綾錦の織りなすままに

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勝龍寺城(長岡京市)細川藤孝、ガラシャ輿入れの城 

2020-02-16 10:27:07 | 日記

歴史を訪ねて、JR長岡京市から勝龍寺城公園へ行ってきました。

神足公園 龍寺城の高さ6mの土塁・空堀。
これは一部で、手前の西の先で南北につながる大きな土塁・空堀と合流する。

 

 

神足神社(こうたり)

勝龍寺城公園 藤孝は信長の命を受け、京都防衛の軍事拠点として大規模な改修をする。

勝龍寺城は明智光秀の謀反の出陣の場であり、最後の望みをかけた城でもあった。

玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城の 細川忠興 のもとに輿入れした。

 

勝龍寺城公園内 本丸跡は今は公園になり、乙訓景観十景の1つに選定されている。
四季折々多くの人が訪れている。

 

 

細川藤孝 将軍義昭に仕えました。信長は将軍 義昭をかかげて上洛するが、その後 ,追放した後、藤孝はは桂川の西の地を与えられ、姓を長岡にあらためる。
本能寺の変で光秀に協力せず
剃髪して幽斎玄旨と名乗る
歌人としても知られる。

細川忠興 細川藤孝の長男 羽柴秀吉に従い、秀吉の死後 徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いで軍功を上げる。
和歌、絵画、茶の湯につうじる。

細川ガラシャ 明智光秀の娘、本名をという。
天正6年(1578)信長の意向で勝龍寺城の忠興のもとに嫁ぐ。父の光秀が本能寺に変を起こしたため丹波の味土野(みどの)に幽閉される。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで、石田三成の人質になるのを拒み
自害する。

展示室 美しい展示でした。2019年11月リニュウアルした。

 

 狭間から 今は穏やかな道路

 

 

                                                                    おわり

 

 

 

 


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