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2009-10-05 | 文化のこと
「最古の石器」に住民ら驚き<動画あり>

2009年9月30日(水)10:00

(中国新聞)

 まさかこんな場所から―。日本最古とみられる石器の発見が発表された29日、地元研究者や、発掘現場となった砂原遺跡(出雲市多伎町)の周辺住民からは、驚きの声が上がった。
 「日本海沿岸の開拓者たちの姿が見えてきたことに、大きな意義がある」。島根考古学会の田中義昭会長は、旧石器時代の暮らしの解明につながる画期的発見を歓迎した。
 島根県内には原田遺跡(奥出雲町)など、旧石器時代のものとされる遺跡が点在する。田中会長は「旧石器時代の研究で島根が重要だということがあらためて示された」とする。島根大の山田康弘准教授(先史学)も「県だけでなく、日本の先史学研究に弾みがつく」と喜んだ。
 一方、旧石器時代研究をめぐっては2000年、出土した石器の捏造(ねつぞう)問題が発覚。前・中期旧石器時代(3万年前より以前)の研究が白紙となった、「負」の経緯がある。田中会長は「この発見で新たな出直しができる。国民に公開した調査を継続し慎重な研究を続けてほしい」と注文する。
 砂原遺跡は、国道9号沿いの日本海を望む高台に位置する。地元住民たちは、予期せぬ「歴史的発見」に驚いた様子。砂原遺跡の土地を管理する松浦政代さん(78)=同町多岐=は「突然、12万年前といわれてもぴんとこないけど、うれしい。ずっと見つけてほしかったのかな」と感慨深そうに話した。
 発掘にあたった砂原遺跡学術発掘調査団(団長・松藤和人同志社大教授)は10月4日、同町の多岐コミュニティーセンターで、一般向けに調査報告会を開く。

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出雲の旧石器 2つの地層から出土 2時期にわたり生活か
2009年9月30日 MSN SANKEI NEWS


 島根県出雲市多伎町の砂原遺跡で見つかった約12万年前の旧石器が、2つの地層から見つかっていたことが30日、遺跡学術発掘調査団の調査で分かった。2つの地層は数百年の年代差があるとみられ、石器を使った人類が2時期にわたって出雲の地で生活した可能性があるという。
 調査団によると、石片は11万年前の「三瓶木次(さんべきすき)火山灰層」の直下にある「泥砂質シルト層」から14点、その下層の植物の葉などが腐植して堆積(たいせき)した「古土壌層」から6点が出土した。
 地質に詳しい成瀬敏郎・兵庫教育大名誉教授(古土壌学)によると、2層の旧石器は近接していることなどから、年代差は数百年程度とみられ、旧石器人がいったん生活して立ち去ったあと、数百年後に再び出現した可能性があるという。
 一方、出土した石器20点のうち数点は、石器として通常使わない石英が含まれていたことも判明。石英は、硬くて加工しにくく割れ口が粗くなるため、石器には不向きとされている。
 石英は朝鮮半島で50万年以上前から石器として使われていることから、日本海岸の出雲と、朝鮮半島に共通点がある可能性が出てきた。
 当時の日本列島は、中国大陸とは日本海によって分断されていたものの、その数万年前には陸続きになっていたとされ、調査団長の松藤和人・同志社大教授(旧石器)は「陸続きの時に、朝鮮半島から日本列島に人類が渡っていたことは十分考えられる」と推定している。
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まぁ、日本列島への人類の流入は半島からだけじゃ無いですけどね。

古い時代ってか氷河期の話なら、沖縄からってのも多かったし。

勿論、北からも大勢いた。

あと、2万年以上前なら、間違いなく旧石器時代なんで、そんなに驚くほどでもない。

私も神奈川県で調査したことあります。

焚き火の跡がありましたね。

石英の石器は確かに多くはありません。

黒曜石のが加工しやすいし。

北海道の十勝石なんて、相当広範囲な交易の対象物になってる。

氷河期が終わった後の暖かくなった時代の日本ってのは、それはもう極楽だったんですね。

山菜、茸、魚介類、果物、昆虫。

女性や子供でも充分に生活できたクニ。

温泉の場所でも知ってたら、現代より幸福だったかも。

生物としての人間にとっては。


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