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アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

震災10年 その3

2020年08月08日 | 震災10年
ボランティア

今でこそボランティアの存在は大切なんだ
という事を理解できる。

でも
震災後
9年前のボランティアは嫌いでした。

シークレットの被災地
大変な人達の事を伝える。
大切な事なんだけど
その中に自慢が入る。
きっと
「ありがとう」と言われたり感謝されたり
助ける存在が上からになるんだろうね。

震災後
何人かのボランティアに行った
と言う人達に怒りまくった。
しばらく気持ちがピリピリしていたから
尚更

最近では
大雨の水害のボランティアとかに行く人が私の周りにも何人かいるけど…
「もう◯回目だ」とか
「慣れたもんだ」とか…
ボランティアなんだから
言わなくていいんじゃないかと思うけど…
今も
耳障りでザワザワしてくる。

人って結局
言っちゃうんだね。

少しでも自慢事いうなら
ボランティア行かない方がいいんじゃない

当時の自分を思い出して言ってしまう。
心の中で…

来てもらう方は大変な状況だから
ありがたいんだろうけど
「無」になって言って帰ってもらいたいね。
と思いますよ。

「ボランティア」でさえ
阪神淡路大震災
東日本大震災
の踏み台があってこそだって事を忘れてもらいたくない。

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「震災10年」その2

2020年07月29日 | 震災10年
しばらくの間
仕事で子ども達に童謡を歌ってあげる事が出来なかった。

童謡の歌詞は
お母さんと子ども
をイメージした歌が多かったり
無邪気に元気な子どもをイメージしたりして…

それが
今は歌えてる。
だいたい……

今も歌えないのは
「しゃぼん玉」

なんだ……こんな歌
と思ってしまう。(ごめんなさい)
悲しすぎて
アユと凛にはまりすぎてて…

歌えない

あと……
やっぱり10年近くたっても
6ヶ月の男の子は苦手
ダメです。

5ヶ月はまだいいの
7ヶ月も苦しいけどまだいいの
6ヶ月の男の子はダメだ
凛よりかわいい6ヶ月ちゃんに会った事ないけどね。




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「震災10年」 その1

2020年07月24日 | 震災10年
本来、昨日
東京オリンピックの開会式で
東京はオリンピック一色
人の波で地方人は近づく事も出来ない
テレビもオリンピックだらけ
なはず

だったのに…

来年もオリンピックはできるのか…
って感じさえする
コロナ禍


そんな中
「震災10年」
と言われ出してきて
昨日の女川の町にも
「震災10年」と言われる様な証の様な復興した女川の町がありました。

初めて
アユの住んでいる社宅に行った時
アユはつわりで苦しくて
長距離で行ったにもかかわらず
到着してすぐ
スーパーに行って買い物をしてご飯を作る
という事をした。

あの時行ったスーパーが
女川唯一のスーパーマーケットで…
少ししょぼくれた
昭和館タップリで時々、色あせた商品が棚の奥にあるような
そんなお店で
私は珍しくて面白くて
ぐるぐる見て回ったのを思い出した。

そのスーパーが最近ようやく再開して
立派になって立ってた。
再開まで10年






震災遺構として残された
横倒ししたままの交番

周りはとてもきれいで小さい子どもは回って遊べる。
悲しい場所だと知らなくて…

そんな事を見ると
10年たつのか…と思うけど
私の中では3年くらいしか時間が過ぎていない感覚で
「震災10年」に違和感を感じてしまう。


新しい女川の町の中に立ってきたけど
少し高台に行くと変わらない女川の町もたくさんあって

ゆう君の避難場所となった社宅もそのまま変わらずにあって
そこら辺は10年たっても何も、どこも変わらない。

そんな空気を感じて吸い込んできて
「震災10年」と「私の感覚3年」のズレが少し修正されて
昨夜は落ち着いて眠った感じがします。

時々行かなくちゃダメなんだろうな
普段の日常では何かがズレていくんだろうな…
なんて感じながら

帰ってきました。




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