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葛城氏の遺跡

2006-04-26 | 文化のこと
奈良・葛城の竹内遺跡、古墳時代の物流センターと判明
2006年 4月23日 YOMIURI ON LINE

 奈良県葛城市の竹内遺跡が古墳時代中期(5世紀前半)、塩や国内で生産が始まったばかりの須恵器などが集積された〈物流センター〉だったことが、同県立橿原考古学研究所の調査でわかった。
 古代の大豪族・葛城氏が本拠にした地域にあたり、「倭の五王」の時代、大王(天皇)に比肩する権勢を誇った葛城氏の勢力基盤が、必需物資の流通ルートを押さえたことにあったことをうかがわせる成果だ。
 同研究所付属博物館で開幕した特別展「葛城氏の実像」で須恵器や製塩土器が展示されている。
 1976年以来、同研究所などが約20次にわたって発掘し、出土した土器を整理、検討してきた。
 その結果、堺市などの陶邑(すえむら)窯跡群で生産されたとみられる初期の須恵器や、朝鮮半島の影響を受けた韓式土器の破片計数百点と、さらに大阪府南部や和歌山県などの海辺で作られた塩を運んだ製塩土器の破片数千点が確認された。
 須恵器は通常、一つの集落から出土する量よりはるかに多く、また大量の製塩土器の破片は、この場所で塩を別の土器に移し替えた痕跡だったとみられる。
 調査地からは、幅4・5メートル、深さ2メートルの人工的な大溝が見つかっており、東西200メートル以上にわたって一直線に続くことが判明。倉庫群のような大規模な施設を区画していた溝の一部だった可能性が高い。
 一帯は、竹内峠を経て大阪、奈良両府県を結ぶ古代の主要幹線道に近接した交通の要衝であることなどから、同研究所は大阪側からの物資が、いったん竹内遺跡に集積され、奈良盆地の各地に配られていた可能性が高いと判断した。
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須恵器。ナツカシィー!
登り窯っていう、大きな窯で作るんだ。
瓦も作れる。
粘土の採れる斜面に窯を築くんだ。

須恵器は縄文土器みたいな酸化焔焼成じゃなくって、還元焔焼成。
だから灰色なんだよ。
鉄分が還元されて赤い色を失うからね。



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