2021.7.21
医学情報を集め、その内容を検討していくことは、ある意味自分が得意とする分野でもあることから、19日月曜のCT検査、骨シンチ検査を終えた午後から、ネット検索を......遅まきながら本格的に始めています。
作業をしながら、調べるべき事項、調べたい事項を頭の中であれこれと考えているうちに、大切なことを思い出しました。
そのことに改めて気づくまでの思考経路としては、①前立腺がんの大枠としての知識情報の検索
②集めた情報を整理するためのプラットフォーム ③次回、医師から説明を受けるときのためのメモ・質問/確認事項ノート ④治療のメリット・リスク、予後のメリット・リスク ⑤最悪の事態は何か? それは何により引き起こされるのか? 等などを考えていました。
相手は「がん」ですから、最悪はもちろん「死」ということなわけです。
自分がなぜこの時点まで「調べる」という行為を先延ばしにしてきたのか? ということを自省してみますと、そこにあるのは、「調べることで - 死 - と向き合わなければならない」 という
その恐ろしさから目を背けたい、対峙したくない。という思いがあったことに気づかされます。
ある意味、それが自己防衛本能なのだと思います。 嫌な事、怖いことからは目を背ける。目を背け、それを意識しないことで、心の平穏を保つ。 そういう心理状態でしょう。
このコロナ禍においても、自分はコロナに感染しない、という何の根拠もないけれど、そう考える自分がいる。それに似通っているかもしれません。ただコロナに関していえば、感染リスクを避けるという行動 .......感染リスクのある行動はしない、という対処方法があるわけですが、
でも、「死」からは誰も逃れることはできない。という事実をあらためて見つめ、そしてその事実を踏まえた上で、では何ができるか、何がしたいか、ということを考えることが、いまの私のすべきこと、ある意味、原点に戻された感じです。
いわゆる第二の人生を意識しだした頃から、実際に現場を引退するまで、私の場合 10年間ほどあります。この10年間で、経済的土台造りを再構築し、私が逝った後も家族が生活していけるだけの基盤を作ることはできました。そして、この基盤の根底にあるのは「いつかは逝く」という事実です。さらには、その「逝く」年齢についても、自分の中で目安を立てていました。それを決めるのは神様ですが、一応の目安くらいは持っていないと、漫然と過ごすことになりかねないので、人生の設計図として エンドはここ、という年齢を設定していました。
この土曜にならないと、実際のステージとか、医師の見立てとかはまだわからないわけですが、文献などを調べて感じたことは、前立腺がんは5年生存率や10年生存率は他の癌に比較すると相対的に悪くはない。ということと同時に、自分で構築していた「人生設計図」の中に、未確定要素が入り込んできた。という事実は厳然として存在する、ということです。
そして、この事実を踏まえると、まずすべきことは、エンドポイントの再設定と、そこから逆算しての治療方針であり、自分の残りの人生に対する己の気持ちの持ちよう......大げさな言葉を使うならば、人生哲学ということになります。
死を見つめるからこそ、どう生きるかを考える。ということはよく言われることですが、まさにそういうことですね。 この病気が直ちに死と直結するものではありませんが、最悪のシナリオとして癌細胞の転移リスクはゼロではありませんし、実際に転移は起こりえるものであることは文献情報などからも明らかでした。
ジョーク的な言い方になりますが、私の頭の中では、83歳......august 03 が自分のエンドポイントとしていました。平均的な健康寿命が75歳ですから、それ以降 83歳までは、第三の余生のようなもの。願わくば、痴呆とは縁遠く、身体的には「歩行能力」は年齢並みに維持して、散歩を日課として、たまには孫と遊んで、寿命を迎える。 そういう設計図を描いていました。
そして、この設計図にできるだけ近似した形で、“75歳“ まで維持できること。これが治療方針のベースと考えています。 前立腺がんの場合、精巣も切除することで、性機能は喪失する。というのが医学的ルートなようです。........この部分は、治療方法とも関連するので、まだ確定しているわけではありませんが、男性として、性機能も QOLの一部として、治療方法を考えるうえでは無視できない重要事項ですので、さらにデータを検討したうえで、医師との話し合いに臨みたいと考えています。
こういう話題をここに記載して、読み手の皆さんにはある意味ご迷惑をかけているかもしれませんが、情報の整理とともに、自分の気持ち・考えを整理するうえで、この方法をとらせていただいております。
がんが見つかった、という報告はある意味ショックでしたが、自分はいつかは死するもの、という認識のうえでこれまでの人生を生きてきたことを再確認する機会にもなりました。
「書く」ことで自分のこころの整理をさせていただきました。
august03
医学情報を集め、その内容を検討していくことは、ある意味自分が得意とする分野でもあることから、19日月曜のCT検査、骨シンチ検査を終えた午後から、ネット検索を......遅まきながら本格的に始めています。
作業をしながら、調べるべき事項、調べたい事項を頭の中であれこれと考えているうちに、大切なことを思い出しました。
そのことに改めて気づくまでの思考経路としては、①前立腺がんの大枠としての知識情報の検索
②集めた情報を整理するためのプラットフォーム ③次回、医師から説明を受けるときのためのメモ・質問/確認事項ノート ④治療のメリット・リスク、予後のメリット・リスク ⑤最悪の事態は何か? それは何により引き起こされるのか? 等などを考えていました。
相手は「がん」ですから、最悪はもちろん「死」ということなわけです。
自分がなぜこの時点まで「調べる」という行為を先延ばしにしてきたのか? ということを自省してみますと、そこにあるのは、「調べることで - 死 - と向き合わなければならない」 という
その恐ろしさから目を背けたい、対峙したくない。という思いがあったことに気づかされます。
ある意味、それが自己防衛本能なのだと思います。 嫌な事、怖いことからは目を背ける。目を背け、それを意識しないことで、心の平穏を保つ。 そういう心理状態でしょう。
このコロナ禍においても、自分はコロナに感染しない、という何の根拠もないけれど、そう考える自分がいる。それに似通っているかもしれません。ただコロナに関していえば、感染リスクを避けるという行動 .......感染リスクのある行動はしない、という対処方法があるわけですが、
でも、「死」からは誰も逃れることはできない。という事実をあらためて見つめ、そしてその事実を踏まえた上で、では何ができるか、何がしたいか、ということを考えることが、いまの私のすべきこと、ある意味、原点に戻された感じです。
いわゆる第二の人生を意識しだした頃から、実際に現場を引退するまで、私の場合 10年間ほどあります。この10年間で、経済的土台造りを再構築し、私が逝った後も家族が生活していけるだけの基盤を作ることはできました。そして、この基盤の根底にあるのは「いつかは逝く」という事実です。さらには、その「逝く」年齢についても、自分の中で目安を立てていました。それを決めるのは神様ですが、一応の目安くらいは持っていないと、漫然と過ごすことになりかねないので、人生の設計図として エンドはここ、という年齢を設定していました。
この土曜にならないと、実際のステージとか、医師の見立てとかはまだわからないわけですが、文献などを調べて感じたことは、前立腺がんは5年生存率や10年生存率は他の癌に比較すると相対的に悪くはない。ということと同時に、自分で構築していた「人生設計図」の中に、未確定要素が入り込んできた。という事実は厳然として存在する、ということです。
そして、この事実を踏まえると、まずすべきことは、エンドポイントの再設定と、そこから逆算しての治療方針であり、自分の残りの人生に対する己の気持ちの持ちよう......大げさな言葉を使うならば、人生哲学ということになります。
死を見つめるからこそ、どう生きるかを考える。ということはよく言われることですが、まさにそういうことですね。 この病気が直ちに死と直結するものではありませんが、最悪のシナリオとして癌細胞の転移リスクはゼロではありませんし、実際に転移は起こりえるものであることは文献情報などからも明らかでした。
ジョーク的な言い方になりますが、私の頭の中では、83歳......august 03 が自分のエンドポイントとしていました。平均的な健康寿命が75歳ですから、それ以降 83歳までは、第三の余生のようなもの。願わくば、痴呆とは縁遠く、身体的には「歩行能力」は年齢並みに維持して、散歩を日課として、たまには孫と遊んで、寿命を迎える。 そういう設計図を描いていました。
そして、この設計図にできるだけ近似した形で、“75歳“ まで維持できること。これが治療方針のベースと考えています。 前立腺がんの場合、精巣も切除することで、性機能は喪失する。というのが医学的ルートなようです。........この部分は、治療方法とも関連するので、まだ確定しているわけではありませんが、男性として、性機能も QOLの一部として、治療方法を考えるうえでは無視できない重要事項ですので、さらにデータを検討したうえで、医師との話し合いに臨みたいと考えています。
こういう話題をここに記載して、読み手の皆さんにはある意味ご迷惑をかけているかもしれませんが、情報の整理とともに、自分の気持ち・考えを整理するうえで、この方法をとらせていただいております。
がんが見つかった、という報告はある意味ショックでしたが、自分はいつかは死するもの、という認識のうえでこれまでの人生を生きてきたことを再確認する機会にもなりました。
「書く」ことで自分のこころの整理をさせていただきました。
august03