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ジェンダーフリーについて

2007-04-17 | 人間のこと
ジェンダー・フリーに関する小論

いつか書こうと思いながら、ついつい先延ばしにしていた問題の中にジェンダー・フリーがあります。
ナマケモノの背中を押してくれたのがくまりん様。
はてなにサイト移転された、くまりんが見てたⅢにこんなエントリがありました。
http://d.hatena.ne.jp/kumarin/20070415/p1#seemore
↑くまりんが見てたⅢ
およそどんな事象にも興味をもたれる、くまりん様らしいエントリだったので、思わずピントはずれなコメントを入れてしまいました。
考えて見ると、この問題、人類学者のマーガレット・ミードが大きく関わっているわけですから、同じ畑の私が放置していては、おさまりが悪いのです。

んで、概説と資料紹介から。
http://www.ikedaclinic.com/brain.html
↑脳の性分化
この問題で核心的なポイントになる、性の分化について大脳研究の分野からのデータ。

http://musume80.exblog.jp/i26
↑娘通信
ジェンフリ問題について批判的な立場から非常に素晴らしいエントリをUPされています。

http://homepage.mac.com/tomomiyg/gfree1.htm
↑「ジェンダー・フリー」をめぐる混乱の根源(1)& (2)
こちらも批判的な立場からのエントリです。

http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/genderfreeQandA.html
↑ジェンダーフリーとは
こちらは肯定的な立場からのサイト。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC
↑ジェンダーフリー WIKIPEDIA
ご存知、ウィキの記述です。基本ですね。

http://www.jiyuu-shikan.org/teachers/hattori/0311.html
↑「ジェンダーフリー」 って 何でしょう?
わが国にはびこる家族破壊・モラル破壊のジェンダーフリー症候群の恐ろしさに気づく中学生たち
こちらは教育の現場から、ジェンダー・フリー教育の実態を報告されています。

http://www.tctv.ne.jp/enoku/
↑ジェンダーフリー入門編
こちらは批判的立場からのご意見。

http://homepage1.nifty.com/1010/jender.htm
↑恐るべしジェンダーフリー教育
こちらも批判的です。

http://homepage1.nifty.com/1010/newpagegg9.htm
↑ジェンダーフリーってなんか変!
同じく批判的なサイト。

http://www.jimin.jp/jimin/info/jender/jender.html
http://www.jimin.jp/jimin/info/gender/index.html
↑自民党HPより 実態調査アンケート結果など
参考までに。

http://www.netlaputa.ne.jp/~eonw/sign/sign87.html
↑ジェンダーフリーは性差否定である
こちらも批判派です。

http://www.wako.ac.jp/gender/
↑和光大学ジェンダー・フリー・スペース
和光大学さんは推進派のようです。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/4177/
↑ジェンダーフリーな街づくり
推進派のサイトですね。
基本的な問題は以上のサイトでご理解戴けるでしょう。

んで、このジェンダー・フリーの問題を考察すると、どうしても“人間とは何か?”
という事がポイントの一つとなります。
以前の私のエントリ↓と上記くまりん様のサイトへのコメントを合わせて、少し解説してみましょう。
http://blog.goo.ne.jp/melody777_001/e/30c5674733f2e2eada5e9fee8f3acb4f
「木の上に住んで、大きくなると両手でぶら下がるでしょ。
・・・・ほら、自然に体が垂直になった。
垂直になると、首の骨の負担が軽くなるから、脳が大きくなる。
そうなると、4足歩行は難しくなって、2足歩行になる。
足と手の役割分担が進んで、手がもっと器用になる。
大脳は大きくなる一方で、出産ができなくなるから早産になる。
早産が進んで、体毛が薄くなる。
ついでに本能による環境適応力が低下する。
ますます知能が行動特性を決めるようになる。
・・・・人間らしくなったね。」
「ジェンダーの問題は非常に難しく加工されていますね。
つまり本来、殆どの哺乳類は、やはり本能によって規定されているわけです。
ところが人間の場合は、幼形成熟(ネオテニー)が進んだ生物であるが故に、また知能が(他の哺乳類と較べ)飛び抜けて優れている故に、成熟個体の行動様式は本能に厳密に規定されていない。
また最近は社会と文化の複雑化のせいで、より文化的誘導は進んでいる。
そうでないと複雑な現代社会に適応できないから。
本当はそれだけの事なんですね。
つまり個人個人の食生活の差異と同じ問題なわけですね。
性行動も。
悪いんですが、いわゆる社会学者の方々の論説は、たったそれだけのことを難しく表現しているに過ぎない。
私のような考古学・人類学畑の人間からすると「だから何」って感じなんです。
また社会学畑の人達って言うのは、考古学・歴史学・人類学・民族学などから、都合の良いデータを抜き出して、適当に解釈するからタチが悪いんです。」
つまり、人間の性をめぐる行動様式ってのは、いろんなバリエーションがあるのが当たり前なわけですよ。
だって本能による行動様式の規定ってのが特別弱いのが人間なんだから。
人間は本能の代わりに、知能や文化によって性だけじゃない、全ての行動を選択してるわけです。
ただ、それだけの事なんですね。
実際は。
しかし、ジェンダー・フリー推進派の方々ってのは、そこに特別な意味を見出して、自分勝手に解釈している。
特に大きな問題は、性的差異があって、「それによって」ジェンダーが生じるのではなく、そもそも文化的・社会的なジェンダーが性的差異を産む源泉なのだという考え方です。
その大きな失敗例がこれです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BC
↑デイヴィッド・ライマー WIKIPEDIA
娘通信さまもとりあげておられるのですが、女性として育てられた少年が自分に内在する男性性に気づいてしまう、という、事件なんですね。
とんでも無い悲劇なんです、実は。

また、一時期はジェンフリ推進派の理論的根拠となっていたマーガレット・ミードの研究も、現代ではこんな風に評価されています。
http://homepage1.nifty.com/1010/mead.htm
↑マーガレット・ミードは完全に否定されている!

実は社会的文化に関して、ジェンダーというものを定義して考察することは無意味ではないんですよ。
でも社会的・歴史的・習慣的・民族的システムとしてのジェンダーが性的差異の源泉だなんて考えは全く間違っているし、ジェンダーを単なる差別と考えることも間違っているわけですよ。
これは個性と集団の文化的特性を混同しているからなんですね。
私のような文化主義者↓にとっては「違いがあるのが当たり前じゃん!」ってことなんです。
http://blog.goo.ne.jp/melody777_001/e/e5b36ca552d28158cfbbe4d993786743

実はジェンダー・フリー推進派っていうのは、ジェンダーを無くそうということに固執することによって、個人の文化的多様性をもぶっこわそうと言う人たちでもあるわけです。

女性の中には「女は得だわ。だってきれいな格好ができるもん」と思っている人が沢山いるし、彼女達は社会的文化的なジェンダーを保存したい人達なんです。
これは逆に言うと、XY(生物学的男性)に生まれて、男性として育ったのに、自分に内在する「女性性」に目覚めてしまう、性同一性症候群の人達だって、女性としてのジェンダーを選択して、着飾りたいわけです。彼ら(彼女ら?)はジェンフリなんてまっぴらなわけですよね。
つまり、おそらく母胎にある時からの何らかの生物学的影響によって、殆どの男性には先天的に遺伝子形通りの「性」が備わり、女性も殆どは遺伝子形通りの「性」が備わる。
しかし、非常に少数の場合↓には、先天的に遺伝子形と違う「性」が備わると言うことです。
http://www.gulf.or.jp/~houki/iryou/otoko/seiten.html
http://www.geocities.jp/miki_tea4u/tsroom/whats_gid.htm

つまり「性」が先であり「ジェンダー」は後。遺伝子形とイコールかは別にして。
そのジェンダーも、それぞれの文化集団の中で「性差に従って」歴史的に形成されてきたもので、いわば自然に(百歩譲っても偶然により)できあがったものなんですね。
男に生まれたものを女性として育てても女性にはならないし、女性として生まれたものを男として育てても男にはならない。
また、両方を区別無く育てたって同じようには育たないわけですよ。
そもそも文化的・社会的影響が皆無な環境なんて在り得ないわけですし。

世界には、そして歴史上には、男性が権威を持ち、女性が権力を持つ場合もあれば、逆もあり、また権威も権力も両方、片方の性が持つ場合もある。
それは歴史的・文化的所産なんで、差別なんてモノとは関係がないんですね。
ジェンダーなんて、余程、現代社会に反するもの以外は、そのまま残しておけば良いんです。
どこをどう逆立ちしたって、男の方が平均的に力が強いし、女性の方が美しいんです。
ただ、それだけのこと。


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