海と空

天は高く、海は深し

hishikaiさん

2008年07月07日 | 時事評論

hishikaiさん、あなたに頂いたコメントにお礼とお返事をしようと思ったら、「内容が多すぎますので、946文字以上を減らした後、もう一度行ってください」という表示が出てしまいました。面倒なので新しい投稿記事にしました。


hishikaiさん

今日は暑かったですね。hishikaiさんのお住まいの地方はどうでしたでしょう。
とは言え暑いからこそ夏なのでしょうが。あなたのブログも折に触れ訪問させて頂いています。

ところで私のブログも少し真面目すぎるかなと感じています。もう少し、ユーモアや冗句もあってもいいかなという反省もあります。「哲学のユーモア」か「ユーモアの哲学」も気にかけて行こうと思うのですが、どうしても地が出てしまうようです。

hishikaiさんにコメント頂いたのですが、今回の記事で、戦後半世紀以上も、この日本国を支えてきた「平和」憲法の核心を根本的に批判しているはずですのに、ほとんど何の反響もないのも少しは寂しく残念な気がします。無名で平凡な一市井人のつぶやきには、誰も真剣に耳を傾けないのでしょう。

無視を決め込んでいるか、問題提起にも意識が掘り起こされるということもないのでしょう。本当は「平和」憲法を養護する憲法学者たちの意見を聴きたいのですが、皆さん、政府の審議委員などのお偉方できっとお忙しいのでしょう。非哲学的な国民のことですから、このあたりが妥当だろうと思っています。

hishikaiさんはコメントで「本文では「非哲学的な日本国民」を平和主義者を自認する人々に絞って用いているように読めます」とありますが、そんなことはありません。

哲学における国民性の資質と能力に――それは、宗教などに規定される面も大きいと思うのですが、私は希望は持ってはいませんから。どんな国民にも得手不得手はあるから仕方はありません。ただ、国民と国家の哲学が深まらないかぎり、国家や国民に本当の「品格」は生まれて来るはずはないとは思いますが。

また、hishikaiさんは「これからの我国では左右両翼の対立に代えて、真に対立軸とすべきは、この哲学的思考の有無でなければならない」ともおっしゃられていますが、この認識をもう少し具体的に進めて言えば、この「哲学的思考の有無」は「ヘーゲル哲学に対して自分はどういうスタンスを取るか」、あるいは、とくに国家論で言えば、「ヘーゲルの「法の哲学」に対して自分はどのような立場を取るか」、ということになるだろうと思います。

しかし、残念ながら国立大学の憲法学者たちですらこの教養の前提がなく、したがってそうした問題意識すら生まれてこないのが現状であるようです。そうして、こうした憲法学者が、日本国民に憲法を「教授」しているのです。

 

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七夕は

2008年07月07日 | 日記・紀行

七夕は

今日は七夕。ブログで生活の記録をたとえ断片的にであれ、残し始めてからすでにというか、まだわずか3年ほどにしかならない。しかも、その七夕の記憶も、2005年と去年の2007年の記録はあるのに、2006年の七夕の記憶がない。

さらに古い七夕の記憶を思い起こしてみる。まず浮かんでくる情景がある。少し年の離れた弟が、お風呂に入ったあと、あせも予防の白粉を塗って浴衣を着せて貰い、短冊を飾り付けた笹を手にして微笑んでいる。それから、近所の人たちと一緒に近くの淀川へ笹を流しに行った時の子供たちの声のさざめき。

しかし、二十歳代、三十代になってからの記憶はほとんどない。その頃の自分は、今頃何をしていただろう。自我の目覚め始めた中学生頃から始めた古い日記を探れば、何とか記憶をたどることは出来るだろうが、そんな気にもならない。

一昨年2006年7月7日前後の、ブログ記事を探してみると、

民主主義の概念(1) 多数決原理(2006年7月6日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060706
阪大生の尊属殺人事件(2006年7月8日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060708
雅歌第八章(2006年7月3日)
http://blog.goo.ne.jp/aseas/d/20060703

などがあるぐらいで、2006年の七夕の日の記憶は残していない。おそらく世事に紛れて、七夕のことなどすっかり忘れてしまっていたのかも知れない。私のアナログ日記(日記帳)を見てみると、確かに2006年7月7日(金)の記録はある。しかし、株価の下落や理論的能力の低さについての記述はあっても、この年の七夕の宵についての論及はない。ほとんど宇宙の彼方に消えてしまっている。

2005年の七夕は、確かまだブログも開設して間もない頃で、かなり激しい夕立のあったことを記録している。「七夕の宵」という日記では、その宵のつれづれを、伊勢物語の中の場面を思いだし『渚の院の七夕』と題して書いた。http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20050707

阪急京都沿線の水無瀬駅近くに、平安時代の昔に惟喬親王や在原業平たちの遊んだ別荘があった。「渚の院」と呼ばれていたが、桜の美しい頃そこで彼らは七夕にちなんだ歌を詠んで残している。

2007年の七夕は、『VEGA』と題して書いた。
http://blog.goo.ne.jp/sreda/d/20070707 そこで七夕の宵に紫の上の一周忌を迎える光源氏の寂しさを回顧した。

七夕がなぜ人々の心を引きつけるのか。織り姫と彦星という星の出会いに、人と人が出会うという奇跡が、象徴されているからだと思う。
何千万人、何億人という人間が存在する中で、妻や夫の関係として、あるいは恋人の関係として私たちが出会う相手は、確率的に言えば本当に奇跡のようなものだ。その出会いが嬉しくないはずはない。

その一方で、本来出会うべき伴侶が、運命や神のいたずらで、一寸一秒のすれ違いに互いに相見えることなく生涯を終えるということもあるにちがいない。私たちの人生の舞台裏をのぞき見ることが出来るとすれば、そんな悲運に流される涙は尽きないのではないだろうか。無数の出会いと別れの織りなすものが私たちの人生に他ならない。

今年の七夕はとくにこれと言った感慨もないし、夜空に星は見えるけれどもさほど美しくもない。牽牛、織姫たちを探す気にもならない。

それでも、少しでも触れて記憶に留めておこうと思う。昔の人が七夕を詠っても、それは陰暦のもっと暑い夏の盛りのことだったけれど。

1264    七夕は   逢ふをうれしと   思ふらむ
                   われは別れの   憂き今宵かな

西行が七夕を詠ったものとしてはさほど優れているとも思われないが、彼が昔七夕の日にどのような感慨をもったかはわかる。

私たちが生きること自体の中に死が秘やかにまぎれ潜んでいるように、「出会い」そのもの中に「別れ」が寄り添っている。別れのつらさを厭うなら、出会わないに越したことはない。

それでも、なお人間は出会いを願うものである。しかも単に出会いを願うだけではなく、出会った相手を独占したいとさえ思う。こうした心情は今も昔も変わらない。

1265     同じくは   咲き初めしより   しめおきて
                   人に折られぬ   花と思はん

 

 

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