今年1月父が逝ってしまいました・・・・年も85歳で世間でいう大往生でした。
80歳ごろから色々病気をしたり一時は認知症が悪化したりと大変でしたが、2年前位から落ち着いた生活が出来ていました。
しかし自分でも常に急変がある事を理解しているようで、帰省して帰る時にいつも
「これでお別れになるかもしれんが、恨みっこなしやぞ・・・」と言って握手してくれていました。
その日は、朝食を食べて昼頃に嘔吐して横になり、夕方急変し救急車を呼んだ時は手遅れだったとの事でした。
骨拾いの時に脳内出血していた事が分かり、余り苦しまずに逝ったのだと想像ができて少しは慰めになりました。
通夜の日は大雪の中のピーカンで・・・・葬儀の日は前も見えない程の大雪で・・・・・まるで父が浄化してくれているように思えました。
亡くなってから、ずっーと受け入れない自分がいて・・・・父の話しを避けてきました。
今日の朝方亡くなってから一度も夢枕に立ってくれなかった父の夢をみました・・・・・目が覚めて「父の日」だった・・・と気がつきました
半年たちました・・・・・少し父の思い出を書こうという気になりました
私にとって父は、常にユニークな考えを教えてくれる師であり一緒に遊べる友達であり、唯一の味方でした。
持論は「苦労は買ってでもしろ・・・と言うが苦労はしない方が良い!買ってまでするな!」でした。
自由人(単なるわがまま??)の父は、寄り合いなど行きたくないと思ったら、平気で居留守を使っていました。
高校を卒業して予科練の入隊が決まって、あと1週間で入隊という時に終戦になったそうで、その後上京して警視庁勤務していました。
で・・・私は警察病院生まれです。私が3歳の頃実家の山奥に戻り専業農家になったのですが、常に「どうすれば楽に仕事ができるか・・・」
と考え実行に移し失敗していました・・・・・でも遊び(旅行)には借金をしても行く人でした。
私は、真面目な大人の中でユニークで破天荒で、ちょっとおっちょこちょいで人に左右されない父を凄いといつも思っていました。
小学校の頃は「友達を大切にしなさい。一番助けてくれるのは友達だからね」と良く言われてました。
そのためか、今まで友達に恵まれ、お互い助け合い30年40年の付き合いをしている心許せる友達が何人かいます。
いじめにあって自分に自身をなくし、死にたいと思っていた私に「大丈夫!お前なら乗り越えられる。信じているから」と言ってくれた父・・・
就職の面接時に「尊敬する人は?」と聞かれて「父です」と言ったら、「いま時珍しいですねぇ~」と言われましたが・・・合格しました。
結婚の時は、今でいう出来婚だったためdanna様の両親から反対をされてしまった私に「まかせておけ!」と言って
danna様の両親を説き伏せて、danna様と養子縁組をして「うちの息子や!」とみんなに紹介をしている父にびっくりしました。
結婚してからは、夏は農業を手伝いに実家に通い、秋には父母と一緒に旅行を楽しみ子供がついて来なくなっても4人で旅行をしました。
父は、旅行が趣味で、ほぼ日本中行っていない所がないくらい出掛けていました。
しかし年とともに心筋梗塞や胃がんなどの手術をして(入退院しながらも不死鳥のように蘇ってくるのですが・・・)
体力が衰えた為か、車酔いが酷くなったのと自宅以外で宿泊すると認知症状が悪化する状態になり中止しました。
常に自分だけは大丈夫と思えるポジティブな人でした(私の前でだけは、そうしていたのかも知れませんが・・・)
これからもあなたの教えを忘れないようポジティブに自分の道を行きたいと思います。
「なんとかなるわ~」・・・・が父の口癖でした。
そうですよね・・・自分が心強く願えば、なんとか世の中なって行くものですよね!
ありがとう・・・・お父ちゃん・・・・あなたの子供に生まれて幸せでした
さようなら・・・・・・・
合掌
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