アブリル - どこにでもあり、どこにもない

岡崎平野を中心とする 植物 と カメラの対話

スラマッ・インドネシア! (3)

2024-01-04 15:00:00 | インドネシア
新春大回顧ということでーー
 30年前インドネシアはスラウェシ島に4か月半滞在した時(1992-93) の滞在記(1994年執筆)が出て来ましたので、4回に分けて公開しています(^^)/
きょうはその第3章。


      3

"Hujan turun, Kambing Lari"。
(フジャン トゥールン、カンビン らり)
(雨が降る、ヤギさん走る)
だからなんなのさ?

アムリンにその意味をたずねても、ただ笑って、「街を歩いていてシャワーに出っ喰わすと雨宿りするところを求めて走り出すでしょう。そういう人をみて《あっ、ヤギさんが走ってる!》というんです」としか教えてくれません。
いずれにしても、このことばが単なる《事態の写像》ではなさそうですが、奥深い意味はぼくにもよく解らないままです。



著作者:vecstock/出典:Freepik

でも日常生活でこのことばはぼくにとってインドネシアの人々との交流の潤滑油になりました。みなさんもウジュンパンダンの街で雨が降り出したら、"フジャン・トゥールン!"とまわりのインドネシア人=インドネシア語を話す人たちに言ってみると判ると思います。かれらは
《「示す」ことのできるものは、「語る」ことができない》(ヴィトゲンシュタイン)と醒めた言い方はしないはずです。きっと” Kambing Lari!(ヤギさんが走る)” と笑って応えてくれるはずです。
どうして<ヤギさん>なのか?「犬も歩けば棒に当る」といいます。どうして<犬>なのか?と問うようなものでしょう。《…本質を捉らえようと努力する時、いつもつぎのように自問しなくてはならない。いったいこの語は、その故郷のある言語のなかで、実際にそのように使用されるだろうか⋯》(ヴイトゲンシュタイン『哲学的探求』116)





さて、今年は犬年((注)1994年のこと)、ぼくも犬どし生まれなのですが、ここインドネシアでは、宗教的な理由からでしょうか、犬は不浄なもの、いやしいもの、在ってはならないもの(?)らしいのです。実際、ダムサイトへ向かう街道沿いで犬を見かけることがよくあるのですが、そう言われてみると、いつも人と目が会わないように(因縁をつけられることを恐れ)コソコソしています。
代りに、ことわざには<ヤギさん>がよく登場するみたいです。
ちょっと長いけれど、日本語の「郷に入りては⋯」によく似たもので、
"Masuk di kandang Kambing Meganbik,
 Masuk di kandang Ayam Berkocok".
 ヤギ小屋に入りては、ヤギ語(ベェェー)
 トリ小屋に入れば、コケコッコー語。
と言ったところでしょうか。英語の"When in Rome, ・・・"とおなじですネ。でも、それをやぎ語とかニワトリ語という言語のジャンルで表現しているのはいかにも面白いと思いませんか。



(つづく)

⇒ 第4章





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