海と空

天は高く、海は深し

復活祭(パスハ)

2009年04月16日 | 日記・紀行

 

復活祭(パスハ)

正教会の今年のパスハ(復活祭)は4月19日の日曜日に祝われます。これはギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来しており、さらには、ユダヤ教の過越祭( Passover, ヘブライ語で Pesach )と深い関わりを持っています。

イエスは過越しの祭の前の日に十字架の上で亡くなられて後、墓にいったん納められました。それで週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアがイエスの葬られた墓を見に行きました。しかし、墓にはイエスの亡きがらはなかった。その後になって、墓の外に立って泣いていたマリアに、イエスが姿を現された(ヨハネ書第20章)。これが主イエスの死から復活されたはじめだとされています。パスハ(復活祭)は、死からのこの主イエスの復活を記念して行われます。

この日には、

「キリスト死より復活し、死を以って死を滅ぼし、
墓にある者に生命をたまえり。」

Χριστός ανέστη εκ νεκρών, θανάτω θάνατον πατήσας, καί τοίς εν τοίς μνήμασι, ζωήν χαρισάμενος.

と賛詞が唱えられます。

 

この日曜日に時間に余裕のある人やもし子供さんがいれば、ケーキなど作って楽しまれればどうでしょうか。私も時間に余裕があれば(たぶん忙しいか)、一度挑戦して見たいと思っています。

ケーキピアレシピ   (   http://www.cakepia.info/  )

 

 

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明けましておめでとうございます(3)

2009年01月05日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(3)

日本の根本的な課題は、「道州国家」の実現を追求してゆくことです。それによって現在の国のかたちを変え、中央集権的官僚政治を壊してゆくことです。その上で、教育を変革して「地方主権」の行政を実行できるようにすることです。全国民がこのことを理念として深くよく自覚して行動すべきです。

政治家などに働きかけてゆくことも必要でしょう。そして、東京への一局集中による経済行動の不効率な弊害の多い現状を変えて行くことです。もし私たちが「道州国家」「地方主権」を実現することができれば、現在の官僚の天下りの問題も、妊産婦のたらい回しによる死亡事故のような医療行政の破綻、また哀れな教育の現状――それは東京大学を頂点とする大学入試制度によって起こされる愚かしい受験戦争に現れていますが、これらの問題はよほど改善されてゆくのではないでしょうか。

多くの面で起きている日本の閉塞の状況は、徳川幕府から明治期へ、さらに戦前戦後を通じて今に至るまで続いている現在の中央集権的な行政機構と、その上にたつ官僚制度(公務員制度)に根元的な原因があることは明らかです。この現状を打開するためには、まず「道州国家」を実現して「地方主権」を確立することです。それによって現在の硬直した中央集権的官僚制度を破壊することなくして、日本の抱える多くの問題の解決はできないと思います。

日本の発展を阻害している「中央集権的官僚制度」を破壊するキィワードは「道州国家」と「地方主権」です。このブログでも引き続き、「道州国家」と「地方主権」の実現に向けてさらに論考を深めてゆくつもりです。今年も志を同じくする皆さんとの議論も活発に交換できることを期待しています。

正月早々、長々と政治や経済のことを論じてしまいましたが、せめて正月くらい、芸術の香気もほしいものです。

折に触れて開く西行の和歌、山家集などはいつ詠んでも味わい深いです。そのいくつかを詠んでみます。せめて西行の足の踏む砂粒ぐらいの歌でも自前で詠じることができればよいのですが。

716     わがやどは    山のあなたに    あるものを
            なにに憂き世を    知らぬ心ぞ

719     思ひ出づる  過ぎにし方を  はづかしみ   
            あるにもの憂き    この世なりけり

1227    かかる世に    かげも変わらず    すむ月を
            見るわが身さえ    うらめしきかな

1261    折る人の    手には留まらで    梅のはな
            誰がうつり香に  ならんとすらむ

1514    ささがにの    糸に貫ぬく    露の玉を
            かけて飾れる    世にこそありけれ

1544    友になりて    おなじ湊を    出舟の
            ゆくへも知らず    漕ぎ別れぬる

今年もみなさんまた良いお年でありますよう。

 

 

 

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明けましておめでとうございます(2)

2009年01月04日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(2)

正月の記事がとんでもない方向にそれてしまいましたが、もう少し続けます。

昨年の秋に、アメリカの証券会社リーマンブラザースの倒産に端を発して金融危機が全世界に波及しました。あれほど大きな収益を上げていたトヨタ自動車も一転して赤字予想を発表するなど、それ以降に世界の経済状況が一変しているようです。アメリカのそうした金融資本主義の動揺にも左右されることのない経済構造を、本当はわが日本国において造り上げてゆくべきなのでしょうが、対米従属国家の日本には、それは困難な課題であるようです。国民にその自覚はありませんし、指導者にもほとんど問題意識もなく、あっても、その努力すら怠っています。その付けが回ってきているというべきでしょう。国家も政府も多くの国民もそれぞれきびしい局面に立ち至っているようです。その打開は困難ですが、一人一人が何とか立ち向かって行くしかないようです。

年末年始の報道によると、東京の日比谷公園では、民間のボランティアが「派遣社員村」を開き、また、そのテントが足りないとかの理由で、桝添要一厚生労働大臣や大村副大臣などに、食料や住居など追加の要請をしていました。しかし、本当に必要なことは彼らが働いて暮らすことのできる「仕事」でしょう。もし、日本が本当のキリスト教国家、キリスト教の政府であるならば、民間のボランティアの要請を待つまでもなく、住む場所も食べるものもなく年を越さざるをえない人々のために、すでに中央政府も地方政府も十分な対策を講じていたはずです。またその事実は日本の現在の地方政府や中央政府の民主化がどれほど進んでいるかの尺度でもあります。

日本の国においても遅かれ早かれ、中央政府、地方政府ともに民主化されてゆくはずです。そのことによって2008年末の日本のように、住居や食料もなく年を越さざるを得ない人々もいなくなる時がくるでしょう。ただ、そうした時代の早く訪れることを期待したいものです。

今後の20年、50年の日本のさしあたっての課題として、具体的にはどのようなことが考えられるでしょうか。次のような目的を追求してゆくべきだと思います。

まず、日本において「道州制国家」の実現を全国民的な自覚的な運動としてゆくことです。そして現在のような東京の一極集中を分解して、それぞれの地方が政治と行政の権限を確かなものにして「地方主権」を確立することです。現在のように、中央官僚たちが全国の行政を一律に規制することによって生まれる役人利権という弊害が国家の癌になっている現状を改革してゆくことです。これを目的意識として国家の指導的位置にある人たちがもっと強烈にリーダーシップを取ることです。

現在の日本では、大企業の本社のほとんどが東京に一局集中しています。そのために、地震や戦争などの災害に脆弱な国家になり、また、交通渋滞などによるエネルギー消費や経済活動における無駄、不効率、環境破壊などの多くの問題が生じています。日本国におけるこの中央集権的な東京一局集中を破壊してゆくことが解決の根本的な方向になることは明らかです。またそれによって、新宿歌舞伎町に見られるような、退廃的な都市構造も解消してゆくでしょう。

中央集権的な上意下達式の、儒教的な官尊民卑の不効率な行政が、封建政治の遙か昔からの名残として現在も日本に残存しています。日本国民の意識と国家の制度もまだ事実として半封建社会にあると思います。地方の行政に自立性や主体性は育っていません。これを「道州国家」を実現してゆくことで解決してゆくことが鍵になります。歓楽街なども完全には無くならないかもしれませんが、「道州国家」によって「地方主権」を確立することで、少なくとも東京の歌舞伎町に代表されるような巨大な現代のソドムとゴモラのようなその醜い容貌はその様相を変えてゆくことでしょう。

しかし、たとえ「地方主権」が日本に実現したとしても、現在のような江戸時代のちょんまげの跡を残したままの日本人の意識では、衆愚民主主義になるだけかもしれません。今も「裏金問題」や労働組合の「闇専従」、地方行政の「情報公開」の不徹底、地方議会と議員などによるお手盛り行政、知事や市長、自治体議員などを選ぶ地方選挙の投票率のあまりの低さなど、地方行政の現状は、中央政府以上にひどく、とても「民主主義」の体をなしているとは言えないと思います。

 

 

 

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明けましておめでとうございます(1)

2009年01月03日 | 日記・紀行

 

明けましておめでとうございます(1)

今年は当地では元旦は少し天気がぐずったりしたようですが、全体として晴れやかで美しい天気が続きました。富士山も三ヶ日、きれいに見えたようです。

静岡から京都に戻って来て残念に思うことの一つは、お富士さんのきれいな容姿を容易に眺めることができないことでしょうか。しかし通信技術の発達した今は、実物でないけれどライブでその姿は眺めることができるようになっています。

富士山ライブカメラ
http://www.fujigoko.tv/live/index.html

歌人の西行も生涯を旅に生きました。晩年になって東大寺料勧進のために東北地方に旅したときに、富士の山を見て次のような歌を詠んでいます。

                   あづまの方へ修行し侍りけるに、富士の山を見て

aa                 風になびく     富士の煙の     空にきえて
                           行方も知らぬ     我が思ひかな

この歌は、新潮社版の山家集にはありませんが、岩波文庫版には「覊旅歌」の中の和歌として載っています。藤原定家の編纂になる新古今集の中にもおさめられているらしいですが、手元にこの本がないのでわかりません。この歌からもわかるように西行にあっては旅そのものが仏道修行でした。この歌も「我が思ひ」をどのように解釈するかで、さまざまに詠みとることができるようです。たんに旅の叙情を歌ったものではなく、無常の歌とも恋の歌とも言われています。

昨年の秋に待賢門院璋子のゆかりのお寺の法金剛院を訪ねたり、また、桑子敏雄氏の著書『西行の風景』を読んだりして、西行についてもかなり理解も深まったと思います。この本は、まだ書評も書き上げていないのに、すでに図書館に返却してしまいました。

とにかく西行が日本の歴史のなかでも文化史的に大きな位置を占めている歌人だということはあらためてよくわかります。これまで山家集の西行しか知らなかったのですが、西行がとくに晩年にみずからの芸術の価値をよく自覚して残した「御裳濯河歌合」や「宮河歌合」などは、伊勢神宮に奉納もされたそうです。また、西行が和歌のなかで、月に仏教を、櫻に神道を象徴させているらしいことも、今になってはじめて知ったことです。

当時にあっても仏教は外来の思想、宗教であり、それが古来の神社信仰とは異質の、時には忌み嫌われる関係にあったこともあらためてわかりました。西行はこの矛盾する神社信仰と仏教の二者を、神仏冥合の思想によって、しかも和歌の世界でその統一を実現しようとしたようです。西行をはじめとするそうした試みは日本の先人たちの優れた思想的な営みだったと思います。

ところが、せっかくのこの優れた西行の頃からの伝統的な遺産も、明治期になると狂信的な「廃仏毀釈」運動によって破壊され、その生命を絶たれてしまったようです。明治維新や明治政府の指導者たちが、せめて西行などの神仏冥合の思想を正しく理解することができていれば、その後に昭和の時代の狂信的な国家神道もなく、太平洋戦争も避けることができたかもしれません。狂信的で破壊的で生ける命を殺してしまう悟性的思考の害悪を思うばかりです。たんに真言僧の歌人と思っていた西行が、神仏冥合の考え方のうえで文化史的にも大きな位置を占めていることを知りえたこともうれしい新しい発見でした。

さまざまな宗教の和解という問題は、たんにその昔に西行が仏教と日本の民族宗教である神社神道との関係で思想的に苦闘したばかりではなく、今もなおイスラム教とユダヤ教のあいだをめぐってイスラエルとパレスチナで殺戮の応酬が続いています。また、アフガニスタンやイラクでのアルカイダのテロ行為にもイスラム教とキリスト教との関係が背後にあります。

ヒンズー教と仏教の軋轢をめぐって、正月早々にセイロンでも戦闘が行われています。昨年の晩秋にインドのムンバイで起きた同時多発テロの背景にも、イスラム教とヒンズー教の軋轢があります。諸宗教の調和の問題は今世紀においても、引き続き人類の大きな問題であることに変わりはありません。このブログでもテーマにしてゆくつもりです。

 

 

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この一年を振り返る

2008年12月31日 | 日記・紀行

 

今年も今日で終わりです。この一年を振り返ってみても、残念ながら決して大きな進歩があったとも言えません。それは個人的にも社会的にもそうでした。

それでも小さな成果があったと言えば、今年になってニンジン、ダイコン、生姜、タマネギなどの野菜を、はじめて自家製で食卓に上らせることができたことでしょうか。農作業にかかわり始めてまだわずか一年の初心者ですが、果樹も本当に最初の一歩で、イチジク、モモ、柿などを植えました。もちろん果実を収穫できるようになるのは、もっと先のことで、それも柿の根づけすら第一年目のハナから失敗しました。

本当はもっと若い時から、自分のめざすべき道を進みたかったのですが、しかし、後悔先に立たずですから愚痴を言っても仕方がありません。生活のスタイルを新しく作って行くしかないようです。

この秋に始まった金融恐慌の嵐は、今も吹き荒れています。トヨタやホンダなどの自動車会社は、好況時には兆単位の収益を上げておきながら、いったん不況になると、真っ先に人員解雇を行っています。

こんなことでは、どんなに魅力的な自動車をこれらの会社が生産していようが、社会的にはまったく「つまらない会社」と言うしかないでしょう。人々の労働力を活用し利用して儲けていながら、不況時には冷たく従業員の生活手段を奪うことに何らのためらいもないようですから。現在の株式会社が雇用よりも利益を優先する社会的組織であることがこうしたことからも明らかです。これらの会社の株主たちも、また、いわゆる「正社員」たちも、配当や利ざやや自分たちの給料が肝心で、臨時社員の生活などどうでも良いのでしょうか。

これもやはり日本にはまだ本当の宗教が支配的な社会にはなっていないからです。政府は言うまでもなく、国家にも国民の間にもまだその精神が十分に浸透していません。それを実現するのもまだはるか遠い先のことかも知れません。しかし、いずれにせよ、願うことはこの日本国が世界に先駆けて、失業や貧困の不自由から解放された国家になることです。

来年は個人的にはさらに農的生活の方面をさらに充実させていきたいと思っています。できれば、生活の場もさらに農村地域に移せれば良いのですが。昨今の中国製の食品の安全性や畜産飼料の価格の高騰などによって、私たちの生活の根本である食料に問題のあることもわかっています。日本の食糧自給率なども話題になりました。それらは国民のすべてが食料生産に携わるようにすれば解決することだと思いますが、それにしても現在のあまりにもずさんで有害無益の農業政策を転換してゆくことでしょう。もはや現在のように、無能な政治家や官僚たちに任せていればいいという段階ではないようにも思います。自分たちでみずから行動してゆくことでしょう。

この国を少しでも良い国にして行くために、農業の現状など、さらに理論研究を深めてゆく必要もあります。また、たんに理論のみならずNPOなどで志を同じくする人々といっしょにその可能性を追求してゆくべきかもしれません。来年は少しでも夢が深められ、一歩でも前に進むことができますように。

袖触れ合うも他生の縁とも言います。この一年、つたなき当ブログを訪れてくださったみなさん、来年も良いお年でありますよう。

 

 

 

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クリスマスおめでとう

2008年12月24日 | 日記・紀行

 


今年もさまざまな出来事はあった。このブログでもさまざまに記録したけれども、今宵のひとときはすべて忘れて。
さて、今年もまたクリスマスがめぐり来る。2008年ももう終わり。
食卓のケーキとローソクだけではなく、パンとぶどう酒と祈りで、人それぞれのささやかなクリスマスを祝うことにしよう。十年ほど前の美しかったクリスマスの宵を今年は思い出しながら。
みなさん、さまざまな境遇におられるすべての方それぞれに慰めのありますように。どうか今年も良いクリスマスを!

詩篇第百二十一篇

1   都もうでの歌
    私は山々にむかって目をあげる。私の助けは、どこから来る。
2   私の助けは、天と地を造られた主から来る。
3   主よ、どうか私の足をよろめかせることなく、
    私を見守る者がまどろむことのないように。
4   見よ、イスラエルを守る者は、まどろむこともなく、眠ることもない。
5   主はあなたを守る者、主はあなたを庇う蔭、あなたの右にあって支える手。
6   昼は太陽があなたを撃つことなく、夜も月があなたを撃つことはない。
7   主はすべての災からあなたを守り、あなたの命を守られる。
8   いずこに行くも帰るも、主はあなたを守られんことを。
    今もとこしえに至るまで。

主の祈り

天におられる私たちの父よ、
御名の聖められますように。御国の来ますように。
御心の天におけるように地にも行われますように。
私たちに必要な糧を今日もお与えください。
私たちに咎ある人を私たちが赦すように、
私たちの罪を赦してください。
私たちを試みに遭わせず、悪よりお救いください。

まことに、御国と力強い御業と輝かしい栄光は、
永遠にあなたのものです。

使徒信条

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを審(さば)きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。


心とことばと行いと生活によって
Herz und Mund und Tat und Leben


Wohl mir, dass ich Jesum habe,
O wie feste halt ich ihn,
Dass er mir mein Herze labe,
Wenn ich krank und traurig bin.
Jesum hab ich, der mich liebet
Und sich mir zu eigen gibet;
Ach drum lass ich Jesum nicht,
Wenn mir gleich mein Herze bricht.

私にとって幸せなことは、私にはイエス様があること。
おお、どんなに堅く私は彼を抱きしめていることか。
主は私の心を慰め勇気づける。
私が病み、悲しんでいる時も。
私はイエス様のもの。彼は私を愛され、
そして、御身を私のために捧げられた。
ああ、だから私はイエス様を離さない。
どんなに私の心が張り裂けようと。


Jesus bleibet meine Freude,
Meines Herzens Trost und Saft,
Jesus wehret allem Leide,
Er ist meines Lebens Kraft,
Meiner Augen Lust und Sonne,
Meiner Seele Schatz und Wonne;
Darum lass ich Jesum nicht
Aus dem Herzen und Gesicht.

イエス様はいつまでも私の歓び、
私の心の慰めであり命の水、
イエス様はすべての災いを防がれる。
主は私の生きる力、
私の眼には快い日の光、
私の心には幸せな宝もの、
だから、私はイエス様を離さない、
私の心と眼から。

 Dinu Lipatti plays J.S. Bach - Cantata BWV 147

 テキスト


 

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幼子

2008年07月12日 | 日記・紀行

帰りの電車の中で、サラリーマンやOLなどが乗り降りするのに混じって、若い夫婦がベビーカーに子供を乗せて乗り込んできた。それほど混んでもいなかったので、奥さんの方は座席に腰を下ろした。そして、ベビーカーの引き手を押さえながらそのまま立っていたご主人と何かにこやかに話していた。

私の座席からはちょうどすぐ斜め向かいあたりで、ベビーカーの中で気持ちよさそうにすやすや眠っているまだ三つぐらいの男の子の寝顔がよく見えた。
私は電車内のつれづれに任せて、かわいいその男の子の寝顔に惹かれてしばらく興味をもって眺めていた。

確かに私たちは、あまりにも余計な重い鎖を引きずり過ぎている。この子のように天真爛漫に受け入れるのでなければ神の国には入れないのだ。

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市街地眺望

2008年07月09日 | 日記・紀行

市街地眺望

山に登る。高いところから眺望するのは好きだ。さまざまな思いに浸れるから。キュウリが食べきれないほどなっていた。ヨナのとうごまのように一夜にして育つ。トマトもはじめてもぎ取って食べた。少し早すぎたようだ。まだ青臭い。もっと真っ赤に熟れてからだ。
みんなと草を刈っているとき、アンナ・カレーニナの隠れた主人公であるレヴィンが農夫たちと草刈りを競う場面を思いだした。

 

 

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七夕は

2008年07月07日 | 日記・紀行

七夕は

今日は七夕。ブログで生活の記録をたとえ断片的にであれ、残し始めてからすでにというか、まだわずか3年ほどにしかならない。しかも、その七夕の記憶も、2005年と去年の2007年の記録はあるのに、2006年の七夕の記憶がない。

さらに古い七夕の記憶を思い起こしてみる。まず浮かんでくる情景がある。少し年の離れた弟が、お風呂に入ったあと、あせも予防の白粉を塗って浴衣を着せて貰い、短冊を飾り付けた笹を手にして微笑んでいる。それから、近所の人たちと一緒に近くの淀川へ笹を流しに行った時の子供たちの声のさざめき。

しかし、二十歳代、三十代になってからの記憶はほとんどない。その頃の自分は、今頃何をしていただろう。自我の目覚め始めた中学生頃から始めた古い日記を探れば、何とか記憶をたどることは出来るだろうが、そんな気にもならない。

一昨年2006年7月7日前後の、ブログ記事を探してみると、

民主主義の概念(1) 多数決原理(2006年7月6日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060706
阪大生の尊属殺人事件(2006年7月8日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060708
雅歌第八章(2006年7月3日)
http://blog.goo.ne.jp/aseas/d/20060703

などがあるぐらいで、2006年の七夕の日の記憶は残していない。おそらく世事に紛れて、七夕のことなどすっかり忘れてしまっていたのかも知れない。私のアナログ日記(日記帳)を見てみると、確かに2006年7月7日(金)の記録はある。しかし、株価の下落や理論的能力の低さについての記述はあっても、この年の七夕の宵についての論及はない。ほとんど宇宙の彼方に消えてしまっている。

2005年の七夕は、確かまだブログも開設して間もない頃で、かなり激しい夕立のあったことを記録している。「七夕の宵」という日記では、その宵のつれづれを、伊勢物語の中の場面を思いだし『渚の院の七夕』と題して書いた。http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20050707

阪急京都沿線の水無瀬駅近くに、平安時代の昔に惟喬親王や在原業平たちの遊んだ別荘があった。「渚の院」と呼ばれていたが、桜の美しい頃そこで彼らは七夕にちなんだ歌を詠んで残している。

2007年の七夕は、『VEGA』と題して書いた。
http://blog.goo.ne.jp/sreda/d/20070707 そこで七夕の宵に紫の上の一周忌を迎える光源氏の寂しさを回顧した。

七夕がなぜ人々の心を引きつけるのか。織り姫と彦星という星の出会いに、人と人が出会うという奇跡が、象徴されているからだと思う。
何千万人、何億人という人間が存在する中で、妻や夫の関係として、あるいは恋人の関係として私たちが出会う相手は、確率的に言えば本当に奇跡のようなものだ。その出会いが嬉しくないはずはない。

その一方で、本来出会うべき伴侶が、運命や神のいたずらで、一寸一秒のすれ違いに互いに相見えることなく生涯を終えるということもあるにちがいない。私たちの人生の舞台裏をのぞき見ることが出来るとすれば、そんな悲運に流される涙は尽きないのではないだろうか。無数の出会いと別れの織りなすものが私たちの人生に他ならない。

今年の七夕はとくにこれと言った感慨もないし、夜空に星は見えるけれどもさほど美しくもない。牽牛、織姫たちを探す気にもならない。

それでも、少しでも触れて記憶に留めておこうと思う。昔の人が七夕を詠っても、それは陰暦のもっと暑い夏の盛りのことだったけれど。

1264    七夕は   逢ふをうれしと   思ふらむ
                   われは別れの   憂き今宵かな

西行が七夕を詠ったものとしてはさほど優れているとも思われないが、彼が昔七夕の日にどのような感慨をもったかはわかる。

私たちが生きること自体の中に死が秘やかにまぎれ潜んでいるように、「出会い」そのもの中に「別れ」が寄り添っている。別れのつらさを厭うなら、出会わないに越したことはない。

それでも、なお人間は出会いを願うものである。しかも単に出会いを願うだけではなく、出会った相手を独占したいとさえ思う。こうした心情は今も昔も変わらない。

1265     同じくは   咲き初めしより   しめおきて
                   人に折られぬ   花と思はん

 

 

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ジャガイモの収穫

2008年06月25日 | 日記・紀行
 

ジャガイモの収穫

時間に余裕もなく十分に世話を焼けなかったのは残念なことではあるが、それでもジャガイモを何とか収穫できたのはうれしい。仲間のジャガイモはサルなどにいくらか荒らされたらしいが、私の畝は手入れが不十分で、雑草もはびこらせていたのでサルに気付かれなかったのか、それとも不味いとでも思われたのか被害はなかった。それで収穫を早めて畝を半分ほど掘り起こしてみると、そこそこの収穫はあった。なるほどジャガイモはこうして出来るのだ。サツマイモの苗も何とか植えきった。

                                              

昨年の暮れに植えたイチジクや桃の木が何とか根付いた。ただ、柿の木だけは枯れたのか、それとも生きて根付こうとしているのか未だに判断が出来ないでいる。それぞれの樹木の質が違うようである。

タマネギはマーケットで買わずに済んでいる。トマトも青い実をつけ始めた。
本当はこうした農植物の生産を通じて、自然の生態をじっくり観察し体験したいところだが、それだけの時間に余裕がないのは仕方がない。いずれそうした時期の来ることを思い焦らずに行こうと思う。今回は少し手を広げすぎたと思う。当面はあまり手のかからない果樹にしぼってゆくべきだったと反省している。

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夏野菜を植える

2008年05月14日 | 日記・紀行
 

夏野菜を植える

昨年の秋にかろうじて間に合うようにして植えた冬野菜のブロッコリー、ネギ、水菜、壬生菜などは、ブロッコリーのほかはとても食べきれないぐらいに成長して、薹が立つほどにもったいないことをしてしまった。次からはできるだけ誰かにお裾分けして無駄のないようにしたい。ネギも水菜も柔らかくて甘く香りもいい。

ここしばらくは他に集中したいことが出来て、ブログの更新も場合によれば週に一回程度か、あるいはもっと緩やかになると思う。書くことよりも行動することに生の充実をもとめて行きたい。ただ、行動をそのまま記録しておくとしても、それをすべて公表するわけにも行かないと思う。2、3年経てばまた、ふたたび書くことに集中することのできるときが来ると思う。主よ、願いを叶えたまえ。

イエスの珠玉の言葉もすべて、弟子たちの記録によるものだった。主イエスご自身は筆をもって書き残すことはしなかった。

春も爛熟し、やがて初夏を迎える。時間の合間を縫って今日、ナス、トウガラシ、トマト、キュウリ、トウモロコシなどを植える。畝づくりに余裕がなく、雑草を残したまま植える。トマトの苗を手に取ったとき、久しぶりに懐かしい香りに出会う。

昔、まだ子供の頃、母親に連れられて帰った田舎の庭に植わっていたトマトの、その鮮烈な香りが今も忘れられない。後年になって、茎や葉にその匂いを嗅ぐときはいつも、その思い出とともに切ない思いに駆り立てられる。数多くある香りの中でも、このトマトの匂いと白檀の香りだけは特別な意味を持っている。

畑に行く途中、まだ鯉のぼりが泳いでいた。業平卿紀行録もせめて10回程度は書こうと思っていたのに、残したままになっている。

 

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春の歌

2008年04月01日 | 日記・紀行

春の歌

四月に入る。用事があって大阪梅田に出る。阪急京都線で淀川を渡る。川岸の向こうにビルがさらに高く広がって見える。しばらく来ない間にも変貌を遂げている。人間の経済活動は、不景気であろうが好況であろうが、片時も休むことはない。東梅田や西梅田の地下街もさらに拡張されてテナントの数もさらに増えたようだ。蜘蛛の巣のように細かく大きくさらに広がってゆく。大阪はやはり第二の大都会である。昔と同じように今も人波は絶えず流れ続けている。

学生の頃、卒業後の進路が内定してから、この地下街でアルバイトをしたことがある。今もあるのかどうかわからないけれど、福助というアパレル会社が出していた店で、ワイシャツやストッキングなどを売っていた。ちょうど同じくらいの年格好の女店員たちと冗談を言い合いながら過ごした時間が楽しく懐かしい記憶として残っている。彼女たちも今はどこかで誰かと結婚して子供もいるにちがいない。なかでもYさんは、おとなしい上品な女の子だった。スキーに行って彼女が唇と顔に怪我していたことも覚えている。しかし、すべてが遠いはるか昔のこととなって、青年時代に出会った人たちの多くは音信もすでに途絶えたままだ。

久しぶりに旭屋書店に立ち寄って本を一冊買う。                              今日から、道路特定財源の暫定税率が失効する。ガソリンの値段も下がるはずだ。参議院で民主党が多数を占めたことによる効果が現れたといえる。これまでのように、与党の提出する法案をそのまま白紙委任するような状況はなくなる。そのため政治が一見停滞し混乱しているようには見えるかもしれないが、民主主義にとっては進歩である。日銀総裁が決まらなかったり、地方の財政が混乱するかもしれないが、それもある意味では支払わなければならないコストである。日銀総裁ポストについても海外の目線を気にする必要はない。日本国よ、我が道を行け。

電車の窓から眺める淀川の河川敷は相変わらず醜くて潤いがない。これもまた現代日本人の精神状況を反映しているにちがいない。幼い頃には橋の欄干から釣り糸を垂れてハゼを釣る人たちの並んでいる姿も眺められたものだ。魚釣りの餌になるゴカイの採れたきれいな砂州も葦影に見えていた。今はそれらすべてがない。

しかし、いつの日か日本人も悔い改め意識も変わって、ビオトープで淀川の河川敷にも昔日の面影を取り戻す日が来ると思う。そのときには、この淀川の土手にも桜並木が彩り、川では悠々とボート遊びもできるかもしれない。ただ、私が生きているうちにそれを眺めることはないだろうけれど。

お隣の韓国では、現在の大統領である李明博氏がソウル市長時代に、ドブ川と化していた清渓川に清流を取り戻している。いつか気宇壮大な風流心のある大阪市長や大阪府知事が現れて、淀川の昔日の面影を取り戻してほしいものだ。その国土に住む人間の質がすべてだ。すでに韓国には追い抜かれてしまったけれど。

まだ西洋人の毒を知らずにいた頃の、ある意味で幸福な美しい夢を見ていた時代の日本人に残された記憶。それでいつも思い出すのは、与謝蕪村の次の歌である。その頃はまだ淀川もこんなに美しかったのだ。

与謝野蕪村  作
               春風馬堤曲
            
余一日問耆老於故園。渡澱水過馬堤。偶逢女帰省郷者。
先後行数里。相顧語。容姿嬋娟。癡情可憐。
因製歌曲十八首。代女述意。題曰春風馬堤曲

やぶ入りや浪花を出て長柄川
春風や堤長うして家遠し

堤ヨリ下テ摘芳草 荊与蕀塞路
荊蕀何妬情 裂裙且傷股
渓流石転ゝ 踏石撮香芹
多謝水上石 教儂不沾裙

一軒の茶見世の柳老にけり
茶店の老婆子儂を見て慇懃に
無恙を賀し且儂が春衣を美む
店中有二客 能解江南語
酒銭擲三緡 迎我譲榻去

古駅三両家猫児妻を呼妻来らず
呼雛籬外鶏 籬外草満地
雛飛欲越籬 籬高堕三四

春艸路三叉中に捷径あり我を迎ふ
たんぽゝ花咲けり三ゝ五ゝ五ゝは黄に
三ゝは白し記得す去年此の路よりす
憐みとる蒲公茎短して乳を水邑※
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩
慈母の懐袍別に春あり

春あり成長して浪花にあり
梅は白し浪花橋辺財主の家
春情まなび得たり浪花風流
郷を辞し弟に負く身三春
本をわすれ末を取接木の梅

故郷春深し行ゝて又行ゝ
楊柳長堤道漸くくだれり
矯首はじめて見る故園の家黄昏
戸に倚る白髪の人弟を抱き我を
待春又春

君不見古人太祇が句
薮入の寝るやひとりの親の側

※正しくはサンズイに邑

(短歌の試み)

赤松の防砂林に延びる遠州浜を散策した昔を思い出して詠む

一    春の日に 優しき光浴びつつ  浜辺に延びる小道を辿る
二    春の陽の   白光浴びてのどけく  蒲公英の路傍に咲けり
三    潮風にそよけく   うち寄せる沖の浦波   君の白き足と遊ぶ
四    磯の香と  寄せくる波と戯れに  沖行く船を指示しつ我に
五    春霞む  大海原眺めおりし君が背に  黒髪潮風に靡ける
六    潮の香の  松の木陰に屈まりて 露草に小水を試みし人
七    赤松の 防砂林に 友待つ鶯の声  鳴き渡る

 

 Tristan und Isolde finale scene conducted by Bernstein

 

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春の訪れ

2008年03月28日 | 日記・紀行

春の訪れ

今年も春が訪ねてくる。里山は華やぎを増してくる山にひとり静かに咲く梅は小町の肌のようにほのかな紅の中にしっとりと白い。

西行法師のように歌を詠めればいいのだけれど、不肖不才の我が身を嘆いても仕方がない。歌の修行を積んでせめて師のその影でも踏みたい切ない気持ちはあるけれども。

我が師、西行法師の御歌四首を今日の記憶とともに。

     題しらず

756  さらぬだに   世のはかなさを    思ふ身に
                ぬえ鳴きわたる   あけぼのの空

そうでなくても、この世のはかなさを思い沁みている私に、
ぬえこどりのか細い鳴き声が、追い討ちをかけるように、夜明けの空に聴こえてくる。

法師の心の痛みが伝わってくる。

759   世の中を    夢と見る見る    はかなくも 
          なほ驚かぬ    わが心かな

この世を夢のようにはかないものと知りながら、愚かなことに、
いまだ覚めることもなく
悟ることさえできない我が心よ。

760   亡き人も    あるを思ふも    世の中は  
          ねぶりのうちの    夢とこそ見れ

すでにこの世になく時間の彼方に消え去ったあの人も、かってはこの世に私と同じように生きていたことを思うと、すべてが深い眠りのなかの夢のように見える。

薄い紅を染めたようなほの白い梅の花を見て。

1248     色に出でて   いつよりものは    思ふぞと 
            問ふ人あらば    いかが答へむ

いつから思い初めてお前の恋心は顔色に出るの、と訊ねる人がいるなら、梅の花よ、あなたはどう答えるのでしょうね。

 

(短歌の試み)

        薄い紅を染めたほの白い梅の花の                                      野山に咲いているのを見て。

         薄紅の唐衣着なれし小梅   小町が面影宿しつ  野に佇みし

気にかかっていたジャガイモの仮り植えを今日ようやく終えた。桃の木とイチジクは木の芽の膨らみから根付き始めたのは何とか確認できた。木の堅い柿はまだわからない。

 

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人間と自然

2008年01月15日 | 日記・紀行

人間と自然

山へ畑仕事に出かけたりすると、様々のことを考えさせられる。たとえば、人間の健康や病気とその医療の問題などもある。また、さらにはより根本的に、人間と自然との関係、あるいはもっと広い意味での自然に対する人間の使命という問題もある。人間が自然の中から発生した意義と目的の問題である。

現代医学が発達して、今日では科学技術の結晶のような最先端の医療技術が受けられる。もちろん、そのために現代医学による治療には莫大な費用を要する場合がある。しかし、そうした一方でその高度化した医療の恩恵を被るべき人間自身の生命力は、肉体のみならず精神的にもむしろ退化していると見るべきではないか。

もちろん、病気に対する治療法の研究に最先端の科学技術を応用することに、反対するつもりはまったくない。

ただ、病気に対する治療法を研究する以上に、人間にとっての健康な生き方、病気にかからない生活の研究と実行、また予防医学の徹底にこそ重点を入れるべきだと思う。研究の対象と方向が根本的に誤っているのではないか。また、そのこと自体がすでに人間の「病」ではないか。

多くの病気や不健康は、人間のサイドからの理由によるもの、宗教的に表現するなら、「死」のみならず「病」もまたその多くは「罪」によってもたらされるにちがいない。

そして、人間の健康を考える時に、「自然」はつねに還るべき原点であると思う。

現代の日本のみならず、それは世界に共通する現象だろうけれども、社会問題として、医療・年金・保険など制度上の問題がある。それらは、もちろん、人間の福祉に大きな意義をもっていることは確かだけれど、また、多くの問題も抱えていること、むしろ「麻薬のような堕落作用」の潜んでいることは、政治や経済との関連においても明らかである。そういう意味でも今ひとたび、いわゆる「生き方としての資本主義」や「社会のあり方としての資本主義」が根本的に批判される必要があるのかもしれない。

それは、たんに肉体的だけではなく精神的な「人間の解放」の問題である。だが、人間は何から「解放」される必要があるのか。「金」か「罪」か。どのようにして。

写真は、麦踏みをへて成長する麦の芽。

 

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明けましておめでとうございます

2008年01月02日 | 日記・紀行

明けましておめでとうございます

2008年、平成二十年の幕開けです。今年もまた希望に満ちた明るい充実した一年になりますように。今年は子年だそうです。平安時代には、正月の初子の日には、野山に出て小松を引いたり若菜を摘んだりして楽しむ習慣があったそうです。春の七草もまもなくです。七草粥など味わえればと願っています。そういえば、昨年の秋の七草には、撫子と女郎花には出会えませんでしたが。ところで「子子子子子子子子子子子子」。さて何と読むでしょう。小野の篁さんに聞いてください。

    

            初音

昨年も私なりにメッセージを送り続けました。もちろん笛は吹けども踊らずであるのはヨハネやイエスの時代以前からのことです。エチオピア人がその黒い肌を、豹が斑の皮を変えられないように、人間もその本性は変わりません。だから何も驚くには当たりません。それでも、世界や現実は、自称平和主義者や理想主義者が考えるはるか以上に、理性的なものです。然るべくしてそうなっています。そして、世界史の歩みはゆったりとしたものですが、その目的は貫徹されます。

その社会にどんなに科学技術の知識や物質の富に豊かになっても、精神の根幹が腐っていれば没落は免れません。それは世界と日本の社会の現実が示している通りです。そして日本の復活の鍵がどこにあるのか誰もがわかっているのに、まだそれを実行できません。

個々人の小さな思惑をはるかに越えて、世界史は進んで行きます。昨年の世界の基本的な変化は、ロシア、中国、インドが目覚ましい経済的発展を成し遂げ、それに応じてアラブ産油国がオイル高騰景気に沸いた一年だったことでしょう。またアメリカ国民の奢れる消費生活がサブライム問題として神に裁かれようとしています。昨年末にはパキスタンではブット前首相が民主主義のために殉じました。日本国民も現在の民主主義が有名無名の多くの人の血と汗によって勝ち取られたものであることをいつも思い出す必要があるでしょう。

小沢一郎民主党党首はいつまでも国連信仰の夢から覚めることはなく、福田康夫氏には国民を幸福にするほどに政治理念に力量はありません。学力低下は何も日本の中学生、高校生や政治家たちだけの話ではありません。とくに日本の指導者を指導すべき大学および大学院の学力と志の劣化が日本社会の危機の背景にあります。今日の大学の人材の枯渇とその品格の衰えを見るべきだと思います。そこには戦後世代の精神を自明のものとして、それを越えた時代と人格を思考するだけの想像力はありません。

政治の世界でも、自由と民主の理念に従って政界を民主党と自由党とに再編成するのではなく、小沢氏と福田氏は、愚かにも政治家の談合と切磋琢磨なき癒着によって、日本国を茹で蛙のような安楽死への道に開こうとしました。日本の談合文化がすべて悪いとは言いませんが、その悪しき一面の現れたのは事実です。

ところで私にとって青春の日々に、伝道の書や箴言などが聖書への入門書となりました。これからも聖書と共に生き、そこから慰めと歓びを得て、そして、さらに聖書が日本国民の書となり、いっそう品格に富んだ国家と国民になりますように。このブログがそれにいささかでも寄与することができればさいわいです。

伝道の書第三章、第七章から

善き日々は歓び楽しめ、悪しき日には深く考えよ。神は両者を併せて造られた。人には誰も行く末のことはわからない。

人の子の苦痛に満ちた労役がいったいなんの益があるというのか。
彼に課せられた骨折りを私は見てきた。神はすべてを時にかなって美しく造り、彼らの心に永遠の思いを与えられた。それでも人は誰も神のなさる業を初めから終りまで見届けることはできない。・・

私は知っている。神のなさることは永遠に続くことを、それには何も足すことも引くこともできないことを。ただ人は神のみを畏れよ。

幸福と真実の民主主義は小さな少数者のグループにおいて、しかしそれも、ただ比較的に相対的に実現されるだけのものかもしれません。絶対的な理想は、ただ天上にある神の国においてのみ実現されるもので、しょせんこの地上では実現されることはないのでしょう。ですから、私たちはせめて片手に持てるものだけでも十分に歓び満足すべきものだと思います。

私にも、皆さまにとっても、本年もさらにいっそう充実した時間の
訪れますように。そしてブログでの議論も活発な充実したものとして、ともに民主主義の文化を研鑽してゆきましょう。

 

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