goo blog サービス終了のお知らせ 

あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

古文に見る狐⑭

2014-02-22 01:01:42 | 
最近(ホントの直近!)では、
1月31日&2月1日に、
紀伊国屋ホールで、
信太妻の一人芝居がありました。
http://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20131215130500.html

仕事だったので(家庭教師)、
ホント、涙を呑んで見送りました。

あえて、書きます。
紀伊国屋ホール、お願い!再演して!(悲鳴っ)
通し上演の芦屋道満大内鑑は、
人形浄瑠璃も歌舞伎も見に行きました。

でも、この一人芝居。
知ったのが、あまりに直前過ぎて、
(しかも突貫で受験生がやって来てて、
身動きが付いてませんでした)
どうにも都合が付かず、見送った次第です。

常の状態であれば、
何はともあれ、行きます。。。。

古文に見る狐⑬

2014-02-20 23:40:39 | 
安倍晴明自体は、
映画の元本である、
夢枕獏さん&岡野玲子さんコンビの『陰陽師』で、
世間的には、一大ブームとなりましたが、

私は、それを遡ること、約20年。

中学生の頃に、岩崎陽子さんの漫画、
『王都妖奇譚(おうとあやかしきたん)』を読んで以来、
信太妻を追いかけてるので、
岡野さんの陰に隠れっぱなしですが、
機会があれば、王都も読んでやって下さいませ。

大学の頃に、
人形浄瑠璃と、歌舞伎で、
芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)の、
通し上演があったことがありますが、
(ものすごーく久しぶりだったらしいです。
何十年単位で久しぶりだったような。。。。)

生きてて良かったと、心底、思いました。
もちろん、行きました。

古文に見る狐⑫

2014-02-19 23:39:19 | 
映画中に出てくる
「泰山府君(たいざんふくん)の法」というのも、
秘術として
「伝わっている」とも、
「伝わっていた」とも言われています。

私は、
「人間の寿命には限りがあるから、良い」と思っているので、
古今東西を問わず、古来より、なぜ、人類が、
「死者の蘇り」ということに、
執念を燃やしてきたのか、
全く理解出来ないんですが。

唯一、私と似たようなスタンス(限りがあるから、良い)を、
見たことがあるのは、
「存在の耐えられない軽さ」の冒頭文ぐらいですね。

それはさておき、
死者蘇りの秘術としては、
古代中国では、反魂香(はんごんこう)。
日本では、死反玉(まかるがえしのたま)などが、
有名です。

古文に見る狐⑪

2014-02-18 23:37:38 | 
晴明ブームの一翼を担った感のある、
野村萬斎主演の映画「陰陽師」ですが。

基本的に、
・世間のブームに乗るのが嫌い
という、天邪鬼というか、
へそ曲がりな性格のために、
一切、見てきませんでしたが。

さすがに、
「架空の人」だと思っている方が、
これだけいるのも、どうかと思うことと、
ブームも一段落した感があること。

さらには、ブログでネタにする以上、
一応、目を通すか。。。。という責任感のようなものから、
今回、お初で見てみました。

あれを最初に見てしまうと、
安倍晴明=架空の人
だと思ってしまう方が続出なのも、
まあ、仕方ないかもな(苦笑)と思いました。

映画中で使われている話で、
文献的に辿れる話は、
・晴明のお母さんが狐
・式神を使う
・一条戻り橋のたもとに、式神を封じておいた
・手を触れずに、生き物を殺した
(映画中では、蝶ですが、文献的には蛙です)
・人もいないのに、晴明邸の雨戸等が、勝手に開閉する

なお、
・人魚の肉を食べると、不老不死になった
という話としては、八百比丘尼の伝説が有名です。

また、
・源博雅(みなもとのひろまさ)というのも、実在しており、
彼は、笛(竜笛)の名手とされております。
映画中で、彼が吹いているのも、竜笛です。

古文に見る狐⑩

2014-02-18 00:24:04 | 
昨今は、
安倍晴明ブームが一段落したからなのか、

あるいは、
あまりにブームが極端に過ぎたからなのか。

=安倍晴明は、架空の人=

だと思っている方が、結構いて、びっくりするんですが。。。

安倍晴明は、実在の人です。

藤原道長に仕えており、
大鏡の花山天皇退位の際の記述にも、
安倍晴明の名前が出てきます。

もっとも、陰陽師本来の役務というのは、
天文・暦方であって、
呪術合戦することではありませんが、
安倍晴明に、その手の能力があったのも、
どうやら、確からしいと思われる逸話が、多くあります。

なお、安倍晴明著述とされる
『金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)』は、
後世のものです。

古文に見る狐⑨

2014-02-16 21:40:00 | 
ところで、
「古文で見る狐④」で、
ちゃらっと書いた信太妻とは、
そもそも何ぞ?というお話を、
しておきたいと思います。

現在のところ(確認済のものでは)
・歌舞伎
・人形浄瑠璃
・説教節
に残っており、

元々は、
芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)と、
言われる演目の一部でした。

が、本体の芦屋道満大内鑑は、通し上演としては廃れ切り、
どういうわけか、信太妻が、
独立演目として生き残り、現在に至ります。

信太妻自体は、
陰陽師安倍晴明の出生に纏わるお話で、
異類婚姻譚(いるいこんいんたん)という分野に、
分類される類の、お話です。

古文に見る狐⑧

2014-02-16 21:39:18 | 
資料C)木幡狐(大妻女子大学出題分)
=前半部分が、弘前大と重複しています=

かのきしゆ御前、稲荷の山より見下ろして、
美しの中将殿や、われ人間と生まれなば、
かかる人にこそ逢ひなるべきに、いかなる改行によりて、
かように身とは生まれけるぞや、あさましよと思ひけるが、
よしよし、ひとまず人間のかたちと化け、
一旦の契をも結びさぶらはでとおぼしめし、

乳母の少納言を近づけて、
「いかに聞き給へ。われ思う子細あり、
いざや都に上りさぶらふべし。
さりながら、此姿にて上りなば、
人目もいかがさぶらはん。
十二単、袴、着せてたべ」。

乳母、此由を聞き、
「いま程、都には鷹犬などと申して、家々ごとに多ければ、
道のほどの御大事にてさぶらふぞや。
その上、御父、命婦殿、御二所さま、きこしめし候はば、
わらはが、しわざとのたまはん事、疑ひなし。
おぼしめし止り候へ」と申しける。

姫君、聞こしめし「いかに止め給ふとも、
われ思う子細ありて思ひ立ちぬる事なれば、
いかに止め給ふとも、止るべきにてあらず」とて、
美しく化けなしてこそ、出でにけり。

~ここまで、重複↑

さるほどに中将殿は、此姫君を御覧じて、
夢か現かおぼつかなしと御覧じけるに、
そのかたち言うはかりなく、
まことに玄宗皇帝の楊貴妃、
漢の武帝の世なりせば、李夫人かとも思ふべし、
さてわが朝には、小野良実が娘、小野小町などどいふとも、
是程ことありつらん、
いかさまいづくの人にてもあれ、能きたよりぞとおぼしめし、

乳母とおぼしき女房に、
「これはいづくよりいづかたへ、
通らせ給ふ人やらん」と御尋ねさせ給ふ。

乳母うれくして申しけるようは、
「これはさる人の姫君にてましますが、
継母にいひへだてられさせ給ひ、
父の不孝をかうぶり給ひ、
これを菩提の種として、いかならん、
山寺にも引き籠もり給はんとの御事にて候が、
是をはじめの旅なれば、道踏み迷ひて、是まで参りて候が、
はばかりおほく候へども、
一夜の御宿を仰せ付けられ候て、たび給へ」と、
さもありありと申しければ、

中将うれしくおぼしめし、
此年月、色好みし侍りしかば、
かようの人に逢はんとの事にてこそ有りつらん。

よしよし誰にてもあれ、これも先祖の宿縁とおぼしめし、
「こなたへ、いらさせ給へ」とて、わが御館へともなひ、
御乳母に春日の局に仰せ付け、さまざまにこそ御もてなし、
かしづき給ふ事、申すはかりはなかりけり。

古文に見る狐⑦

2014-02-14 23:04:34 | 
資料B)木幡狐(弘前大学出題分)
物語の始めから、
きしゆ御前が、人間に化けて里に下りるまでです。

原文)
中ごろの事にや有りけん。山城国木幡の里に、年を経て、久しき狐あり。
稲荷の明神の、御使者たるによって、何事も心にまかせずといふ事なし。
殊には男子女子、そのかず数多もち給ふ。
どれどれも、智恵才覚、芸能いふはかりなく、
世にならびなく聞こえありて、とりどりに幸ひ給ふ。

中にも弟姫にあたらせ給ふは、きしゆ御前とぞ申しける。
いずれよりも殊にすぐれて、容顔美麗に美しく、
心ざまならびなく侍りて、
春は花のもとにて日を暮らし、秋は隈なき月影に心をすまし、
詩歌、管弦に暗からず。

聞き伝えし人々は、心を懸けずといふことなし。
御乳母思ひ思ひに縁をとり、我も我もと数の文をつかはし、
心をつくすと申せども、行く水に数かく如し。
うちなびく気色もましまさず。
姫君、「うき世に長らへば、いかならん殿上人か、
関白殿下などの北の方ともいはれなん。
なみなみならん住居は、思ひも寄らず。
それさなき物ならば、電光朝露夢幻の世の中に、
心をとめて何かせん。
いかなる深山の奥にも引き籠もり、うき世を厭ひ、
ひとへに後世を願ひ侍らばや」と思ひ、明し暮らし給ふ程に、
十六歳にぞなり給ふ。

父母御覧じて、多き子供の中にも、このきしゆ御前は、
世にすぐれ見え給ふ、いかなる御方さまをも婿にとり、
心やすきさまをも見ばやと思ひて、さまざま教訓し給ふ。

さてまたここに、三条大納言殿とて、おはします。
その御子に、三位の中将殿とて、容顔美麗にして、
まことに昔の光源氏、在原の中将殿と聞こえしも、
是にはまさるべからず。

高きも賤しきも、心をまどはしける程に、
父大納言殿に仰せあはせて、さる方さまより、
御使ありしかども、中将殿、御心にそむ色もましまさず。
いかならん賤の女の子なりとも、
そのかたちすぐれたらん人ならばとおぼしめし、
常は詩歌管弦にのみ、心をすまし給ふ。
頃は、三月下旬のことなるに、
花園に立ち出で給ひ、散りなん花を御覧じて、
業平の今日のこよひにと、詠みけるも、かかる折にやと、
ながめ給ふ。

折りふし、かのきしゆ御前、稲荷の山より見下ろして、
美しの中将殿や、われ人間と生まれなば、
かかる人にこそ逢ひなるべきに、いかなる改行によりて、
かように身とは生まれけるぞや、あさましよと思ひけるが、
よしよし、ひとまず人間のかたちと化け、
一旦の契をも結びさぶらはでとおぼしめし、

乳母の少納言を近づけて、
「いかに聞き給へ。われ思う子細あり、
いざや都に上りさぶらふべし。
さりながら、此姿にて上りなば、人目もいかがさぶらはん。
十二単、袴、着せてたべ」。

乳母、此由を聞き、
「いま程、都には鷹犬などと申して、家々ごとに多ければ、
道のほどの御大事にてさぶらふぞや。
その上、御父、命婦殿、御二所さま、きこしめし候はば、
わらはが、しわざとのたまはん事、疑ひなし。
おぼしめし止り候へ」と申しける。

姫君、聞こしめし「いかに止め給ふとも、わ
れ思う子細ありて思ひ立ちぬる事なれば、
いかに止め給ふとも、止るべきにてあらず」とて、
美しく化けなしてこそ、出でにけり。

古文に見る狐⑥

2014-02-13 23:59:49 | 
木幡狐あらすじ)
以下のサイトから、拝領しております。
http://garandou002.gozaru.jp/sousi002-1.html
有難うございます。
ーーーーーーーーーーーーーーー
山城の国、木幡の里に、年を経て久しい狐がありました。
その狐は稲荷明神の御使者であり、
男子女子たくさんの子供が居ましたが
いずれも言葉では言い表せないほど知恵才覚、芸能に秀でており、
世に並びなしと聞くほどに、各々とりどりに栄えているのでした。

中でも「きしゆ御前」と云う名の年若い姫君は殊に優れて、
容顔美麗に美しく、春は花のもとにて日を暮らし、
秋は隈なき月影に心を澄まし、詩歌管弦によく通じていました。

彼女のことを伝え聞いた人々は、
いずれも心を懸けぬという事がありませんでした。
御乳母など、みな我も我もと縁づけようと沢山の文を送りましたが、
当の きしゆ御前は、
『うき世に長らえば、いかならん殿上人か、
関白殿下などの北の方(妻)とも云われたいものだ。
なみなみならん住居は思いも寄らず。
そうでなくば、電光朝露、夢幻の世の中に、心を留めて如何しようか。
いかなる深山の奥にも引き籠り、うき世を厭うて、
ひたすらに来世の安楽を願うていよう』と思っており、一向に反応を示しませんでした。

そうしながら暮らすうち、きしゆ御前は十六歳になっていました。
父母は、そのような娘の姿を御覧じて、
『たくさんの我が子の中でも、きしゆ御前はとりわけ優れている。
いかなる御方さまをも婿にとって、心落ち着けた様を見たいものだ』と思い、
さまざまに教え諭したりしていました。

さて、所変わって、三条大納言殿の御子、「三位の中将殿」という青年がありました。
まことに昔の光源氏、在原の中将にも勝るほどの美貌の持ち主です。
三月も下旬の頃、その中将殿が花園を訪れ、
散り行く花を眺めながら詩を詠んでいる姿を、
きしゆ御前は稲荷の山から見下ろしていました。

『美しの中将殿や。私が人間に生まれていたなら、
このような人と夫婦となるものを、どのような前世の報いあって獣の身と生まれたろうか』と、
きしゆ御前は思っていましたが、
『よしよし、ひとまず人間のかたちと化けて、一旦の契りをも結ぼうではないか』と思い付き、
乳母の「少納言」を呼んで言いました。

『聞いておくれ。私は思うところ在り、いざや都へ上らねばならぬ。
さりながら、この姿で上るならば人目に付くであろう。 十二単、袴を着せてたべ』
少納言はそれを聞くなり、
『いまほど都には、鷹犬などと申して家々ごとに多ければ、
道のりも御大事で御座います。その上、御父や命婦殿がお聞きになったならば、
私の仕業と仰る事は間違いありません。どうかお考え直しを』と止めましたが、
きしゆ御前は聞き入れず、

『どのように止めようとも、私には思う由ありて思い立った事ぞ。
どのように止めようとも、止められはせぬ』と言うと、
美しい人間の姫君の姿に化け、 少納言を連れて旅立ちました。

きしゆ御前を一目見た中将殿は、そのあまりの美貌に夢か現か、
これは楊貴妃か李夫人かとも思い、
本朝には小野小町という美女があるがそれにも勝るとも思い、
さっそく引き留めて少納言に、
何処から来て何処へ向かうのかと尋ねました。

女房に扮した少納言は、 『この方は、さる人の姫君にましますが、
継母に疎まれ父の不孝をこうぶり給い、これを極楽往生の機縁として、
どのような山寺にも引き籠る思いでやって参りましたが、
なにぶん初めての旅、道を踏み迷いました。
はばかり多いとは存じますが、
一夜の御宿を仰せつけられては下さいますまいか』と、
さもありありと語りました。

中将殿は嬉しく思って、自らの御館へふたりを案内すると、様々にもてなしました。
就寝の頃になると、中将殿は きしゆ御前の枕元に寄り添い、
さまざまの言の葉を尽くして情愛を示しました。
もとより企てた事であったので、きしゆ御前は心中は嬉しき事限りなしと云えども、
いと恥ずかしげな風を装って、たなびく気色もなく居りました。

やがて夜も更ける頃になれば、ふたりは互いに御心ざし浅からず、
偕老の契りと思い、その睦まじさは夜明けの名残惜しささえ嘆くほどでありました。

晴れて中将殿の北の方となった きしゆ御前でしたが、
仲睦まじく戯れ暮らす内、中将殿の子を身ごもり、これもまた美しい若君を産みました。

そして月日は流れ、若君が三歳になった頃、
御内の人々は、若君のご機嫌がよきようにと、
色々と御もてなし、御遊び物などを献上しました。

ある時、中将殿の乳母、中務のもとよりとて、
世に類なき逸物という美しい「犬」が献上されるという、
狐にとっては非常に由々しき事態が起こりました。

少納言は、犬が御館へやって来た旨を聞くなり身の毛もよだつ思いで、
きしゆ御前の元へ急ぎ馳せ参じ、 不思議の御大事と涙にむせぶばかりでした。
それを聞き、きしゆ御前は
『此処を去るより他はない。
中将殿、若君への名残はいかがしたら良いのか』と涙を流して言いました。

ややあって、
『たとえ千年万年をふるとも、名残の尽くる事あらじ。
隙をうかがい立ち去りて、これを菩提の種として世を厭うことは容易いが、
中将殿はさぞかし嘆き給う事であろう。
若君の名残、かえすがえすも悲しけれども、
どのようにしても此処にはおれぬ故』と言い、また涙にむせび嘆き悲しみました。

さるほどに、中将殿が外出した隙を見て、
きしゆ御前と少納言は御館を抜け出しました。
そして、別れても またも逢ふ瀬のあるならば 涙の淵に身をば沈めじ
と詩を詠み、都を出たのでした。

きしゆ御前は稲荷の明神に旅の安全を祈念し、
故郷の古塚に無事辿り着きました。
三年も行方知れずになっていた娘が帰って来た事を聞くと父母は駆け出でて、
『この三年ほど姿が見当たらず、いかならん狩人に行きあい矢に当たったか、
また鷹犬に食われてしもうたのではないかと様々に嘆き暮らしていたが、
これは夢か現かや』と、嬉し涙を流して無事を喜び、
一門眷属を集めて酒盛りをしたのでした。

喜びに湧く中、きしゆ御前は ただ若君と中将殿の事ばかりを恋しく思い、
うき世に心も留まらずにいました。
そして木幡の塚を出て、嵯峨野の方へ分け入り庵室を結び、
みどりの髪を剃り落とし尼僧となって、
来世こそは必ず、中将殿と一つ蓮の台に生まれんと願いました。

一方、外出から戻った中将殿は、きしゆ御前と少納言が姿を消した事を知ると、
若君ともども、深く嘆き悲しみました。

その後、ここかしこより『北の方をお迎えになって下さい』との声が上がりましたが、
中将殿は新しい妻を娶ることをせず、ただ、きしゆ御前との別れを歎くばかりでした。

かように月日は流れ、若君はとりどりに繁昌し、
末繁昌と世に聞こえるまでになりました。
きしゆ御前は、かの庵室で都を恋しく思いながら暮らしていましたが、
若君を遠くから見守りながら、栄える様子をとても嬉しく思っていました。

そして、いよいよ峯(みね)に上り、 花を折り谷の水をむすんで、
少納言とともに、 弥陀の名号を唱える日々を送ったのでありました。

かかる畜類だにも後生菩提の道を願ふならひなり。
いはんや人間として、などか此道を歎かざらんや。
かやうにやさしき事なれば、 書き伝へ申すなり、書き伝へ申すなり。

古文に見る狐⑤

2014-02-13 23:59:36 | 
その前に、他2校での出題文です。
御伽草子の、
「木幡狐」から採られていました。

出題大学は、弘前大学と大妻女子大学。

木幡狐の原文全文は、
岩波文庫収録の「御伽草子」上巻に、
収録されています。

木幡狐全体のあらすじは、以下の通り。

古文に見る狐④

2014-02-13 00:25:43 | 
掲載した、この話で、
篠田(しのだ)/篠田の杜
という文字を見た瞬間に、
「ああ、これは信太妻を下敷きにした話か!」
と思った方は、実に、勘が良い♪

そういう方には、
私や、この特集は不要ですね、はい。

日本の古典芸能における、一大共通テーマに
「信太妻」あるいは「信太狐」と言われるものがあり、
この浮世物語は、その信太妻を、
下敷きにしたお話です。

が、信太妻とは、そもそも何ぞ?
という、多分、多数の方のために、
以下、解説します。

古文に見る狐③

2014-02-12 01:30:34 | 
資料A)
=ものすごくざっくりした、現代語訳=
(というか、全体の構図)

今となってはもう昔の話となってしまったが、
浮世房(<人の名前)、篠田の方へ向かっていた。

その昔、篠田の杜には名誉の狐がいて、
往来の人を化かすと言い伝えられていた。

~~↓から
~~↑まで

篠田の杜に伝わるお話。

~~↑から下。

浮世房は、
~~↓から
~~↑まで で(私が括った)話を思い出しながら、
しんみりしていたが、ふと気付くと、
篠田の村の方へ行こうと思っても、
手に取るように、その場所が見えていながら、
一向に、たどり着かない云々。

古文に見る狐②

2014-02-12 01:29:40 | 
資料A)浮世物語より

今はむかし、浮世房、篠田の方へ行きたり。
いにしへ篠田の杜には名誉の狐ありて、往来の人を化かすといへり。
~~~~~↓
篠田村のなにがしとかやいふ者、住吉に詣でて帰るとて、
道のほとりにて美しき女に行き合ひたり。
とかくかたらひて夫婦となり、家に帰りて、年を経たるに、
一人の子を生みけり。

その子、五歳の時、母に抱かれてありしに、尾の見えければ、
これを恥ずかしがりて、かの母もとの狐の姿になりつつ、
篠田の杜に立ちかくれたり。
夫は、この年頃あひ馴れて、
それとは知りながらさすがに名残りの惜しく思はれつつ、
かくぞ詠みける。

子を思う 闇の夜ごとに とへかしな 昼は篠田の 杜に住むとも

と詠じてうち泣きけるを、妻の狐立ち聞きて、
かりぎなく悲し、と思ひつつ、窓をへだててかくぞいひける。

契りせし 情けの色のわすれらで 我はしのだの 杜に啼くなり

と詠じけり。

かくて、夫、田をつくれば、かの狐来たりて、夜の間に早苗を植え、
水をせき入れ、草をとりけるほどに、年ごとに満作なりしかば、
家大いに富みさかえけるとなり。
~~~~~↑
浮世房、この事を思ひ出し、あはれをもよおしけるが、
篠田の村の方へいくと思へども、
在所は手に取るように見えながら行き着かず。
夜ひと夜歩きて、やうやう明け方になり、

それよりすこし心づきて、
「これはいかさま狐の化かして、かように連れ歩くか」と思ひ、
「日ごろ、聞きたることあり」と、
顔を懐にさし入れて袖口よりのぞきて見れば、
背中のはげたる古狐、うしろ足にて立ちて先に行く。

「さればこそ」と思ひ、声をあげて、
「生首切られの古狐め」とて追ひかけたれば、
田畦ともいはず、狐は逃げてうせぬ。

浮世房は、夢の覚めたる心地して、
「ここはいづくぞ」と人に問へば、
「天王寺の前なり」といふ。
「口惜しくも化かされけるかな」と思へども、甲斐なし。

出典)
Z会通信教材&
2013年度、松山大学出題

古文に見る狐①

2014-02-12 01:28:39 | 
「狐と狸」というのは、日本では、
人を化かす双璧のような扱いをされる動物ですが、
じゃあ、狸は?と聞かないで下さいね。

古文における狸が、どういう扱いになっているのかは、
統計を採っているわけではないので、
現時点では、不明です。。。。

おそらくは、本特集で展開する論に拠り、
古文的には、
狐の現れる頻度の方が、高いのではないかと思いますが。。。

ひとまず、
本特集で扱う文章を、
検討材料として、掲載します。