ガンバレ よし子さん

手作りせんきょ日記

声を届ける 第12回

2019年04月05日 | SAVE 築地市場


この場所に立っていると、まさしく今、築地場外市場が地上げの渦中にある、ということを肌身にヒリヒリと感じる。ここは真実や嘘や、善意や策略や、正直者やぺてん師が入り混じる、険呑な場所。住人どうしが腹の内を探り合い、疑心暗鬼になって、疲れ果てている場所。言い換えれば、いまの日本社会の縮図。1日1時間立っているだけで、それがわかる。たぶん私はその険呑さに寄せてスピーチ原稿を書くべきだった。そうすれば、向かいの店に立つ店員に、言葉がまっすぐ届くかもしれない。でもそれはここに立ってはじめてわかること。立たなければ、一生わからなかった。現場に立つこと、めげずに立ち続けること、それが大事。

2019年4月5日(金) 辻立ち12日目

5:15 夜明けの時刻が早くなった。気温8度



5:27 有楽町公園 *1



5:44 ざぎんの地域猫



5:58 築地市場正門 
空に夏の気配。はっきりと季節が動いた。
ストールをスカーフに、登山用ズボンをジーンズに、私も衣替え。



6:00 新大橋通り 露店の八百屋
とちおとめ2パック800円、あまおうは1,000円
買いたいが、先を急ぐ。

6:20 波除神社→松枝物産閉店セール
梅ぼし購入 450円 松枝社長に挨拶

6:27 地上げの空き地の前の歩道。フェンスの向こうに蓬。
子どもの頃よく祖母と摘んだ。草餅たべたい。
THE M/ALLの提灯をセットして辻立ちスタート *2



6:36 スピーチ ~その1~ 読了。
松枝社長はラジオ体操。

6:47 スピーチ ~その2~ 読了。

7:00 スピーチ ~その3~ 読了。

7:05 スピーチ ~その4~ 読了。撤収 *3
店先で朝ご飯中の松枝社長に挨拶。
「丸福水産」の店先にて、三脚を立ててワイワイと店内を
撮影する数名あり。ユーチューブで店のPRでも始めるのかな。

7:15 新大橋通り 露店の八百屋
いちごは完売。また今度。

7時35分 銀座→帰宅

*1 岡本太郎の時計塔。数寄屋橋交番横からここに引っ越してよかった。あそこは右翼の街宣がうるさいからね。太郎が放つオーラのおかげで、この空間だけが別世界。銀座のパワースポットのひとつ。

*2 台車の上のゴミが増えている。放置自転車も2台から5台に増えている。しかし、なぜか人ひとり分の空間が、台車と自転車の間に。「ここに立て」というメッセージ? … まさかね。

*3 朗読中に30代から40代のダークスーツの男性が3名、入れ替わりで現れて視野を横切っていく。市場関係者ではない。役人かな。地上げ屋かな。皆さんおしなべて提灯を意識している(コイツ、何者?と)。













声を届ける 第11回

2019年04月04日 | SAVE 築地市場
2019年4月4日(木) 辻立ち11日目

05:27 数寄屋橋公園
岡本太郎の時計台。満開の桜の枝にウグイス。
早春の早朝だけ現れる幽玄な空間。



05:55 築地市場正門→波除通り→波除神社

06:05 松枝物産の閉店セール
干し椎茸を買う。500gで2,500円
松枝社長に辻立ちのお伺い。「いいよ」とのこと。ふぅ、よかった。

06:10 波除神社から地上げの空き地の前へ 
歩道には昨日の台車。その両脇に、今日は自転車も置いてある。
台車の上には段ボール箱。中にはゴミ。これはやはり「ここに立つな」
というメッセージ?このあたりの誰かが、私を目障りだと思っている?

06:17 辻立ちスタート

06:37 スピーチの途中で件の台車の持ち主が現れる。*1

07:01 スピーチ終了。撤収
松枝社長に挨拶。「ご苦労さま」とねぎらいの言葉をいただく。感謝。

07:41 銀座→帰宅

*1 80代くらいのおじいさん。市場関係者のようにも見え、アル中のようにも見える。台車を押して向かいの「*内商店」で店員と立ち話。その後台車を元に戻し、隣に止めた自転車に乗って消えていった。妨害されたわけではないが、ちょっと意地悪された感じ。けして居心地はよくない。













地上げの中心で「ノー」を叫ぶ

2019年04月03日 | SAVE 築地市場


2019年4月3日(水) 辻立ち10日目

05:45 築地市場正門→波除通り
水曜は築地の休日。波除通りで営業しているお店はまばら。
松枝物産のある6丁目付近は全店休業。いつもは買い出し客の
路上駐車で溢れている波除神社付近も、今日は人気なく静か …
というよりも、なんだかゴーストタウンを思わせる寒々しい風景。



休日と知らずに訪れた外国人観光客が
波除神社だけを見物して引き返して行く。



05:55 波除神社 
社務所の窓に〇川珠代のポスターが貼られている。
これは威嚇。こけおどし。
「神は神、政党は政党」と割り切って参拝する。*1



06:10 地上げの空き地
昨日私が立っていた場所に、大きな台車が置いてある。
なんとなく磁場が形成されつつあると感じる。*2
魔除けの提灯をセットしていると、フェンスの向こうの
桜の木にウグイスが止まる。吉兆。




06:13 路上のハトを聴衆にして、辻立ちスタート

06:58 スピーチ終了 撤収。

07:30 銀座→帰宅

*1 政教分離の原則に従い、良心的な神社は境内に政党のポスターを貼らない。波除神社も昨日まで貼られていなかった。つまりこのポスターは、昨日私が帰った後に貼られたということ。「*露」とか「新*商事」とか、波除通りには明らかに自民党のテリトリーとわかる店があり、店先にはもれなく〇川のポスターが貼ってあることは、私も以前から意識していた。今日からそこに波除神社も加わることになる。不可解なのは、なぜ今日なのか、ということ。以下、私の勝手な想像。神主さんは、自民系の有力者にごり押しされて、いやいや貼ったのではないかしら。ポスター貼りのタイミングに、面従腹背の気配を感じる。少なくとも、カミサマは自民党の宣伝に使われて迷惑だろう。お布施もあるだろうから、ばちあたり、とまでは言わないけれど。

*2 この台車に込められたメッセージはなにか?
イ )「おまえはここに立つな」
ロ )「どうぞ演台としてお使いください」←積載量500キロの表示あり
ハ )ここは台車のいつもの定位置。昨日はたまたま使用中だった。
答えは持ち主にしか分からない。でも答えが ハ )である可能性は低い。プロは商売道具を雨ざらしにしたりしない。私がここで辻立ちを続ければ、いつか持ち主を特定できるだろうか。













声を届ける ~ 地上げの空き地にて ~

2019年04月02日 | SAVE 築地市場
2019年4月2日(火) 辻立ち9日目

05:30 銀座
寝坊して、朝のコーヒーを作れなかった。夫よ、ゴメン。
慌ててカメラも忘れてきた。
05:45 築地正門→波除神社
06:00 松枝物産(かまぼこ)の閉店セール
籠持ちの先客と社長の会話。向かいの空き地で地上げをやっていると。
松枝物産の社長は地上げを歓迎していない、と踏む。
4つで500円のふりかけを買う。 *1
向かいの空き地前で辻立ちする旨を伝え、社長の了解を得る。

06:05 地上げの空き地を背に、辻立ちスタート *2

06:12 スピーチ ~その1~ 読了。

06:23 スピーチ ~その2~ 読了。

06:39 スピーチ ~その3~ 読了。

06:45 スピーチ ~その4~ 読了。撤収

社長に挨拶。迷惑そうではない(たぶん聞こえてない)。

07:17 銀座→帰宅
 
*1 コレおいしい。松枝物産で買った「茎わかめ入り梅こんぶ」



*2 この場所、気に入った。昨日までの場所より自分にしっくりくる。明日もここに立たせてもらえるといいな。













声を届ける ~ 松枝物産にて ~

2019年04月01日 | SAVE 築地市場
2019年4月1日(月) 辻立ち8日目

05:50 築地正門
06:00 波除神社



06:05 松枝物産(かまぼこ)の閉店セール
松枝物産の社長は74歳。社員は全て辞めてもらったが、
売掛金の回収のためにしばらく一人で店に立つのだそう




「場外がなくならない限り、築地はなくならない」
という明るいキャッチコピーの裏にあるリアル




私 : 「お店、閉めるんですか?」
社長: 「まわりがすっかり変わってしまってね」
私 : 「場内がなくなったことが影響した?」
社長: 「役人が市場を豊洲に移したおかげで、客が分散してしまった」



社長: 向かいの空き地を指して「あそこはホテルになるんだ。
残念だけど、時代の流れだからしょうがない」
私 :「でも、私は怒ってますけど」
社長:「… 誰に向かって怒ればいいの?」   *1



06:20 ぷらっと築地のベンチの前で辻立ちスタート

06:58 スピーチ終了。撤収
松枝物産で買った桜えび ひとつ450円




*1 「… 誰に向かって怒ればいいの?」松枝社長が付きつけるこの問いは重い。怒りの矛先を誰に向けていいのかわからない。だから怒ることをあきらめる。怒りと共に生きるのはつらい。だから思考停止する。それが築地問題のやっかいなところだ。「怒りを誰に向ければいいのか」という問いは、「誰が責任を取るのか」という問いでもある。築地問題は20年以上も前から続いていて、その間に石原、猪瀬、桝添、小池と、4人の都知事が交代した。役人だって何人も入れ替わっている。責任の最終地点が不明のまま、破壊だけが機械的に進む。反対の声しか出ていないのに。
強いて言えば、一連の問題の責任は、上記4人を知事に選んだ東京都民にあるということになるけれど、その中にはもちろん松枝社長と私も含まれている。私は上記4人に投票しなかったけれど、都知事選挙がポピュリズムに支配されるのを阻止することもできなかった。都民は長い年月をかけて構造的な絶望を作り出し築地の市場関係者を追い詰めた張本人と言うこともできる。
でも、もし私がその絶望に打ちのめされて、抗議することをあきらめていたら、私は松枝社長と出合うことはなかった。同じ気持ちを共有することもなかった。そう考えると、とりあえず辻立ちは続ける価値がありそう。













声を届ける ~ その7 ~

2019年03月31日 | SAVE 築地市場
2019年3月30日(土) 午後は築地営業権組合お買い物ツアーに飛び入り

12:00 銀座

12:25 築地正門
営業権組合のムラキさんに挨拶。お元気そうでなにより。*1

12:40 中央市場前交差点の信号機下にアンプを置いて辻立ちスタート。*2
ルポライターのNさん、営業権組合のKさんなど、おなじみの顔ぶれ
が目の前を通り過ぎていく。原稿を読みながら、横目で挨拶。

13:00 正門前にて築地営業権組合お買い物ツアースタート
お客さんとの距離は10メートルくらい。声は届いているのかな。

13:30 ルポライターのNさんが
「クレタさん、そこじゃ聞こえないから、こっちでやろう」
と、声をかけて下さる。その言葉に甘えて、
つ、ついに、正門前の檜舞台にデビュー 
 


アンプの目盛りもちょっと上げてみる。これでいいかな。*3

13:45 スピーチ終了
皆さんから温かい拍手をいただく。*4

14:30 銀座

15:45 帰宅


*1 ムラキさんは東京都がバッシングする仲卸のひとり。昨年末まで、私は売り子としてお買い物ツアーを手伝っていた。東京都への抗議を含むこのアクションが、冬を越えて春まで持ちこたえたことに敬服。

*2 マイクを使って話す人は、自分の音の大きさを把握できない。アンプの目盛を、どのレベルに合わせればいいのかわからなくて悩む。私自身、無駄な大音量が苦手なので、サウンドチェックをしてくれる人がいればいいのに、と思う。

*3 写真はGalbraithianさんのツィッターから転載しました。写るとわかっていたら、もうちょっとおしゃれしたのに。ムラキさんのねじりはちまき、しぶい。

*4 今までアウェーで孤軍奮闘していたので、自分と方向性を同じくする人たちの存在にほっとする。













声を届ける ~ その6 ~

2019年03月30日 | SAVE 築地市場
2019年3月30日(土)  辻立ち6日目

03:10 起床

05:24 銀座 ざぎんの桜は見頃。



05:50 築地正門
新大橋通りの露天の八百屋を通りすがりにチェックし、筍を発見。
スーパーの店先のものよりずっと美しく、おいしそう。
か、買いたい … しかし物欲を抑え、先を急ぐ

06:00 波除神社・波除門



06:10 ぷらっと築地のベンチの前で辻立ちスタート
土曜日の波除通りは通りの端から端まで活気に満ちている
…と言いたいところだが、松枝物産(かまぼこ)は本日をもって
廃業とのこと。ジェントリフィケーションの波は場外にも。


06:18 スピーチ ~その1~ 読了。

06:29 スピーチ ~その2~ 読了。

06:45 スピーチ ~その3~ 読了。

06:52 スピーチ ~その4~ 読了。撤収。

ようやく言葉と口と喉が噛み合ってきたようで、原稿がスラスラ
読める。テンポも速くなった。初日(ちょうど一週間前)は、
読み終えるまで1時間近くかかった。継続は力。
帰りに再び八百屋をチェック…と思ったら、すでに
別の店に入れ替わっていた。速い。

07:37 銀座

09:00 帰宅
















声を届ける 第1回

2019年03月23日 | SAVE 築地市場
2019年3月23日(土)

8:00 銀座 気温7度 
8:22 築地正門
雨が降り出す。





8:29 波除通り駐輪場のフェンスにTHE M/ALL の提灯をセットして
辻立ちスタート

スピーチ ~その1~ 読了。

スピーチ ~その2~ 読了。

スピーチ ~その3~ 読了。

スピーチ ~その4~ 読了。



ローランドのモバイルアンプ。音量の目盛りをどこに合わせれば
いいか悩む。新大橋通りは車両の交通量が多い。
車の音にかき消されないけど、耳障りでもない音量。
それはひとりではわからない。

9:17 辻立ち終了。撤収 *1
雨は止んでいる。しかし、風強く寒い … カゼひく … 。

*1 辻立ちの間ずっと隣の駐車場の係員がこちらの様子を伺っていた。でもクレームはなかった。途中で外国人観光客に「なにやってるの」と尋ねられ「アイムプロテスター」と答えた。













スピーチ on 波除通り ~ その4 ~

2019年03月22日 | SAVE 築地市場
 さて皆さん、長々と自説を述べてきましたが、そろそろまとめに入ります。私がこの場で言いたいことはひとつです。「豊洲は豊洲、築地は築地」というスローガンは築地にふさわしくありません。少なくともそこに客のニーズはありません。築地の客のニーズは「三方よし」の共同体の中にしかありません。場内と場外が揃ってこそ築地。皆さんはそこから目をそらさないでほしい。その事実を踏まえ、場外市場の置かれた状況を正しく理解した上で、皆さんにふさわしいスローガンを、僭越ながら私がここに披露します。

それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という分断の呪いを解いて、皆さんの心をひとつに束ねる言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」というビジネスマインドを超えて、皆さんの可能性を新しい時代に開く言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という傍観を卒業し、現実と正面から向き合う皆さんの勇気を表す言葉です。
皆さんが真に掲げるべきスローガン、それは

「都知事は都知事、築地は築地」

これしかありません。
そしてこの言葉には豊富なバリエーションがあります。たとえば

「オリンピックはオリンピック、築地は築地」とか、
「電通は電通、築地は築地」とか、
「森ビルは森ビル、築地は築地」とか、

いろいろと応用が利く優れモノです。築地に「三方よし」の連携を取り戻す。都知事や広告代理店やディベロッパーの与えるキャッチコピーから脱却する。そしてみんなで心をひとつにして築地に仲卸を復活させる。それ以外に築地が未来の客を取り込む道はありません。

 私の存在を目障りと感じる方はどうぞ無視してください。「善人ヅラむかつく」とか「マイクの音量下げろよ」とか、今まで散々高飛車に心の中で人に浴びせてきた批判が、今自分に矢になって突き刺さっています。「穴があったら入りたい」とは言わないまでも、人前で政治的に振舞うのはやはり気恥ずかしいことです。でもその気恥ずかしさは、大切なものを守ろうとする人が進んで背負うべき荷物なのだとも思います。こうでもしなければ、私は築地から仲卸が消え、歴史的価値のある建物が破壊され、場外市場に地上げ屋が紛れ込み、東京の魚河岸文化が衰退していく悲しみを乗り越えることができません。私は場外の皆さんを貶めるために話しているのではありません。私は皆さんと敵対するためにここに立つのではありません。私は自分が背負う荷物を少しでも軽くしたいと思ってここに立っています。そして築地を愛する人は今日誰もが等しく同じ荷物を背負わされています。私の言葉が、私と同じ荷物を背負っていると感じている誰かの心に届くことを願っています。

(おわり)
















スピーチ on 波除通り ~ その3 ~

2019年03月21日 | SAVE 築地市場
 では、メディアが場外の皆さんに与える幻想とは何か。それはたとえば「豊洲は豊洲、築地は築地」という言葉です。あるいは「場外がなくならない限り築地はなくならない」という言葉です。前者は『築地食のまちづくり協議会』の鈴木章夫理事長による年頭の挨拶の言葉なので、2019年の場外商店街のスローガンとみなしていいでしょう。後者はテレビの築地ヨイショ番組で通説としてしきりに語られています。「豊洲は豊洲、築地は築地」というのは「仲卸は仲卸、場外は場外」ということです。それは言い換えれば「仲卸と場外を切り離して合理的に考えよう」ということです。「場外がなくならない限り築地はなくならない」というのは煎じつめれば「築地には場外だけ残ればいい」という利己主義です。その思考パターンが「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」に逆行することはすでに述べたとおりです。つまり場外の皆さんはこれらの言葉を口にするたびに共同体の連携に自らの手で楔を打ち込んでいるのです。これは「僕たちのいるところが市場になる」という仲卸のセルフイメージとよく似ていませんか?皆さんには申し訳ないのですが、私はこれらの言葉に真っ向から異を唱えたいと思います。そもそも「豊洲は豊洲、築地は築地」というのは鈴木理事長のオリジナルな言葉でしょうか。私には別の誰かからの借り物のように感じられます。

「築地は一旦立ち止まって考える」。小池百合子氏は3年前の都知事選挙の演説で築地問題を取り上げてこう発言し、2年前の都議会議員選挙では『都民ファーストの会』の応援演説でさらに踏み込んでこう発言しました。曰く「豊洲は活かす、築地は残す」。市場の築地残留を示唆するこれらの発言は、いずれも投票日の10日前という選挙戦ラストスパートのタイミングで行われました。市場の築地残留は、元をただせば宇都宮健児氏の公約の目玉でした。しかし同氏は出馬を取り止めたため、小池氏がそのバトンを引き継ぎ自らの公約としました。小池氏が築地残留のカラーを明確に打ち出した背景には「豊洲移転はノー!」という根強い都民感情があり、その民意を取り込まない限りライバルの自民党候補に勝てないという判断がありました。そして小池氏の思惑通りに築地問題は選挙の争点に急浮上し、結果は都知事選、さらには都議選でも小池氏が圧勝しました。知事就任後の小池氏は、悪代官の石原慎太郎氏を議会で吊るし上げ、しがらみ政治からの脱却をアピールしましたが、肝心の豊洲移転の撤回には決して踏み込もうとしませんでした。都議選後の小池氏は方針を転換し、記者会見なしの一方的な安全宣言、いまだ土壌汚染の疑いが残る豊洲への移転強行、旧市場のバリケード封鎖とそこに留まる仲卸業者へのバッシング、自民党への接近、市場跡地の帳簿操作と売却構想など、積極的に移転プロジェクトを推し進めます。

小池氏のこの露骨な手のひら返しを目の当たりにして、選挙民としては「築地は残す」の公約はどうなった、落とし前をつけてくれ、と言いたいところですが、小池氏にしてみれば「場内の仲卸は追い出したけど、場外の商店街は残っている。だから築地は残っている」という理屈になるのかもしれません。

しかしそれは詭弁というものです。3年前の都知事選の経緯を踏まえれば、小池氏の公約は宇都宮氏の公約の反映でなくてはならず、宇都宮氏が『築地』と言うときは、場内と場外を含む全体を想定しているのは明らかで、小池氏もそれに倣うのが筋というものです。当時の選挙民のほとんどは、小池氏が「築地は残す」と発言すれば、その趣旨はとりもなおさず「場内も場外も丸ごと残す」なのだと受け止めました。「場内は捨てて、場外は残す…だったりして?」なんて穿った見方をする選挙民はまずいませんでした。だから小池氏が場内の仲卸を追放しておきながら築地はまだ残っていると主張するとしたら、それは羊頭狗肉というもので、選挙民の反撥を招かないはずがありません。

昨年10月18日、築地で商売を続ける仲卸業者と東京都の役人が衝突し、買い物客を巻き込んだトラブルが発生しました。仲卸を支援する客がバリケードを乗り越えて場内に入る映像を、テレビで見たという方もいらっしゃるかもしれません。メディアはこの事件を移転反対派による迷惑行為として非難しましたが、現場に立ち会った者として言わせてもらえれば、この事件は賛成か反対かの二項対立ではなく、移転プロジェクトは民主的か否かという視点で考えないと本質を見誤ってしまいます。市場の築地撤退にあたり、東京都は多数派の意見を全体の総意とみなし、少数派の意見は一貫して黙殺しました。撤退の合意形成は民主的な手順を踏んだものではなかったと訴える仲卸は少なくありません。撤退を不服とする仲卸の一部が、小池氏の玉虫色の公約を不服とする選挙民の一部と連携し、移転プロジェクトの根本にある強権政治を告発したというのがこの事件の真相です。築地を「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の共同体として次世代に継承しようとする者は、時代に翻弄される存在から自ら台風の目となり周囲を巻き込む存在へと自己を変革しなければならない。その兆候がここにあります。このムーブメントを場内だけでなく場外まで拡張したい。築地に留まった仲卸と場外が中心となり小池氏の圧政の対抗軸を打ち立てたい。そんな思いで私はここに立っているのですが、しかし現実は厳しい。

「豊洲は豊洲、築地は築地」「場外がなくならない限り築地はなくならない」。このスローガンを掲げる場外の店先では、私は築地から仲卸が去っていった悲しみをうっかり口に出すことはできません。「小池さんうそつきだよね」と怒りをぶちまけることもできません。店員さんたちは、客の顔を見ると同時に場内の欠落を悟らせまいと「豊洲は豊洲、築地は築地」と、平気な顔で、まるで場内の仲卸なんて最初からいなかったかのように、威勢よく接客していますし、私もその空気につられて、強いて暖簾をくぐり興味を持って品定めしてみるのですが、内心は甚だそうではない場合が多いのです。これは底をわると両者とも極めて割の悪い話に当たります。店員が合理的な利己主義者として振舞う店ではエシカル消費は成立せず、エシカル消費のない築地に未来はありません。どうか皆さん、欠落があるのにないようなふりをまずやめて下さい。不安があるのにないようなふりをまずやめて下さい。場内と場外は表裏一体。切っても切れない間柄。セリ場のない築地市場、あるいは仲卸やターレがいない築地市場は築地であって築地ではない。その悲しみをどうか私と共有してください。そうすれば私も安心し警戒を解いて財布のひもを緩めるという態度に出ます。そうでないと今後、私は場外市場から遠ざかってゆかなければならない事になるかも知れません。これは何とも寂しい事です。

こんなことを言うと「問題の本質を見誤っているのはそっちの方だ」と批判を浴びるかもしれません。連携も何も、向こうは勝手に出て行ったんじゃないか。仲卸は自ら築地からの撤退を選択した。取り残されたのは場外のほうだ。だから場外が一丸となってサバイバルするしかない … そんな反論の声が、場外の店から聞こえてきそうです。でも「仲卸が自ら選択した」という前提についても、私は異を唱えなければなりません。豊洲移転をめぐり東京都は仲卸との個別の交渉を省略しました。そして代表者の意見を全体の総意とみなし、末端の仲卸の意見を聞く耳を持ちませんでした。東京都は移転を拒み築地の家財道具を撤去しなかった仲卸2名を業務停止にしました。それは傍目にも見せしめとわかる重い処分でした。このような状況で仲卸は自由な意志表示ができたでしょうか。事態の推移はむしろ築地撤退以外の選択肢が最初からなかったことや、築地に留まりたくてもまわりの圧力で撤退に追い込まれた仲卸がいたことを物語っています。そして「豊洲は豊洲、築地は築地」という言葉は、これらの深刻な問題について考える力を場外の皆さんから奪っている。「豊洲は豊洲、築地は築地」と唱えれば、皆さんは仲卸の背負う痛みを他人事として遠ざけることができる。でもそれと同時に皆さんは進んで小池氏の圧政にお墨付きを与え、仲卸の切り捨てに加担し、自らの手で共同体の連携を分断している。それは「僕らのいるところが市場になる」という短絡思考で築地から離脱し、窮地に追い込まれた仲卸の二の舞ではないですか。

(つづく)