440年前の今日5月13日は
戦国大名「武田信玄」の亡くなった日です。
風林火山の旗の下
戦国時代を駆け抜けた武田信玄ですが
なぜ
彼は織田信長より先に生まれながら
京都を目指さなかったのでしょう?
その答えは武田軍にあります
冷静に武田軍の戦歴を振りかえると
その戦歴は「勝てる相手を狙った」ものに思えます
父信虎が追放されたことで国主の座を得た信玄にとって
「天下を狙う」ことより「確実に勝つ」
=支持者に褒美を与えるコトこそが
信玄にとって重要だったように思えてなりません
また
信玄最後の作戦もあくまで「徳川攻略作戦」であり
巷間伝えられるような「上洛作戦」ではなかった
そう思います