ヒヨコピヨピヨ

いつの間にやら5年目も終盤。会社の策略にはまり北の地への赴任。もう少しがんばります。

土佐日記

2008-02-12 23:32:19 | Weblog
功名が辻の中で土佐へ移封を命ぜられた山内一豊は
「土佐は叛骨の強い土地で容易ならぬ連中が住んでいる。」
そして長宗我部氏の残党は自分の命を狙っているに違いない、
怯えていました。

その遥か子孫、山内容堂が高知を治める幕末時代。
おーい竜馬の中で描かれる土佐は桂浜を始めとして
美しい土地でした。

高知は昔から行ってみたい場所で、
そんな念願を今回無理矢理叶えました。


土佐!


憧れの桂浜。
香川で見た穏やかな瀬戸内とは違う力強い太平洋。

土佐!

青が深くて波も強い。


土佐!



同じ四国でも香川と高知はその昔文化圏が違ったというのも
海を見ると納得です。

雰囲気もそうですがまじめに分析すると、高知は四国の南一帯太平洋側だけに
開けており、京都や大阪からの海路としては非常に行きづらかっただろうと予測。
今回愛媛から高知に抜けて来たのですが、かなりの山道。
高知インターから高松まで高速にも乗りましたが、その間も周囲はかなりの山。
陸路としても香川・徳島と隔絶されていたのだろうなと。
そうなると戦国の頃は先進の文化圏の影響があった四国の北側とは
隔絶された野蛮な土地だったというのも納得です。

竜馬像もいましたよ。
中岡像の方を向いているという噂は本当か?
中岡慎太郎像は行きたかったけど、時間がなく断念。

そういえば、前日の宿泊を高知県の愛媛県寄りの山中、
梼原という所にしたのですが
ここには竜馬脱藩の道という場所がありました。
坂本竜馬が脱藩する時にこの道を通り京都に逃げたという道です。
梼原から桂浜近辺まで車で約2時間程でした。
それにこんな山道をよくもまぁ…といった山奥。
こんな山道を通ってでも脱出したかったという時勢を思うと涙が出ます。


おーい竜馬の中にははりまや橋も舞台として出てきておりました。
歌にも出てくる有名な橋。
しかしながら、日本でも有数のガッカリスポットということも聞いていました。

さてどんなもんか?

大人の事情を歌った歌だね。

しょぼさは知っていたので車中から写真だけ撮りました。
噂に違わぬスポット。
みじかっ。ちっちゃっ。しょぼっ。


桂浜を見た感動ムードはどこへやら。


高知への滞在時間わずか3時間という非常に短いもので、
高知城も楽しみにしていたのですが断念しました。
次回はもう少しゆっくり回ってみたいものです。
四国よかったです。

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