あたびん♪の蛙な生活

大好きな『蛙』と『音楽』のある楽しい生活が目標デス。

真民さん、逝く。

2006年12月15日 | マジメな話し
詩人の坂村真民さんが97歳で亡くなられた

前のブログには書いたことがあったけど、殿村進さんの絵を通して真民さんの詩を知り、私にとって大好きな詩人のお一人でした。

ひねくれモノで、メッセージ性の強い詩や本は素直に受け付けないワタシですが、唯一真民さんの詩は殿村さんの絵の力とともに、心に真っ直ぐに沁みて大切な宝物であり、心の支えでもありました。

辛い時や悲しい時、どれだけ力をもらって来た事か。

今朝、新聞の記事で坂村さんの死亡を知りました。
97歳。老衰。
たくさんの宝のような言葉や詩を残して、仏様になられた真民さん。
ご冥福をお祈り致します。




“編集手帳”より

2006年11月14日 | マジメな話し
今日の讀賣新聞「編集手帳」より引用。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

伊東柚月さんという方の詠んだ五行歌を頭でなぞっている。

「いっそ
 大きく凹もう
 いつか
 多くを満たす
 器になるのだ」


草壁焔太編「五行歌秀歌集1」(市井社)に収められた一首である。器を満たすものは涙かも知れない。涙の容器になることなど誰しも望みはしないが、凹みを知らない人間に比べてどれほど魅力的か。

一片の詩句を知ることで、気の持ちようで、死を決意させるほどの苦しみが薄らぐとは思わない。自分を励ますことに疲れ、いまこの瞬間にも力尽きそうな子供たちのひと粒の糧になればと、藁にもすがりつく心境でここに引いた。

人を自殺に追いやるほどのいじめは、ほとんど犯罪である。告発するのは少しも恥ずかしいことではない。凹みも深ければ器が割れる。割れる前に、涙の湖を語ってほしい。

もう1本の藁にすがる。

「いじめっこが
 いじめられっ子に
 ひらあやまり
 三十年ぶりの
 同窓会」 (清美)

昔よりも陰湿で残忍ないまのいじめにはそのまま通用しないとしても、「歳月」がいかなる魔法を演じるかは生きつづけてみなければ分からない。

30年とは言わず、3年、いや1年、心の凹みを打ち明け、声を発して生きてごらんなさい。あの時、死ななくてよかったと思う瞬間が必ず訪れる。約束しよう。だからいま、死んではいけない。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


読み捨てにしたくなかったので、記録しておきたくて、ここに引用させていただきました。

新潟県の小学校には何故音楽専門の教師がいないのか。

2006年10月27日 | マジメな話し
どうしても言いたい事が溜まりに溜まってバクハツしてしまいそうなので、ここで少しデトックス。

まず、小学校と言えども、音楽は特殊な分野だし、専門の教師は必要だと思います。
私は埼玉の小学校で育ちましたが、当たり前のように、音楽の時間は音楽の先生が教えてくださいました。

全国的にそう言うものだと思っていたのですが、どうもここ、新潟県はそうではないらしく。
オタマの通う小学校も、然り。
音楽について全く理解も知識もない先生が、『仕方なく指導してます』的な空気に満ち満ちております。
と言うか、実際にその通りで。

おまけに中には
「この小学校は、歌ばっかり歌ってるから学力が低いんだ」
なんて豪語するおバカ教師までいる始末
(しかもそれがオタマの担任だったりする)

この日本には、音楽振興法という法律がちゃーんとあるんです!

しかも、文部科学省のHPにもこんな掲載までありました。
音楽文化振興のための学習環境の整備等に関する法律の施行について

つまり、音楽が、人間の生涯を通しての学習という観点から、いかに有効なものであるか。子供の教育においても、音楽を有効に使う事がいかに大切であるか。
国もちゃんと認めているんですっっっ


なのに、上記のような現状で。
オタマの小学校、対外的には、「歌の好きな小学校」としてアピールしてたりします。
実はあさって文化祭で、午前にはその目玉である【音楽発表会】が学年ごとにあるんですが。
それもね。本当に先生次第って感じで。
子供達はもっともっと可能性も才能もあるはずです。
ほんのちょっとした、的を射たアドバイスなり指導なりがあるだけで、どれだけスバラシイものになるか。
それが全く理解されていない。と言うのが分かってしまう内容ばかりで。
当日はお客様向けなので、今日は学内向けの発表会で、それを聴きにいっていたhiyokoさんからも、途中怒りのメールが来るくらいの出来だったようで。
残念でなりません。

もう一つ。
春の運動会で、5・6年生による【トランペット隊】の演技というのがあるんです。
これも、年々ひどくなる一方。
近所の友人(パパ)で、この小学校の卒業生がいるんですが、彼も、自分の時はもうちょっと良かったと毎年嘆いている位。
ウチのオタマもバトンで参加していますが、我が子可愛さを持ってしても、やっぱりヒドイ。
あれを発表させるなんて、子供達が可哀相と思ってしまうくらい。
だいたい、先生方は全く指導してないし。

もしね、自分達で指導する力がないのであれば、別に学外から専門の方を呼んで指導してもらったって、全然恥じではないと思うんですよ。
1回でも2回でも、きちんとしたポイントを抑えた指導を受ければ、子供達は抜群に良くなるはず。なのに、それも、しない。
モチロン、ご自分達も研修になんて、行かない。

とにかく、小学校の先生達の、音楽に対する理解の低さ、意識の甘さには目を覆いたくなる現状です。

私も黙ってばかりいたワケでもなく、事あるごとに先生には言ってきましたし、今回、音楽発表の伴奏者選びについても、本当にあまりにも子供達の事を考えていないやり方だったので、先生宛に手紙を書いて主張もしました。
でもあまり変わってはいませんね。
「その場さえ納まれば、いいや」
と言うのが見え見え。

ここに書いたからってどうなるものでもないですが、どこかでぶちまけないとジンマシンが出そうな位、腹が立ったので、毒出しさせて頂きました