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あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

古文に見る狐29

2014-03-09 23:58:19 | 
28で「古文に見る狐特集」は、
終わりにしようかと思っていたんですが、

漢文の問題集を見ていると、
狐さん絡みで、これまた面白い話を見つけましたので、
紹介したいと思います。

この漢文に出てくる狐さんも、
人間の出来た(?)狐さんだと思いますが、

ただホント、タヌキが出て来ませんね。。。。


返り点付きの縦書きが難しいので、
書き下しと現代語訳を掲載します。
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出典)閲微草堂筆記

書き下し)
陳竹吟、嘗て一富室に館す。少女奴有り。
其の母、道に行乞し、飢えて倒るるに垂(なんなん)とするを聞き、
ひそかに銭三千を盗み、之に与ふ。
儕輩の発する所と為り、鞭箽(べんすい)甚だ苦(きび)し。

富室の一楼に狐の居を借る有り。数十年来未だ嘗て祟りを為さず。
是の日、女奴鞭を受くる時、忽ち楼上に哭声、鼎沸たり。怪しみて仰ぎ問ふ。

聞きて声に応へて曰く「吾が輩、異類と雖も、亦人心を具ふ。
此の女、未だ十歳ならずして、母の為に箽(むち)を受くるを悲しみ、
覚えず声を失ふ。敢へて相擾すに非ざるなり」と。

主人、鞭を地に投じ、面人色無き者、数日なり。

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現代語訳)
陳竹吟は、ある金持ちの家に、身を寄せていたことがあった。
その家には、召使の少女がいた。

彼女は、自分の母親が道で物乞いをしていて、
ひもじさのあまり倒れて死にそうになったと聞いて、
主人の家から三千銭を盗んで、母親に渡した。

しかし、そのことを同僚の召使が主人に告げ口したので、
主人からひどく鞭で打たれてしまった。

ところで、この金持ちの家の楼には、狐が1匹、住み着いていた。
数十年来に亘り、ただの一度も祟ったことはなかった。
召使の少女が鞭打たれたその日、突然、楼上から激しい鳴き声がした。
人々は、不審に思って、楼を見上げて尋ねた。

狐がそれに応えて言うには
「私は人間ではないが、人の心を持っている。
十歳にもならないその少女が、
母親のためにお金を盗み、鞭で打たれているのを見て、
それが悲しくて、思わず声を出してしまった。
決して、貴方方を驚かそうと思ったわけではない」。

これを聞いて、少女を鞭打っていた主人は、
鞭を地面に投げ出し、数日、青い顔をしていた。

古文に見る狐28

2014-03-08 00:13:04 | 
ところで、狐とは違い、
神格化されることもなく、
眷属となることもなかった狸ですが。

昨今は、更に旗色が悪いようで、
日本在来種の狸と、
外来種のハクビシンと、アライグマが、
三つ巴の縄張り争いをしているようです。
(生息圏が近しいため)

アライグマは、爪が鋭いし、性格もキツイ。
(日本人にとっては、
アライグマのラスカルのイメージが強いですが、
実際は、あんなものじゃないらしいです。。。)

ハクビシンも、どこにでも潜りこむ。

狸も「町タヌキ」と言って、
人間の都市化に適応しているようですが、
縄張り争いでは、後手に回っている様子。

アライグマにもハクビシンにも、恨みはありませんが、
人為的にもたらされた外来種により、
在来種のタヌキが、行き場を失くしてしまうのは、
可哀相で仕方ありません。

タヌキを見かけた時には、
そっと応援してやって下さいね。
(大学のチャペルの下にも、
タヌキが、ご一家で住んでました。
どういう環境でしょうね、、、井の頭。。。)

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追伸:
狸を神使や眷族とする神様は、多分、いないはず。。。。。
狸を神使と眷属とする神様が、おいでの場合、
御存知の方は、お知らせ下さい。

古文に見る狐27

2014-03-07 00:57:12 | 
また、何故、
稲荷神(眷属は狐)と、
五穀の神様が同一視されたのかという
根本的な疑問が残りますが、
日本神話に登場し、
「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれる食物神ですが、

①関西方面では、
狐のことを「ケツ(ネ)」と呼んだ為とする意見や
*つまり、みけつかみの<み>というのは、美称ですので、
実質的に意味があるのは<ケツ>。
従って、みけつかみは、狐の「ケツ(ネ)」と同音なのでということ。

②田を荒らす鼠にとって、狐は天敵なので、
農耕的な側面から、狐を大事にした為、
狐と五穀豊穣の神が、
音韻的にも実質的にも結びついた為とする意見

など、複数の見解があります。

いずれにしましても、こうした理由から、
日本昔話の世界では、
同じように、人間を騙す存在でありながら、

狐という存在は、狸よりも、
古来の日本人の生活にとっては、一層、親しいものとなり、
そこから稲荷信仰や、ひいては、
信太妻の説話も生まれてきたのだろうと思われます。

古文に見る狐26

2014-03-06 00:14:12 | 
更には、伊勢神宮では、
もっと古い時代から、
この神様の記録を確認することができます。

例えば、
内宮では、
御倉神(みくらのかみ)の一柱として、
外宮では、
調御倉神(つきのみくらのかみ)として祀られており、

日本神話に登場する食物神は、
「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれますが、

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
あるいは
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
と記述される、この<神様>は、

伊勢の内外での祭祀の名称から、
五穀の神様である食物神の中でも、
特に稲倉と関係の深い神様だったのではないか、
とも考えられています。

古文に見る狐25

2014-03-04 23:27:00 | 
つまり、
この浮世草子の書かれた時代(江戸時代)には、

既に、
穀物や五穀豊穣を掌る神として、
お稲荷様の存在が、一般に認知されていた

ということが、
葛の葉が、
田植えをする背景にあろうかと思いますし、

そこには、稲荷信仰の総本社たる、
伏見稲荷神社の興隆のみならず、

稲作と社会との深い関わりも、
垣間見えるような気がします。

古文に見る狐24

2014-03-03 23:45:02 | 
では、稲荷明神とは、何か。

いわゆる「お稲荷様」とは、
京都の伏見稲荷神社を総本社とする神様ですが、

神道の世界で、お稲荷様は、
日本神話に登場し、五穀豊穣を掌るとされる
・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)<古事記での表記
・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)<日本書記での表記
と、同一視されており、

古事記&日本書記の表記での
共通音である「ウカ」とは、
穀物あるいは食物の意味だと言われています。

「名にし負はば~」ということで、

お稲荷様が、
一義的には、穀物や五穀豊穣を掌り、

そこから派生して、
一門一家の繁栄を守護する存在として、
(↑昔は、お米と家の財が直結した)

屋敷地に、
お稲荷様が祀られたりしているわけです。

古文に見る狐23

2014-03-02 21:49:49 | 
葛の葉が、何故、田植えをするのか?

言い方を代えれば、
田植え=稲と、狐との間に、
どのような関係があるのか?

それを、資料B&Cの
「稲荷明神の、御使者たるによって」という、
文言を手がかりに、考察していきたいと思います。

また、屋敷地の中に、
小さなお稲荷様の祠のある、旧家もまだまだありますが、
それは、何故か?という話でもあります。

ひとまず、解説しておきますと、
「稲荷明神の、御使者たるによって」とありますが、
神様(仏様も)には、特定の神様に、
お仕えしている存在がいると考えられており、
それを<眷属(けんぞく)>と言います。

つまり、
「稲荷明神の、御使者たるによって」というのは、
この<きしゆ御前>のお父さんは、
稲荷明神の使いを勤める眷族の、狐さんですよ
という意味です。

世間一般の認識としては、
狐さん=稲荷明神だったりしますが、
定義的には、あくまで
「稲荷明神の眷属」であり、
「御使者」の立場であって、
狐さんと、稲荷明神は同義ではありません。
念のため。

古文に見る狐22

2014-03-02 00:13:29 | 
で、資料A)は、浮世房による回想場面で、
この信太妻を、読者に想起させておきながら、

結局のところ、
「背中のはげたる古狐」に、まんまと騙されてしまい、
「きー口惜しい!」という話に落としこんで。

当時の世間の「常識」を、
=信太妻と来れば、子別れ、ホロホロ泣ける
鮮やかにひっくり返して見せた。

そのあたりに、この話の斬新さがあり、
教科書的には、「現実の世相や風俗を背景に」と、
記される所以があるのかなと、思ったりもします。

もう1つ、資料A)で注目すべきなのは、
「葛の葉(狐)が、田植えをし、結果、豊作」、
ということでしょうか。

古文に見る狐21

2014-02-28 22:46:09 | 
話を、信太妻に戻しますが、
当時の人々には、「信太妻」の話は、周知のことだった。
というのが、
この浮世草子の話が成り立つ背景として、
挙げられるかと思います。

恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太の森の 恨み葛の葉

という和歌を一首、さらさらと襖に書いて、葛の葉が失踪し。
保名さんは、一時的に、気が触れたようになってしまいます。

人形浄瑠璃では、それを「保名物狂いの段」と言っており、
歌舞伎舞踊の「保名」も、同じ系譜にあります。

で、例えば、人形浄瑠璃の、この「保名物狂いの段」。
通し上演の時は、公演の最中に、
「保名さんが、可哀相。。。。」
溜息が漏れるほど、切ない場面なわけです。

で、滅多にこんなものに、
お目にかかる機会のない現代人とは違って、
今に至るまで、本編から切り離した形で残っている、
「保名」や、「信太妻」は、
当然、人気演目だったのでしょうから、

当時の人は、「信太妻」とあるだけで、
その後の子別れ(恋しくば~)が連想されて、
ホロホロ(涙。。。)泣けるわけです。

古文に見る狐⑳

2014-02-27 22:54:39 | 
あるいは、資料Cの直後は、以下のように続きます。

原文)
その後、おのおのやすみたまへば、
いとど、中将殿あこがれさせ給へば、姫君の御枕に寄り添ひて、
「かようのたより、二世ならぬ先々の機縁とこそ思ひ侍れ。
何と御心深くのたまうとも、このうちをば出し申すまじ」とて、
さまざま御言の葉をつくし給ふ。

もとより姫は、たくみたることなれば、うれしさ限りなし。
さりながら、いとはづかしげなる風情して、
うちなびく気色もなくて居給ひけり。
ーーーーーーーーーーーー

つまりは、
木幡狐最大の教訓というか、志向性は、
もとより姫は、たくみたることなれば、うれしさ限りなし。
⇒金持ちのボンを、だまくらかしてでも、玉の輿に乗れ!
という、身も蓋もない、お話なわけで、

それが教科書的には、
「面白さの裏にある寓意に、当時の世相が垣間見られ」云々と、
表現されているのではなかろうかと、
思うわけです。

古文に見る狐⑲

2014-02-26 23:27:43 | 
例えば、です。
木幡狐で、きしゆ御前は、
「うき世に長らへば、いかならん殿上人か、
関白殿下などの北の方ともいはれなん」と言っています。

つまり、今風に言えば、
「どうせ、この世に女として生まれからには、玉の輿よっ!」

え~と・・・・・・・
15、16歳にならないうちに、
それ、宣言されても。。。

まあ、私も、既にその年齢では、
「将来は、子供を産む必要のない、
お金持ちのところに、後妻に行きます!」と宣言してたので、
あまり、大きなことは言えないか。。。。

そう言えば、高校の頃に、
「身を粉にしても、乗ってみせるわ 玉の輿」
と詠んだ、同級生がいましたね。

元気にしてますか?

古文に見る狐⑱

2014-02-25 23:30:53 | 
一瞬、話を挟みますが、
資料B&資料Cにしても、
岩波文庫の説明的には、

「子女の読み物として、ふさわしいと考えられ、歓迎された」
「古来のおもしろい草子の集成」
「女子の身を修める便りとなり、読んで有益なもの」
「江戸時代には、穏健な子女教養の書」として刊行された。
とあります。

御伽草子の話の内容を、精査していくと、
当時の人々が、何を以って、
・有益なもの
・女子の身を修める便り
と考えていたのか、当時の思想性が透けて見えてきて、

浮世物語とは、別の観点から、
こちらも、当時の世相を慮る材料として、
とても興味深いように思いました。

古文に見る狐⑰

2014-02-25 00:20:46 | 
浮世物語とは、浅井了意により、
江戸前期に成立した物語集で、

大学受験的には、
2008年のセンター本試に、
浅井了意の「狗張子」が使われて以降、
(かどうかは、2008年以前に遡って、
統計を採らない事には、断定できませんが)
国公立&私立の入試古文で、
浅井了意の文章が、ちらほら見受けられます。

浮世物語とは、元禄期の江戸の、
井原西鶴の浮世草子に先行する書物であり、
・当時の世の有様を、風刺している
とも、評される書物です。

何を以って、「風刺的」と言われるのか、
この資料A)の、信太妻を下敷きにした話を見て、
私は、初めて理解しました。

古文に見る狐⑯

2014-02-23 23:56:00 | 
ひとまずですね、

恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太の森の 恨み葛の葉

現代語訳)
もし、私を恋しいと思ってくださるのならば、
私を、訪ねて来て下さい。
私は、和泉国の、信太の杜にいる、葛の葉という狐です。

ーーーーーーーーーーーーーーー
あんたは、

探して欲しいのか OR
探して欲しくないのか

どっちなんだ!
と、突っ込みたいところですが、
まあ、女ゴコロは、複雑だったのでしょうね。

資料A)で、
浮世房が、「篠田の杜」で回想する話は、
この信太妻の話が、元になっています。

古文に見る狐⑮

2014-02-23 00:06:21 | 
さて、信太妻の話の中身ですが、
細部に、複数のヴァリエーションが存在しますが、
一応、一番、オーソドックスな筋を、記します。

安倍晴明のお父さん(歌舞伎などでは、保名さん)が、
杜でワナにかかって怪我をしている狐(葛の葉)を見つけ、
逃がしてやります。

その狐が、それを恩義に着て、
人間の女性の姿となって、
保名さんのところにやって来て、
いわば、押しかけ女房となります。

二人の間には、子供が生まれ(これが、後の晴明)、
仲良く暮らしていましたが、
幼少時より、
この世ならぬものを見る才に恵まれていた、
その子供は、5歳になった時、

自分の母親から、
ちょろっと尻尾が出ているのを「見て」しまい、
「お母さんは、狐だよ」と、言います。

その言葉を聞いて、本体の狐の姿に戻った葛の葉は、

恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 信太の森の 恨み葛の葉

という和歌を一首。
さらさらと襖に書いて、
もと居た信太の森に戻ったのでした。