「 希望 」

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終戦はなぜ遅れたのか。。(自然=事実の前に謙虚に。)

2012-08-16 11:26:55 | Weblog
終戦はなぜ遅れたのかのNHKーTVに感動。

遅れた間に失われた人命は莫大であった。

戦争をいつ終えるかの会議は何回ももたれたという。(沈黙の会議)

しかし、遅れた。

そのわけは、”事実”を会議に出さなかったことが大きな原因らしい。

終戦を早める機会の情報は、関係者にはすでに知られていたという。

しかし、、議題には上がらず。知っている人はいたのだが。。(終戦の機会は

何度となくあったという。)


以上のパターンは、今も続いているように感じる。


原発事故の東電の対処。だいぶ隠されていた。

滋賀のイジメの問題。(教育委員会や、学校)

オスプレイも良くわからないまま、日本に運び込まれた。


いずれも ”事実” を早く議題にのせみんなで、

国民とともに真剣に話し合えば、、と思われてならない。


そこには、真に民衆(国は民衆がいて国という”抽象概念”が発生するのだ。)

のことを思えず、保身や、江戸時代から続く、

庶民には知らしめないほうがよいという上層部の考えがあるように思えた。


そう思うと、これから先も、続くのは明らかのように思える。


それは、国家優先思考にもなってしまうし、すでに現れていると感じる。


原発も良く原因究明されない(非科学的)まま、再稼働しはじめたように感じる。


自然と人為の調和が大切と思うのだが、人為の自然の前での謙虚さが大きく、

バランスを欠いていると感ずる。


具体的には、事実(事実は自然現象であり、法則(真理)に沿って現れたもの)を大切に、

事実の前に謙虚に生きたいということ。


いろいろ複雑に考え、事実を隠す結果となり、人命がその間に失われて

いった事実。

事実優先主義くらいで、バランスは保てるのではないかと思われてくる。


      「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である。」

                            -カント


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