Vばら 

ある少女漫画を元に、エッセーと創作を書きました。原作者様および出版社とは一切関係はありません。

マリー・アントワネット展 (11)

2016-12-05 22:38:19 | つぶやき

 第11章の続きです。

 第11章 「革命の動乱の中の王妃」

↓  第11章の後半には、この展覧会の見どころの1つであるフェルゼンとアントワネットの間でやり取りされた、書簡のコピーが展示されている。アントワネットが1792年1月4日、フェルゼンに宛てて書いたこの手紙、最後の数行が黒く塗りつぶされている。塗ったのはフェルゼン自身か、あるいは彼の身内が家名を汚したくなくてわざと消したのか今となっては不明だけれど、2015年11月にやっと解読され実に約220年の時を超えて全文が明らかになった。そして隠されていたその内容は… 

愛する人、私はあなたを狂おしいほどに愛しています。

あなたをお慕いしない瞬間は、私の人生には決してありません。

  この手紙を書いた翌年、アントワネットは処刑されている。

 アントワネットはフェルゼンに対し愛を、ルイ16世には情を感じていたのではないだろうか?チュイルリー宮殿に幽閉されている頃、アントワネットは自分の部屋と隠し部屋とを繋ぐ秘密の通路を作らせ、その鍵をフェルゼンに渡していた。夫であるルイ16世すら隠し部屋に通されることはなかった。その密室で二人は秘かにヴァレンヌ逃亡計画を練っていたという。誰の目も届かぬ部屋でビジネストークのみならず、愛を語り合っていても不思議ではない。

 手紙の内容が他者に読まれぬよう、二人の間で取り決めた暗号表の複製も展示されていた。暗号文字は600種類以上もあり、よほど相手に対し深い思い入れがないと、こんなごちゃごちゃした複雑な文字の羅列で手紙は書けない気がした。

↓  アントワネットと、ルイ16世の妹エリザベートが亡くなる2年前から手掛けた絨毯。チュイルリー宮殿の玉座の間に飾る予定で、一針一針丁寧に仕上げていた。とても大きな作品で417cm×641cmもある。一心不乱に刺繍に打ち込む時、2人は束の間革命の動乱を忘れ、モノヅクリの楽しさや喜びを味わっていたはず。この絨毯が飾られた部屋で、再び玉座に座れる日が来ることを夢見ていたかもしれない。絨毯の花模様は、公式グッズのマスキングテープ等にも使われている。絨毯は羊毛と絹でできている。

 読んでくださり、どうもありがとうございます。



2 コメント

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Unknown (ポム)
2016-12-07 00:53:15
りらさま。いつも楽しく読んでいます。
チュイルリーに幽閉されている間にアントワネットが自分の部屋に通じる秘密部屋を作り、鍵をフェルゼンに渡していた、と言う話は初めて知ったのですが、これは開催中のアントワネット展でそういう説明があったのでしょうか?
海外のアントワネット関連のサイトでは、チュイルリーで住むようになって彼女が最初にしたことは、夫の部屋と自分の部屋をつなぐ秘密の通路を作らせたことだった、と読んだので、ちょっと疑問に思って質問させて頂きました。ベルサイユ宮殿ではその通路があったせいで命を取り留めたので。

あと、文字が塗りつぶされている手紙のことですが、この暗号を知っていたのは彼女とフェルゼンの2人だけではなく、侍女に代筆させることもあったそうです。
恐らく、この面倒な暗号を考え出すのに第三者の協力を求めたのではないかと思うのですが・・。

ちなみに当時の上流階級の女性は友人(女性の友人も含めて)充ての手紙に、現代の感覚では恋人に充てるような甘く感傷的な言葉(狂おしいほど愛しています、とか)をつづっていた、という背景もあります。
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ポムさま (りら)
2016-12-07 22:38:11
 コメントをありがとうございます。

>これは開催中のアントワネット展でそういう説明があったのでしょうか?

 アントワネット展では、このような解説はありません。以前読んだ中野京子さんの本(中野さんは、アントワネットに関する著作を複数書いておられますので、どれだったか題名を忘れてしまいました。すみません。)に書いてありました。チュイルリー宮殿は現存しないので史料を頼るしかありませんが、実際どうだったのでしょうね?

>侍女に代筆させることもあったそうです。
恐らく、この面倒な暗号を考え出すのに第三者の協力を求めたのではないかと思うのですが・・

 今回森アーツで展示されている手紙の翻訳にも、「この手紙を持参する○○は、信頼に値する人物です。」みたいなことが書かれていました。ポムさまがおっしゃるように、フェルゼンとアントワネットから絶対的な信頼を得ていた口の堅い人物がいなければ、書簡のやり取りやヴァレンヌ逃亡の実行は不可能でしょうね。電話もメールもない時代、外交上の機密を守る必要もあって、暗号文字を考え出す専門職の人がいてもおかしくないです。

>現代の感覚では恋人に充てるような甘く感傷的な言葉(狂おしいほど愛しています、とか)をつづっていた、という背景もあります

 池田理代子先生も、「当時オスカルのようなれっきとした職業軍人ではなく、男装して女性と疑似恋愛を楽しむ女性もいた。」と書いています。私たちが思うよりも軽い感覚で、愛を囁いていたかもしれませんね。
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