かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

成人の日

2014-01-13 21:15:13 | 日記
きょうは、成人の日。

全国各地で、成人式が行なわれました。

テレビを観ていたら、

成人式に参加して、感想のコメントを求められた若者が、

「きょうまで、自分を育ててくれた、

 両親に感謝したいと思います」。。

ちょっと、噴出しました。


私の、20歳の記憶。

成人式は、時間を間違えて、1時間早く会場へ

行きました。

当時は、携帯などはなく、どうしていいのかわからないまま、

寒い公民館の中で、じっと、立っていました。

もう、帰ろうかとも思ったのですが、またバス停に戻って、

今からやってくる人たちと、鉢合わせをするのも、

恥ずかしくて、我慢していました。

私は、そんな、ネクラの青年?だったと思います。


夢にまで見た国立大学に入学したのは、いいけれど、

大学は、「ああしろ、こうしろ」と、いちいち指示は

してくれません。

そんなネクラの自分が、2回生になった年、大学紛争の嵐が

吹き荒れました。

少しずつ出来ていた、友人とも、ばらばらになり、

本当に孤独な時期でした。

そんなときに、私に声をかけてくれたのが、

今は亡き、宮迫千鶴さんでした。

ちょうど、大学はバリケードで封鎖状態。

そのキャンパスで、サークル活動(映研)をしていたとき、

彼女は、ふらりと現れました。

口数も少なく、暗そうな自分を見て、すぐに察したのでしょう。

いろんな声をかけてくれました。

私のお寺にも、来たことがあります。

彼女は、自分の生い立ちや自分の病気のことを

打ち明けてくれました。

「●●●くん、←私のこと。って、すごいよ」

「僕の何が、すごいんですか」

「お寺に生れたこと。

 お寺に生れたら、こんなになれるんだ」

私には、何のことか、さっぱりわかりませんでした。



大学紛争が、一応の決着をみた、次の年。

彼女は、上京したという噂を聞きました。


お寺に生れたことを、いつもハンディとして背負っていた自分。


あのころから、少しずつ、私の生き方も変って行きました。

何かが、ふっ切れた感じがしました。

それからは、とにかく、楽しいっていうか、

やりたい放題、言いたい放題、やってきました。


はじめ“しんみり”

中は“おもしろく”

終りは“尊く”


もう、そろそろ、おもしろくも、終りにしなくちゃ。

そして、最後は、尊く生きて見せなきゃ。


広島ブログ
 
きょうも来てくださって、ありがとうございます
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