きょうは、成人の日。
全国各地で、成人式が行なわれました。
テレビを観ていたら、
成人式に参加して、感想のコメントを求められた若者が、
「きょうまで、自分を育ててくれた、
ご両親に感謝したいと思います」。。
ちょっと、噴出しました。
私の、20歳の記憶。
成人式は、時間を間違えて、1時間早く会場へ
行きました。
当時は、携帯などはなく、どうしていいのかわからないまま、
寒い公民館の中で、じっと、立っていました。
もう、帰ろうかとも思ったのですが、またバス停に戻って、
今からやってくる人たちと、鉢合わせをするのも、
恥ずかしくて、我慢していました。
私は、そんな、ネクラの青年?だったと思います。
夢にまで見た国立大学に入学したのは、いいけれど、
大学は、「ああしろ、こうしろ」と、いちいち指示は
してくれません。
そんなネクラの自分が、2回生になった年、大学紛争の嵐が
吹き荒れました。
少しずつ出来ていた、友人とも、ばらばらになり、
本当に孤独な時期でした。
そんなときに、私に声をかけてくれたのが、
今は亡き、宮迫千鶴さんでした。
ちょうど、大学はバリケードで封鎖状態。
そのキャンパスで、サークル活動(映研)をしていたとき、
彼女は、ふらりと現れました。
口数も少なく、暗そうな自分を見て、すぐに察したのでしょう。
いろんな声をかけてくれました。
私のお寺にも、来たことがあります。
彼女は、自分の生い立ちや自分の病気のことを
打ち明けてくれました。
「●●●くん、←私のこと。って、すごいよ」
「僕の何が、すごいんですか」
「お寺に生れたこと。
お寺に生れたら、こんなになれるんだ」
私には、何のことか、さっぱりわかりませんでした。
大学紛争が、一応の決着をみた、次の年。
彼女は、上京したという噂を聞きました。
お寺に生れたことを、いつもハンディとして背負っていた自分。
あのころから、少しずつ、私の生き方も変って行きました。
何かが、ふっ切れた感じがしました。
それからは、とにかく、楽しいっていうか、
やりたい放題、言いたい放題、やってきました。
はじめ“しんみり”
中は“おもしろく”
終りは“尊く”
もう、そろそろ、おもしろくも、終りにしなくちゃ。
そして、最後は、尊く生きて見せなきゃ。
きょうも来てくださって、ありがとうございます
全国各地で、成人式が行なわれました。
テレビを観ていたら、
成人式に参加して、感想のコメントを求められた若者が、
「きょうまで、自分を育ててくれた、
ご両親に感謝したいと思います」。。
ちょっと、噴出しました。
私の、20歳の記憶。
成人式は、時間を間違えて、1時間早く会場へ
行きました。
当時は、携帯などはなく、どうしていいのかわからないまま、
寒い公民館の中で、じっと、立っていました。
もう、帰ろうかとも思ったのですが、またバス停に戻って、
今からやってくる人たちと、鉢合わせをするのも、
恥ずかしくて、我慢していました。
私は、そんな、ネクラの青年?だったと思います。
夢にまで見た国立大学に入学したのは、いいけれど、
大学は、「ああしろ、こうしろ」と、いちいち指示は
してくれません。
そんなネクラの自分が、2回生になった年、大学紛争の嵐が
吹き荒れました。
少しずつ出来ていた、友人とも、ばらばらになり、
本当に孤独な時期でした。
そんなときに、私に声をかけてくれたのが、
今は亡き、宮迫千鶴さんでした。
ちょうど、大学はバリケードで封鎖状態。
そのキャンパスで、サークル活動(映研)をしていたとき、
彼女は、ふらりと現れました。
口数も少なく、暗そうな自分を見て、すぐに察したのでしょう。
いろんな声をかけてくれました。
私のお寺にも、来たことがあります。
彼女は、自分の生い立ちや自分の病気のことを
打ち明けてくれました。
「●●●くん、←私のこと。って、すごいよ」
「僕の何が、すごいんですか」
「お寺に生れたこと。
お寺に生れたら、こんなになれるんだ」
私には、何のことか、さっぱりわかりませんでした。
大学紛争が、一応の決着をみた、次の年。
彼女は、上京したという噂を聞きました。
お寺に生れたことを、いつもハンディとして背負っていた自分。
あのころから、少しずつ、私の生き方も変って行きました。
何かが、ふっ切れた感じがしました。
それからは、とにかく、楽しいっていうか、
やりたい放題、言いたい放題、やってきました。
はじめ“しんみり”
中は“おもしろく”
終りは“尊く”
もう、そろそろ、おもしろくも、終りにしなくちゃ。
そして、最後は、尊く生きて見せなきゃ。
きょうも来てくださって、ありがとうございます