綾錦の織りなすままに

日頃の出来事を綴ります

万博記念公園駅の梅 20-2-27

2020-02-29 00:03:39 | 日記

今年は梅を撮りに あちこち 行きました。大阪城公園、道明寺、万博記念公園です。
ボランティアの方の説明で、梅を見る楽しみも増えました。

今日は万博記念公園です。

1本の木に白と赤がさきました。接ぎ木のせいでしょう
めじろがきています。

 

 茶筅 花弁がありません。がくと花芯だけです。

 

 

 武蔵野 花が大きい

 マンサク

 

 ピンクのネコヤナギ もう春です。

 

 

                   おわり

 


太陽の塔の内部見学 2020-2-25

2020-02-25 23:42:00 | 日記

入館予約のサイトを教えて頂き、太陽の塔の内部を観てきました。見学はところてん状に流されて、ゆっくりできませんでした。

1970年の万国博覧会以来、吹田市に住む私は 太陽の塔に慣れ親しんできました。

写真は1階しか撮れませんでした。

   お腹についている太陽の顔は現在を表している。

 

    頂部の黄金の顔は未来を表している。

   黒い太陽過去を表している。

 

何度見ても飽きることなく、お腹の太陽の顔(現在)

頂部の黄金の顔(未来)、背面の黒い太陽(過去)どれも大好きです。

と同時に岡本太郎の創造性の偉大さに いつも感嘆しています。輪廻を考えて造ったそうです。

 

万博閉幕後(1975)太陽の塔の永久保存がきまります。
2018年 耐震補強工事がされ、2018年に常設展示施設に生まれ変わります。

昔は黄金の顔の目から外を見ることができたそうです。
今は軽量化のためにエスカレーターが階段にかわりました。

 

 

地底の太陽  過去:根源の世界の雰囲気を仮面や神像で表している。

 

この岡本太郎の巨大な仮面は復元された。

生命の樹

 

 

 

生命の樹の足元

上の方にはマンモス、ブロントサウルス、ゴリラもいたのですがー 撮れなくて残念です。

                  おわり


関西学院グリークラブのリサイタル 2020-2-24 (兵庫県立文化センター)

2020-02-24 12:00:00 | 日記

関西学院グリークラブのリサイタルに行ってきました。120周年記念でした。

席がなくて前から2番目でしたがそれが幸いして「かぶりつき」でした。歌声のビブラートまで聞こえました。


 「いつからか野に立って」作詩 高見順 作曲 木下牧子
 「秋の瞳」       作詩 八木重吉 作曲 松下耕
 「鐘の音を聴け」作詩Edgar A.Poe  作曲 新見徳英   等

どの曲のコーラスも素晴らしく、作曲もよく、詩は心に響きました。

ボヘミアン・ラプソディー で少し踊っています。
作詩 作曲 Freddie Mercury

 

 トップテナーとセカンドテナーがあるのですね。
さすが―

パート バスの紹介 私の席の前

4回生の方はこれが最後の現役講演と涙で歌っておられました。

OBの方も100人はおられたでしょう。全然撮ってませんが。

ブログを書かずにはおれない一日でした。
有難うございました。

 

テナーの上本さんです。舞台一番左
今日一番に抜きん出て、美しい歌声が響き渡っていました。帰りにお会いでき、思わず「プロになりますか」と聞いてしまいました。
この時期の若く澄んだ美しい歌声のうちに、CDを多く録音して頂きたいです。
私は みいはーおばさん です。       おわり


道明寺の梅 2020-2-14

2020-02-20 16:41:06 | 日記

道明寺へ梅を見に行ってきました。 高大同窓会北部からです。 曇天で寒い一日でした。

ピンクの枝垂れが美しいでした。

清楚

 

手前もはっきり撮った方が良かったですね。

天神を想う

 

フォトスケープで結合(コラージュ)をならいました。
これから役に立ちそうで、嬉しく思います。

牛が小さい祠に入っていました。
撫で牛はピカピカでした。

 

                   おわり


勝龍寺城(長岡京市)細川藤孝、ガラシャ輿入れの城 

2020-02-16 10:27:07 | 日記

歴史を訪ねて、JR長岡京市から勝龍寺城公園へ行ってきました。

神足公園 龍寺城の高さ6mの土塁・空堀。
これは一部で、手前の西の先で南北につながる大きな土塁・空堀と合流する。

 

 

神足神社(こうたり)

勝龍寺城公園 藤孝は信長の命を受け、京都防衛の軍事拠点として大規模な改修をする。

勝龍寺城は明智光秀の謀反の出陣の場であり、最後の望みをかけた城でもあった。

玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城の 細川忠興 のもとに輿入れした。

 

勝龍寺城公園内 本丸跡は今は公園になり、乙訓景観十景の1つに選定されている。
四季折々多くの人が訪れている。

 

 

細川藤孝 将軍義昭に仕えました。信長は将軍 義昭をかかげて上洛するが、その後 ,追放した後、藤孝はは桂川の西の地を与えられ、姓を長岡にあらためる。
本能寺の変で光秀に協力せず
剃髪して幽斎玄旨と名乗る
歌人としても知られる。

細川忠興 細川藤孝の長男 羽柴秀吉に従い、秀吉の死後 徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いで軍功を上げる。
和歌、絵画、茶の湯につうじる。

細川ガラシャ 明智光秀の娘、本名をという。
天正6年(1578)信長の意向で勝龍寺城の忠興のもとに嫁ぐ。父の光秀が本能寺に変を起こしたため丹波の味土野(みどの)に幽閉される。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで、石田三成の人質になるのを拒み
自害する。

展示室 美しい展示でした。2019年11月リニュウアルした。

 

 狭間から 今は穏やかな道路

 

 

                                                                    おわり