敷島(しきしま)の 大和心を 人 問はば 朝日に匂う 山桜花
(本居宣長)
そして、乱世の記憶も遠い遠い昔のこととなった、江戸の末頃。
とは言っても、未だ、尊皇攘夷やそれに続く戦乱のきな臭さもない、
ある意味、安定と繁栄を享受していた時代。
そうした時代を反映してか、
ようやく宣長は、「生き死に」から離れたところで、桜を詠みました。
ここに来て、桜は、平安時代を代表する貴族性に回帰しました。
平安時代の「桜」は、個人の感性の基づいて詠まれたものでしたが、
年月を経て、本居は、生き死にさえも越え、
日本の民族性を代表する花(大和心)として、桜を詠み、
ここを以って「桜=日本」の図式が完成する発端となったのでしょう。
こうして見てみると、
古代から連綿と歌に詠まれて来た「桜」は、
幾多の時代の荒波を受け、時々の時代性を反映しながらも、
題材として、詠み継がれ、
名実ともに「国花」(大和心)としての地位を確立したように思います。
人は、生れ落ちた「時代」というものから、自由ではないと私は思っています。
それぞれに、良くも悪くも「時代」の影響を受けることでしょう。
その時代の変遷を、真っ向から身に纏ったお題が、
「桜」だったのかなという気もします。
もし、「桜を題材に歌を詠め」と言われたら、
今を生きる私たちは、
「桜」に「何」を見て、「何」を読み込もうとするのでしょうか?
その歌に現れるのは、穏やかでたおやかな時代性であれば、
良いなと思います。
(本居宣長)
そして、乱世の記憶も遠い遠い昔のこととなった、江戸の末頃。
とは言っても、未だ、尊皇攘夷やそれに続く戦乱のきな臭さもない、
ある意味、安定と繁栄を享受していた時代。
そうした時代を反映してか、
ようやく宣長は、「生き死に」から離れたところで、桜を詠みました。
ここに来て、桜は、平安時代を代表する貴族性に回帰しました。
平安時代の「桜」は、個人の感性の基づいて詠まれたものでしたが、
年月を経て、本居は、生き死にさえも越え、
日本の民族性を代表する花(大和心)として、桜を詠み、
ここを以って「桜=日本」の図式が完成する発端となったのでしょう。
こうして見てみると、
古代から連綿と歌に詠まれて来た「桜」は、
幾多の時代の荒波を受け、時々の時代性を反映しながらも、
題材として、詠み継がれ、
名実ともに「国花」(大和心)としての地位を確立したように思います。
人は、生れ落ちた「時代」というものから、自由ではないと私は思っています。
それぞれに、良くも悪くも「時代」の影響を受けることでしょう。
その時代の変遷を、真っ向から身に纏ったお題が、
「桜」だったのかなという気もします。
もし、「桜を題材に歌を詠め」と言われたら、
今を生きる私たちは、
「桜」に「何」を見て、「何」を読み込もうとするのでしょうか?
その歌に現れるのは、穏やかでたおやかな時代性であれば、
良いなと思います。