力をアップして、テンションを維持する。そんな地道なトレーニングをヴィルデは人知れず行ってきた。ゲネプロまではものごとは順調に運んだ。でもあと少しというところで、アクシデントに見舞われて、本番のステージに立てなくなった。
積み重ねた努力は、一瞬にしてパー。
それは私に北京五輪の直前に肉離れを起こして泣く泣く出場を辞退した野口みずきの悲劇を思い起こさせる。4年に一度のオリンピックと一緒にしないで、と言って野口さんは怒るかもしれないけど。
指揮者のロウヴァリくんは1985年生まれ。まだ若く経験の浅い彼にとって主役の不在は相当なビハインドだろう。でも逆境を若さで跳ね返すような元気いっぱいのフィンランディアはなかなか面白い。フレッシュな新人なだけにその後ろ姿は貫禄からは程遠く、指揮者というより交通整理のお巡りさんに見えてしまうのは難点だけど。オペラシティの平土間後方の音響効果は申し分ないもので、シベリウス独特の低音ビートを肌で感じることができる。
とはいえ、演奏中もヴィルデのことが頭から離れることはない。
異国で急病。お座敷はキャンセル。
ヴィルデはさぞや心細いことだろう。気落ちしていることだろう。
川崎、京都、名古屋とスケジュールは目一杯詰まってるけど、大丈夫だろうか。
何か私にできることはないかしら。
休憩時間に1階の花屋に降りてバラを買ってホールに戻った。
演奏会が終わると、目に付いた黒服に「ヴィルデさんに渡してください」と花を託した。
黒服は招聘元の人で、必ず本人に渡します、と請け負ってくれた上に
ヴィルデは現在某大学病院にいて、明日(12日)の川崎は微妙だけど、
白寿ホール(16日)は大丈夫かもしれない、と最新情報を教えてくれた。
ってことは、16日のリサイタルが視野に入るくらいには回復したということで、それはひとまず安心ってことだよね。明日の川崎はどうなるだろう。もしニールセンのコンチェルトが演奏されたら、生で聴ける人がうらやましい。ヴィルデはきっと素晴らしい演奏を聴かせてくれるに違いない。でも演奏が無事に始まるかどうかはその時にならないとわからない。演奏者は人間で、人間はいろんな種類のトラブルに囲まれて生きている。いつまた大地震が起こるかもしれないし、突然ハライタに襲われるかもしれない。
それにしてもあの黒服、ずいぶん事情に詳しかったな。
妙な存在感もあったし、いったい何者?
オペラシティの長いエスカレーターの途中でそんなことを考えながらもらった名刺をよく見たら、そこには社長の肩書が(!)
つまりあの人はヴィルデを日本に呼んでくれた人で、
おかげで私はヴィルデに出会うことができたわけで、
あの人はいわば私とヴィルデを結び付けてくれたキューピッド?
人は出会うべくして人と出会う。
コンサートホールで起こるこの手の偶然に私はもう驚かない。ただ
普段着じゃなくて、大正解!
大人の女性として恥ずかしくない格好をしていて、ほんとうによかった!!
(美容院に行っておけば、もっとよかった)
そう思って、新宿へ向かう電車の中でほっと胸をなでおろしたのだった。
(おわり)
シベコン広報部長兼ヴィルデ・フラング応援団長のクレタです。
いつもご覧いただきありがとうございます。
さて、本日のテーマは何と言ってもコチラ。

ヴィルデ・フラング、再臨。

無限の可能性を秘めてキラキラ輝くノルウェーのビスクドールが
再び日本にやって来ました。
しかし手放しで喜ぶことはできません。
ヴィルデ・フラング応援団長こと私クレタ、昨年末以降ブログを一度も更新しないままこの日を迎えてしまったことに、忸怩たる思いがあります。今までいったい何をしていた?前回の続きはどうなった?と、ヴィルデの再来日をことほぐ前に、私はまず過去の自分を厳しく問い直さなければなりません。
ブログの更新が滞る。その背景には「自分の体験に処理能力が追いつかない」という本質的な問題があります。テキストを書く前と書いた後では目の前の世界が違って見える、そういうテキストを書きたい、自分のブログに残したい、と私は考えています。でも自分が設定したレベルのテキストを定期的にアウトプットするには私の脳内メモリは小さすぎる。メモリが不足したら増設する。PCなら簡単にできます。でも人間はそうはいかない。人間のメモリは手づくりで増やしていくもので、それには時間がかる。その間ブログは放置状態になってしまう。
2012年前半はマイブログでヴィルデをプッシュして来日を援護射撃(?)するつもりだったのに、結局何もできなかった。応援団長として反省の余地はあります。でもそこにポジティブな側面がないわけではない。脳内メモリを増設すること。能力の限界値を上げること。それは人類史上不滅のテーマです。2011年3月のシベコン演奏会のレビューを書くことは自らの能力の限界を押し拡げるプロセスである。そう考えると、その取組みは私の人生に大きな意味を持ってきます。このテキストを書き終えたら、(わずかでも)世界が変わる。その期待があるうちは、とりあえず納得いくまでこの話題にこだわって時間をかけてみよう、と私は考えています。
とはいえ、1年以上前の演奏会のレビューを書くのは相当面倒くさい作業です。記憶は時間とともに消えていく。それを脳内にずっと留めておくのは時間の流れに逆らっている状態で、すごくエネルギーがいる。古いレビューを記憶だけを頼りに書いていると、新しい体験に記憶が上書きされそうな気がして、だんだん演奏会に行くのが億劫になってくる。その引きこもりマインドは当然ながらヴィルデの演奏会にも暗い影を落としてきます。
ヴィルデの登場が待ち遠しい。ニールセンのコンチェルト超楽しみ。
私は心からそう思っています。でもその気持ちは
耳に残るシベコンの音色をかき消されるくらいなら、いっそ聴かずに済ませたい。
ただでさえ小さいメモリにこれ以上データを追加したら、
ほんとに私の手に負えなくなってしまいそう。
という不安と背中合わせになっていて、その不安は日を追うごとに
ヴィルデのコンチェルトを聴きたいんだけど、聴きたくない。
という矛盾した気持ちを私の胸にもたらすのです。でももちろん聴かないわけにはいきません。勇気を奮い起して行ってきましたよ、オペラシティに。そして行ってみたら・・・・!
というわけで前置きが長くなりましたが、ヴィルデファンのみなさん、お待たせしました。
ここからは先日の東京オペラシティの演奏会のレポートです。
テキストを書いているうちに日にちが経ってしまったので、時間を巻き戻して読んでください。
*** *** *** *** ***
2012年5月11日
東京交響楽団演奏会
シベリウスとニールセン

指揮/サンットゥ=マティアス・ロウヴァリ
ヴァイオリン/ヴィルデ・フラング
楽器への影響を考慮しているのかもしれないけど、開演を待つ間空調が寒くて、スカートを穿いた足元がすうすうして落ち着かなかった。私は普段はスカートなんか穿かない。普段着はもっぱらジーンズ。無理しないで普段着で行こうかな。そのほうが楽だしあったかい。演奏会当日はいつも出がけにそう思う。でも結局スカートを選ぶ。それは私の原則だ。
足元の冷えが膝へと上ってきたころに、ようやく会場係がホールの扉を閉め始める。閉ざされた扉は演奏が終わるまで開かない。さっきまでは扉の向こう側にいて、そこにはいろんな自由があった。私は電話もできたし、食べ物も食べれたし、本も読めた。でもこれからは違う。私は扉のこちら側で自由を奪われてひとつのシートに監禁される・・・そう思うと、とつぜん不安に襲われる。
途中でトイレに行きたくなったらどうしよう。
そのせいで気が散ってコンチェルトに集中できなかったらどうしよう。
トイレにはさっき行ったばかりだし、開演前に水分は採ってない。でも尿意(のようなもの)を感じる。きっと足元が冷えたせいだ、スカートなんか穿いてくるから、と後悔してももう遅い。扉は全て閉じられて、間もなく演奏が始まろうとしている。
客電がゆっくりと落とされて、客席と床と人間が闇に紛れると、自分と外部の境界が暗がりの中で混ざり合い、しだいに曖昧になっていく。客席にいる私の存在が薄れていくのと引き換えに、ステージの上の譜面台や指揮台が、ライトの光を受けてくっきりと存在を主張する。客席が明るいころ、私は自分がステージから遠く隔てられていると感じた。もっと近い席が取れればよかったのに、と不満に思った。でも今は打って変わってステージをとても近く感じる。ちょっと手を伸ばせばあの譜面台に届きそうだ。闇の中では距離は意味を失う。距離のない世界には自分と他人の区別もない。今から私はどこにでも行けるし、誰にでもなれる。
コンサートホールは私にとって特別な場所だ。
私は普通ではない、特別なものを求めて、ただそのためだけに、ここにいる。そして普通ではない、特別なものを手に入れたいと望む人は、まず自らが進んで日常を離れるべきだ、と私は考える。私が普段は穿かないスカートを穿いているのはそのためだ。今日のソリストはヴィルデ・フラング。私が待ちに待った主役の登場だ。ヴィルデがコンチェルトを弾くからには、これからここで普通ではない、特別なことが起こる。そう確信する私が普段着でホールに日常を持ち込むわけにはいかない。多少足元が冷えたとしても、特別な格好をして、特別な気持ちで演奏に臨む。それが私の原則だ。
それに私はこの尿意が幻だと知っている。
待ち時間に尿意を感じて不安になるのはいつものことで、その不安は演奏への期待に比例して大きくなる。それは自分が作り出した幻で、演奏が始まればたちまち消えてしまう。ようするに私はそれだけ今夜のコンチェルトに期待し、緊張しているのだ。そして開演の遅れが私の幻覚パニックに拍車をかけている。オケの人たちよ、早く出てこい。いくらなんでも遅すぎるぞ。心の中でコールが始まる。すると男性がひとりマイクを手にステージに現れた。いよいよスタートだ。そう思ったら案の定、幻の尿意は引っ込んでしまった。
クラシックの演奏会はアンプラグドが前提で、そこにマイクを持った人が出てきたら、それは演奏前のプレトークと相場は決まっている。でも今日はなんか変だ。今からプレトークを始めたら終わるのは何時?プログラムは3曲もあるというのに。それにマイクを持っているのはどう見てもただのスタッフで、プロのオーラをみじんも放ってない。開演を待ちわびる聴衆の前に素人が立っている。みょうに場違いなこの感じは、もはやプレトークではない。なにかアクシデントが起きたんだ。私が異変を感知したのと同時に男性がアナウンスを始めた。
今日の主役のヴィルデさんはさっきまでここでゲネプロをやっていました。その時は元気にコンチェルトを弾いていました。しかしその後突如ハライタとハキケに襲われ、開演時間になっても症状が回復しないため、ステージに立つことができません。代役を立てようにも時間がなく、今日のコンチェルトは取りやめになりました。
・・・ってことは、
ドタキャン キタ――( ゜д゜)――!
ここまで鮮やかなドタキャンを食らうとお客さんも納得するしかない。
不測の事態。苦渋の決断。男性からはぶっつけ本番の空気がひしひしと感じられた。
しかし残念。
私はこの演奏会をほんとうに楽しみにしていたし、事前の準備も万全だった。それは服装の準備だけではない。東京交響楽団がヴィルデをゲストに呼ぶ。そのニュースを知ったのは昨年のことで、私はそれからすぐに東響の後援会に入会した。入会にあたっていくつか事務手続き―― ぶっちゃけ寄付ですわ ――が発生したけど、ヴィルデのコンチェルトをいっちょう盛り上げよう、という気持ちで快く献金した。長引く不況の影響でどこのオケも経営が苦しいのは周知の事実。たとえどんなに優れたソリストがいても、どれだけ素晴らしい曲が残されていても、一緒に演奏してくれるオケがいなければコンチェルトは成立しない。共演に先立って「ヴィルデの伴奏、頼んだよ」とオケにエールを送っておくのは応援団長である私の務めだ。当然チケットも大盤振る舞い。1階平土間のS席で、聴く気満々でスタンバっていた。
その根回しが、一瞬にしてパー。
でもヴィルデが受けたであろうダメージに比べれば、そんなの全然たいしたことじゃない。
彼女が弾く予定だったニールセンのコンチェルト。前半のラルゴからアレグロはCDで聴くと20分ちかくかかる壮大なもので、シベコンにも通ずる異次元性を湛えている。この曲に挑むソリストは、まず第一に、その異次元性に拮抗するオリジナルな価値観を打ち立てなければならない。それができないと、ただ単にだらだらと長いだけの演奏になってしまう。ヴィルデがうまく異次元を突破できるか否か。それは今夜の一番の聴きどころだったし、彼女もそのための準備を整えていたはずだ。
スタミナをつけ、メンタルを鍛え、必要な筋力をアップして、テンションを維持する。そんな地道なトレーニングをヴィルデは人知れず行ってきた。ゲネプロまではものごとは順調に運んだ。でもあと少しというところで、アクシデントに見舞われて、本番のステージに立てなくなった。
積み重ねた努力は、一瞬にしてパー。
それは私に北京五輪の直前に肉離れを起こして泣く泣く出場を辞退した野口みずきの悲劇を思い起こさせる。4年に一度のオリンピックと一緒にしないで、と言って野口さんは怒るかもしれないけど。
指揮者のロウヴァリくんは1985年生まれ。まだ若く経験の浅い彼にとって主役の不在は相当なビハインドだろう。でも逆境を若さで跳ね返すような元気いっぱいのフィンランディアはなかなか面白い。フレッシュな新人なだけにその後ろ姿は貫禄からは程遠く、指揮者というより交通整理のお巡りさんに見えてしまうのは難点だけど。オペラシティの平土間後方の音響効果は申し分ないもので、シベリウス独特の低音ビートを肌で感じることができる。
とはいえ、演奏中もヴィルデのことが頭から離れることはない。
異国で急病。お座敷はキャンセル。
ヴィルデはさぞや心細いことだろう。気落ちしていることだろう。
川崎、京都、名古屋とスケジュールは目一杯詰まってるけど、大丈夫だろうか。
何か私にできることはないかしら。
休憩時間に1階の花屋に降りてバラを買ってホールに戻った。
演奏会が終わると、目に付いた黒服に「ヴィルデさんに渡してください」と花を託した。
黒服は招聘元の人で、必ず本人に渡します、と請け負ってくれた上に
ヴィルデは現在某大学病院にいて、明日(12日)の川崎は微妙だけど、
白寿ホール(16日)は大丈夫かもしれない、と最新情報を教えてくれた。
ってことは、16日のリサイタルが視野に入るくらいには回復したということで、それはひとまず安心ってことだよね。明日の川崎はどうなるだろう。もしニールセンのコンチェルトが演奏されたら、生で聴ける人がうらやましい。ヴィルデはきっと素晴らしい演奏を聴かせてくれるに違いない。でも演奏が無事に始まるかどうかはその時にならないとわからない。演奏者は人間で、人間はいろんな種類のトラブルに囲まれて生きている。いつまた大地震が起こるかもしれないし、突然ハライタに襲われるかもしれない。
それにしてもあの黒服、ずいぶん事情に詳しかったな。
妙な存在感もあったし、いったい何者?
オペラシティの長いエスカレーターの途中でそんなことを考えながらもらった名刺をよく見たら、そこには社長の肩書が(!)
つまりあの人はヴィルデを日本に呼んでくれた人で、
おかげで私はヴィルデに出会うことができたわけで、
あの人はいわば私とヴィルデを結び付けてくれたキューピッド?

人は出会うべくして人と出会う。
コンサートホールで起こるこの手の偶然に私はもう驚かない。ただ
普段着じゃなくて、大正解!
大人の女性として恥ずかしくない格好をしていて、ほんとうによかった!!
(美容院に行っておけば、もっとよかった)
そう思って、新宿へ向かう電車の中でほっと胸をなでおろしたのだった。
(おわり)
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ヴィルデ・フラングに片思い(5)/2012は再来日!
シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部のクレタです。
連日の閲覧ありがとうございます。今年最後のエントリはこのニュースから。
2012年5月にヴィルデ・フラングが再び来日します!


11日と12日はニールセンのコンチェルト with 東京交響楽団


来日の詳細はまた後ほど。
で、ここからは前回のテキストの続きです。
前回のテキストは こちら
神尾真由子/BBC響のシベコンは心に残る名演奏で、それを聴く機会に恵まれたのは疑いの余地なく幸運なことでした。でもそこには後遺症もあって、それ以降の私は過去の呪縛の中でシベコンを聴くことを余儀なくされました。新しいソリストが登場しても神尾さんの演奏が上書されることはなく、したがってその呪縛が解かれることもなく、私は新たな感動を見出せないまま演奏会を重ね、いつしか私とシベコンの間には緩やかな倦怠期が訪れてました。その状況は2011年3月5日のヴィルデ・フラングのシベコンを聴いた後で一変します。それは私の耳に残っていた過去の演奏を消し去っていきました。
こんな書き方をすると、それは神尾さんをも凌駕する演奏だったのか、と誤解されそうなので補足しますが、コンチェルト全体の完成度という点ではヴィルデは神尾さんに及ばなかったと思います。残念ながら初日の演奏についてはそう言わざるを得ません。なんか変てこなシベコンだな、というのが第一印象でした。ヴィルデのシベコンは風変わりで、ユニークで、それまでに聴いた他の誰の演奏とも違っていました。じゃあそれはNGなのか、というとそんなことはなく、むしろ大アリ。
まだはっきりとした輪郭をとらない、断片的でノイジーな信号だけど、だからこそ
私のアンテナには引っかかって、この音楽は私に発見されるのを求めている!
なんてひとりよがりの、特殊で、狭くて、深い感情が喚起されて、気がつけばβエンドルフィンとかキラー細胞とかアルファ波とか、脳内物質でまくり。それは俗にいう
・・・ヴィルデ・フラング、萌え~。

的な高揚で、その高揚は演奏が進むにつれて更に強くなり、
これは間違いなく新しい音楽。
でも私はまだこの音楽を語る言葉を持たない。
過去の言葉はもはや無効。この音楽の姿を歪めてしまう。
私はこの音楽にふさわしい言葉をゼロから探さなければいけない。
その言葉を確保してようやく音楽が私のものなる。
でもそんなことができるだろうか。
音楽が消えるまでに私は新しい言葉を見つけられるだろうか。
みたいな求心的かつ切羽詰まった心境になって、
客席に座ったまま、頭だけがどんどん回転して燃え(萌え)上がっていくのでした。
余談になりますが、同じような焦燥を、私は原発が爆発した時にも感じました。
水素爆発の映像が流れた時、私は目の前の現実を語る言葉をひとつとして持ちませんでした。それまで原発に対して使われていた言葉は、そのすべてが核の安全利用を前提にしていて、2011年のホワイトデーの11時に起こるはずのない爆発が起きて核の安全が失われた後は、古い言葉をどれだけ駆使しても目の前の現実には追いつけなかった。NHKのアナウンサーと解説員が、言葉のプロの威信をかけて「メルトダウン」とか「シーベルト」とか代替になりそうな新しい語彙を持ち出して、必死で現実に秩序を与えようとしていたけど、私の混乱をオーガナイズするにはそれらの新語はあまりにも局所的で頼りないものでした。
今を境にして世界は一変する。そこでは古い世界の秩序は役に立たない。
新しい秩序はまだどこにもない。それは自分で作るしかない。
TVの前の私はそんな焦燥に強くかられましたが、考えてみればその感覚はもともと自分の中にあったもので、古い概念が一度にリセットされる新たな転換は、震災ほどのスケールではないけれど、3月5日の時点で既に私に起きていた気がします。私の内面の変化はそこから既に始まっていて、震災後の私はその感覚をただ確認しただけなのかもしれません。
閑話休題。
正直なところ私はヴィルデのシベコンにそれほど期待をしていませんでした。それはこの日の演奏会にオプションをつけたことでもわかります。オプションとはもちろん夫婦の「シベコン記念日」のことです。そこには
今回もどうせまた過去の経験の延長だろう
という前提があり
演奏会でがっかりするのはイヤだからイベントのおまけでも付けておこう
という計算があり
しばらくは誰も神尾さんほどは心を動かさないだろうから、夫と楽しく記念日でも祝おう
という油断がありました。それは熊が食糧の乏しい冬を眠ってやり過ごすみたいにせこい了見でしたが、ヴィルデのシベコンによって私はその冬眠状態から叩き起こされ、目が覚めた後の世界は以前と全く違って見えました。たとえば演奏前は
シベコン記念日 > ヴィルデ
だったのが、演奏後は
シベコン記念日 < ヴィルデ
に変わるとか。そしてシベコン記念日のプライオリティが下がると同時に、夫と過ごす楽しいアフター演奏会に向けられていた私の興味はたちまち目の前のヴィルデ・フラングに全面投入されました。スケールが全く違いますが、それは3.11を境にして日本人が電力をめぐる価値観を
利益 > 安全
から
利益 < 安全
に入れ替えたようなもので、平たく言えば心変わり。
突然の、手のひらを返したような心変わり。
そんな私に振り回された夫は
「キミってほんとに音楽を前にすると人が変わるよね・・・。」
とため息をついていましたが、私はもはや夫どころではなく次に自分が何をすべきかで頭が一杯でした。
かくして震災後の日本の電力政策が原発推進から脱原発へと舵を切ったように、
その後の私の行動も当初の予定を大きく外れることになったのです。( つづく )
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16日は白寿ホールでミニ・リサイタル

18日はブルッフのコンチェルト with 京都市交響楽団 (わぉ

あとひとつ、名古屋でもリサイタルがあるみたい。
はやくこいこい

みなさん、よいお年を~。
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ヴィルデ・フラングに片思い(4)バイオリンがやってきた
シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。
年の瀬のお忙しいなかご覧いただきありがとうございます。
突然ですが!みなさん、倦怠期って経験したことありますか。
某結婚情報誌「ゼ*シィ」が、20~30代の女性に
「過去に倦怠期を経験したことがありますか?」と聞いたところ、
35%の人が「ある」と回答。
どのようなことに倦怠期を感じたのか聞いてみると、
■ 「なんかこれ以上好きになれない感じになった。 最初のドキドキ感が下降線になった。」(32歳)
■ 「一緒に何かをしていても楽しいと感じられず、彼によく『マンネリって感じだね』と言われた」(27歳)
■ 「彼に飽きて浮気願望が芽生えてしまい、
合コンに通ったり、ほかの男の人とデートをしたりした。」(23歳)
と、ほとんどが相手との関係に「慣れてしまった」「飽きてしまった」という気持から
倦怠期の訪れを実感した様子。さらに、
「付き合ってどのぐらいで倦怠期に陥りましたか?」という質問に対しては
■ 3か月・・・7%
■ 6か月・・・14%
■ 1年・・・27%
■ 2年・・・20%
■ 3年・・・20%
■ 4年以上・・・12%
という解答結果が。恋愛マーケットにおけるラブラブのピークは、早いケースでつき合い始めてから3~6か月位。1年が過ぎる頃には、約半数のカップルが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざよろしく、恋愛初期の発熱を忘れてマンネリ状態に突入しているもよう。みなさんは、身に覚えはありませんか?私は、大アリで~す・・・ってアンタ、40過ぎて、まだ倦怠期なんて言ってるの?と突っ込まれそうですが、私の場合は男女の話ではありません。まずは下記のグラフをご覧ください。

これは過去のシベコン演奏会における自分の満足度を示したグラフです。ご覧のように、出会って6か月目の2)でピークを迎え、その後急速に下降し、1年目から停滞が始まる折れ線のカーブは、そのままゼ*シィの倦怠期データと重なります。詳細を列記すると、
1) 2009年11月(庄司紗矢香/シンシナティ響)
2) 2010年5月(神尾真由子/BBC響)
3) 2010年9月(ミハイル・シモニアン/N響)
4) 2010年11月(諏訪内晶子/ロンドン響)
5) 2011年2月(アレクサンドラ・スム/東響)
となりますが、記憶を振り返っても、3)~5)のあたりは、シベコンだからちょっと割高のいい席で聴いてるし、いつもと変わらず集中もしているのに、なぜか演奏後の感動が薄く、自分が払った努力に見合う成果が帰ってこない気がしました。
そもそも倦怠期はなぜ訪れるのか。
ゼ*シィによると、「倦怠期は、“相手を完全に自分の手に入れた”と思ったことで訪れることがほとんど」なのだとか。この“掌中に収めた”という感覚、私にもよくわかります。私も頂点を極めたというか、シベコンを聴き尽くした感がありました。2)の神尾さんのシベコンを聴いた後ではそれを超える演奏がうまくイメージできなくて、3)~5)のソリストも、それぞれ健闘しているのは認められるんだけど、出てくる音楽が想定内というか、パターンが読めるというか、第2楽章のテーマの提示の仕方でその人のキャパシティがわかっちゃうというか(←偉そう?)。
皆さんも経験ないですか?「好き」という気持ちが飽和して、初期のドキドキと比較して現状に物足りなさを感じることって。ゼ*シィ的恋愛マーケティングの観点から言うと、それはまさに倦怠期。そんなあなたはダイエットするでも、髪型変えるでも、なんでもいいから慣れ切った環境に変化を起こしてみて。倦怠期からラブを復活させるには、新鮮な気持ちを取り戻すことが何より大切なのです
・・・な~んて、ゼ*シィに代わってアドバイスしたところで本題に入ります。本題はヴィルデのシベコン演奏会です。前置きが長くてすみません。
なぜ私が「倦怠期」なんて持ち出して、エクセルでグラフまで作ってプレゼンしたかと言うと、自分の行動が、倦怠期のカップルがとるそれとシンクロするから。前回のテキストに書いたとおり、私はこの演奏会を「シベコン記念日」と位置づけていました。私はかねてからこの曲を夫と一緒に聴きたいと思っていて、その願いがかなった喜びを俵万智の「サラダ記念日」に重ねていました。でも「シベコン記念日」の説明はそれだけでは不充分で、そこには私とシベコンの間に漂い始めた閉塞感も深く関わっていました。倦怠期に陥ったカップルがマンネリムードを払拭すべくダイエットしたり髪型を変えたりするように、私の中には、自分とシベコンの間に「記念日」という新規プログラムを投入することで冷めかけた気持をテコ入れしたいという下心がありました。初心者の夫の反応を見ることで、自分もまたこの曲に対して新鮮な気持を取り戻せるのではないか。そんな期待が「シベコン記念日」という言葉に込められていたのです。
今にして思えば倦怠期なんて俗説に迎合すること自体シベコン広報部長として失格です。でも空振り(←失礼な
)の演奏が3回も続くと、さすがに広報部長のアイデンティティも揺らいでくるところがありました。でもヴィルデは私の迷いなんかおかまいなし。その演奏はやすやすと私の想定を越えていきました。
芸術の力をあなどってはいけない。
真の芸術は、データ分析とかマーケティングなんていう
さかしらな勘ぐりとは別の次元で成立している。
私はもう倦怠期なんて陳腐な価値観に惑わされたり、3)~5)レベルの演奏に自分を合わせて感動を小さく見積もったりしない。
私はシベコン広報部長として、どこまでも最高の体験を追い求める。
私が求め続けるかぎり、それは必ず与えられるんだ。
音楽を聴いてそんな根拠のない確信が湧いてくるのはずいぶん久しぶりでした。
( つづく ) 前へ 次へ
*** *** *** *** ***

我が家にバイオリンがやってきました
年の瀬のお忙しいなかご覧いただきありがとうございます。
突然ですが!みなさん、倦怠期って経験したことありますか。
某結婚情報誌「ゼ*シィ」が、20~30代の女性に
「過去に倦怠期を経験したことがありますか?」と聞いたところ、
35%の人が「ある」と回答。
どのようなことに倦怠期を感じたのか聞いてみると、
■ 「なんかこれ以上好きになれない感じになった。 最初のドキドキ感が下降線になった。」(32歳)
■ 「一緒に何かをしていても楽しいと感じられず、彼によく『マンネリって感じだね』と言われた」(27歳)
■ 「彼に飽きて浮気願望が芽生えてしまい、
合コンに通ったり、ほかの男の人とデートをしたりした。」(23歳)
と、ほとんどが相手との関係に「慣れてしまった」「飽きてしまった」という気持から
倦怠期の訪れを実感した様子。さらに、
「付き合ってどのぐらいで倦怠期に陥りましたか?」という質問に対しては
■ 3か月・・・7%
■ 6か月・・・14%
■ 1年・・・27%
■ 2年・・・20%
■ 3年・・・20%
■ 4年以上・・・12%
という解答結果が。恋愛マーケットにおけるラブラブのピークは、早いケースでつき合い始めてから3~6か月位。1年が過ぎる頃には、約半数のカップルが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざよろしく、恋愛初期の発熱を忘れてマンネリ状態に突入しているもよう。みなさんは、身に覚えはありませんか?私は、大アリで~す・・・ってアンタ、40過ぎて、まだ倦怠期なんて言ってるの?と突っ込まれそうですが、私の場合は男女の話ではありません。まずは下記のグラフをご覧ください。

これは過去のシベコン演奏会における自分の満足度を示したグラフです。ご覧のように、出会って6か月目の2)でピークを迎え、その後急速に下降し、1年目から停滞が始まる折れ線のカーブは、そのままゼ*シィの倦怠期データと重なります。詳細を列記すると、
1) 2009年11月(庄司紗矢香/シンシナティ響)
2) 2010年5月(神尾真由子/BBC響)
3) 2010年9月(ミハイル・シモニアン/N響)
4) 2010年11月(諏訪内晶子/ロンドン響)
5) 2011年2月(アレクサンドラ・スム/東響)
となりますが、記憶を振り返っても、3)~5)のあたりは、シベコンだからちょっと割高のいい席で聴いてるし、いつもと変わらず集中もしているのに、なぜか演奏後の感動が薄く、自分が払った努力に見合う成果が帰ってこない気がしました。
そもそも倦怠期はなぜ訪れるのか。
ゼ*シィによると、「倦怠期は、“相手を完全に自分の手に入れた”と思ったことで訪れることがほとんど」なのだとか。この“掌中に収めた”という感覚、私にもよくわかります。私も頂点を極めたというか、シベコンを聴き尽くした感がありました。2)の神尾さんのシベコンを聴いた後ではそれを超える演奏がうまくイメージできなくて、3)~5)のソリストも、それぞれ健闘しているのは認められるんだけど、出てくる音楽が想定内というか、パターンが読めるというか、第2楽章のテーマの提示の仕方でその人のキャパシティがわかっちゃうというか(←偉そう?)。
皆さんも経験ないですか?「好き」という気持ちが飽和して、初期のドキドキと比較して現状に物足りなさを感じることって。ゼ*シィ的恋愛マーケティングの観点から言うと、それはまさに倦怠期。そんなあなたはダイエットするでも、髪型変えるでも、なんでもいいから慣れ切った環境に変化を起こしてみて。倦怠期からラブを復活させるには、新鮮な気持ちを取り戻すことが何より大切なのです

なぜ私が「倦怠期」なんて持ち出して、エクセルでグラフまで作ってプレゼンしたかと言うと、自分の行動が、倦怠期のカップルがとるそれとシンクロするから。前回のテキストに書いたとおり、私はこの演奏会を「シベコン記念日」と位置づけていました。私はかねてからこの曲を夫と一緒に聴きたいと思っていて、その願いがかなった喜びを俵万智の「サラダ記念日」に重ねていました。でも「シベコン記念日」の説明はそれだけでは不充分で、そこには私とシベコンの間に漂い始めた閉塞感も深く関わっていました。倦怠期に陥ったカップルがマンネリムードを払拭すべくダイエットしたり髪型を変えたりするように、私の中には、自分とシベコンの間に「記念日」という新規プログラムを投入することで冷めかけた気持をテコ入れしたいという下心がありました。初心者の夫の反応を見ることで、自分もまたこの曲に対して新鮮な気持を取り戻せるのではないか。そんな期待が「シベコン記念日」という言葉に込められていたのです。
今にして思えば倦怠期なんて俗説に迎合すること自体シベコン広報部長として失格です。でも空振り(←失礼な

芸術の力をあなどってはいけない。
真の芸術は、データ分析とかマーケティングなんていう
さかしらな勘ぐりとは別の次元で成立している。
私はもう倦怠期なんて陳腐な価値観に惑わされたり、3)~5)レベルの演奏に自分を合わせて感動を小さく見積もったりしない。
私はシベコン広報部長として、どこまでも最高の体験を追い求める。
私が求め続けるかぎり、それは必ず与えられるんだ。
音楽を聴いてそんな根拠のない確信が湧いてくるのはずいぶん久しぶりでした。
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我が家にバイオリンがやってきました

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神尾真由子さん☆シベリウス再び/アンスネス☆ラフマニノフ再び
シベコンチームの皆さんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。
いよいよ2011-2012シーズンがスタートしましたね。音楽の秋、皆さんはいかがお過ごしですか。幸運なことに、私は昨シーズンに続いて今シーズンも、シベコンの演奏会がシーズンの幕開けになりました。というわけで、今日はヴィルデのシベコンレポートをお休みして、シベコンまわりの近況について書きたいと思います。
まず、9月のシベコンから。
9月11日にN響定期を聴きに行きました。私は別にN響ファンじゃないけれど、「シベリウスヴァイオリン協奏曲」をキーワードに検索するとN響定期に辿り着くという状況が昨シーズンから続いていて、思えば昨年の9月11日もN響定期でシベコン(ミハイル・シモニアン/指揮ネヴィル・マリナー)を聴いています。N響のシベコンはこれで3度目。他のオケも含むと7度目のシベコン体験です。
今では私もすっかりうるさ型のシベコンウォッチャーとなり、「たぶん今回もコンマスは堀さんで、チェロは藤森さんね。いつもはクールな藤森さんも、第3楽章の16ビートになると異様にいきいきと、前ノリで演奏するのよね~。」と、着眼点もどんどんマニアックになっています。
しかし、敵もさるもの。9月のN響定期には、そんなうるさ型の常連をも黙らせる大物ソリストがブッキングされています。
そのソリストとは、誰あろうレオニダス・カヴァコス。
カヴァコスについて、シベコンチームの皆さんにあえて説明する必要はないでしょう。1世紀に及ぶシベコンの歴史を語る上で欠かせない演奏家のひとりであり、1991年にラハティ交響楽団と組んで録音したCD(指揮オスモ・ヴァンスカ)が、シベコン史上に残るマスターピースであることは周知のとおりです。

そのカヴァコスのシベコンが、この極東の島国で、生で、一万円以下で聴ける。
「ビバNHK!」と、私が狂喜したのは言うまでもありません。
私はカヴァコスを今シーズンのシベコンの大本命に位置づけ、彼の演奏を後顧の憂いなく楽しむために、時と金を惜しまず、できる限りの準備をしました。私は発売開始と同時にN響ガイドに電話してA席(S席じゃないところがせこい)を確保しました。イメージトレーニングのために件のCDも買いました。自慢じゃないけど、それはものぐさビンボーの私にとって破格の先行投資でした。
それなのに、ああ、それなのに、

これは痛かった。期待が大きかったぶんダメージも大きくて、いつもなら高嶺の花のNHKホールのA席(S席じゃないところが・・・)に座っても心は沈んだまま。
急きょ代打に立つヴァイオリニストの竹澤恭子さんに対しても、
「誰を後釜に据えようがこのダメージは挽回できない、誰もカヴァコスには及ばない。」
なーんて、はなから上から目線でダメ出ししていました。
でもそれは演奏が始まるまでのこと。
いざ聴いてみると、この竹澤さん、
なかなかどうして、大向こうを唸らせる実力派でした。
はでなところはないけど深く考えさせる音楽。
その充実ぶりはどっしりとしたフルボディのワインのよう。

それに比べて自分は軽薄だな。
私は自分がカヴァコスより竹澤さんを格下に見なして侮っていたことを恥ずかしく思いました。ネームバリューや既成概念にとらわれて、もっと大事なものを見落としていたことを、竹澤さんは演奏を通して私に教えてくれました。
カヴァコスのシベコンが聴けなかったのはもちろん残念なことでした。でも彼ほどのスーパースターなら、いずれどこかでリベンジの機会は巡ってくる気がします(昨シーズンも来日してメンコン弾いてたし)。それよりも、竹澤恭子さんというすてきなヴァイオリニストを、今このタイミングで発見できた喜びのほうが自分の中では大きくて、それはマイナス面を差し引いてもお釣りがくるくらい価値のあることでした。
シベコンにはまだまだ学ぶべきものがあるんだな。そう思って、あらためて闘志(?)を燃やす、意義深い演奏会でした。めでたし、めでたし。
そして、シベコンに関してめでたいお知らせがもうひとつ。
神尾真由子さんについてはカヴァコス同様、シベコンチームの皆さんに説明の必要はありませんね。2010年5月にBBC交響楽団を従えて演奏されたシベコンは、彼女の類まれなる歌心によって歴史を塗り替える名演となりました。
演奏会のレビューは こちら
その神尾さんが「東芝グランドコンサート2012」の看板を担って、再びシベコンを弾くというではありませんか!

今でこそ「シベコンチーム」だの「シベコン広報部長」だの、好き放題に大口をたたいているクレタですが、もともとはG線とE線の区別もつかない市井のいちリスナーにすぎませんでした(
今でもそうだって)。私のターニングポイントは上述の演奏会を聴いたことで、以来、神尾さんの比類なき才能とひたむきな情熱は私のイマジネーションの源泉となり、そのイマジネーションをレビューの形でアウトプットすることで、私のクラシック生活は計り知れないほど豊かになりました。私のレビューは諸般の事情から第2楽章で中断していますが、神尾さんはもう新しい第1楽章を始めようとしている。
なんて、頼もしい。
おまけにその演奏が東京だけじゃなくて、名古屋と大阪でも聴けるとは。
つくづく、頼もしい。
あれからはや2年。神尾さんはその不世出の歌心にさらに磨きをかけて、シベコンの魅力を日本中の音楽ファンに伝道してくれることでしょう。
*** ***
最後に、シベコンネタではないのですが、
N響つながりで、9月のCプログラムについて少し書かせて下さい。
ノルウェーのピアニスト、アンスネスがラフマニノフのピアノ協奏曲3番を弾くというので、夫とふたりで聴きに行ってきました。ラフマニノフは夫がもっとも共感を寄せる音楽家で、特にピアノ協奏曲3番が大のお気に入り。そのため、この曲を語る時の夫はとても熱い。どれくらい熱いかというと、シベコンを語る時の私くらい熱い。
そんな夫がアンスネスの演奏を聴いて発した第一声は、
このラフ3が、これから僕のベンチマークになる!
続く第二声は、
類まれなる才能を持つひとりがいるだけで、凡庸なオーケストラが
類まれなる演奏をしてしまう見本のような演奏だ!
なるほど。私はN響を決して凡庸なオケとは思わないが、アン様のラフ3が傑出していたことに異論はなく、「うわ~、すごいもの聴いちゃったね。もう昔には戻れないね・・・ 」と、夫婦そろって客席で遠い目になってしまいました。

私達は何年か前に、アンスネスの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲2番も聴いています。でも(座席の位置のせいかもしれないけど)、私は前回とは比較にならないほどの感銘を受けました。感銘を受けたというよりも、励まされた。
アンスネスの演奏はとても音色が美しく、技巧も的確です。
でもそれは彼の音楽世界の、ほんのとりかかりの部分に過ぎなくて、フランス料理で言えば食前酒のシャンパンみたいなものだったりします。
前回のラフ2では、私はそのシャンパンの味を楽しんだだけで、その奥にある、メインディッシュの部分の味わいはわかりませんでした。まだそこまで舌が(耳が)肥えていなかったのです。
今回のラフ3も、もちろん磨き抜かれた音色と超絶技巧は健在でした。でもこの人はそれに溺れるタイプではなく、むしろここぞ!というときに垣間見せるまっすぐな勇気と、その勇気を支えている知性にこそ演奏家としての真価があります。私はようやく念願のメインディッシュに辿りつき、その気高いスピリットに強く励まされました。
この演奏会のもようは2011年10月9日(←明日です!)のN響アワーでオンエアされます。生演奏の現場で彼から放たれて私が受け取ったもののうちの、どこまでが録画で再現されるかわからないけど、もう一度じっくり聴き直したいと思います。興味のある方はこの素晴らしい演奏を是非聴いてみてください。
というわけで、長いテキストになりましたが、今日はここで失礼します。
天候に恵まれそうな3連休、皆さん、どうぞ楽しくお過ごしください。
いよいよ2011-2012シーズンがスタートしましたね。音楽の秋、皆さんはいかがお過ごしですか。幸運なことに、私は昨シーズンに続いて今シーズンも、シベコンの演奏会がシーズンの幕開けになりました。というわけで、今日はヴィルデのシベコンレポートをお休みして、シベコンまわりの近況について書きたいと思います。
まず、9月のシベコンから。
9月11日にN響定期を聴きに行きました。私は別にN響ファンじゃないけれど、「シベリウスヴァイオリン協奏曲」をキーワードに検索するとN響定期に辿り着くという状況が昨シーズンから続いていて、思えば昨年の9月11日もN響定期でシベコン(ミハイル・シモニアン/指揮ネヴィル・マリナー)を聴いています。N響のシベコンはこれで3度目。他のオケも含むと7度目のシベコン体験です。
今では私もすっかりうるさ型のシベコンウォッチャーとなり、「たぶん今回もコンマスは堀さんで、チェロは藤森さんね。いつもはクールな藤森さんも、第3楽章の16ビートになると異様にいきいきと、前ノリで演奏するのよね~。」と、着眼点もどんどんマニアックになっています。
しかし、敵もさるもの。9月のN響定期には、そんなうるさ型の常連をも黙らせる大物ソリストがブッキングされています。
そのソリストとは、誰あろうレオニダス・カヴァコス。
カヴァコスについて、シベコンチームの皆さんにあえて説明する必要はないでしょう。1世紀に及ぶシベコンの歴史を語る上で欠かせない演奏家のひとりであり、1991年にラハティ交響楽団と組んで録音したCD(指揮オスモ・ヴァンスカ)が、シベコン史上に残るマスターピースであることは周知のとおりです。

そのカヴァコスのシベコンが、この極東の島国で、生で、一万円以下で聴ける。
「ビバNHK!」と、私が狂喜したのは言うまでもありません。
私はカヴァコスを今シーズンのシベコンの大本命に位置づけ、彼の演奏を後顧の憂いなく楽しむために、時と金を惜しまず、できる限りの準備をしました。私は発売開始と同時にN響ガイドに電話してA席(S席じゃないところがせこい)を確保しました。イメージトレーニングのために件のCDも買いました。自慢じゃないけど、それはものぐさビンボーの私にとって破格の先行投資でした。
それなのに、ああ、それなのに、
カヴァコス、ドタキャン!?

これは痛かった。期待が大きかったぶんダメージも大きくて、いつもなら高嶺の花のNHKホールのA席(S席じゃないところが・・・)に座っても心は沈んだまま。
急きょ代打に立つヴァイオリニストの竹澤恭子さんに対しても、
「誰を後釜に据えようがこのダメージは挽回できない、誰もカヴァコスには及ばない。」
なーんて、はなから上から目線でダメ出ししていました。
でもそれは演奏が始まるまでのこと。
いざ聴いてみると、この竹澤さん、
なかなかどうして、大向こうを唸らせる実力派でした。
はでなところはないけど深く考えさせる音楽。
その充実ぶりはどっしりとしたフルボディのワインのよう。

それに比べて自分は軽薄だな。
私は自分がカヴァコスより竹澤さんを格下に見なして侮っていたことを恥ずかしく思いました。ネームバリューや既成概念にとらわれて、もっと大事なものを見落としていたことを、竹澤さんは演奏を通して私に教えてくれました。
カヴァコスのシベコンが聴けなかったのはもちろん残念なことでした。でも彼ほどのスーパースターなら、いずれどこかでリベンジの機会は巡ってくる気がします(昨シーズンも来日してメンコン弾いてたし)。それよりも、竹澤恭子さんというすてきなヴァイオリニストを、今このタイミングで発見できた喜びのほうが自分の中では大きくて、それはマイナス面を差し引いてもお釣りがくるくらい価値のあることでした。
シベコンにはまだまだ学ぶべきものがあるんだな。そう思って、あらためて闘志(?)を燃やす、意義深い演奏会でした。めでたし、めでたし。
そして、シベコンに関してめでたいお知らせがもうひとつ。
神尾真由子さんについてはカヴァコス同様、シベコンチームの皆さんに説明の必要はありませんね。2010年5月にBBC交響楽団を従えて演奏されたシベコンは、彼女の類まれなる歌心によって歴史を塗り替える名演となりました。
演奏会のレビューは こちら
その神尾さんが「東芝グランドコンサート2012」の看板を担って、再びシベコンを弾くというではありませんか!

今でこそ「シベコンチーム」だの「シベコン広報部長」だの、好き放題に大口をたたいているクレタですが、もともとはG線とE線の区別もつかない市井のいちリスナーにすぎませんでした(

なんて、頼もしい。
おまけにその演奏が東京だけじゃなくて、名古屋と大阪でも聴けるとは。
つくづく、頼もしい。
あれからはや2年。神尾さんはその不世出の歌心にさらに磨きをかけて、シベコンの魅力を日本中の音楽ファンに伝道してくれることでしょう。
*** ***
最後に、シベコンネタではないのですが、
N響つながりで、9月のCプログラムについて少し書かせて下さい。
ノルウェーのピアニスト、アンスネスがラフマニノフのピアノ協奏曲3番を弾くというので、夫とふたりで聴きに行ってきました。ラフマニノフは夫がもっとも共感を寄せる音楽家で、特にピアノ協奏曲3番が大のお気に入り。そのため、この曲を語る時の夫はとても熱い。どれくらい熱いかというと、シベコンを語る時の私くらい熱い。
そんな夫がアンスネスの演奏を聴いて発した第一声は、
このラフ3が、これから僕のベンチマークになる!
続く第二声は、
類まれなる才能を持つひとりがいるだけで、凡庸なオーケストラが
類まれなる演奏をしてしまう見本のような演奏だ!
なるほど。私はN響を決して凡庸なオケとは思わないが、アン様のラフ3が傑出していたことに異論はなく、「うわ~、すごいもの聴いちゃったね。もう昔には戻れないね・・・ 」と、夫婦そろって客席で遠い目になってしまいました。

私達は何年か前に、アンスネスの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲2番も聴いています。でも(座席の位置のせいかもしれないけど)、私は前回とは比較にならないほどの感銘を受けました。感銘を受けたというよりも、励まされた。
アンスネスの演奏はとても音色が美しく、技巧も的確です。
でもそれは彼の音楽世界の、ほんのとりかかりの部分に過ぎなくて、フランス料理で言えば食前酒のシャンパンみたいなものだったりします。
前回のラフ2では、私はそのシャンパンの味を楽しんだだけで、その奥にある、メインディッシュの部分の味わいはわかりませんでした。まだそこまで舌が(耳が)肥えていなかったのです。
今回のラフ3も、もちろん磨き抜かれた音色と超絶技巧は健在でした。でもこの人はそれに溺れるタイプではなく、むしろここぞ!というときに垣間見せるまっすぐな勇気と、その勇気を支えている知性にこそ演奏家としての真価があります。私はようやく念願のメインディッシュに辿りつき、その気高いスピリットに強く励まされました。
この演奏会のもようは2011年10月9日(←明日です!)のN響アワーでオンエアされます。生演奏の現場で彼から放たれて私が受け取ったもののうちの、どこまでが録画で再現されるかわからないけど、もう一度じっくり聴き直したいと思います。興味のある方はこの素晴らしい演奏を是非聴いてみてください。
というわけで、長いテキストになりましたが、今日はここで失礼します。
天候に恵まれそうな3連休、皆さん、どうぞ楽しくお過ごしください。
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ヴィルデ・フラングに片思い(3)
シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。家庭の事情で更新の間があいてしまいましたが、再びヴィルデ・フラングのシベコンレポートをお送りします。久々のエントリなので、長いテキストになりました。世の中は刻一刻と移り変わっていますが、お茶でも飲みながらのんびりと楽しんでいただければ幸いです。このテキストは前回のテキストの続きです。前回(2011年4月25日)のテキストは こちら
さて、話は2011年3月5日に遡ります。
この日、私には同伴者がいました・・・なーんて、思わせぶりに引っ張ってみましたが、なんのことはない、相手は夫でした。禁断のラブ・アフェアを期待した方がいらしたらすみません。シベコン広報部長こと私クレタ、そのレベルでの欲望のリリースはもう卒業しました。
とはいうものの、夫婦そろってシベコンを聴きに行きました
・・・なんて月並みな話題じゃあ、今どき読み手の心をそそらないのかもしれません。そもそも半年以上前(!)の、しかも震災前の演奏会を回顧するテキストをブログで更新して、そこにどんな意味があるのかという気もします。インターネット上の情報の多くは目先のものであり、それらの多くは時間の経過とともに価値を失います。もし私が万人に向けてブログを書くとしたら、こんな古い話題はさっさと切り上げて、もっとタイムリーな話題に目を向けることでしょう。過去の記憶を思い返して文章を組み立てるよりも、直近の体験をメモ風にパッケージしてリリースするほうがはるかに効率的です。
でも私はそうしない。それは私がこのブログを万人に向けて発しているのではなく、シベコンチームという、ごく限られた読み手に向けて発しているからです。
震災後、私はこのブログの閲覧者を勝手にシベコンチームと名付けました。PCの向こうにはシベコンチームのメンバーがいて、私はその一人ひとりとつながっている。私は彼らの存在に励まされ、同時に私も彼らを励ましている・・・そんな架空の人間関係を想定して、私はこのブログを書いています。その想定のもとでは次のような仮説が成り立ちます。
3月5日の時点で、私がシベコンの演奏会に足を運ぶのは、既に6度目を数えていた。
過去5回の演奏会はことごとく個人的、かつ孤独な営みだった。
この日私に連れがいたことは、それが夫であれ誰であれ特筆に値する事件である。
私にとって事件なら、それはシベコンチームにとってもまた事件なのだ。
この仮説を検証するのは不可能であり、無意味です。だってシベコンチームなんてほんとは存在しないかもしれないから。私はそんな根拠ゼロの、吹けば飛ぶような妄想を、自分のブログの旗じるしに掲げることにしたのです。
前置きが長くなりましたが、話を戻します。
私はこの日初めて夫と一緒にシベコン聴きました。一方の夫のほうはシベコンを生で聴くのは初めてでした。とはいえ、夫は既にチョン、ムター、ラクリン、ヌヴーなど、様々なソリストの演奏でこの曲を脳内にデフォルトしています。
私は晩めしの支度をしながら台所でシベコンのCDを聴くのですが、自宅のアパートが狭いため、リビング兼ダイニングで晩酌しつつくつろいでいる夫も同時にそれを聴かされます。逆に、夫が食後にリビング兼ダイニングで佐野元春を聴き始めると、寝室で本を読んでいる私も否応なくそれを聴かされます(これは結構つらい)。私達は狭い東京の限られたスペースで相手の趣味を尊重しながら共生していて、私がシベコンを頻繁に聴くほど夫のシベコン経験値も上がり、その逆もまた真なり、という状況になっています。
しかし、シベコン経験値の高さがすなわち曲の理解の深さに反映するわけではないようで、夫は「そうやって毎日飽きずに聴いているところを見ると、キミはこの曲が好きなんだね。でも僕にはこの曲のどこがいいのか、さっぱり分からないよ。」などとたわけたことをぬかします。
でもこの発言から夫の感受性の鈍さを責めるのはいささか酷な気もします。
シベリウスは39歳の時に「都会は騒がしい」という理由でヘルシンキを離れて郊外の別荘に移り住み、シベコンの作曲および改訂に取り掛かりました。「アイノラ」と呼ばれるその別荘は、森に囲まれた小高い丘の上に湖を見下ろすようにして、今も建っています。アイノラに創作のベースを据えたことで、シベリウスの音楽は大きく変化します。豊かな自然と深い静寂の中で、彼はより高い次元に精神を向け始めるのです。でも東京都下で暮らす夫がその精神に思いを致すのはいささか無理があるでしょう。現在の東京の人口密度はヘルシンキの20倍。取り巻く環境の騒がしさは比較にならないと思います。
アイノラとまではいかなくても、せめてコンサートホールでこの曲を聴かせてやりたい。次のシベコンの演奏会は二人で行こう。私は狭い台所でそう決意するのですが、その計画はなかなか実行されませんでした。ホールという非日常の空間で、夫婦並んでシベコンを聴く。はじめての経験は夫に良き変化をもたらすにちがいない。私の中にそんな期待があるのは言うまでもないのですが、いざ実行という段になると、夫のシベコンデビューに対して、私は意外なほどの心理的抵抗を感じることになりました。
音楽には不思議な力がある。とりわけシベコンのように長い時の試練を耐えて生き残った音楽は不思議な力を持っている。私はそう考えています。
たとえばシベコンの出だしのソロ・ヴァイオリンのテーマ。「ソ#~ラレ~
」で始まる、この息の長いテーマに、般若心経レベルの呪術性を感じるのは私だけでしょうか。前回も書いたように、シベリウスはこの冒頭部分について「極寒の空を滑空する鷲のように」という言葉を残していて、私はその言葉を、コンサートホールでシベコンを聴く時のマントラにしています。チベットの坊さんが「色即是空、空即是色」と唱えて現世からの解脱を試みるのと同様に、私は現実という檻を離れて自由に心を解き放つために、この言葉で自らに暗示をかけるわけです。
その状態で聴いていると、ごくまれに、悟りを開くというほどのものではないけれど、いきなり自分には理解できるはずのないことが理解できることがあります。どうして自分にこんなことがわかるんだろう、と現実に戻って呆然とすることがある。
その体験を文章で再現しようとしているのがこのブログなのですが、そもそもこのブログからして、本来私には書けるはずのないものです。私にこんな複雑な内容が文章で書けるはずがありません。そこまでの描写力も構成力も私は持ちあわせていないのです。にもかかわらず、気がつけばその複雑な内容をテキストに落とし込んで、形を整えて、ブログにエントリしている自分がいます。どうしてこんなことができるのか、私はブログを更新する度に不思議に思います。自分のしたことは明らかにオーバー・アチーブメントなんだけど、それがどこからやってきたのか自分でもよくわからない。この現象について、今まで何度も考えてみましたが、その度に結論は同じところに辿り着きます。つまり、
それはシベコン(もしくはシベリウス)が音楽を通して不思議な力を
私に貸し与えた結果なのだ。
その力を借りたおかげで私は普段はわからないことがわかったり、
書けないことが書けたりするのだ。
確たる根拠はありません。でも私はシベコンの演奏会のチケットを買う度に、その不思議な力が再び自分にもたらされることを願います。その願いは演奏前にマントラを唱える原動力となり、マントラを繰り返すことで、私はさらに深い呪術性を曲中に垣間見ることになるのです。

でもそんなこと夫には言えません。私達が暮らす世の中では、上述のような目に見えない力は存在しないものとみなされています。現代社会はそのような力を勘定に入れないで作られているのです。私は自分も社会の一部なんだし、日常生活ではその枠内を順守しよう、目に見えないもの、本当に存在するのかしないのかわからないものについては胸の中にしまっておこう、その方が世の中は丸く収まる、と思って日々を送っています。その構えは夫の前でも変わりません。たとえば私はこのブログのことを夫に黙っています。以前のエントリで夫をインタビュアーとして登場させましたが、あれは便宜上のもので、リアル世界の夫はこのブログのことを知りません(たぶん)。ブログ上の出来事を家の中に持ち込むとややこしそうだから黙っている、もしくは自閉したブログワールドに居心地の良さを感じる、というのは私に限ったことではなく、同じようなブロガーは他にもたくさんいると思います。そのスタンスはアパートで、CDに録音されたシベコンを、夫婦がそれぞれ別の作業をしながら聴いているうちは何の問題もないのです。でもコンサートホールでふたり並んで生演奏を聴くとなると話は違ってきます。
「ソ#~ラレ~
」の出だしを聴けば、自動的に私のマントラモードはONになるし、その気配は間違いなく隣に座る夫に漏れ伝わることでしょう。夫は不審に思うはずです。今自分のとなりに座っているヨメは、普段見ているヨメとはどこかしら異なっているようだ。演奏が終わった後で、夫は私に尋ねるかもしれません。どうしたの?変だよ。私はその問いをうまくかわせるでしょうか。私の中には隠し事をしている後ろめたさがあります。不安げな夫の表情にほだされて、つい自分がシベコン広報部長であることの秘密
を打ち明けてしまわないともかぎりません。夫にシベコンデビューさせたいのはヤマヤマです。前回も前々回も、ふたりぶんのチケットを買おうとしました。でもその余波で自分がカミングアウトを迫られることを考えると、それは私の本意ではなく、悩んだ挙句、結局ひとりで聴くことになったのです。
ところが3月のN響オーチャード定期では、私は迷うことなくペアでチケットを購入しました。この演奏会は春の土曜日のマチネ
、チケットが手ごろな値段
、プログラム前半がシベコンで後半はセンチメンタルなブラ4
と、三拍子そろったデート仕様の内容で、宣伝用のチラシを見た私はすぐにこんな歌を思い浮かべました。
この曲をキミがいいねと言ったから3月5日はシベコン記念日
(サ、サラダ記念日・・・古い?)
え~
、知らない人のために説明すると、1987年に出版された俵万智の歌集「サラダ記念日」は、日本中に短歌ブームを巻き起こした大ベストセラーです。加えてこの歌集はバブル経済で景気が良かった頃の日本文化の象徴でもあります。バブルの頃私は20代で、イケイケではない普通の若者だったけど、それでも当時の記憶の多くは享楽的な祝祭モードに彩られています。気がつけば、私はチケットをペアで購入していただけでなく、近所で評判のフランス料理店に予約まで入れていました。バブルの記憶おそるべし。夫に話すと、堅苦しいのは苦手
と二の足を踏むと思いきや、意外にも大乗り気。というわけで、俵万智のみそひともじをきっかけに、それまでの孤高のマントラモードは一転してフレンドリーなイベントモードに切り替わり、演奏会当日は夫婦揃って一張羅を着て客席に座ることになりました。こうなるともう極寒の空を滑空する鷲どころではなく、私が春先の蝶々のように浮かれていたのは前回のテキストに書いたとおりです。
もちろんシベコンへの期待がないわけではありません。ソリストが前評判の高いヴィルデ・フラングとあればなおさらです。でも私のストイックな探究心は俵万智のみそひともじパワーに押されて大幅に後退していて、かわりに「シベコン記念日」という夫婦のイベントを手放しで楽しみたいという欲望が強くなっていました。そのため開演前にもかかわらず、私の関心は早くも演奏会の後の楽しいひととき ―― シベコン記念日を祝して乾杯し、ワイングラスを手に夫の感想に耳を傾ける時間 ―― へ向けられていたのです。
・・・ と、ここまで読んで、
この内容のどこが「ヴィルデに片思い」なんだ?
これじゃあただの夫婦のノロケじゃないか!と思った方。
もうしばらくお待ちください。この後ヴィルデ・フラングが登場すると状況は一変します。結果から言うと、私は夫を放置してヴィルデを追いかけて旅立つことになります。
でもその話はまた次回。 ( つづく )
*** ***
画像は歌川広重の「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」です。
広重は鷹の目で冬の江戸湾を見下ろしています。彼方に見えるのは雪化粧した筑波山です。「極寒の空を滑空する鷲のように」というシベリウスの言葉をビジュアルにすると、ちょうどこんな感じでしょうか。フィンランドはもっと森が深いのかな。広重は1857年にこの作品を書きました。シベコン初演が1904年なので、半世紀前ということになります。
前へ
さて、話は2011年3月5日に遡ります。
この日、私には同伴者がいました・・・なーんて、思わせぶりに引っ張ってみましたが、なんのことはない、相手は夫でした。禁断のラブ・アフェアを期待した方がいらしたらすみません。シベコン広報部長こと私クレタ、そのレベルでの欲望のリリースはもう卒業しました。
とはいうものの、夫婦そろってシベコンを聴きに行きました

でも私はそうしない。それは私がこのブログを万人に向けて発しているのではなく、シベコンチームという、ごく限られた読み手に向けて発しているからです。
震災後、私はこのブログの閲覧者を勝手にシベコンチームと名付けました。PCの向こうにはシベコンチームのメンバーがいて、私はその一人ひとりとつながっている。私は彼らの存在に励まされ、同時に私も彼らを励ましている・・・そんな架空の人間関係を想定して、私はこのブログを書いています。その想定のもとでは次のような仮説が成り立ちます。
3月5日の時点で、私がシベコンの演奏会に足を運ぶのは、既に6度目を数えていた。
過去5回の演奏会はことごとく個人的、かつ孤独な営みだった。
この日私に連れがいたことは、それが夫であれ誰であれ特筆に値する事件である。
私にとって事件なら、それはシベコンチームにとってもまた事件なのだ。
この仮説を検証するのは不可能であり、無意味です。だってシベコンチームなんてほんとは存在しないかもしれないから。私はそんな根拠ゼロの、吹けば飛ぶような妄想を、自分のブログの旗じるしに掲げることにしたのです。

前置きが長くなりましたが、話を戻します。
私はこの日初めて夫と一緒にシベコン聴きました。一方の夫のほうはシベコンを生で聴くのは初めてでした。とはいえ、夫は既にチョン、ムター、ラクリン、ヌヴーなど、様々なソリストの演奏でこの曲を脳内にデフォルトしています。
私は晩めしの支度をしながら台所でシベコンのCDを聴くのですが、自宅のアパートが狭いため、リビング兼ダイニングで晩酌しつつくつろいでいる夫も同時にそれを聴かされます。逆に、夫が食後にリビング兼ダイニングで佐野元春を聴き始めると、寝室で本を読んでいる私も否応なくそれを聴かされます(これは結構つらい)。私達は狭い東京の限られたスペースで相手の趣味を尊重しながら共生していて、私がシベコンを頻繁に聴くほど夫のシベコン経験値も上がり、その逆もまた真なり、という状況になっています。
しかし、シベコン経験値の高さがすなわち曲の理解の深さに反映するわけではないようで、夫は「そうやって毎日飽きずに聴いているところを見ると、キミはこの曲が好きなんだね。でも僕にはこの曲のどこがいいのか、さっぱり分からないよ。」などとたわけたことをぬかします。
でもこの発言から夫の感受性の鈍さを責めるのはいささか酷な気もします。
シベリウスは39歳の時に「都会は騒がしい」という理由でヘルシンキを離れて郊外の別荘に移り住み、シベコンの作曲および改訂に取り掛かりました。「アイノラ」と呼ばれるその別荘は、森に囲まれた小高い丘の上に湖を見下ろすようにして、今も建っています。アイノラに創作のベースを据えたことで、シベリウスの音楽は大きく変化します。豊かな自然と深い静寂の中で、彼はより高い次元に精神を向け始めるのです。でも東京都下で暮らす夫がその精神に思いを致すのはいささか無理があるでしょう。現在の東京の人口密度はヘルシンキの20倍。取り巻く環境の騒がしさは比較にならないと思います。
アイノラとまではいかなくても、せめてコンサートホールでこの曲を聴かせてやりたい。次のシベコンの演奏会は二人で行こう。私は狭い台所でそう決意するのですが、その計画はなかなか実行されませんでした。ホールという非日常の空間で、夫婦並んでシベコンを聴く。はじめての経験は夫に良き変化をもたらすにちがいない。私の中にそんな期待があるのは言うまでもないのですが、いざ実行という段になると、夫のシベコンデビューに対して、私は意外なほどの心理的抵抗を感じることになりました。
音楽には不思議な力がある。とりわけシベコンのように長い時の試練を耐えて生き残った音楽は不思議な力を持っている。私はそう考えています。
たとえばシベコンの出だしのソロ・ヴァイオリンのテーマ。「ソ#~ラレ~

その状態で聴いていると、ごくまれに、悟りを開くというほどのものではないけれど、いきなり自分には理解できるはずのないことが理解できることがあります。どうして自分にこんなことがわかるんだろう、と現実に戻って呆然とすることがある。
その体験を文章で再現しようとしているのがこのブログなのですが、そもそもこのブログからして、本来私には書けるはずのないものです。私にこんな複雑な内容が文章で書けるはずがありません。そこまでの描写力も構成力も私は持ちあわせていないのです。にもかかわらず、気がつけばその複雑な内容をテキストに落とし込んで、形を整えて、ブログにエントリしている自分がいます。どうしてこんなことができるのか、私はブログを更新する度に不思議に思います。自分のしたことは明らかにオーバー・アチーブメントなんだけど、それがどこからやってきたのか自分でもよくわからない。この現象について、今まで何度も考えてみましたが、その度に結論は同じところに辿り着きます。つまり、
それはシベコン(もしくはシベリウス)が音楽を通して不思議な力を
私に貸し与えた結果なのだ。
その力を借りたおかげで私は普段はわからないことがわかったり、
書けないことが書けたりするのだ。
確たる根拠はありません。でも私はシベコンの演奏会のチケットを買う度に、その不思議な力が再び自分にもたらされることを願います。その願いは演奏前にマントラを唱える原動力となり、マントラを繰り返すことで、私はさらに深い呪術性を曲中に垣間見ることになるのです。

でもそんなこと夫には言えません。私達が暮らす世の中では、上述のような目に見えない力は存在しないものとみなされています。現代社会はそのような力を勘定に入れないで作られているのです。私は自分も社会の一部なんだし、日常生活ではその枠内を順守しよう、目に見えないもの、本当に存在するのかしないのかわからないものについては胸の中にしまっておこう、その方が世の中は丸く収まる、と思って日々を送っています。その構えは夫の前でも変わりません。たとえば私はこのブログのことを夫に黙っています。以前のエントリで夫をインタビュアーとして登場させましたが、あれは便宜上のもので、リアル世界の夫はこのブログのことを知りません(たぶん)。ブログ上の出来事を家の中に持ち込むとややこしそうだから黙っている、もしくは自閉したブログワールドに居心地の良さを感じる、というのは私に限ったことではなく、同じようなブロガーは他にもたくさんいると思います。そのスタンスはアパートで、CDに録音されたシベコンを、夫婦がそれぞれ別の作業をしながら聴いているうちは何の問題もないのです。でもコンサートホールでふたり並んで生演奏を聴くとなると話は違ってきます。
「ソ#~ラレ~



ところが3月のN響オーチャード定期では、私は迷うことなくペアでチケットを購入しました。この演奏会は春の土曜日のマチネ



この曲をキミがいいねと言ったから3月5日はシベコン記念日
(サ、サラダ記念日・・・古い?)
え~


もちろんシベコンへの期待がないわけではありません。ソリストが前評判の高いヴィルデ・フラングとあればなおさらです。でも私のストイックな探究心は俵万智のみそひともじパワーに押されて大幅に後退していて、かわりに「シベコン記念日」という夫婦のイベントを手放しで楽しみたいという欲望が強くなっていました。そのため開演前にもかかわらず、私の関心は早くも演奏会の後の楽しいひととき ―― シベコン記念日を祝して乾杯し、ワイングラスを手に夫の感想に耳を傾ける時間 ―― へ向けられていたのです。
・・・ と、ここまで読んで、
この内容のどこが「ヴィルデに片思い」なんだ?
これじゃあただの夫婦のノロケじゃないか!と思った方。
もうしばらくお待ちください。この後ヴィルデ・フラングが登場すると状況は一変します。結果から言うと、私は夫を放置してヴィルデを追いかけて旅立つことになります。
でもその話はまた次回。 ( つづく )
*** ***
画像は歌川広重の「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」です。
広重は鷹の目で冬の江戸湾を見下ろしています。彼方に見えるのは雪化粧した筑波山です。「極寒の空を滑空する鷲のように」というシベリウスの言葉をビジュアルにすると、ちょうどこんな感じでしょうか。フィンランドはもっと森が深いのかな。広重は1857年にこの作品を書きました。シベコン初演が1904年なので、半世紀前ということになります。
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ヴィルデ・フラングに片思い (2)/ありがとう☆ノリントン!
シベコンチームの皆さんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。前回のエントリからひと月近くたちますが、引き続きヴィルデのシベコンをレポートします
・・・と言いつつ、

いきなり乱入してきた、このはげ頭のおじさんは???
そうです。ロジャー・ノリントン
実は私、NHKホールでノリントン指揮N響のマーラーを聴いたばかりで、
その余韻が未だ覚めやらぬ状態なのです。 あ~ノリントンかっこよかった ・・・
か っ こ ・ よ か っ ・ っ た ぁ ぁ ー ー! ( 絶叫
)
というわけで、余震にも風評にも負けず来日してくれたノリントンへの感謝をこめて、今回のエントリは豪華2本立て。ヴィルデのシベコンレポートとノリントン報告を同時にリリースします。でも無理強いするわけじゃありません。3月5日のヴィルデ・フラングのシベコンを聴いた方は<前半>を、4月22日と23日にノリントン指揮N響定期を聴いた方は<後半>を、それぞれチェックして下さいね。もちろん両方読んでいただいてもかまいません。私は大歓迎です。ただしシベコンレポートは前回からの続きなのでご注意ください。
( 前回のテキストは こちら )
*** *** <前半> 「ヴィルデに片思い」の続きです。 *** ***
「 極寒の澄み切った空を、悠然と滑空する鷲のように 」 ・・・ これはシベコン第1楽章の冒頭部分に対するシベリウスのコメントです。どのようなシチュエーションでシベリウスがこの言葉を残したのか、私はずっと知りたいと思っているのですが、出典のウィキペディアにその経緯は書かれていません。直筆の楽譜にこの言葉が書き込んである、という説もありますが、なにぶん遠く離れた北欧の作曲家なので資料も少なく詳細はわかりません。
いずれにせよ、作者はこの曲にはかなり明確なイメージを残しています。そのため、「 極寒の空を滑空する鷲 」というフレーズは、シベコンを語る上でのお約束になっているようで、「 この曲を弾く時、キミは鷲になるのだ 」とソリストに助言する指揮者もいたりします( フジテレビのドキュメンタリーでオスモ・ヴァンスカが五嶋龍にそう言ってました )。

しかし、そうは言っても今は21世紀でここは東京。東京の空を滑空するのは鷲ではなく、カラスです。おまけにシベコンが演奏されるコンサートホールは、渋谷の喧騒を見下ろす高台や、首都高の渋谷線と目黒線が合流する騒音地帯に作られていて、その風景は100年前の北欧の風景から遠く隔たっています。そんな中で演奏者が「 極寒の空を悠然と滑空する鷲 」になるのはやはり難しいのでしょう、この曲に挑戦するソリストはいろんな工夫をして現実のギャップを埋めようとします。例えば、庄司紗矢香は連獅子ヘアになり( 過去の話を何度も蒸し返してスミマセン、現在の庄司さんのヘアスタイルは活動的でよくお似合いです )、神尾真由子は恐山のイタコのような妖気を漂わせて霊界にチューニングしていました。それは彼女たちがシベリウスの言葉に従って精神を離陸させ、一定の高度に保つために必要なステップなのだと私は推察します。
そして、自慢するわけではありませんが、私も演奏会にはソリストと同じ心構えで臨みます。私も客席で「 極寒の空を悠然と滑空する鷲 」になるべく努力するわけです。でも客席で鷲になるというのもけっこう大変で、はじめのうちは些細なことで気が散りました。2000から4000人収容のコンサートホールにはいろんな人がいて、演奏中に隣のおじさんが大きな音で鼻をすすったり、後ろの席の老人がアメの皮を剥きはじめたりすると、とたんに集中力が萎えて高度が一気に下がります。でも頑張って強くイメージし続けます。頭の中に鷲の視点を定めて、そこだけに精神を集中し、自分が注ぎ込める全てを注ぎ込みます。
演奏者でもないのに、そんな難儀なことをして何になるのか、と、シベコンチームの皆さんは不思議に思うかもしれません。自分でも、これは鑑賞というより訓練とか修業に近いのではないかと思ったりします。でも、繰り返すようですが、この曲は巨大です。音楽の知識の乏しい私のキャパシティを超えています。最初のうちは聴けば聴くほど混乱しました。私にできることといえばシベリウスの言葉をそのまま実践することくらいで、それをやらなければ、曲の大きさの前にただ立ちすくむだけで、あっという間に演奏が終わってしまいました。それに、やってるうちに鍛えられていく部分もあって、今では近くにマナー悪い人がいても雑音が気にならないし、自分が拾った情報をつなぎ合わせて音楽の全体像を立ち上げることもできるようになりました。
我、そんなことに人生の貴重な時間を費やす酔狂さをもって
自らをシベコン広報部長と呼ばせしむ( 日本語変? )。
しかし、この日はいつもと違いました。開演のベルが鳴っても私はいっこうに鷲になれず、むしろ春の野原を漂う蝶々のように心が浮かれていました。なぜか。その理由を突き詰めると、その時私の心に芽生えていた迷いに辿り着くことになるのですが、それはひとまず置いといて、さしあたって、この演奏会には同伴者がいた、つまりこの日はデートだった、というところから話を始めましょう。 ( つづく )
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*** *** <後半> ここからはノリントン *** ***
敬愛するロジャー・ノリントンがN響を指揮するために来日しています。早速聴きに行ってきました。プログラムはマーラーの交響曲第1番。マーラーは1860年に生まれて1911年に亡くなったので、昨年が生誕150年に、今年が没後100年にあたります。節目の年にあやかろうと、昨今の演奏会はどこもかしこもマーラーだらけ。この日(4月22日)の
N響定期も、マーラー・イヤーにちなんだシリーズの一環でしたし、同じ曲を昨年11月にゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団の演奏で聴いたのも記憶に新しいところです。
ところで、ワレリー・ゲルギエフとロジャー・ノリントンって、かなり興味深い組み合わせだと思いませんか。この二人が世界観も持ち味も大きく異なる指揮者であるということは、私も録音を聴いて理解しているつもりでした。でも、まさかあれほどとは。同じ曲を生演奏で聴き比べてみると、二人の個性の違いは予想以上でした。というわけで、ここからはゲルギエフとノリントンの演奏を比較しながらマラ1の感想を書いてみます。
*****
のっけからこんなことを言うのはなんですが、私はマーラーを好んで聴いたことはありません。むしろ苦手意識があって敬遠していました。その理由は長いから。途中で眠くなりそうだから。しかし、ゲルギエフとノリントンを生で聴き比べる機会なんてそうそうないし、食わず嫌いを改めるいい機会だと思って、11月の演奏会の前に近場の名曲喫茶でリクエストして、はじめてマラ1を終楽章まで通して聴いてみました( マーラーのCDを持っていないため )。やはり長い、というのが聴き終えた感想でした。終わるまで1時間近くかかりました。自分にとってマーラーを聴くことは耐えることなんだと思いました。演奏会で最後まで集中力が保てるか自信がありませんでした。
*****
マーラーの交響曲第1番を要約すると、次のようになります。
序奏はSF映画っぽくて、宇宙空間で人工衛星が軌道をゆっくりと廻っている感じがします。弦楽器によるフラジョレットのユニゾンは宇宙の神秘を語るようにミステリアスです。やがて時間の経過と共にいろんな動機や主題が現れて、優雅な舞踏会だったり、哀愁を帯びた行進だったり、激しい衝突だったりと、次々にいろんなシーンを展開していきますが、第4楽章の中ほどに来ると、再び宇宙空間が眼前に広がり、曲は序奏の人工衛星の軌道に回帰します。最後にグランドフィナーレが待っていて、どんちゃん騒ぎのうちに曲が終わります( 要約しすぎ? )。
*****
名曲喫茶で予習した段階で、序奏のミステリアスな音型が一巡する感じはつかめていました。それは起承転結でいえば「起」と「結」にあたり、そこさえ押さえればこっちのもの ・・・ と言いたいところなのですが、私の課題は「承」と「転」のほうにあります。とにかく中盤がごたごたしていてつかみにくい。聴いているうちに無駄に長い気がして歯がゆくなってくる。そういう時は曲中のどこかに目印を置いて、そこに焦点を絞って聴けばいいのですが、その目印はレコードを1回聴いたくらいでは見つかりません。独力でカバーできるのはここまでなので、あとはマエストロに任せることにします。
どうか中盤にうまく目印を置いて、私が筋道を立てて聴けるようにして下さい。
序奏が再び戻ってくるまで私を飽きさせないで下さい。
昨年11月のゲルギエフの時も、一昨日のノリントンの時も、演奏が始まる前はそんな気持ちでした。そして結果的には、それが二人の演奏を聴き比べるポイントになりました。
*****
・・・ と、ここまで書いたところで時間が来てしまいました。これから晩めしの支度をします。続きはまた明後日。 ( つづく )
次へ
・・・と言いつつ、

いきなり乱入してきた、このはげ頭のおじさんは???
そうです。ロジャー・ノリントン

実は私、NHKホールでノリントン指揮N響のマーラーを聴いたばかりで、
その余韻が未だ覚めやらぬ状態なのです。 あ~ノリントンかっこよかった ・・・
か っ こ ・ よ か っ ・ っ た ぁ ぁ ー ー! ( 絶叫

というわけで、余震にも風評にも負けず来日してくれたノリントンへの感謝をこめて、今回のエントリは豪華2本立て。ヴィルデのシベコンレポートとノリントン報告を同時にリリースします。でも無理強いするわけじゃありません。3月5日のヴィルデ・フラングのシベコンを聴いた方は<前半>を、4月22日と23日にノリントン指揮N響定期を聴いた方は<後半>を、それぞれチェックして下さいね。もちろん両方読んでいただいてもかまいません。私は大歓迎です。ただしシベコンレポートは前回からの続きなのでご注意ください。
( 前回のテキストは こちら )
*** *** <前半> 「ヴィルデに片思い」の続きです。 *** ***
「 極寒の澄み切った空を、悠然と滑空する鷲のように 」 ・・・ これはシベコン第1楽章の冒頭部分に対するシベリウスのコメントです。どのようなシチュエーションでシベリウスがこの言葉を残したのか、私はずっと知りたいと思っているのですが、出典のウィキペディアにその経緯は書かれていません。直筆の楽譜にこの言葉が書き込んである、という説もありますが、なにぶん遠く離れた北欧の作曲家なので資料も少なく詳細はわかりません。
いずれにせよ、作者はこの曲にはかなり明確なイメージを残しています。そのため、「 極寒の空を滑空する鷲 」というフレーズは、シベコンを語る上でのお約束になっているようで、「 この曲を弾く時、キミは鷲になるのだ 」とソリストに助言する指揮者もいたりします( フジテレビのドキュメンタリーでオスモ・ヴァンスカが五嶋龍にそう言ってました )。

しかし、そうは言っても今は21世紀でここは東京。東京の空を滑空するのは鷲ではなく、カラスです。おまけにシベコンが演奏されるコンサートホールは、渋谷の喧騒を見下ろす高台や、首都高の渋谷線と目黒線が合流する騒音地帯に作られていて、その風景は100年前の北欧の風景から遠く隔たっています。そんな中で演奏者が「 極寒の空を悠然と滑空する鷲 」になるのはやはり難しいのでしょう、この曲に挑戦するソリストはいろんな工夫をして現実のギャップを埋めようとします。例えば、庄司紗矢香は連獅子ヘアになり( 過去の話を何度も蒸し返してスミマセン、現在の庄司さんのヘアスタイルは活動的でよくお似合いです )、神尾真由子は恐山のイタコのような妖気を漂わせて霊界にチューニングしていました。それは彼女たちがシベリウスの言葉に従って精神を離陸させ、一定の高度に保つために必要なステップなのだと私は推察します。
そして、自慢するわけではありませんが、私も演奏会にはソリストと同じ心構えで臨みます。私も客席で「 極寒の空を悠然と滑空する鷲 」になるべく努力するわけです。でも客席で鷲になるというのもけっこう大変で、はじめのうちは些細なことで気が散りました。2000から4000人収容のコンサートホールにはいろんな人がいて、演奏中に隣のおじさんが大きな音で鼻をすすったり、後ろの席の老人がアメの皮を剥きはじめたりすると、とたんに集中力が萎えて高度が一気に下がります。でも頑張って強くイメージし続けます。頭の中に鷲の視点を定めて、そこだけに精神を集中し、自分が注ぎ込める全てを注ぎ込みます。
演奏者でもないのに、そんな難儀なことをして何になるのか、と、シベコンチームの皆さんは不思議に思うかもしれません。自分でも、これは鑑賞というより訓練とか修業に近いのではないかと思ったりします。でも、繰り返すようですが、この曲は巨大です。音楽の知識の乏しい私のキャパシティを超えています。最初のうちは聴けば聴くほど混乱しました。私にできることといえばシベリウスの言葉をそのまま実践することくらいで、それをやらなければ、曲の大きさの前にただ立ちすくむだけで、あっという間に演奏が終わってしまいました。それに、やってるうちに鍛えられていく部分もあって、今では近くにマナー悪い人がいても雑音が気にならないし、自分が拾った情報をつなぎ合わせて音楽の全体像を立ち上げることもできるようになりました。
我、そんなことに人生の貴重な時間を費やす酔狂さをもって
自らをシベコン広報部長と呼ばせしむ( 日本語変? )。
しかし、この日はいつもと違いました。開演のベルが鳴っても私はいっこうに鷲になれず、むしろ春の野原を漂う蝶々のように心が浮かれていました。なぜか。その理由を突き詰めると、その時私の心に芽生えていた迷いに辿り着くことになるのですが、それはひとまず置いといて、さしあたって、この演奏会には同伴者がいた、つまりこの日はデートだった、というところから話を始めましょう。 ( つづく )
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*** *** <後半> ここからはノリントン *** ***
敬愛するロジャー・ノリントンがN響を指揮するために来日しています。早速聴きに行ってきました。プログラムはマーラーの交響曲第1番。マーラーは1860年に生まれて1911年に亡くなったので、昨年が生誕150年に、今年が没後100年にあたります。節目の年にあやかろうと、昨今の演奏会はどこもかしこもマーラーだらけ。この日(4月22日)の
N響定期も、マーラー・イヤーにちなんだシリーズの一環でしたし、同じ曲を昨年11月にゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団の演奏で聴いたのも記憶に新しいところです。
ところで、ワレリー・ゲルギエフとロジャー・ノリントンって、かなり興味深い組み合わせだと思いませんか。この二人が世界観も持ち味も大きく異なる指揮者であるということは、私も録音を聴いて理解しているつもりでした。でも、まさかあれほどとは。同じ曲を生演奏で聴き比べてみると、二人の個性の違いは予想以上でした。というわけで、ここからはゲルギエフとノリントンの演奏を比較しながらマラ1の感想を書いてみます。
*****
のっけからこんなことを言うのはなんですが、私はマーラーを好んで聴いたことはありません。むしろ苦手意識があって敬遠していました。その理由は長いから。途中で眠くなりそうだから。しかし、ゲルギエフとノリントンを生で聴き比べる機会なんてそうそうないし、食わず嫌いを改めるいい機会だと思って、11月の演奏会の前に近場の名曲喫茶でリクエストして、はじめてマラ1を終楽章まで通して聴いてみました( マーラーのCDを持っていないため )。やはり長い、というのが聴き終えた感想でした。終わるまで1時間近くかかりました。自分にとってマーラーを聴くことは耐えることなんだと思いました。演奏会で最後まで集中力が保てるか自信がありませんでした。
*****
マーラーの交響曲第1番を要約すると、次のようになります。
序奏はSF映画っぽくて、宇宙空間で人工衛星が軌道をゆっくりと廻っている感じがします。弦楽器によるフラジョレットのユニゾンは宇宙の神秘を語るようにミステリアスです。やがて時間の経過と共にいろんな動機や主題が現れて、優雅な舞踏会だったり、哀愁を帯びた行進だったり、激しい衝突だったりと、次々にいろんなシーンを展開していきますが、第4楽章の中ほどに来ると、再び宇宙空間が眼前に広がり、曲は序奏の人工衛星の軌道に回帰します。最後にグランドフィナーレが待っていて、どんちゃん騒ぎのうちに曲が終わります( 要約しすぎ? )。
*****
名曲喫茶で予習した段階で、序奏のミステリアスな音型が一巡する感じはつかめていました。それは起承転結でいえば「起」と「結」にあたり、そこさえ押さえればこっちのもの ・・・ と言いたいところなのですが、私の課題は「承」と「転」のほうにあります。とにかく中盤がごたごたしていてつかみにくい。聴いているうちに無駄に長い気がして歯がゆくなってくる。そういう時は曲中のどこかに目印を置いて、そこに焦点を絞って聴けばいいのですが、その目印はレコードを1回聴いたくらいでは見つかりません。独力でカバーできるのはここまでなので、あとはマエストロに任せることにします。
どうか中盤にうまく目印を置いて、私が筋道を立てて聴けるようにして下さい。
序奏が再び戻ってくるまで私を飽きさせないで下さい。
昨年11月のゲルギエフの時も、一昨日のノリントンの時も、演奏が始まる前はそんな気持ちでした。そして結果的には、それが二人の演奏を聴き比べるポイントになりました。
*****
・・・ と、ここまで書いたところで時間が来てしまいました。これから晩めしの支度をします。続きはまた明後日。 ( つづく )
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ヴィルデ・フラングに片思い (1)
シベコンチームの皆さんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。
今回も前回に引き続き、2011年3月5日にオーチャードホールで聴いた、
ヴィルデ・フラングのシベコンについて書こうと思います。
前回のテキストは こちら

ところで、この演奏会、皆さんはあんなに多くのお客さんが集まると予想していましたか?私はまず当日の聴衆の数に驚いてしまいました。
実を言うと、私はチケットを購入した時点ではヴィルデに対する関心はまだ薄く、ただ、彼女のデビュー盤がシベリウスとプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲で、それが北欧音楽ファンの間で静かに話題になっているのは知っていて、デビュー盤でシベコンを選ぶなんて、日本のヴァイオリニストでは考えられないことなので、よほどこの曲が得意なのか、それとも好きなのか、と思っていました。1月には国内盤がリリースされ、私もアマゾンでそれをチェックしていましたが、私のほしい物リストには、既に前年11月にリリースされたフランク・ペーター・ツィンマーマンのシベコンが登録されていて、自分がまず買うべきはそっちだと思い、購入を見送っていました。
ところが、私のそんなゆるいマークとは裏腹に、当日のオーチャードホールは超満員。
立ち見のお客さんまでいるではありませんか。私はN響オーチャード定期を聴くのは2回目ですが、4階バルコニーの立ち見席に人がいるのを見たのは初めてです。
へぇ~、ヴィルデって、こんなに注目されてるんだ。
え、
ひょっとして、広報部長、乗り遅れてる?
会場のフィーバーぶりを前に、不意打ちを食らった格好の私は、とりあえず手元のプログラムで彼女の情報を補足することに。
プログラムによると、ヴィルデ・フラングは1986年ノルウェー生まれの24歳。ということは昨年度シベコン・チャンピオン( ←個人的見解 )の神尾真由子さんと同い年です。
出身地がノルウェーとあり、なるほど、と納得。それなら彼女がデビュー盤でシベコンを弾くのも頷けます。ノルウェーは国境の南をフィンランドと接する隣国で、民族と言語は異なるものの、両国はともに北欧諸国に含まれ、特有の自然や文化の共通点は少なくありません。たとえば白夜とか、イケアとか。私は北欧に行ったことはありませんが、北欧で暮らす人々には互いに共有するマインドがあるように思います。そしてシベリウスの音楽も、そのマインドとどこかで結びついている気がします。身近な例に置き換えると、日本人は「ハルキ・ムラカミ」を読むにあたり、作者と母国語を共有していますが、それと同様に、北欧人はシベリウスの音楽を自分たちの文化として共有し、東洋人よりも近い感覚で演奏したり鑑賞したりしているのではないか、私はそのように想像します。そう考えると、これからヴィルデが演奏するのは本場仕込みのシベコンで、この演奏会はそれを聴く格好の機会ということになります。北欧音楽ファンならこれを聴き逃す手はありません。
プログラムには、さらにもうひとつ、彼女が注目される理由が載っていました。一般のクラシックファンにとって、目玉はこちらのほうかもしれません。ヴィルデは室内楽のキャリアも豊富で、多くの演奏家と共演しています。中でも特筆すべきはアンネ=ゾフィー・ムターとのデュオで、その演奏活動は2007年から現在まで続いています。ふたりのリサイタルは世界各地で好評を博していて、ヴィルデの公式HPの今後のスケジュールによると、帰欧後はムターとドイツ各地をツアーで回る予定になっています(これは後で調べました)。「ムターの秘蔵っ子」 ・・・ これはN響がヴィルデにつけたキャッチ・コピーですが
、ムターが信頼する若き実力者の真価を見極めよう、そんな思いでやって来たお客さんも多いはずです。

というわけで、ふたつの意味で注目の演奏会。満員の会場はいつもの3割増し( 当方比 )の熱気に包まれて、なにか特別なことが起こりそうな予感がします。
シベコン広報部長こと、わたくしクレタ、これが普段の演奏会ならこの辺で精神を統一し、極寒の澄み切った空を悠然と滑空する鷲の如き境地に入っているところです。
しかし、一体どうしたことでしょう。
この日は開演のブザーが鳴り終わっても、なかなか心が一点に定まりません。
思った以上に聴きどころ満載のシベコンが、もうすぐ始まろうとしているのに、心は極寒の空を飛ぶ鷲どころか、春の陽気に誘われた蝶々のように、フワフワと落ち着きなく彷徨っているのです。 (つづく)
前へ 次へ
今回も前回に引き続き、2011年3月5日にオーチャードホールで聴いた、
ヴィルデ・フラングのシベコンについて書こうと思います。
前回のテキストは こちら

ところで、この演奏会、皆さんはあんなに多くのお客さんが集まると予想していましたか?私はまず当日の聴衆の数に驚いてしまいました。
実を言うと、私はチケットを購入した時点ではヴィルデに対する関心はまだ薄く、ただ、彼女のデビュー盤がシベリウスとプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲で、それが北欧音楽ファンの間で静かに話題になっているのは知っていて、デビュー盤でシベコンを選ぶなんて、日本のヴァイオリニストでは考えられないことなので、よほどこの曲が得意なのか、それとも好きなのか、と思っていました。1月には国内盤がリリースされ、私もアマゾンでそれをチェックしていましたが、私のほしい物リストには、既に前年11月にリリースされたフランク・ペーター・ツィンマーマンのシベコンが登録されていて、自分がまず買うべきはそっちだと思い、購入を見送っていました。
ところが、私のそんなゆるいマークとは裏腹に、当日のオーチャードホールは超満員。
立ち見のお客さんまでいるではありませんか。私はN響オーチャード定期を聴くのは2回目ですが、4階バルコニーの立ち見席に人がいるのを見たのは初めてです。
へぇ~、ヴィルデって、こんなに注目されてるんだ。
え、

会場のフィーバーぶりを前に、不意打ちを食らった格好の私は、とりあえず手元のプログラムで彼女の情報を補足することに。
プログラムによると、ヴィルデ・フラングは1986年ノルウェー生まれの24歳。ということは昨年度シベコン・チャンピオン( ←個人的見解 )の神尾真由子さんと同い年です。
出身地がノルウェーとあり、なるほど、と納得。それなら彼女がデビュー盤でシベコンを弾くのも頷けます。ノルウェーは国境の南をフィンランドと接する隣国で、民族と言語は異なるものの、両国はともに北欧諸国に含まれ、特有の自然や文化の共通点は少なくありません。たとえば白夜とか、イケアとか。私は北欧に行ったことはありませんが、北欧で暮らす人々には互いに共有するマインドがあるように思います。そしてシベリウスの音楽も、そのマインドとどこかで結びついている気がします。身近な例に置き換えると、日本人は「ハルキ・ムラカミ」を読むにあたり、作者と母国語を共有していますが、それと同様に、北欧人はシベリウスの音楽を自分たちの文化として共有し、東洋人よりも近い感覚で演奏したり鑑賞したりしているのではないか、私はそのように想像します。そう考えると、これからヴィルデが演奏するのは本場仕込みのシベコンで、この演奏会はそれを聴く格好の機会ということになります。北欧音楽ファンならこれを聴き逃す手はありません。
プログラムには、さらにもうひとつ、彼女が注目される理由が載っていました。一般のクラシックファンにとって、目玉はこちらのほうかもしれません。ヴィルデは室内楽のキャリアも豊富で、多くの演奏家と共演しています。中でも特筆すべきはアンネ=ゾフィー・ムターとのデュオで、その演奏活動は2007年から現在まで続いています。ふたりのリサイタルは世界各地で好評を博していて、ヴィルデの公式HPの今後のスケジュールによると、帰欧後はムターとドイツ各地をツアーで回る予定になっています(これは後で調べました)。「ムターの秘蔵っ子」 ・・・ これはN響がヴィルデにつけたキャッチ・コピーですが


というわけで、ふたつの意味で注目の演奏会。満員の会場はいつもの3割増し( 当方比 )の熱気に包まれて、なにか特別なことが起こりそうな予感がします。
シベコン広報部長こと、わたくしクレタ、これが普段の演奏会ならこの辺で精神を統一し、極寒の澄み切った空を悠然と滑空する鷲の如き境地に入っているところです。
しかし、一体どうしたことでしょう。
この日は開演のブザーが鳴り終わっても、なかなか心が一点に定まりません。
思った以上に聴きどころ満載のシベコンが、もうすぐ始まろうとしているのに、心は極寒の空を飛ぶ鷲どころか、春の陽気に誘われた蝶々のように、フワフワと落ち着きなく彷徨っているのです。 (つづく)
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結成!シベコンチーム
花屋の店先にチューリップが並び始めた今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私のほうは相変わらず、飽きることなくシベコンを聴き続けています。
この曲が好きで、あまりに夢中で聴いているせいか、シベコンがらみの現象が次々に沸き起こり、それがどんどん拡がっていって、
いったい、どっから手をつければいいの?
まとめるには、散らかりすぎ。
とうとう自分に起こる変化をフォローしきれなくなり、やむを得ず、昨年からブログの更新を停止していた私。でも先日、おそるおそるログインしてみたら、そこには思いがけない発見が。
2011年3月5日のアクセス数が、他の日の3倍

更新もしていないのに、なぜ?
理由は簡単。この日は渋谷オーチャードホールでN響の定期演奏会が行われたのです。
メイン・プログラムは、
Sibelius Violin Concerto featuring Vilde Frang.
シベリウス ヴァイオリン コンチェルト
フィーチュアリング
ヴィルデ・フラング 

あ~、この数字を見た時はうれしかったな。
潜在的なシベコン愛好者は思いのほか多い。
彼らは私がことさらアナウンスしなくても、各自で美味しそうなシベコン(変な表現ですが)を嗅ぎつけて聴きに行く。
そしてその感想をシェアしたいと思っている。
私はこの数字をそう分析し、3月5日にアクセスしてくれた、PCの向こうの、まだ会ったこともない皆さんを、ひとりで勝手に「シベコンチーム」と命名しました。
結成!シベコンチーム。
そのくらい、シベコン広報部長はうれしかったのです。
というわけで、しばらくはシベコンチームに向けてヴィルデのシベコンのことを書きます。
前回(2010年11月26日)のレポートは「つづく」のまま、いったん保留とします。続きを待っていた方ごめんなさい。小泉純一郎との邂逅については、ヴィルデとの出合い(?)の後で報告します。ブログは放置していたけど、テキストはワードに書きためています。形を整えて後日必ずエントリします。用意したネタがことごとく中断して心苦しいですが、それは私がいつも見切り発車で、終着点が見えないままテキストを書き始めるせいです。考えるだけで結局書かずに終わるのがいやなので、頭に浮かんだあれこれを、とりあえず「えいやっ」と、強引に文字に変換してみるのですが、まだ修行が足りないらしく、あちこち散らかって収集がつかなくて。いずれきちんと片付けますので長い目でおつきあいくださいね。
しかしながら。
いま、日本は、私の頭の中以上にとっ散らかってしまって。
いったい、どっから手をつければいいのか、何を優先すればいいのか、
それぞれの現場で、皆さんがギリギリの判断を余儀なくされています。
「あっちにもこっちにも厳しい現実がある時に、被災地から遠く離れた僕らだけが、のうのうと日常を送っていいのだろうか。」地震の翌日の夜、晩めしを前にして夫はそう言いました。私達は東京住まいで被害は少なく、それぞれの実家の家族も無事でした。帰宅が遅れたため、夜遅い食事になりましたが、食卓にはいつもどおり湯気の立つ温かい食べ物が並んでいました。ガスコンロや電子レンジを使ってめし炊きをしながら、私も被災者の方々と自分の間に生じた格差について考えていました。私にも後ろめたい気持ちはあります。でも、こんな時だからこそ、難を逃れた者はしっかり食べてしっかり眠って、明日に向けて力を蓄えておかなければ。私はそう思い、いつもより真剣に晩めしを作り、それをありがたくいただきました。地震が起きようが、原発トラブルが起きようが、慌てず騒がず目の前の仕事をこつこつやっていこう。私はそう思っています。節電のために明かりや暖房が消えても、私は私なりのやり方で明るさと温かさを維持して周りに提供していこうと思います。
シベコンチームの皆さんは大丈夫ですか。
皆さんが無事であることを、そしてこのブログを読んでくれることを願っています。
では、気持ちを切り替えて本題に入りましょう。
2011年3月5日のN響オーチャード定期のメイン・プログラム、
Sibelius Violin Concerto featuring Vilde Frang.
次回はソリストのヴィルデ・フラングについて紹介します。 (つづく)
次へ
私のほうは相変わらず、飽きることなくシベコンを聴き続けています。
この曲が好きで、あまりに夢中で聴いているせいか、シベコンがらみの現象が次々に沸き起こり、それがどんどん拡がっていって、
いったい、どっから手をつければいいの?

まとめるには、散らかりすぎ。

とうとう自分に起こる変化をフォローしきれなくなり、やむを得ず、昨年からブログの更新を停止していた私。でも先日、おそるおそるログインしてみたら、そこには思いがけない発見が。
2011年3月5日のアクセス数が、他の日の3倍


更新もしていないのに、なぜ?
理由は簡単。この日は渋谷オーチャードホールでN響の定期演奏会が行われたのです。
メイン・プログラムは、
Sibelius Violin Concerto featuring Vilde Frang.
シベリウス ヴァイオリン コンチェルト




あ~、この数字を見た時はうれしかったな。
潜在的なシベコン愛好者は思いのほか多い。
彼らは私がことさらアナウンスしなくても、各自で美味しそうなシベコン(変な表現ですが)を嗅ぎつけて聴きに行く。
そしてその感想をシェアしたいと思っている。
私はこの数字をそう分析し、3月5日にアクセスしてくれた、PCの向こうの、まだ会ったこともない皆さんを、ひとりで勝手に「シベコンチーム」と命名しました。
結成!シベコンチーム。

そのくらい、シベコン広報部長はうれしかったのです。
というわけで、しばらくはシベコンチームに向けてヴィルデのシベコンのことを書きます。
前回(2010年11月26日)のレポートは「つづく」のまま、いったん保留とします。続きを待っていた方ごめんなさい。小泉純一郎との邂逅については、ヴィルデとの出合い(?)の後で報告します。ブログは放置していたけど、テキストはワードに書きためています。形を整えて後日必ずエントリします。用意したネタがことごとく中断して心苦しいですが、それは私がいつも見切り発車で、終着点が見えないままテキストを書き始めるせいです。考えるだけで結局書かずに終わるのがいやなので、頭に浮かんだあれこれを、とりあえず「えいやっ」と、強引に文字に変換してみるのですが、まだ修行が足りないらしく、あちこち散らかって収集がつかなくて。いずれきちんと片付けますので長い目でおつきあいくださいね。
しかしながら。
いま、日本は、私の頭の中以上にとっ散らかってしまって。
いったい、どっから手をつければいいのか、何を優先すればいいのか、
それぞれの現場で、皆さんがギリギリの判断を余儀なくされています。
「あっちにもこっちにも厳しい現実がある時に、被災地から遠く離れた僕らだけが、のうのうと日常を送っていいのだろうか。」地震の翌日の夜、晩めしを前にして夫はそう言いました。私達は東京住まいで被害は少なく、それぞれの実家の家族も無事でした。帰宅が遅れたため、夜遅い食事になりましたが、食卓にはいつもどおり湯気の立つ温かい食べ物が並んでいました。ガスコンロや電子レンジを使ってめし炊きをしながら、私も被災者の方々と自分の間に生じた格差について考えていました。私にも後ろめたい気持ちはあります。でも、こんな時だからこそ、難を逃れた者はしっかり食べてしっかり眠って、明日に向けて力を蓄えておかなければ。私はそう思い、いつもより真剣に晩めしを作り、それをありがたくいただきました。地震が起きようが、原発トラブルが起きようが、慌てず騒がず目の前の仕事をこつこつやっていこう。私はそう思っています。節電のために明かりや暖房が消えても、私は私なりのやり方で明るさと温かさを維持して周りに提供していこうと思います。
シベコンチームの皆さんは大丈夫ですか。
皆さんが無事であることを、そしてこのブログを読んでくれることを願っています。
では、気持ちを切り替えて本題に入りましょう。
2011年3月5日のN響オーチャード定期のメイン・プログラム、
Sibelius Violin Concerto featuring Vilde Frang.
次回はソリストのヴィルデ・フラングについて紹介します。 (つづく)
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シベコン meets 小泉純一郎
皆さまこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。いつもご覧いただきありがとうございます。
音楽の秋たけなわの今日この頃、皆さまいかがお過ごしですか。
私は先日(26日)サントリーホールにシベコンの演奏を聴きに行ったのですが、そこで超ファンタスティックな体験をしました。今回はそのもようを、いつもと趣向を変えて、インタビュー形式でお届けします。このインタビューは演奏会翌日の2010年11月27日に行われました。インタビュアーは夫です。では、ごゆっくりお楽しみください。
―― なんでも、昨日のサントリーホールの演奏会でサプライズがあったとか。
―― LAブロックですか。いつものPブロックよりもいい席ですね。
―― 一体いくらしたんですか。
―― つまり、相当高いと。だから昨日は一人で行ったと。僕は留守番だったと。
―― ははぁ、V.I.P.がいたんだ。
―― へぇ~、一体誰が来てたんだろう?
―― 皇太子というと、雅子さんの夫で・・・
―― 雅子さんじゃないんだ ・・・。
―― V.I.P.は2階に座るんだ。
―― じいやってゆーな。
―― でも、君の席からはよく見えた。
―― シベコンウォッチングに最適と思って選んだ席が、期せずして、
セレブウォッチングに最適な席だったわけか。じゃあ反対側には誰が座ってたんだろう。
―― うわっ!またしても大物。
―― 確かに。それはAPECどころの騒ぎじゃありませんね。プレイヤーは大変だ。
―― おいおい、レーピンはSMAPか?
でもレーピンといえば、過去に諏訪内さんと因縁があったはず。
―― コホン、その表現はいかがなものかと。それで、演奏はどうだったの?
―― やはり諏訪内さんといえばドルフィンですね。言葉を失うくらいの存在感だったと。
えーと、知らない人がいるとは思えませんが、ここで一応説明しておくと、「ドルフィン」と呼ばれるヴァイオリンがあって、それは世界三大ストラディバリウスのひとつに数えられる名器です。かつては20世紀の巨匠ヤッシャ・ハイフェッツが所有し、愛用していましたが、現在は日本音楽財団が所有し、諏訪内さんに長期貸与しています。
―― えー、これも知らない人がいるとは思えませんが、千住真理子さんの使用楽器もストラディバリウスです。「デュランティ」と呼ばれます。
―― ほぉ ー。 つまり、ドルフィンは過去のオーナーのハイフェッツが奏でた音を記憶していて、それを九官鳥のように真似ることができると。
―― ・・・ってことは、誰が弾いてもハイフェッツの音を出せるんですか。もしそうだと
したら、すごく便利ですね。魔法の杖みたいだ。
―― ひょっとして、それは二人で「四季」を聴いた時のことですか。確かに、あの時の千住さんの演奏は、暴れ馬に乗っているような危なっかしさがありましたね。どこに走り出すかわからないような。
―― なるほど。ドルフィンが素晴らしいのはわかりました。それで、肝心の
シベコンのほうはどうでした?
―― 諏訪内さんは日本の歴史に「シベコン」の4文字を刻むことができたの?
―― はっきり言いなさいよ。
―― じゃあ、ドレスの情報を。
―― (うれしそうに)喰い込みキツかった?
―― (心配そうに)諏訪内さんも40近いし、一児の母だし、大胆な露出にはもう体がついていかないのかね。
―― (ほっとして)だったら大丈夫。演奏が多少スベっても諏訪内のフェロモンに皇太子と小泉はめろめろだろうよ。
―― おぉっ
いよいよ広報部長の出番ですね。
―― つづきます。
音楽の秋たけなわの今日この頃、皆さまいかがお過ごしですか。
私は先日(26日)サントリーホールにシベコンの演奏を聴きに行ったのですが、そこで超ファンタスティックな体験をしました。今回はそのもようを、いつもと趣向を変えて、インタビュー形式でお届けします。このインタビューは演奏会翌日の2010年11月27日に行われました。インタビュアーは夫です。では、ごゆっくりお楽しみください。
*** *** *** *** ***
―― なんでも、昨日のサントリーホールの演奏会でサプライズがあったとか。
はい。まず最初のサプライズは開演前に起こりました。
私は開演5分前に座席に着きました。席は2階LAブロックの2列目です。
私は開演5分前に座席に着きました。席は2階LAブロックの2列目です。
―― LAブロックですか。いつものPブロックよりもいい席ですね。
席種で言うとB席です。シベコンのために奮発しました。
―― 一体いくらしたんですか。
それは言えません。
―― つまり、相当高いと。だから昨日は一人で行ったと。僕は留守番だったと。
(とりあわず)席に座った私は会場の雰囲気がいつもと違っていることに気付きました。ステージを挟んだ向かい側のRAブロックに、高級セレブみたいな人たちが固まって座っている一角があって、別のお客さんが入れ替わり立ち替わりそこを訪れてはその中の誰かと握手をしたり挨拶したりして去っていくのです。
―― ははぁ、V.I.P.がいたんだ。
ええ。それもかなりの大物らしいのです。
そこにはTVカメラも入っていました。演奏会にカメラが入るのはよくあることですが、演奏を録画するカメラがステージに向けて固定されているのに対し、そのカメラはハンディカメラで、明らかにそのエリアに座る誰かを写そうとしていました。
そこにはTVカメラも入っていました。演奏会にカメラが入るのはよくあることですが、演奏を録画するカメラがステージに向けて固定されているのに対し、そのカメラはハンディカメラで、明らかにそのエリアに座る誰かを写そうとしていました。
―― へぇ~、一体誰が来てたんだろう?
私もそう思って注目していたら、
ホールの扉が開いて、拍手と共に階段を下りてきたのは皇太子でした。
ホールの扉が開いて、拍手と共に階段を下りてきたのは皇太子でした。
―― 皇太子というと、雅子さんの夫で・・・
愛子さんのパパね。
皇太子はRBブロック2列目の一番端に座りました。
その隣には年配の白人の女性が座りました。
皇太子はRBブロック2列目の一番端に座りました。
その隣には年配の白人の女性が座りました。
―― 雅子さんじゃないんだ ・・・。
同伴者はおそらく英国大使館の関係者じゃないかと。オケはロンドン交響楽団でしたから。
―― V.I.P.は2階に座るんだ。
そう、平土間じゃないんです。2階席に座るんです。
じいやもサントリーホールの2階席に座ったら、RBブロックの端をチェックしてみるといいよ。思わぬV.I.Pが座っているかもしれないから。
じいやもサントリーホールの2階席に座ったら、RBブロックの端をチェックしてみるといいよ。思わぬV.I.Pが座っているかもしれないから。
―― じいやってゆーな。
あの席ってよく見ると二つだけ離れて孤立している上に、
ブロック全体の傾斜が急で、ちょうど死角のようになっていて
座っている人の顔が他のお客さんから見えにくいんですね。
ブロック全体の傾斜が急で、ちょうど死角のようになっていて
座っている人の顔が他のお客さんから見えにくいんですね。
―― でも、君の席からはよく見えた。
はい。正面右手に皇太子。演奏中もずっと視界に入ってました。
―― シベコンウォッチングに最適と思って選んだ席が、期せずして、
セレブウォッチングに最適な席だったわけか。じゃあ反対側には誰が座ってたんだろう。
私もそれが気になって、今度は自分が座っているLAブロックから
隣のLBブロック2列目を確認しました。すると、そこには小泉純一郎が。
隣のLBブロック2列目を確認しました。すると、そこには小泉純一郎が。
―― うわっ!またしても大物。
今日は日本の歴史に「シベコン」の4文字が刻まれる日になるにちがいない、
私はそう思いました。
だって、これから皇太子と元首相がシベコンを鑑賞するんですよ。
そしてその場にシベコン広報部長が同席するんですよ。
この演奏会がシベコンの未来に及ぼす影響ははかりしれません。
私はそう思いました。
だって、これから皇太子と元首相がシベコンを鑑賞するんですよ。
そしてその場にシベコン広報部長が同席するんですよ。
この演奏会がシベコンの未来に及ぼす影響ははかりしれません。
―― 確かに。それはAPECどころの騒ぎじゃありませんね。プレイヤーは大変だ。
そうです。プレイヤーはとても大きな責任を負っています。
でもオケはロンドン交響楽団。指揮はワレリー・ゲルギエフ。伴奏は盤石です。
しかし未知数なのはソリストの諏訪内晶子。一体どんな演奏を聴かせてくれるのでしょう。
はっきり言って不安です。どうして主催者はワディム・レーピンを呼ばないのでしょうか。
やはりロシアと日本の緊張関係が影を落としているのでしょうか。
でもオケはロンドン交響楽団。指揮はワレリー・ゲルギエフ。伴奏は盤石です。
しかし未知数なのはソリストの諏訪内晶子。一体どんな演奏を聴かせてくれるのでしょう。
はっきり言って不安です。どうして主催者はワディム・レーピンを呼ばないのでしょうか。
やはりロシアと日本の緊張関係が影を落としているのでしょうか。
―― おいおい、レーピンはSMAPか?
でもレーピンといえば、過去に諏訪内さんと因縁があったはず。
はい。話は1989年のエリザベート王妃国際音楽コンクールに遡ります。レーピンが優勝し、諏訪内さんは2位に終わりました。諏訪内さんはその悔しさをバネに翌年のチャイコフスキー国際音楽コンクールで優勝し、一躍時の人となったのです。あれから20年。レーピンと諏訪内さんの差は再び開いてしまったけど、こうなったらシベコンの未来のために、諏訪内さんにひと肌脱いでもらうしかありません。
―― コホン、その表現はいかがなものかと。それで、演奏はどうだったの?
諏訪内さんといえばドルフィンです。ドルフィンに尽きます。
あの輝かしい響きを、なんと言い表せばいいのでしょう、言葉が見つかりません。
あの輝かしい響きを、なんと言い表せばいいのでしょう、言葉が見つかりません。
―― やはり諏訪内さんといえばドルフィンですね。言葉を失うくらいの存在感だったと。
えーと、知らない人がいるとは思えませんが、ここで一応説明しておくと、「ドルフィン」と呼ばれるヴァイオリンがあって、それは世界三大ストラディバリウスのひとつに数えられる名器です。かつては20世紀の巨匠ヤッシャ・ハイフェッツが所有し、愛用していましたが、現在は日本音楽財団が所有し、諏訪内さんに長期貸与しています。
千住真理子さんのデュランティでも感じましたが、名器って、ホールと共鳴すると、
エレキギターみたいに鳴るんです。もちろん、コンセントなんかどこにもないんですよ。
エレキギターみたいに鳴るんです。もちろん、コンセントなんかどこにもないんですよ。
―― えー、これも知らない人がいるとは思えませんが、千住真理子さんの使用楽器もストラディバリウスです。「デュランティ」と呼ばれます。
で、その鳴りっぷりには理由があって、
名器には「音の記憶」というアドバンテージがあるらしく、
楽器自体に、それまで奏でられた音の記憶が蓄積されていて、
その響きを再現しやすくなるらしいのです。
名器には「音の記憶」というアドバンテージがあるらしく、
楽器自体に、それまで奏でられた音の記憶が蓄積されていて、
その響きを再現しやすくなるらしいのです。
―― ほぉ ー。 つまり、ドルフィンは過去のオーナーのハイフェッツが奏でた音を記憶していて、それを九官鳥のように真似ることができると。
はい。名器は生きているのです。
―― ・・・ってことは、誰が弾いてもハイフェッツの音を出せるんですか。もしそうだと
したら、すごく便利ですね。魔法の杖みたいだ。
いいえ。話はそう簡単ではありません。名器はいわば両刃の剣。それを持つにふさわしくない演奏者は、たちどころに楽器にはじかれてしまいます。代々引き継がれた「音の記憶」が魔除けのような働きをして、レベルの劣る演奏者をシャットアウトするのでしょう。例えば、千住さんの場合は演奏者が楽器のパワーに引きずられている感じが否めませんでした。
―― ひょっとして、それは二人で「四季」を聴いた時のことですか。確かに、あの時の千住さんの演奏は、暴れ馬に乗っているような危なっかしさがありましたね。どこに走り出すかわからないような。
それに比べると、諏訪内さんは楽器と折り合いながら巧みにコントロールしていて、やはり、この人はただのイロモノではないんだな、ドルフィンに負けないように日々の研鑽を重ねているんだな、と見直してしまいました。もちろん、千住さんも今では完全にデュランティを掌中に収めていることと思います。私達が演奏を聴いたのはもう2年以上前のことですから。
―― なるほど。ドルフィンが素晴らしいのはわかりました。それで、肝心の
シベコンのほうはどうでした?
えっ。
―― 諏訪内さんは日本の歴史に「シベコン」の4文字を刻むことができたの?
え ー ー ー ー ー ー っとぉ ・・・
―― はっきり言いなさいよ。
いや、まだこれから演奏を聴く人がいるので、現時点でのコメントは差し控えたいと。
―― じゃあ、ドレスの情報を。
はい。ドレスはケイト・ミドルトン嬢を彷彿とさせるロイヤルブルーでした。
もっとも私の席からはほとんど背中しか見えませんでしたが。
背中のストラップは宝石をちりばめたみたいにキラキラしてました。
もっとも私の席からはほとんど背中しか見えませんでしたが。
背中のストラップは宝石をちりばめたみたいにキラキラしてました。
―― (うれしそうに)喰い込みキツかった?
私もそこが気がかりだったけど、
2007年にヤルヴィ指揮でベトコンを弾いた時のドレスに比べると普通だった。
あんときは演奏中に乳が見えるんじゃないかと、別の意味でハラハラしましたからねぇ。
2007年にヤルヴィ指揮でベトコンを弾いた時のドレスに比べると普通だった。
あんときは演奏中に乳が見えるんじゃないかと、別の意味でハラハラしましたからねぇ。
―― (心配そうに)諏訪内さんも40近いし、一児の母だし、大胆な露出にはもう体がついていかないのかね。
いやいやどうして。モデル並みのプロポーションは健在でした。
あの人はアラフォーの鑑ですね。
あの人はアラフォーの鑑ですね。
―― (ほっとして)だったら大丈夫。演奏が多少スベっても諏訪内のフェロモンに皇太子と小泉はめろめろだろうよ。
キ ー ッ。 男ってやーね。
ところでその後もう一つサプライズが起こったんだけど、話題を変えていいかしら。
休憩時間に、私は少しだけ小泉さんとお話ししました。
ところでその後もう一つサプライズが起こったんだけど、話題を変えていいかしら。
休憩時間に、私は少しだけ小泉さんとお話ししました。
―― おぉっ

そうです。今度は私の番です。
それは小泉純一郎の潜在意識に「シベコン」の4文字を刻み込む、千載一遇のチャンス
でした。いわば私は、シベリウスが放った諏訪内さんに続く第2の刺客だったのです。
それは小泉純一郎の潜在意識に「シベコン」の4文字を刻み込む、千載一遇のチャンス
でした。いわば私は、シベリウスが放った諏訪内さんに続く第2の刺客だったのです。
―― つづきます。
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8+16=24
シベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲二短調
この曲の第3楽章におけるソロ・ヴァイオリンと管弦楽部の力関係は
ソロ・ヴァイオリン > オケ
ではなく
オケ > ソロ・ヴァイオリン
になっている。そのためこの曲はヴァイオリン協奏曲でありながら、「協奏曲」よりも
「交響曲」の性格を強めている。ではなぜシベリウスは曲中の力関係を
「 オケ > ソロ・ヴァイオリン 」 に逆転させたのだろうか。それが今回のテーマである。
第14回のテキストに書いたとおり、この曲は
A-B-A-B-A´
のロンド形式で、A´はAメロを素材にしたコーダになっている。AメロとBメロはそれぞれ特徴的なリズムを持っていて、私はそれを8ビートと16ビートになぞらえているのだが、上述のロンド形式(コーダを除く)を、このビートに置き換えると
8-16-8-16
となる。ここにメロディを演奏するパートを登場順に書き加えると、
8( ソロ・ヴァイオリン )-16( オケ-ソロ )-8( オケ-ソロ )-16( オケ-ソロ )
となる。ごらんのように、ビートの切り替えポイントには必ず青色で示したオケが配置され、8ビートも16ビートもオケのギアチェンジでビートが回転し、曲が前に進むしくみになっている。この配置はヴァイオリン協奏曲の慣例から考えるとイレギュラーであるが、ヴァイオリンという楽器の特性を考えると当然の帰結というか、やむを得ない選択で、そもそもヴァイオリンは技巧性と響きの華麗さを追求して進化してきた楽器である。そのため、華やかなメロディを奏でるのは得意な反面、リズムやビートといった単純な表現には適さない。リズムやビートをダイレクトに聴き手に届けるにはもっと原始的な楽器(太鼓もしくは弦楽器の中でも打楽器に近いコントラバス)が必要で、上記の青色で示したオケ部分でティンパニと低弦がソロ・ヴァイオリンを差し置いて大活躍するのは、シベリウスが曲中でビートを最優先にしていることの表れである。つまり
まず、ビートありき。
それが第3楽章におけるシベリウスのコンセプトである、と私は思う。でもそれをヴァイオリン協奏曲の中で貫こうとすると、ソロ・ヴァイオリンが本来持つべきプライオリティがオケのリズム隊に移行せざるを得なくなり、その変化が楽節ごとに積み重なった結果、曲全体の力のバランスが「 オケ > ソロ・ヴァイオリン 」に逆転してしまうのだ。
第14回のテキストで、私はヤルヴィ指揮による第3楽章の演奏について、最初はリズムの強靭さに感服したものの、次第にそれが行き過ぎた解釈に思えてきた旨のコメントをした。しかし、この楽章が「まず、ビートありき。」というコンセプトで作られたと考えると、彼のアプローチは決して曲想から逸脱するものではないし、それに対する私のフィジカルな反応も、(いささか過剰かもしれないが)許容範囲という気がしてくる。オケの太鼓と低弦が聴き手の記憶にビートを刻印し、ソロ・ヴァイオリンにフロントを譲った後も、ビートは絶えずどこかで脈打っていて、ギアが入れ替わるたびに大きなうねりとなって姿を現わす。ヤルヴィのようにリズム感の優れた指揮者がその流れを明確に打ち出せば、私のような軽薄な聴き手が頭の中でそれをグルーヴに変換しても無理はない。でもシベリウスが本当にすごいのはここからで、彼はこの8ビートと16ビートの執拗な反復を伏線にして、曲中に第3のビートともいうべき新たな脈動を出現させる。その兆しはまずコーダ直前のBメロ、すなわち
A-B-A-B-A´
の赤字部分におけるリズムの変化に現れる。ここは本来16ビートのはずだが、実際のリズムは16ビートでスタートして途中から8ビートに変化する。キョンファ盤では、05:40あたりから8ビートのリズム型の断片が現れて、徐々にふたつのリズム型が混じり合い、最後の8小節では、8ビートのズンドコ節がメロディを完全に支配してコーダに達している。コーダの直前といえば、一般的な協奏曲では独奏楽器の技巧の見せどころであり、シベコンもご多分にもれず、ソロ・ヴァイオリンがBメロを華麗に変奏・展開して曲を盛り上げていくのだが、その足元では「16ビート
8ビート」のベースラインの攻防が同時に進行していて、そこから生まれる複合的な深いリズムが、ソロ・ヴァイオリンの超絶技巧と相まって曲の音楽的緊張を高めていく。
そして辿りついたコーダ。シベリウスはここで前人未到の壮大なエンディングを用意している。繰り返すようだが、この曲は「 A-B-A-B-A´」のロンド形式で、A´はAメロを素材にしたコーダである。従来のロンド形式ならば、コーダのリズム型は当然8ビートとなり、
8-16-8-16-8
というリズム構成で終わるはずである。でもシベコンの結末がそんな旧式モデルで支えきれないのは今までの記述からお分かりいただけると思う。ここでは、もうどちらのビートなのか見分けがつかないくらいリズム形がドロドロに溶け合って、最後には地鳴りとも雷鳴ともつかない新しい脈動が現れて曲を締めくくる。この新しい脈動をあえてたとえるなら
8 + 16 = 24 ビート。つまりこの曲は
8-16-8-16-24
という、未曾有のリズムを生み出して完結するのだ。
8でも16でもない24。そんな解答をコーダに持ち込んだ作曲家は、私が知る限りシベリウスだけである。コーダの24ビートはシベコンが生み出すエネルギーそのものであり、それは彼が徹底してビートにこだわることで引き起こした音楽的化学変化の産物である。しかし第3楽章の真価は24という解答にあるのではない。この一見飛躍した解答が音楽という調和の中にきちんと収まっている、そのことが貴重なのだ。音楽が24という解答を許容する深みと広がりを備えていること、言い換えれば、曲中の個々の要素の全てが24という解答に向けて自然に、有機的につながっていることが感動的なのだ。
( 第17回へつづく )
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この曲の第3楽章におけるソロ・ヴァイオリンと管弦楽部の力関係は
ソロ・ヴァイオリン > オケ
ではなく
オケ > ソロ・ヴァイオリン
になっている。そのためこの曲はヴァイオリン協奏曲でありながら、「協奏曲」よりも
「交響曲」の性格を強めている。ではなぜシベリウスは曲中の力関係を
「 オケ > ソロ・ヴァイオリン 」 に逆転させたのだろうか。それが今回のテーマである。
第14回のテキストに書いたとおり、この曲は
A-B-A-B-A´
のロンド形式で、A´はAメロを素材にしたコーダになっている。AメロとBメロはそれぞれ特徴的なリズムを持っていて、私はそれを8ビートと16ビートになぞらえているのだが、上述のロンド形式(コーダを除く)を、このビートに置き換えると
8-16-8-16
となる。ここにメロディを演奏するパートを登場順に書き加えると、
8( ソロ・ヴァイオリン )-16( オケ-ソロ )-8( オケ-ソロ )-16( オケ-ソロ )
となる。ごらんのように、ビートの切り替えポイントには必ず青色で示したオケが配置され、8ビートも16ビートもオケのギアチェンジでビートが回転し、曲が前に進むしくみになっている。この配置はヴァイオリン協奏曲の慣例から考えるとイレギュラーであるが、ヴァイオリンという楽器の特性を考えると当然の帰結というか、やむを得ない選択で、そもそもヴァイオリンは技巧性と響きの華麗さを追求して進化してきた楽器である。そのため、華やかなメロディを奏でるのは得意な反面、リズムやビートといった単純な表現には適さない。リズムやビートをダイレクトに聴き手に届けるにはもっと原始的な楽器(太鼓もしくは弦楽器の中でも打楽器に近いコントラバス)が必要で、上記の青色で示したオケ部分でティンパニと低弦がソロ・ヴァイオリンを差し置いて大活躍するのは、シベリウスが曲中でビートを最優先にしていることの表れである。つまり
まず、ビートありき。
それが第3楽章におけるシベリウスのコンセプトである、と私は思う。でもそれをヴァイオリン協奏曲の中で貫こうとすると、ソロ・ヴァイオリンが本来持つべきプライオリティがオケのリズム隊に移行せざるを得なくなり、その変化が楽節ごとに積み重なった結果、曲全体の力のバランスが「 オケ > ソロ・ヴァイオリン 」に逆転してしまうのだ。
第14回のテキストで、私はヤルヴィ指揮による第3楽章の演奏について、最初はリズムの強靭さに感服したものの、次第にそれが行き過ぎた解釈に思えてきた旨のコメントをした。しかし、この楽章が「まず、ビートありき。」というコンセプトで作られたと考えると、彼のアプローチは決して曲想から逸脱するものではないし、それに対する私のフィジカルな反応も、(いささか過剰かもしれないが)許容範囲という気がしてくる。オケの太鼓と低弦が聴き手の記憶にビートを刻印し、ソロ・ヴァイオリンにフロントを譲った後も、ビートは絶えずどこかで脈打っていて、ギアが入れ替わるたびに大きなうねりとなって姿を現わす。ヤルヴィのようにリズム感の優れた指揮者がその流れを明確に打ち出せば、私のような軽薄な聴き手が頭の中でそれをグルーヴに変換しても無理はない。でもシベリウスが本当にすごいのはここからで、彼はこの8ビートと16ビートの執拗な反復を伏線にして、曲中に第3のビートともいうべき新たな脈動を出現させる。その兆しはまずコーダ直前のBメロ、すなわち
A-B-A-B-A´
の赤字部分におけるリズムの変化に現れる。ここは本来16ビートのはずだが、実際のリズムは16ビートでスタートして途中から8ビートに変化する。キョンファ盤では、05:40あたりから8ビートのリズム型の断片が現れて、徐々にふたつのリズム型が混じり合い、最後の8小節では、8ビートのズンドコ節がメロディを完全に支配してコーダに達している。コーダの直前といえば、一般的な協奏曲では独奏楽器の技巧の見せどころであり、シベコンもご多分にもれず、ソロ・ヴァイオリンがBメロを華麗に変奏・展開して曲を盛り上げていくのだが、その足元では「16ビート

そして辿りついたコーダ。シベリウスはここで前人未到の壮大なエンディングを用意している。繰り返すようだが、この曲は「 A-B-A-B-A´」のロンド形式で、A´はAメロを素材にしたコーダである。従来のロンド形式ならば、コーダのリズム型は当然8ビートとなり、
8-16-8-16-8
というリズム構成で終わるはずである。でもシベコンの結末がそんな旧式モデルで支えきれないのは今までの記述からお分かりいただけると思う。ここでは、もうどちらのビートなのか見分けがつかないくらいリズム形がドロドロに溶け合って、最後には地鳴りとも雷鳴ともつかない新しい脈動が現れて曲を締めくくる。この新しい脈動をあえてたとえるなら
8 + 16 = 24 ビート。つまりこの曲は
8-16-8-16-24
という、未曾有のリズムを生み出して完結するのだ。
8でも16でもない24。そんな解答をコーダに持ち込んだ作曲家は、私が知る限りシベリウスだけである。コーダの24ビートはシベコンが生み出すエネルギーそのものであり、それは彼が徹底してビートにこだわることで引き起こした音楽的化学変化の産物である。しかし第3楽章の真価は24という解答にあるのではない。この一見飛躍した解答が音楽という調和の中にきちんと収まっている、そのことが貴重なのだ。音楽が24という解答を許容する深みと広がりを備えていること、言い換えれば、曲中の個々の要素の全てが24という解答に向けて自然に、有機的につながっていることが感動的なのだ。
( 第17回へつづく )
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