綾錦の織りなすままに

日頃の出来事を綴ります

三好長慶ゆかりの芥川山城址へ行ってきました。 2020-10-15

2020-10-24 14:18:25 | 日記

現地へはJR高槻からバスで塚脇下車です。標識もあり、助かりましたが、細い標識なので、見落とさないように。

芥川山城は摂津峡東岸にそびえる山頂にあり、500m四方に険しい地形を巧みに利用した 戦国時代屈指の城郭でした。

三好長慶は1553年、阿波 徳島から出て、芥川山城を居城とし、天下の政治を取り仕切ります。すでに近畿一円を左右する実力者で、将軍足利義輝や主君であった細川晴元との戦いを制した上での入城でした。

室町・戦国時代の天下とは「京都とその周辺」のこととされています。

高さ182mです。私有地です。

 

 途中の景色

大手門石垣 この標識の所を下ります。
天然の要害を巧みに利用して土塁や空堀も作られている

 

大手門の両側の石垣が残っている。

        山頂の
三好長慶は水争いを裁いたり、地域の人々に向き合う政治に力を注ぐ。
又茶の湯,連歌,堺の文化人との交流、キリシタン布教を認める.
松永久秀(高槻出身)を重用する。彼の悪行はともかく祠に名を残す(右側)

地域の住民の方々が保全活動に取り組んでおられる。
台風後の木々の後始末、遊歩道の整備等。

 

         三好長慶は将軍を擁立せず、京都にも入らず、芥川山城で天下の政治をとり仕切りました。

山頂  山裾を取り巻くの芥川は天然の要塞でした。
    淀川流域を一望できる雄大な城構えでした。

 

武将印 高槻市歴史館が作成し、ファンの人気をよんでいるとか。

三好長慶ゆかりの地 
居住地 越水城(西宮市)芥川山城(高槻市)
    飯盛城(大東市・四条畷市)
  実休の高屋城(羽曳野市)十河一存の岸和田城
   安宅冬康の洲本城 松永久秀の多聞城(奈良市)
   大徳寺聚光院(京都市)墓所 等

 

 

1553年 三好長慶 芥川山城を居城とする。
1560年 三好長慶 飯盛城(四条畷市・大東市)に居城を移す。芥川山城は息子義興が引き継ぐ。
1563年 義 興     死亡
1568年 信 長      三好一族を放逐し、芥川山城に入り、登場して来た畿内の将軍に新たな支配地を分配する。
             それから、義昭(15代将軍になる)を擁して上洛、天下人となる。

NHKの大河ドラマに関連して、歴史を楽しみました。
令和4年(2022)長慶生誕500年を迎えます。盛り上がるかもしれません。             おわり

 


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1 コメント

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Unknown (俊ちゃん)
2020-11-12 20:09:50
高槻にはこのような所があるのですね。
バスで塚脇下車ですか。又行ってみます。
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