図書館から借りた来た葉室麟著『古都再見』を読んでいたら
私の気持ちを代弁してくれたんじゃないかと思う一文があり、ここに書きます。
『歩きながら耳にするのは、はんなりとした京言葉ではなく、傍若無人な感じの
外国語だ。時には大声で冗談を言い、笑い合い。
そんな外国人観光客のそばを通り抜ける時、何となく索漠とした思いがする。
外国語を解さないゆえでもあるが、ひとつには、古都の風景を獰猛に味わい尽くそうとする
視線に辟易するからだ。
もう少しゆるやかにあるけないものなのか。』
葉室麟氏は表現が優しいけど、この春京都を歩いて私も『お~い!!ここは京都か?。』
と何度も思いました。ツアーで来たグループは何か大声で言いながら、(言葉わからない)
混雑おかまいなしに記念写真をとろうと場所を占拠したり、
友人を呼びながら私の傍らを足速く追い越して行きます。彼らも日本のマナーは学んで
来ているんでしょうが、なんせ絶対数が多いようです。ホント驚かされます。
きっと昔の日本人も外国でこんな風だったんだろうなと、思うことにしましたが
京都は千年の歴史に思いを馳せる京都でなくなったと思いました。(私の勝手な思い込み)
熱海の来宮神社を歩いた時のゆったり感はとても新鮮な霊験新たかな雰囲気でした。
ああ~、こうでなくっちゃと大楠に手を合わせてきました。
これからは観光国日本で行くようですが、京都はこのままでいいのかな~~?。
街全部真空パックに入れて押入れの奥に仕舞っておきたいような気分。
ガーデンパークにも春いっぱい、いろんな花が咲いています。
浜名湖中ノ島には潮干狩りの人たち
明日からは暖かくなるという予報、ここも賑やかでしょうね。
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