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かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

現役最高齢の映画監督

2012-05-30 21:13:00 | 日記
現役最高齢の映画監督新藤兼人さんが、

老衰のため、100歳で亡くなった。

新藤兼人は、今の広島市佐伯区の出身であることは、

みなさんはよくご存知のとおり。

1950年に「近代映画協会」を作り、自らがシナリオを書いて、

自らが資金を調達するという映画作りを歩み始めた。

いわば、“独立プロ”の先駆者的存在であった。

1951年には、「愛妻物語」、1952年には、「原爆の子」を

製作。「愛妻物語」の主演乙羽信子は、こののち、新藤兼人のよき

パートナーとなっていく。

その乙羽信子の遺作となったのが、1995年の「午後の遺言状」。

しかし、独立プロでの映画製作は非常に厳しく、その解散記念

作品として製作したのが、1960年の「裸の島」である。

それからも、新藤兼人は映画を作り続けた。

そして、99歳で作り上げたのが、「一枚のハガキ」。

車椅子での製作となった。


私も、新藤兼人の映画はよく観た。

広島で、公民館で寝泊りしながら、映画を作ったこともある。

殿山泰治や乙羽信子の顔を見に出かけたこともある。

そして、私自身も、一時映画制作にかかわりたいと思ったときが

ある。

新藤兼人が設立したシナリオ専門学校の試験を受けようかと

真剣に考えたこともあった。


現役最高齢の映画監督であった新藤兼人さん。

日本映画史上に残した足跡と業績は、後世に長く語り

継がれていくことは、間違いないし、

広島が生んだ“偉大な映画監督”“シナリオライター”である。


広島ブログ いつも、ありがとうございます
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