「 希望 」

この地球が、希望の持てる環境になりますように!

春一番に咲く、福寿草の日内変動に感動!!!

2013-02-27 13:05:24 | Weblog
 夕方、妻の声かけに庭に出てみた。 

福寿草の花がしぼんでいるよ!

早速カメラを向けてみた。

我々と同じように、朝が来たら起きて、夜になったら寝るのかな!

感動的な夕刻の出会いでした。


                        
午前11時ごろの福寿草

       


     
                        
夕方5時ごろの福寿草
            

本当に優秀な教師とは?

2013-02-25 18:17:41 | Weblog
前回のブログで理想の社会を稲盛和夫氏の言葉を借りてアップしました。


今回は、それを教師という観点から考えてみました。


本当に優秀な教師とは、弱い生徒を教室内で落ちこぼれないように

支える教師をいうのではないでしょうか?


社会的に弱い立場にある人をみんなで助けていく、支援する、

それが理想の形ではないでしょうか。

これは、社会福祉の根本であると思います。

稲盛氏の考え方から自然にでてくる帰結のように思われます。


もう少し具体的に言いますと、クラスの中でもし算数ができない子供がいたら、

どのように支援したらよいかを真っ先に考えるということです。

(勿論、他の子もひとり、ひとり適切に対応することは、いうまでもありません。)


弱肉強食は動物の世界です。


私たち人間はお互いに”慈悲の心”(思いやりの心)を持って、皆で,

知恵を出し合い、一人もおとさず、全員が住みよい社会、を築いてい

くことではないでしょうか?


このようになれば、今の教育問題など(イジメ、不登校、暴力、過度な競争、格差等)の多くは

自然に解決の方向へ向かうものと想像されます。

 全員の笑顔 が想像されます!



実業家、稲盛和夫氏の描く未来社会に強く賛同します!

2013-02-23 08:04:51 | Weblog
以下は、到知出版社から出版された、五木寛之氏との対談による、

「何のために生きるのか」の中の抜粋です。

(一部変えさせてもらっていますがほとんど原文のままです。)



だれもが住みやすい、素晴らしい社会というのは、

ブッダの言うところの”慈悲の心(優しい心)”といいますか、

キリストの”愛の心”でもいいと思いますが、

とにかく皆と一緒に悲しんだり、みんなと一緒に慰めあったりする。


自分というものがなくて、相手の喜びを、自分の喜びとし、

相手の悲しみを、自分の悲しみとする。


そういう、優しさにあふれた人達が集まった社会なのではないかと

想像してみるのです。



以下は私の感想です。


稲盛氏は主に”心”の面について書かれています。

しかし、理想的な社会をつくるためには、

やはり社会の”仕組み”をどのようにしていくのか、というこ

とも欠かせません。

そこで私は社会の仕組みを考えていくとき、

”参考”にしたいと思う国を、今の地球上で想い浮かべるとき、

デンマークや北欧ではないかと思っています。

(ちなみに、私は個人的に10年近く、北欧を「研究」してきました。)


参考までに、稲盛氏は京セラとKDDIの創設者であります。

また最近では、日本航空をしっかりと立て直した、素晴らしい実力の持ち主であります。



トータル閲覧数が1万件を超えました。(御礼申し上げます。)

2013-02-20 18:46:23 | Weblog
もし、ページにしたら、10000ページとなります。

もし、1冊の本が200ページからなるとしますと、50冊に相当いたします。


多くの方に見ていただいてとても感謝しています。


今も、子供のころの夢を実現したい、との気持ちはいささかも変わりません。


今後も、可愛い孫子のために考え、発信してゆこうと思います。


インターネットを通し、ひとりひとりの考えが発信しやすくなっています。


よりよい社会へ向けて、一緒に、気楽に発信してゆきませんか!


ありがとうございました。


今後もがんばります

PM2.5問題は、「人類はひとつ」への警鐘。

2013-02-20 14:32:52 | Weblog
私は、中国が資本主義的に発展し始めた時から、公害問題は必ず発生すると思った。


発展した先進国が、安く物を生産させるために “協力?”した結果だと思う。


こうなることは、極めて明瞭にわかっていた。(先進国は、見て見ぬふりをしてきたのだ。)


今後、その対策のために、使用される人力、物、金は想像を絶する。


先進国は、自分が歩んだ道だったのだから、親身に中国に協力すべきだった。


やはり、世界平和は、自分と他人は同じであるという観点にたつしかないと思う。


人類の経済のあくなき追求と競争は、やめなくてはならないと強く思うものである。


グローバルな観点から。