死者とともに生きる必要は、もうない。
死後に生者とともに生きないと決めた人間には、
その人間にふさわしい死に方があり、弔われ方があり、
死後の処理のされ方がある。
それを考えることがこの本の目的である。
(まえがきより)
少し前までは、私たちは死者とともに生きてきた。
いつも、死者は私たちと同居してきた。
「仏間」があり、室内には大きな仏壇があった。
座敷には、先祖の遺影が額に入れられて、飾られている。
家の中には、死者があふれ、その数は、
生きて生活している家族の数よりも多い。
しかし、それは、長くは地方のことであり、
この30年、都会に住む人たちの家の中から、
仏壇や遺影は姿を消した。
というか、新しい家族には、先祖とよばれる死者が、
いないのである。
死者を丁重に葬ることが、日本人の精神文化であった。
だが、社会は大きく変り、死のあり方そのものが、
大きく変容していく。
社会現象化した「無縁社会」は、生者同士の無縁化であると
同時に、死をも、無縁とする時代・社会を生み出したのである。
きょうも来てくださって、ありがとうございます
死後に生者とともに生きないと決めた人間には、
その人間にふさわしい死に方があり、弔われ方があり、
死後の処理のされ方がある。
それを考えることがこの本の目的である。
(まえがきより)
少し前までは、私たちは死者とともに生きてきた。
いつも、死者は私たちと同居してきた。
「仏間」があり、室内には大きな仏壇があった。
座敷には、先祖の遺影が額に入れられて、飾られている。
家の中には、死者があふれ、その数は、
生きて生活している家族の数よりも多い。
しかし、それは、長くは地方のことであり、
この30年、都会に住む人たちの家の中から、
仏壇や遺影は姿を消した。
というか、新しい家族には、先祖とよばれる死者が、
いないのである。
死者を丁重に葬ることが、日本人の精神文化であった。
だが、社会は大きく変り、死のあり方そのものが、
大きく変容していく。
社会現象化した「無縁社会」は、生者同士の無縁化であると
同時に、死をも、無縁とする時代・社会を生み出したのである。
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