HIMATUBUSI。

日々のあれこれをつづります

実は 私は 捨〇子でした。

2023-03-04 09:46:00 | 日記

昔の風習です

捨て〇子って言葉はつかえないよね

こういう方 私以外にも 居られるかもね

いままでで 同じ人には会ったことがないです

もしかしたら 親が 言わなかったかもね

 

両親は 一回り年が離れ

私が生まれたとき 父は 42歳の厄年でした

 

ある日の 早朝

その 拾い親(合意のもと)の 家の玄関に母は私を 捨てました

親が帰ったのを見て 拾い親の婆ちゃんが私を拾い

私の家に 私を連れてきて 反物をつけて親に返し 終了

だって

親が厄年だと その厄を子供が背負うみたいなことなのかな

だからいったん捨てて 厄を 落とすってことでしょうね

その話を聞いたのが 小学校の時かな

その婆ちゃんは 親戚でもないのに 本当に お婆ちゃんで

私のことをかわいがってくれました

ランドセルを買ってくれたことも 覚えています

幼稚園の時は 母とおばあちゃんが 幼稚園の窓から顔を出し

先生に話し 私を早退させ どこかへ行った記憶が 多々あります

優しいお婆ちゃんでした

 

お婆ちゃんの息子さんたちも 私のことを かわいがってくれました

何人いたのかな 学生だったと思う 4.5人 いた気がする

お爺ちゃんも 優しい 穏やかな人で 

その家で 皆で夕飯を食べたこともあったような

広い家で 家じゅう走り回って遊んでいました

お婆ちゃんは 私が 小学校3年の時に亡くなり

お爺ちゃんは もっと早く亡くなり

我が家が引っ越し 付き合いも無くなりました

いま 思い出すと あの家に行くと

お婆ちゃんに甘え お兄ちゃんたちに遊んでもらい 私の幸せな

思い出です

厄は しっかり落としてもらいました

 

たしか もりばあちゃんって呼んでたような

もりばあちゃんは いつも 着物を着てたな~

今さらながら 「もりばあちゃん ありがとう」 です

昔の話です。