アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

いつか私も歳をとった時

2015年10月09日 | 日記
昨日話したんだけど
母が生きていた時
「大変だったね」って
病院の通院には月に4~5回
丸一日掛る。
トイレで転ぶ事もあるし
ご飯は付き添わなくてはいけない。
週一回はディサービスに行っていたけど
あとは家に居た。
お昼は必ず母のいる姉宅に行って様子をみていました。

姉妹が
「近くに住んでいて協力出来たから
よかったよね」って…

そんな、こんな時は、娘ですよ。
しかも姉妹だと 何かと助かる。

私は悲しくて辛くて
自分の身体もままならない時
母は何も解らず
「ご飯食べる!」
「医者はいづ行く?」
と子供の様に…
本当に小さい子供が居たらもっと大変だったろうけど…
でも何かと手をわずらわせた。
痴呆もあったので訳のわからない事も沢山あった。

今だから
「大変だったね。あの時」って話せる。

私もいつか歳を取った時
母の様になった時
私の近くには誰がいるんだろう?
くーちゃん?
タカ?
本当はやっぱりアユがよかったな。
しっかり者の姉御肌のアユが
「まったくもう~~!」と言いながら側にいてくれたかもしれない。
タカやくーちゃんにちゃんと話して言い聞かせる役目も
アユしか出来なかったのに…

まだまだこれから先
アユの居ない事に慣れていけない私
ヤダな
アユの居ないこれから先
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