今日は太郎との対談では触れられていない黒川紀章と海外の繋がりを紹介
【ソビエトへの旅】
1958(S33)年 黒川24歳 東大大学院建築学科在学中
全国50大学が参加する日本建築学生会議の初代委員長を務める
ソビエト共産党から世界建築学生会議に招待され 初の海外旅行へ
レーニン大学で行われた上記会議の議長として取り仕切る
2000(H12)年 65歳
42年ぶりにロシアを再訪 学生会議時代の級友や初恋の女性と再会する
この時のドキュメント映像が NHK BS2~Youtube動画で遺っている
世界わが心の旅~黒川紀章のソビエト Part1-3 (連続再生されるはず)
【海外の建築】
黒川紀章は国内の建築だけでなく 外国の建築設計も数多く行っている
その一部を紹介
1988(S63) ドイツ ベルリン日独センター
■1991(H03) オーストラリア メルボルンセントラル Photo taken by Sho Horiuchi
■1992(H04) フランス ラ・テファンス パシフィック・タワー
■1995(H07) シンガポール リパブリック・プラザ by Photographer/Painter: Huaiwei
■1998(H10) マレーシア クアラルンプール国際空港(メイン・ターミナル)
【外国の都市計画】
1998(H18)年のカザフスタン政府主催の首都アスタナ計画の国際コンペで
黒川紀章の都市計画案が1位に選ばれた 2030年完了予定で建設中
このほかに中国や台湾の都市計画にも関わった
アスタナ~Youtubeで表示→字幕アイコンをクリックで日本語(自動翻訳)
それでは明日またお会いしましょう
[Rosey]