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日々の聖書(5)――人間の努力

2006年11月26日 | 日々の聖書

日々の聖書――人間の努力

 

そして私は見た。人間の成功をめざして行なうすべての骨折りは、隣人の持ち物を妬んでのことであることを。これもまた空しい、心の虚しさである。       (伝道の書第四章第四節)                

 

現代人は今日もまた働き蜂のように、アリのように勤勉に働きつづける。とくに日本人やドイツ人などは勤勉な民族だと思われている。
砂漠の民やラテン民族などは、日本人ほど几帳面でもなければ、働き蜂でもないかもしれない。

それにしても、いったい人間がこれほど勤勉に働く本当の動機は何なのだろうか。もちろん、それはまず衣食住の充足のためであることは言うまでもない。しかし、ただそれだけだろうか。単に、飲んで食べて着て、そして住まい、交わるだけであるなら、たとえ日本人であっても、こんなに過労死するほどに働かなくても済みそうである。

しかし、いわゆる資本主義社会では、人間の欲望は社会的に作り出されるものである。とくに、社会の構造上からも、企業は利益の追求と獲得とを余儀なくさせられるから、社会的動物で見栄っ張りの人間の欲望はそれでなくとも否が応でも刺激され、駆り立てられる。

欲望とは絶対的なものではなく、相対的なものである。現代先進国の私たちの私有する財産は、アフリカやエスキモーの人々の何百倍に達しても、それでも、先進国の人々はその富を隣人と比較させられるかぎり、貧困感から来る疎外感は避けられず、隣人以上の富の獲得をめざして駆り立てられる。

この人間的な真実は、何も現代人のみに留まらないようである。聖書の『伝道の書』の著者であるコヘレトもすでに数千年前に、富と成功をめざして努力する人々たちの、倦むことも疲れることも知らない人間の骨折り、労苦を見ていた。そこに真の安息から遠い人間の心の営みを見て、人間の心の働きの本来的な虚しさを歌う。日本のつれづれ草の兼好法師も、差し迫る死を忘れてアリのようにうごめきまわる人々を描写していた。

改めて、静かに聖書などを精読、黙考しながら、本能的に刺激されて虚しく働きまわる思考回路を一度は断ち切って、私たちの骨折りや人生の意義を反省する機会を持ちたいものである。

 

 そして私は見た。人間の成功をめざして行なうすべての骨折りは、隣人の持ち物を妬んでのことであることを。これもまた空しい、心の虚しさである。       (伝道の書第四章第四節) 



 

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