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2008-09-30 | カルトについて
臨時国会の会期を縮めた本当の理由を報じないメディアの遠慮
2008年08月28日 DIAMOND ON LINE 上杉隆


〈国会記者と代議士の関係は、ローマ人と芝居の関係に等しい。つまりかれらの力で成功を作りだすこともできるし、芳しからぬ議会内の評判に長いあいだ抵抗することも不可能ではない。国会記者は政治を動かしている実力者と昵懇の間柄で、政界の面白い零れ話をよく知っている。この種の余話は活字になることはめったにないが、世に知られるだけの価値は十分に持っている〉

 大阪でのテレビ出演を終えた筆者は、旧知の大塚展生・朝日放送広報部長との会合場所に向かっていた。フルブライト留学生で、クリントン政権時代のメディア戦略にも詳しい大塚氏から、突然、一冊の古ぼけた本を渡されたのは、待ち合わせのレストランのテーブル席に着いてすぐのことだった。
「上杉さんの書いた『ジャーナリズム崩壊』を読んでいて思い出した本があった。古い本だが極めて興味深い内容だ。是非、読んでみてほしい」
 そう言って手渡された本の表紙には『ジャーナリズム性悪説』(ちくま文庫)と書かれている。著者はバルザック。そう19世紀フランスの文豪、あのバルザックのことである。

「バルザックとジャーナリズム?」

 怪訝な気持ちでページを括ると、冒頭のくだりが目に飛び込んできた。
 バルザックは、19世紀のフランスに生きた作家だ。ナポレオン時代をくぐり抜けているわけだが、彼の作品に古さは感じられない。とりわけ、ジャーナリズムのあり方についての批評は、笑ってしまうほど150年後の日本の現状にも当てはまる鋭さを持っている。

〈各紙の国会記者はお互いに知り合いである。というよりも知り合いにならざるをえないと言ったほうがよいかもしれない。なぜならば、かれらは国会の記者席に固まって座り、若いにもかかわらず、そしておそらくは若いがゆえに、毎日国会で行われる果し合いの審判をつとめているからである。『ナシオナル』の記者が『ガゼット』の記者にむかって「おたくの先生いまとちったよ」といったようなことがよくある。それは、演説家が使う資料や引用を、若い記者たちが、走り書きにして山のように演壇まで送ってやっているためである。この記者席の指揮のもとに行われた論戦や審議も少なくない。そこでは、次のような嘆息や歓声がよく聞かれる。「あーあ、ちゃんと予習させといたのになあ(時には、その予習の相手というのが大臣のこともある)。よし、いいぞ。うまい。切り抜けた。やれやれ」〉(『ジャーナリズム性悪説』バルザック/鹿島茂・訳)
 日本中が北京オリンピックで浮かれている頃、永田町では、臨時国会の召集日とその会期を巡って、福田官邸と公明党が激しいつば競り合いを演じていた。たぶんに国会内だけの争いであるようにみえるがそうではない。新テロ特措法や補正予算審議など秋以降の政治日程を決める重要な話し合いであった。それは「世に知られるだけの価値は十分に持っている」といえよう。
 結論をいえば臨時国会は、9月12日召集、70日間の会期となった。自然承認のある予算案はいいが、これによって新テロ特措法の会期内成立は厳しくなった。会期延長後の三分の二議決以外に成立の道はなくなった。
 だが、こうした水面下の攻防に至ったそもそもの理由が詳細に報じられることはなかった。駆け引き自体は、五輪報道の陰で、遠慮がちに政治面に掲載されてはいた。

関係者が語る公明党の真の狙い

 しかし、なぜ公明党が連立与党の自民党に対して、召集を遅らせ、会期を短縮させるように求めたのかを知るにはあまりに報道量が少なすぎた。
 その背景は政治面ですら、敏感な読者や視聴者が想像を逞しくしてやっと理解できる程度にしか記されていないほどだ。けさ(8月28日)の朝日新聞朝刊ですら、いまだこのような感じである。
〈ところが、公明党は7月の北海道洞爺湖サミット後、急速に首相と距離を置き始めた。政権浮揚が期待されたサミットや内閣改造後も支持率があがらず、公明党が求める早期解散に踏み切る気配もない首相に対し、「このままでは総選挙を戦えない」との意見が急速に高まっている〉(朝日新聞/2008年8月28日)
 これまでの報道を総合すれば、公明党の狙いは次の3点ということになる。

・総選挙の日程を、来年7月の都議選から可能な限り遠ざけたい。
・支持母体である創価学会、とくに婦人部・女子部からの反対意見の強い新テロ特措法を成立させたくない。
・福田内閣を退陣させて、新しい自民党の顔で総選挙を戦いたい

 この夏、本当にこれだけの理由で、公明党は頑な抵抗を続けてきたのだろうか。
「どれもそれなりの理由にみえるだろう(笑)。でも、決定的なのはアレだよ」
 こう語るのは創価学会関係者(匿名)だ。同じ人物がアレの意味を説明する。
「産経新聞だけは書いているが、矢野絢也(元公明党委員長)がうち(創価学会)を訴えている。民主党の菅直人が、その矢野を参議院の参考人として引っ張り出して証言させようとしている。そうなるとマズイ。国会の会期を短くというのはそれをさせないためだ。それが本当の理由だよ」
 5月、矢野氏は創価学会に損害賠償を求めて提訴している。理由は、創価学会に自らの評論活動を妨害されたということだ。矢野氏の評論の中身は、次のようなものだ。

・選挙中は、創価学会会館が公明党の裏選対事務所になる。
・創価学会は、公明党を通じて警察への陳情などを盛んに行なっている。
・これらは政教分離の原則に反する。

 6月以降、矢野氏の暴露による一連の疑惑を明らかにするため、野党は国会での聴聞会を開いている。
 だが、その詳細が新聞で報じられることはない。また、矢野氏の意見がテレビに流れることもない。代わりに、なぜか、太田昭宏公明党代表の記者会見でのコメントだけはきちんと報じられている。
「矢野氏と創価学会とは民事訴訟中だ。係争中のものは本来司法の場で決着をつけるべきであり、国会の場で話すというのは不見識もはなはだしい」(8月27日/公明党代表記者会見)
 これでは、読者が何が起こっているのか理解できないのも当然ではないか。
 政治記者たちは、公明党の真の狙いを伝えず、単に与党内の駆け引きだけを報じている。本当は知っているにもかかわらずだ。いったい何に遠慮をしているのか?
〈だれひとりとして出来事や考えをありのままに伝えるというようなことをするものはいない。事実を書かないという点では、野党新聞も与党新聞もまったく選ぶところがない。ジャーナリズムは、内外で「報道の自由」という言葉から人が想像するほど自由なものではないのである。言葉にすることが不可能な事実もあるし、また話題にしている事柄になにがしかの修整をほどこさなければならないこともある。したがって、パスカルにあれほど激しく非難されたイエズス会の偽善も、ジャーナリズムのそれに比べたら子供だましのものでしかない。まことに恥ずべくことだが、ジャーナリズムがなんの掣肘もなく振る舞えるのは、弱者か孤独な人を相手にする場合に限られる〉(バルザック)
 バルザックがこの本を世に出したのは1843年のことだ。日本はまだ天保年間、大塩平八郎の乱が起こり、徳川家慶が将軍になった頃である。明治維新まではまだ4半世紀待たなければならない。哀しいことに、日本の政治とメディアの関係は、150年以上前のフランスのそれから少しも進歩していないのである。
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鴎外の『舞姫』(1890年)にもジャーナリズム批判的な表現がありましたね、たしか。

メディアリテラシーの芽生えでしょうか?

もともとマスメディアってのは真実を伝えるものでも事実を伝えるものでも無いんですね。

ただ、書かれたもの、表現されたものから、その時の状況の一端を垣間見ることは出来ますが。

この巨大カルト、創価学会に対する報道なんて、その最たるものですね。

およそ今日の日本に、これほど“組織された巨悪”は存在しないわけですが、殆どのマスメディアは沈黙を守っている。

いや、ダイヤモンドさんは頑張りましたけどね。
上杉さんも。

でもこんな文明批評めいた表現でしか書けないのは悲しいですねぇ。

日教組同様、さっさと切除すべきモノですよ。

日本を喰い荒らす癌です。


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