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あや乃古典教室「茜さす紫の杜」

三鷹市&武蔵野市で、大学受験専用の古文・漢文塾を開講しました。古文教師の視点から、季節のいろいろを綴ります。

菖蒲(しょうぶ)27

2014-04-04 21:21:08 | 菖蒲
平安貴族にとって
(つまり、以後に続く王朝系の物語にとって)
何より大事だったのは、
雅、風流、しみじみとした情趣であり、
決して、
「現実のあれこれ」ではなかったわけですが、

毎年の五月四日の夕暮れぐらいから始まる、
軒菖蒲のあれこれは、
平安貴族を、現実に引き戻すには十分な、
ごたごただったのかもしれませんね。

そういえば、
「源氏物語には、食事をしているシーンが、
極端に少ない」という統計データを見たことがあります。

これなんかも、
食事=現実と直結してしまっているがゆえに、

ただひたすらに、
雅や、風流や、もののあはれや、しみじみとした情趣や、
季節の移り変わりを愛でることを良しとした、
平安貴族の価値観とは合わない、
現実的風景=食事だったので、
物語的には、削除されたとも言えるのでしょう。

端午の節句に関する描写の少なさは、
「源氏物語に、食事をしているシーンが極端に少ない」ことと、
根は、一緒なのかな?と思ったりもします。

菖蒲(しょうぶ)26

2014-04-04 21:20:45 | 菖蒲
この狭衣物語から伺えるのは、

毎年毎年、わずか、一晩のために、
大量の菖蒲が必要だったので、

五月四日の夕暮れ頃は、
軒菖蒲の為に、菖蒲を取ってきて、
「前も見えないほどに」大量の菖蒲を担いで、
売り歩く人たちが、大勢いた。

という、
なかなかシュールな、当時の状況です。

この現実性が、
単なる風流だけでは語りえなかった、
当時の端午の節句の有様でもあり、
それゆえに、
文献記述が少ないのかな?とも思います。

菖蒲(しょうぶ)25

2014-04-04 21:20:06 | 菖蒲
原文④)
笛を忍びやかに吹き鳴らし給ふ御かたちの夕映え、
まことに光るようなるを、

路傍の家の半蔀に集まり立ちて、
若き人々愛で惑ひて、
過ぎ給ふが口惜しければ、

軒の菖蒲一筋引き落として、
急ぎ書きて、よろしきはした者して、
追ひたてまつる。

御覧ずれば、

知らぬまのあやめはそれと見えずとも
蓬が門は過ぎずもあらなむ

とぞある。

「いかなる好き者の居たるなるらむ」と、
うちほほ笑まれ給ふ。
-------------------------
現代語訳④)
忍びやかに笛をお吹きなのだが、
夕映えのそのお姿は、本当に光り輝くようだったので、

道々の人たちは、路傍の家の半蔀に集まって、
中将のお姿を拝見するのだか、
中将のお車が、
去って行ってしまわれるのが惜しいので、

軒の菖蒲を、一筋、引き抜いて、
急いでそれに走り書きをして、
召使の女性に、それを持たせて、
中将の後を追わせた人がいた。

中将が、その走り書きを御覧になると、

知らぬまのあやめはそれと見えずとも
蓬が門は過ぎずもあらなむ

と、和歌が一首、したためてある。

「なんとまあ、風流な者もいたものだなぁ」と、
中将は、微笑まれた。

菖蒲(しょうぶ)24

2014-04-01 23:37:07 | 菖蒲
原文③)

大きなる家も小さきも、
端(つま)ごとに葺き騒ぐを、

御車より少し覗きつつ見過ぐし給ふに、

言い知らず小さき草の庵どもに、
ただ一筋づつなど、置きわたす。

「何の人まねすらん」と、あはれに見給ふ。
----------------------------
現代語訳③)

大きな家でも、小さな家でも、
騒ぎながら、
端ごとに菖蒲を葺いているのを、

中将の君は、
牛車から少し覗きながら、
通り過ぎてしまわれたのだが、

小さな草庵などは、
ただ一筋だけ菖蒲を置いている.


「どういう人のを真似たのだろうか」と、

しみじみとした情趣を、お感じになった。

菖蒲(しょうぶ)23

2014-04-01 00:23:18 | 菖蒲
原文②)
玉の台(うてな)の軒端に掛けて見給へば、
をかしくのみこそあるを、

御車の先に、
顔なども見えぬまで埋もれて行きやらぬを、
御随人ども、
おどろおどろしく声々追ひ留むれば、
身のならむようも知らず、かがまり居たるを、

見給ひて、
「さばかり苦しげなるを、かくな言ひそ」と、のたまへば、
「慣らひにて候へば、さばかりの者は、何か苦しう候はむ」と申す。

「心憂くも言ふものかな」と聞き給ふ。
恋の持夫は、わが御身にて習ひ給へばなるべし。

-----------------------------
現代語訳②)
立派なお屋敷の軒先などに掛けて見るのであれば、
軒菖蒲も、風流なものだけれど、

中将の君の牛車の先の方で、
顔も見えないほど、担いでいる菖蒲に埋もれるようにして、
菖蒲を売る人が、歩いているのだが、

中将の君の随人達は、
さかんに声を立てて、その菖蒲売り達を追ひ払っているので、
(その声だけ聞いて)菖蒲売り達が、
身を屈めているのを、中将の君は御覧になって、

「あれだけの菖蒲を担いで大変そうなんだから、
そんなに言うな」と、随人に言うと、随人は
「大きな荷物を担ぐのは、
彼らにとってはいつものことですから、
ああいう身分の者にとって、
何の苦労もありはしませんよ」と、申し上げる。
「どうして、そんなことを言うのかな。。。」と、
中将はお思いになる。

中将の君が、
そんな風に菖蒲売りに同情的だったのは、
恋の持夫(もちぶ)=恋の重荷を背負っている御自身であり、
菖蒲持ちならぬ恋の重荷を背負ったことで、
彼らの気持ちが、おわかりになったからであろう。

菖蒲(しょうぶ)22

2014-03-30 23:37:55 | 菖蒲
以下の、狭衣物語の引用箇所から、
99年度、上智大学は入試問題を作成しています。

----------------------
原文①)

四月も過ぎて、五月四日もなりぬ。

夕つ方、中将の君、内裏よりまかで給ふに、
道すがら見給へば、菖蒲引き下げぬ賤の男もなく、
行き違ひつつ、もて扱う様ども、
「げに、いかばかりか深かりける十市の里の、こひぢならむ」と、

見ゆる足元どものゆゆしげなるが、いと多く持ちたるも、
「いかに苦しかるらむ」と、
目とまり給ひて、

うき沈み ねのみながるる あやめ草
かかるこひぢは 人も知らぬに

とぞ、思さるる。

-------------------------
現代語訳①)

四月も過ぎて、五月四日になった。

夕暮れ、中将は、内裏より退出なさり、
道すがら、(道々の様子を)御覧になると、
菖蒲を引き下げない賤の男などはなく、
(↑つまり、目にする人、皆が、菖蒲草を持っている)

すれ違いながら、菖蒲草を持っていくその様子を、
「げに、いかばかりか深かりける十市の里の、こひぢならむ」と、
と、そうした賤の男達を、御覧になるのだが、

足元も覚束ないほど、菖蒲草を多く持っているのは、
「どれほど、大変なことであろうか」と、
中将の君の目に留まり、

うき沈み ねのみながるる あやめ草
かかるこひぢは 人も知らぬに

と、お思いになった。

菖蒲(しょうぶ)21

2014-03-30 00:37:45 | 菖蒲
そもそも、
端午の節句自体、
古文的には、記述が少ないんですよね。

有名どころは、
掲載した枕草子と、
徒然草の該当箇所ぐらいです。

なんで?

そんなことを、つらつら考えていくと、

・(小倉)百人一首収録の和歌の中にも、
端午の節句を詠んだ歌はない
・軒菖蒲の伝統があるのに、
軒菖蒲について言及した記述が、極端に少ない

という事実にも気付き、

更に、疑問が膨らみました。

なんで?

そもそも、和漢朗詠集は、
平安人の<雅>の基準のようなものですし、
それに、これだけ収録数が少ないということは、
(しかも、しぶとく軒菖蒲の伝統が、
生き残っているにもかかわらず!)

なにかしらの理由があるのではないだろうか?

1年掛けて、いろいろ探してみたところ、
「ああ、ここらが理由かな?」という記述に行き当たりました。

狭衣物語のある場面です。

明日からは、その狭衣物語の場面を引用しつつ、
(少し、長めの引用になるので、
適度に原文を切って、現代語訳を挟みます)

「ああ、ここらが理由かな?」と思った、
その<理由>を記してみようと思います。

菖蒲(しょうぶ)⑳

2014-03-29 00:11:51 | 菖蒲
昨日、掲載しましたように、
和漢朗詠集には、端午の節句に関して、
3首収録されており、

それぞれ、
・よもぎの人形
・競べ馬
・菖蒲草
・軒菖蒲
を、バランス良く、題材にしています。
が、去年以来、気になっていたのは、
「他の五節句と比べて、
収録和歌数が極端に、少ない」ということです。

実際に、数値で比較してみましょう。

例えば、
三月三日の桃の節句は、7首。
七月七日の七夕は、9首。
九月九日の重陽の節句に至っては、
九日付菊の項で、5首。
菊の項では、7首。
計12首の歌が収録されており、

どうあっても、端午の節句の3首の少なさが、
目立つわけなんです。

一体、これはどうしたことだろうか?
去年以来、心にずっと引っ掛かっていた疑問でした。

菖蒲(しょうぶ)⑲

2014-03-28 00:04:24 | 菖蒲
この端午の節句。
和漢朗詠集での収録は3首だけで、
数はさほど多くはありませんが、
その3首には、必要な要素が、
バランスよく散りばめられているようにも思います。
---------------------
和漢朗詠集 端午より①)
時有って 戸に当たって 身を危ぶめて 立てり
意(こころ)無し 故園に脚に任せて 行くに

現代語訳)
5月5日の端午の節句を迎えるにあたり、
人形(ひとがた)に作られたよもぎは、
門戸の上に立てかけられて、
危なっかしそうに立っています。

そのよもぎ。
足に任せて、
元々生い茂っていた園に、
歩いて逃げていこうなとどいう気持ちは、
ありません。
--------------------
和漢朗詠集 端午より②)
わかごまと 今日にあひくる あやめ草 おひおくるるや まくるなるらん

現代語訳)
5月5日には競馬が行われ、菖蒲草を軒に葺きます。
だから、競馬で他の馬に負けた若駒と、
成長が遅くて、今日という端午の節句に間に合わなかった菖蒲草は、
どちらも<(他のものに)負けた>というべきなのでしょう。
-----------------------
和漢朗詠集 端午より③)
きのふまで よそに思ひし あやめ草 けふわがやどの つまとみるかな

現代語訳)
昨日までは、自分には関係のない余所者と思っていた菖蒲草ですが、
今日という端午の節句に、我が家の軒に葺いてみると、
自分の妻のように、慈しみ深く思われることです。

菖蒲(しょうぶ)⑱

2014-03-26 23:50:30 | 菖蒲
現代語訳)
五月五日、賀茂神社の競べ馬を見物したんですが、
私の乗っていた牛車の前に、
下賎の者たちが立ちはだかって見物していて、
見えなかったので、
一緒に牛車に乗っていた人たちは、牛車から降りて、
馬場の柵の方に近づいて行ったけれど、
その辺りは、特に込み合っていて、
とても分け入って行って、競べ馬を見ることは出来そうになかった。

そういう状況の時に、
ちょうど向こう側にある楝の木によじ登って、
木の股に座って、競べ馬を見物している法師がいた。
その法師が、木の股に座っていながら、
ひどく眠っていて、「ああ!落ちる~」と、
まさに落ちそうになるときに、
目を覚まして体勢を整え直すようなことが、
たびたびあった。

そうした法師の様子を見た人は、
法師を嘲り呆れて
「なんという愚か者だ。
あんな危なっかしい枝の上で、
あんなになるまで、安心して眠っているなんて」と言う。

私は、ふと思ったままに
「私達は、たった今、死んでしまうかもしれない。
我々の生死がわからないそのことを忘れて、
競べ馬なんぞを見て一日を送る。
こうした我々の愚かさは、
あの法師の愚かさにも勝るものだと思うのだけどなぁ~」と、
言ったところ、

私の前にいた人々が
「本当にその通りですね。愚かなことでございますね」と言って、
皆、後ろを振り返って、私の方を見て、
「こちらにお入りなさい」と言って、
場所を空けて、私を入れてくれました。

私が思ったままに、ふと口にした、この程度の物の道理は、
皆が思いつくものではあるのだけど、
折が折だけに、思いがけない心地がして、
周囲の人々の心に、響いたのであろうか。

人は木石のように感情のない生き物ではないので、
時によっては、物事に感動することもないわけではない。

菖蒲(しょうぶ)⑰

2014-03-25 23:58:06 | 菖蒲
c)宮中で、競馬(くらべうま)が行われた

古語辞典(旺文社 古語辞典第十版)によると、
そもそも競馬(くらべうま)というのは、
「馬を競争させる遊戯。けいば。こまくらべ」と、
記載されていますが、

競馬(くらべうま)に関しては、
徒然草の記述が有名です。

原文)
五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、
車の前に雑人立ち隔てて見えざりしかば、
おのおの下りて、埒(らち)のきはに寄りたれど、
ことに人多く立ちこみて、分け入りぬべきやうもなし。

かかる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、
法師の登りて木の股(また)についゐて物見るあり。
とりつきながら、いたう睡(ねむ)りて、
落ちぬべき時に目を醒(さ)ます事、度々なり。

これを見る人、あざけりあさみて、
「世のしれ物かな。
かく危(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて睡るらんよ」と言ふに、
我が心にふと思ひしままに、
「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。
それを忘れて物見て日を暮す、
愚かなる事はなほまさりたるものを」と言ひたれば、

前なる人ども、「誠にさにこそ候ひけれ。尤も愚かに候ふ」と言ひて、
みな後を見かへりて、「ここに入らせ給へ」とて、
所を去りて、呼び入れ侍りにき。
かほどの理(ことわり)、誰かは思ひよらざらんなれども、
折からの思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。

人、木石(ぼくせき)にあらねば、
時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

菖蒲(しょうぶ)⑯

2014-03-25 00:28:04 | 菖蒲
「廃れきってしまった風習に、拘りたい!」
という変な野望のある私としては、

この軒菖蒲に、
たいそうな憧れがあるわけなんです。

つまり、
>>>>>>軒菖蒲、やってみたい。。。。<<<<<<<<
(不器用なので、薬玉自作は、他の方にお任せしたいと思います♪)

ほぼ見ることのない、
軒菖蒲の光景を目撃した周囲の人が、
どういう反応を示すのか、
是非とも、観察してみたいところではあるんですが。。。。

教えに行っていた塾で、
「来年は、塾のドアや、全ての窓に、菖蒲を吊るす!」と、
宣言したところ、
「止めません!我々は、絶対に止めません!」と、
叫ばれましたが、
思いっきり「退かれて」ましたね(苦笑)。

季節になると、葉菖蒲を売ってくれてた、
近所の丸正が撤退してしまったので、
果たして、今年の5月に、
葉菖蒲が手に入るかどうかが問題なんですが、

うちの部屋や、門や、塀で、
是非ともやってみたいものだと思います。

その前に、大家さんの許可が要りそうな光景ではありますが、
まあ、一晩だけなら誰も気付かないような気もしますが、
誰かに気付いてもらわないことには、
つまらないのも、また事実で。。。

三鷹近郊で、今年の5月。
軒菖蒲に参加して下さる方、
いらっしゃいませんか?

菖蒲(しょうぶ)⑮

2014-03-24 00:14:00 | 菖蒲
a) 葉菖蒲を、家の軒に挿した

これも、現代ではちょっと、
考えられない風習でもあり、
この光景自体、想像すると、
信じ難いものがありますが。

葉菖蒲を、家々の軒に挿したらしいです。。。。

同じく、枕草子は、
その光景を次のように記しています。

原文)
九重の御殿の上をはじめて、
言ひ知らぬ民の住家まで、いかでわがもとに
しげく葺かむと葺きわたしたる、なほいとめづらし。


調べたところ、
現代では、軒菖蒲とも、
言い習わしているようでして、

どうやら、京都では生き残っている風習のようです。
http://blog.goo.ne.jp/kyo-otoko/e/b2210212899b3e1e5a585ca2cd350b05

しかも、4日の夜に掛けて、5日の朝に取るという。。。

京都在住の方にお願いして、
確認して頂こうかと思います。

菖蒲(しょうぶ)⑭

2014-03-24 00:13:42 | 菖蒲
五色の糸で飾られた薬玉が、
(今で言えば、匂い袋の大きいの!と言ったところでしょうか)
柱の左右に掛けてある。

なかなか、乙な光景ですよね。

それにしても、そんなものを、
風習とはいえ、毎年作ってたなんて、
器用というか、マメというか。。。

そのわりに、
「あ、ちょっと、糸ちょうだい!」
「あ、もう1本!」
「1本ぐらいなら、大丈夫よね・・・」

そんなこんなで、いろいろな都合で、
糸が抜き取られて、
早い段階で、原型を留めていない。

という現実が、なにやら生活味があって、
また可笑しいですね(笑)

菖蒲(しょうぶ)⑬

2014-03-22 11:11:18 | 菖蒲
まず、d)薬玉から。

これは、
手元の古語辞典(旺文社 古語辞典第十版)によると、

ーーーーーーーーーーーーーー
薬玉(くすだま)。
くすりだま が、転じた呼び名。

麝香(じゃこう)、
沈香(じんこう)などの香料を入れた袋を、
菖蒲などの造花で飾り、
五色の長い糸を垂らしたもの。

不浄を払い、邪気を避けるものとして、
陰暦五月五日の端午の節句に、柱などに掛けた。
ーーーーーーーーーーーーーーー

とあります。

枕草子は、その様子を次のように記しています。

原文)
中宮などには、
縫殿より御薬玉とて色々の糸を組み下げて参らせたれば、
御帳立てたる母屋の柱に、左右に付けたり。

九月九日の菊を、
あやしき生絹の衣に包みて参らせたるを、
同じ柱に結ひつけて月ごろある、
薬玉に解きかへてぞ棄つめる。

また、薬玉は菊の折まであるべきにやあらむ。

されど、それは、みな糸を引き取りて、
もの結ひなどして、しばしもなし。

御節供参り、若き人々、
菖蒲の腰ざし、物忌つけなどして、
様々の唐衣、汗衫などに、
をかしき折り枝ども、
長き根にむら濃の組して結びつけたるなど、
めづらしう言ふべきことならねど、いとをかし。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

現代語訳)
中宮様の所には、縫殿より御薬玉といって、
色々な糸を組み下げた物が献上されてくる。
それを、御帳を立てている母屋の柱の左右に付ける。

珍しい生絹の絹に包んで、九月九日の菊を持ってきてて、
同じ柱に結い付けて、
長い間(<ざっと半年?)放置してあったのを、
薬玉と取り替えて、その菊は捨てたようである。

菊が端午の薬玉の頃まで、柱に結わえ付けられているように、
薬玉も、(同じように)菊の頃まであった方が良いのだろうか。

だけど、みんな、薬玉の糸を取ってしまい、
(何かを)結ったりするのに使ってしまい、
薬玉は、菊のように長い間、原型を留めていたりはしない。

御節供(端午の節句時に、供される食事)が、
中宮様に献上されて、
若い人々は、菖蒲の腰挿しを挿したり、
菖蒲の物忌みの札を付けたりしている。

様々な唐衣、汗衫などにも、
枝や、むら濃の組み紐で、
長い根のある菖蒲を結びつけているのも、
珍しいと言うようなことでもないけれど、
とても風流なものである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ちなみに、
あさきゆめみしでは、
光源氏が、花散里に薬玉を送っている場面があります。