かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

食育と平等

2013-06-30 20:18:21 | 日記
授業中、気失う子続々…緊縮財政で「飢え」深刻
  ソース:読売新聞

緊縮財政下のギリシャで「飢え」が問題になっている。
授業中に空腹で倒れる学童が出る事態に、
民間ボランティアが救済に乗り出した。
アテネ郊外の住宅街にある民間活動団体(NGO)
「アルトス・ドラッシ」は、賞味期限が迫った食材などを
地元の協力で集め、毎日約120人分の料理や食品を
無料で配っている。
昼近くになると、大きな手提げ袋を持った人が次々と訪れる。



むかしむかし、あるところの、

とある小学校のお昼どき。

給食時間も終わりに近づき、食べ終えたほとんどの子どもたちは、

グランドに出て、楽しく走り回っています。

ところが、ある教室では、一人の女の子が、冷え切ったご飯と

おかずを目の前にして、じっと下のほうを見つめていました。

体調がすぐれないのか、もうお腹がいっぱいで食べれないのか、

それとも、嫌いな食べ物が目の前にあるのか。

その子の周りには、給食当番の子どもたちが、遠目から、

「早く食べろよ」と言わんばかりの形相で、彼女を見つめて

いました。

そして、給食時間の終わりを告げるチャイムが鳴りました。

この女の子は、とうとう給食を残してしまいました。

「きょうも、俺たちのクラスは褒美がもらえない」

ある男の子が、そう、つぶやきました。

クラスの全員が給食を完食をすれば、ご褒美として「シール」が

もらえたのです。

実は、この光景は、私の坊守が小学校で経験したことなのです。


こんな光景は、今に始まったことではないようです。


最近、「食育」という言葉をよく耳にします。

「食を通して、子どもを育てる」

でも、上のような光景が、昨今の教室にもよく見られます。


子どもたちは、一人ひとりがみんな違います。

ある教室では、4月に10歳になった子どももいれば、

1ヶ月前の3月にやっと、9歳になった子どもがいます。

10歳までの子どもにとって、4月生まれと3月生まれとの

子どもでは、約1年の差があります。

だから、

身体の大きい子、足の速い子、よくしゃべる子、寡黙な子、

よく食べる子、そうでない子。

いろんな子どもたちがいることは、ごく自然のことです。


“みんなちがって、みんないい!”


「平等」ということは、みんな一人ひとりが違うということを

認めるということだと思います。

みんなを「同じようにする」というのは、平等ではないと思うんです。


昔、小学校の運動会で、“平等に”ということで、

徒競走などに順番をつけないということが、実しやかに、

行なわれたことがありました。

足の速い子もいれば、遅い子がいるのも当たり前。

「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」

それぞれの子どもに、到達目標を持たせることは大切ですが、

みんなを全部、同じところに到達させようというのは、

実際は、無理なことです。


イチローは、世界に一人しかいません。

みんなが、世界一になったら、

もう、大変なことになります。


広島ブログ
 
きょうも来てくださって、ありがとうございます
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