18世紀のヨーロッパで流行したキュロット。「ベルばら」ではオスカルとアンドレが、お屋敷にいる時履いていることが多かった。
↓ コンティ大公妃主催の舞踏会に、最初で最後のドレス姿で出かけたオスカル。お相手のフェルゼンの美しい宮廷着。
↓ 出動前夜。二人ともキュロットを履いていた。キュロットの先から伸びるふくらはぎのラインがきれい。
キュロット(=フランス語culottes)は、平たく言えば半ズボン。英語ではbreeches。17世紀からヨーロッパで、王侯貴族と豊かな農民が履くようになった。ただし身分の区別を示すため王侯貴族のキュロットの素材は絹、農民たちは木綿などを使用した。前開きでボタンによって開閉するタイプもあった。
↓ 18世紀後半、イギリス。素材は木綿。
キュロットが流行り始めた頃はニーハイのソックスを履いていたが、やがてキュロットの中に隠れる長いストッキングを着用するようになる。裾部分がどんどんタイトになっていき、両サイドにスリットを入れたりボタンやバックルで装飾した。そのため男性たちは体型をスリムにしたり、従者の手を借りて履く人もいた。
↓ ヴェルサイユ宮殿の庭園で、ポーズをとる貴族。
↓ アメリカの上院議員Elijah Boardmanを描いた肖像画。(1789年)
↓ 絹と木綿製のキュロット、フランス(1765年~1775年)
↓ スウェーデン国王グスタフ3世が婚礼で着用した礼装はとても豪華。彼はフェルゼンを、密使としてフランスに送りこんでいる。この人がグスタフ3世。なんとなくおしゃれ好きな感じが漂う。
↓ こちらが1766年、婚礼の際に着用した服。おそらくフランスであつらえたと思われる。
↓ キュロット。おなかが出ておらず、スリムな体型。
↓ ウエスト部分。お針子さんたちが一針一針丁寧に縫ったのだろう。
↓ 裾部分
↓ 袖口部分。見事な手仕事。着用するととても重たかったはず。
貴婦人たちはローヴ・ア・ラ・フランセーズの下に、お脚を隠してしまうけれど、男性たちは美脚を披露するため、ヒールの高い靴を履いてみたり、ダイエットしたりと涙ぐましい努力を重ねていたりして…。現代と真逆なのが面白い。貴婦人たちは男性陣のふくらはぎを見ては、ああだこうだと品定めしていたかもしれない。
↓ おまけ画像:7月20日(木)から、長野市の北野カルチュラルセンターで、池田理代子先生の50周年記念展開催。センターの正面入り口には、大きなパネルが飾られている。
読んでくださり、本当にありがとうございます。
>アレが似合うなんてさすが王子様!なんて思ってしまいました
ヨーロッパの王室は、現代的なものを取り入れながら、古きものも大事にしていますよね。子どもたち、愛らしかったです。女の子も可愛かった。作ったのは、どこの国の人でしょう?
>ふと思い出したのが「サブリナパンツ」・・・オードリーヘップバーンがはいていたあれです
「麗しのサブリナ」でしたね。ヘップバーンは、ジバンシーのデザインした服を、映画やイベントで着ていましたっけ。
>女性に見せて気をひくため・・・孔雀など派手な装いをする鳥たちのようですね
そうでした。孔雀はオスのほうが羽根が華やかですね。18世紀の貴族社会で生きるには、男性も女性も制約が多く大変だったはず。シュミーズドレスが好まれた理由が、わかる気がします。
このキュロットを見ていて、ふと思い出したのが「サブリナパンツ」・・・オードリーヘップバーンがはいていたあれです。
短い目のサブリナパンツを想像してしまうなんて・・・そういう年齢です(笑)
画像を見ていて、なんか窮屈そう・・・と思っていました
伸縮性も現代の素材よりは少ないでしょうし、刺繍や飾りで重いだろうし・・・・おしゃれをするのも一苦労だったことでしょう。
女性に見せて気をひくため・・・孔雀など派手な装いをする鳥たちのようですね