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あるくくまもんの居候部屋

【期間限定?】まったりとした空気を届けます

ルールてってーぷっぷー

2021-02-22 11:45:40 | コミュニティで生きる
それはいつもの朝のこと
駅に向かって、線路沿いの道を歩く

駅まであと数分
通い慣れたこの道
大体、この場所から何分で駅に着くかが分かるようになってきた。
駅のホームまでここからは、約5分
そういう時に、自分が乗りたい方向(上り・下り)の電車がやってきちゃうと。

とても
とても嬉しい気持ちになる。
なぜなら、駅で数分待てば電車がやってくるからだ。

その時によって違うけど
大体平均で10分に1本は電車が来るから
数分待つだけでOK♪
穏やかな気持ちでホームに迎える。

ダッシュすればギリギリ間に合うくらいのタイミングだと
たとえ間に合ったとしても
なんか朝から、体力と魂が削られた気持ちになるので
一日が残念なスタートのように感じてしまう。

都会のように3分に1本来ることもないし。
田舎のように1時間に1本ということもない。
これくらいの地方都市が程良くて住みやすい。
そんな世界で穏やかな朝の出発ができると、心地よい。



それはある日の昼のこと
遠路沿いから1本外側の道を歩く

今日は電車に乗らないので、後何分で電車が来るのか気にしないでいられる。
遠くから「●番線、ドアが閉まりま~す」と聞こえてくる。

いつもだったら、あれに乗れなくて落ち込むところだけど
今日は平気だ。

ふと線路の方を見ると

電車がゆっくりとしたスピードで走っているのが見えた。

その直後、ありえないことが起こった。

『ぷっぷー!!』

警笛だ。
踏切が近くにある訳でもないのに、警笛が鳴った。

そして、1秒後

『ぷっぷー!!ぷっぷぷっぷー!!!』

また警笛がなったのだ。
しかも、大量に。

事故か!?
飛び降り自殺か!?
何事だ!?

野次馬根性で、線路沿いの道へ向かった。
すると、そこには・・・

線路沿いのフェンスに群がる
大量の子どもたち・・・

近くの保育園か、幼稚園のこどもたちがお外を散歩中に電車を見ていたようだ。
そして、口々にこんなことを言っていた。

「電車、挨拶してくれたねー」
「ねー」

挨拶・・・?・・・!!!
ようやく警笛の意味が理解できた。

電車の運転手が、出発する際に、フェンスの向こうにたくさんの園児がいて手を振っているのを見て、警笛で挨拶をしていたのだ。
そう考えると
『ぷっぷー!!ぷっぷー!!ぷっぷぷっぷー!!!』
の音が
『やっほー!!みんなー!!こんにっちはー!!!』
に聞こえてきた。

やるな、運転手よ。
そう思った。



冷静に考えれば
おそらく、あの場面で警笛を鳴らしたことは「業務上の不適切行為」だ。
本来、電車の警笛は、踏切や工事現場近くで電車が通るから気を付けるように警告をする笛だ。
それ以外の用途に使ってはいけない。
厳密にいうと、あの運転手は、不適切な行為をしたため、電車会社から注意を受けなくてはいけない。
もしかすると、訓告処分・戒告処分・懲戒処分になるかもしれない。

ルールを破ることを良しとしたら
そもそも組織として機能しなくなる。

ルールを守ることをやめたら
「3時間くらい到着が遅れたって いいじゃな~い」とか運転手が言う世の中になってしまう。

だから、ルールは徹底的に守られなくてはいけない。
それが基本的なことだ。


でもさ。
あの園児たちの笑顔を見ると
「まぁ、これくらい、いいよね~」
と思わずにはいられなくなる。

本来、ルールは我々が「生きやすく」なるためのものだ。
ルールを守ることを徹底しすぎて、「生きづらく」なったら、元も子もない。

最低限のルールは守りつつ
「柔軟性をもって」生きられる世の中でありたいね。


きっと
「こども達の笑顔を守るため」のルール作りをすれば

世の中はもっと、生きやすくなるのかもしれない。

柏木選手よ永遠に

2021-02-15 10:55:59 | コミュニティで生きる
Jリーグの浦和レッズに所属する2人の選手が沖縄でのキャンプ中に外食をしたことで、処分を受けることになったらしい。

柏木選手と杉本選手は、練習後にあるお店を貸し切って食事をとっていたとのことだ。


この件、冷静に考えなくてはいけないことがある。
本来、外食をすることと、コロナに感染することとの因果関係は示されていない。
というよりむしろ。
食事中はお喋りをしないで、黙々と食べ続け、食事が終了したらマスクをしてお喋りをするのであれば
ほぼ感染はしないであろうことが指摘されている。
だいぶ前から。

今回の件
柏木選手と杉本選手のどちらかが既に感染していて、どちらかが感染していない場合
「2人の間でだけ、感染のリスクを高めてしまった」という事実はある。
しかし、現実問題として
他の客を入れずに貸し切って食事をしていたのだから
店員も当然、全員マスクをして接客をしていたのだろうから。
2人以外の人間に対して感染のリスクを高めたことは、「ほぼないだろう」と言うことができるはずである。



しかし
ネットでのコメントを見ると
「柏木はサッカー選手としては一流なんだけどな」
「柏木は2回目だろ?これ、処分しない方がおかしいだろ?」
「柏木は昔、自分が先輩から厳しくされて育ったのに、自分が後輩のよい見本になることはできなかったか」
「柏木は、キャンプ実現のためにどれだけの人が裏で頑張っているか、我慢しているかを分かってないんだよな、きっと」
「柏木をコントロールできないようだから、浦和も今はダメなんだよな」
「柏木、好きだったんだけど。もうクビだよな。もったいないけど、しょうがない」
そういったコメントがあっちこっちに見られた。


ここまで書いておきながら、なんなんだけど。

あるくくまもんは、浦和レッズのことよく知らないので。
柏木選手も、杉本選手のことも正直、何にも知らない。

そして。
柏木選手へのコメントは大量に載っているのに
杉本選手へのコメントが全くなさすぎて、「?」がいっぱい出てきた。

きっと、浦和レッズのサポーターたちから、柏木選手は愛されていたのでしょう。
愛されていたがゆえに、これだけ厳しい声が出てきているのでしょう。

全く存じ上げなくて、ファンの方には申し訳ないですが
柏木選手が、これからも元気に生き続けてくれることを、願う所存でございます。
心より。



それにしても。
常識的に考えれば、時短営業をしなくても、感染拡大は防げるはずです。
というか、時短営業と感染拡大に、因果関係なんかこれっぽっちもありません。
だから、常識的に考えれば、時短営業という謎のルールは今すぐに終わらせる必要があるのです。
こんな愚かなルールを決めて、意味不明な支援金を、税金から垂れ流す必要性はないのです。


ただ。
どうしても、時短営業が終わらない理由が1つだけ存在します。
それは、残念ながら否定できない理由なのです。
「常識的に考えれば」時短営業と感染拡大には因果関係なんかないのですが。

世の中には
「常識的に考えられない人」が存在します。
「常識が通じない人」があちこちにいるのです。

繰り返しになりますが。
「外食をしても、食事中にお喋りをしないで。黙って食べて、食事が終わってから話し出せば問題ない」
そう言われています。
あるくくまもんも、心からそう思います。
ところが、そのことを声高に言う人に限って
実際に外食に行くと、店長・店員とノーマスクで大声で話していたり
一緒に行った仲間・友人と大声で叫んでいたりするのです。


外食に行っている人が、自分で宣言した通りの行動をしてくれれば
時短営業なんてしなくていいのに。
でも、外食に行きたがる人の【一部】が、不適切な行動をとるので、結局、外食に行きたがる人【みんな】が行けなくなっちゃうんだよね。

タバコとかも同じだよね。
多くの人が喫煙所で吸っているのに
一部の人が歩きタバコとかポイ捨てとか不適切なことをしているから、どんどんタバコを吸える場所がなくなる流れと一緒。
一番厄介なことは
その【一部の人】が、自分が迷惑をかけている直接的な原因であることに気付いていないこと。
その上で我々【みんな】を悪者にするな~とか大騒ぎをし始める。


誰が加害者か、誰が被害者か
自覚がない状況は、混乱しかもたらさない。



外食を基本的にしない、あるくくまもん
仕事で外回りをしている時か、忙しくて時間がない時しか外食しない
つまり、年間に数回しか外食しない


後は、誰かと一緒におでかけする時くらいしか外食しないあるくくまもん


だけど。
早く、時短営業とかいう意味不明のルールは消えてほしい。

自覚なく不適切行動をとり続け、【みんな】を苦しめ続ける【一部の人】が、自らの行いを改めて。
過ごしやすかった、あの頃を、また取り戻したいものですね。

自己責任ですか

2020-12-14 11:01:47 | コミュニティで生きる
寒い季節がやって来る

スキー好きにはたまらない季節だ。
スキーもスノボもやらない、あるくくまもんにとっては、おこたが恋しくなるだけだ。

スキーと言えば
毎年、冬になると、スキー場で起こった事故や遭難のニュースが頻繁に流れてくる。
その多くが「滑走禁止区域」で起こったものだったりする。

似たような事例で言えば
海岸の「立入禁止区域」に入り込んで、釣りを楽しむつもりが海に落ちて・・・
というものもある。


安心できる空間に居続けることを幸せと思える人がいる一方で
危険なことに挑戦している自分に酔って、幸せを感じる人もいる。

みんなと同じことに喜びを感じて、楽しめる人もいれば
「他人の手垢がついていない」場所での活動を求める人もいる。


こういったニュースが出るたびに、あちこちで
「自己責任だー」
「賠償させろー」
そういった意見が出てくる。


「ルールを守って安全に活動している人」
「ルールを守らず危険なことをする人」
両方から、利用料とかのお金をとっている場合。
「ルールを守らず危険なことをする人」が遭難して、その救助費用に、自分たちの支払った利用料が使われているとしたら
きっと「ルールを守って安全に活動している人」は怒るはずだ。

一部のスキー場では
「滑走禁止区域」で遭難した場合、救助はするが、後で請求をすると決めているところもあるらしい。

それは、とても正しい判断だと思う。
そうじゃないと、真面目に生きている人が、真面目に支払っている人が、やってられない気持ちになってしまう。



ただ。
ただ1つ。
とても残念な現実がある。

「ルールを守らず危険なことをする人」には2つ問題点があることが発覚する。

こういう人は、請求をされても、言い訳を続けて自分の責任を認めないので、支払いに応じない。

どうしようもない。
自分の間違いを認められないのだ。

そして。
こういう人に限って
「国の救助体制をしっかりするべきだ」
「公的な保障制度を充実させるべきだ」
とか、税金をもっと使うように主張をし始める。


本来、コミュニティで生きている上では
そのコミュニティのために頑張っている人に優先的に補助が与えられるべきである。
そのコミュニティに積極的に害を与えようとしている人には、優先的に補助が与えられるのは、おかしいことだ。

にもかかわらず。
そういう人たちは
「福祉が!」とか
「人権が!」とか言い出す。


ちょっと高校や大学で福祉関係の授業を受けた人とか
テレビ番組やネットの記事で、情報を見た人に限って
自慢気に福祉や人権を語り出し
強気に権利や義務を主張することが多い。


コミュニティのために、頑張っている人にこそ、恩恵が与えられる世の中であってほしいなと思う。

でも、国ってのは、頑張っている人にではなく、声高に叫ぶ人のためにお金をかけちゃうんだよね。
結局のところ。

そうはいっても。
コミュニティの1人1人が幸せになれるような世の中を作り上げてほしいな。



この世から、他者に迷惑をかけることに生きがいを感じている残念な人たちが、次々に消えていきますように。


特にスキー場でそれを実行する残念な人たちが
谷底にぴゅ~って飛んでってそのまま、人がたどり着けないところまで行って
数百年間、誰にも気づかれないままでいて、化石として発見されますように。

困った時はおたがいさま

2020-11-04 10:27:16 | コミュニティで生きる
社会人には様々な生き方がある

【組織のために頑張る生き方】
 そして
【組織内の仕事に常に、対価を求め、無駄なことは一切しない生き方】
 さらには
【組織に所属しない生き方】
 である。


【組織のために頑張る生き方】
これは、昭和から平成にかけて長い間、日本人の美徳とされてきた。
自主的に、組織のために頑張ることは、けして悪いことではない。
だけど、頑張りすぎる人が出ちゃう。
その人に任せきりで、何もしない人が出てきちゃう。
任された人が頑張れるうちは組織はもつけど、その人が倒れた瞬間に組織も倒産しちゃう。
危険すぎる。

そして、組織のために尽くし続けたからと言って、自分の立場が保障されるわけではない。
頑張っても頑張っても、組織に斬られるときはあっさりとばっさりと斬られてしまう。
そんな人に限って、職場以外に居場所がなく路頭に迷ってしまったりする。
危険すぎる。

組織のためだけに頑張り続けることは、いいことばかりではない。




【組織内の仕事に常に、対価を求め、無駄なことは一切しない生き方】
そんな考え方をする人が、一部出るようになった。
発想としては、悪くはない。
優しさとか愛情とか、そんな感情に惑わされずに、やるべき仕事だけをやって帰る。
そんな生き方も、ありだろう。

だけど、人間とは面白いもので。
優しくしてくれない人に、優しくはしない。

やるべきことしかやらない人を、周囲の人は助けてはくれない。
やるべきこと以外もやっている人のことを、周囲は助けてくれる。
「みんなが忙しい中、そんなことまでしてくれてありがとう。お互いに助け合おうね」となる。

だから、やるべきことしかやらない人は、自分にだけみんなが優しくしてくれないことに気付くと、勝手に被害者だと思い込む。
「みんな、あの人には優しくするくせに、自分に対しては優しくしてくれない。これはいじめだ!職場での差別だ!」
と叫び出す。

勘違いした人間になると
「クズはクズ同士、支え合って生きてりゃいいんだよ(笑)」
とか、自分が神様にでもなったかのような世界に行かれてしまう人もいる。

いずれにしても。
金銭とか、肩書とかでしか、自分の価値を評価できない大人になるだろう。
はたから見てると・・・とても切ない。




【組織に所属しない生き方】
これも悪くはない。
けど、色々な保障がされない。
誰も守ってくれない。
「本当に」能力がある人だけが行ける世界・・・ではある。
勇気がある人は、飛び込んでみるのも、いいかもしれない。




絶対的に正解・・・な生き方はない。
だけど、あるくくまもんが、おすすめする生き方は・・・。

【自分がいる組織の人のために、「余裕がある範囲で」優しくしよう。
 困っている人がいたら助けてあげよう。
 その時、見返りは求めない。
 でも、きっとその人は、自分が困っている時に、必ず助けてくれるから。
 とはいっても、自分に余裕がない時は、素直に断ろう。
 常に、「困った時はおたがいさまだから」と思いあえるようにしよう
 何かしてもらったら、素直に「ありがとう」と言おう。
 何かしてあげてお礼を言われたら「おたがいさまだから」とだけ返せばいい】

このささやかな、優しくしあえる関係性

これを求めていけば、みんなが穏やかな気持ちになれると思う。

お互いに、ほっこりしあおう♪

セクハラの加害者

2020-10-24 10:14:17 | コミュニティで生きる
近年、昔に比べて、ハラスメントによって訴えられるケースが急増している。

極端な話で言えば
昭和の頃、若い女性会社員は、上司たちからお尻を触られることは日常茶飯事であり
「触られているうちが華だ」などと言われていた。

当然、令和の世の中で、上司が若い女性会社員のおしりを触ったら、一発アウトである。

ハラスメントという発想の広がりの中で、
セクシャル・ハラスメント
パワー・ハラスメント
アカデミック・ハラスメント
アルコール・ハラスメント
モラル・ハラスメント
就活終われ・ハラスメント
スモーク・ハラスメント
ヌードル・ハラスメント
スメル・ハラスメント
ロジカル・ハラスメント

・・・

もはや、なんでもハラスメントとつければ成立しちゃっている現実がある。



ふと、ハラスメントについて考えている時に、気付いたことがある。

「純粋にセクハラだけをして、訴えられている人ってどれだけいるんだろう?」
考えれば考えるほど、
「いないのでは?」
という気になってきた。

「普段は真面目に仕事をしていて、営業成績も好調で、みんなから好かれていて、家族思いで優しい方です。ただ、いきなり女性社員の胸やお尻を触り出すんです。なので、セクハラで訴えます」
・・・こんな人、いないんじゃないかって。


セクハラする人って、多くの場合、周囲の気持ちとかに配慮できなかったり、セクハラ以外のことで何らかの問題を起こしている。
でも、その「何らかの問題」では、訴えるのが難しかったり、訴えた瞬間自分の身に反撃が及びかねない。
ただ、「セクハラ」で訴えれば、訴えることは簡単だし、反撃されることも少ない。
だから、結果的にセクハラで訴えられている人が増えているのでは?
そんな気になってきた。

いや、でも、待って・・・。
自分にとって有害な人間が身近にいた場合に、その人間を「自分の世界から排除するため」に、セクハラで訴えているケースを知ってるぞ・・・。
しかも、そのケースの時は、他の人にとっては全く無害だったのに、セクハラで訴えて「私が、あいつを消してやった」とあちこちで自慢して、周囲がドン引きしてたぞ。

全てに共通する何かを断言できないかもしれない・・・
そう思えてきた。
・・・難しい。


人間同士の中で現れる問題は、基本的にすべて「関係性」の中で生まれてくる。
「本当の被害者」は救われるべきであり、守られるべき存在である。
「偽りの被害者」が増えれば増えるほど、「本当の被害者」が守られなくなってしまいかねない。
ただ、もっと重要なことは
「偽りの加害者」にされてしまう人が生まれないようにすることだ。


自分本位ではなく、お互いがお互いを思いやれるような大人になることが、もっと生きやすい世の中を作る、大事な要素なのかもしれない。

不可能な仕事の指示

2020-10-17 17:56:40 | コミュニティで生きる
組織の中で、仕事をしていると
自分にはできない仕事が回ってくることがある。

仕方なく、仕事をやりきったにもかかわらず、上司や他部署から非難を受けて、やさぐれる人がいる。
場合によっては、自分の能力のなさを棚に上げて、他人の責任にしようとするやつまでいたりする。

そんな時に、まず考えてほしいことがある。
「自分にはできない仕事」の「できない」が、どういう意味なのか。
 ①苦手ではあるものの、どうにか取り組むことはできる
という意味なのか。
 ②能力的に、実行することが不可能なのか
という意味なのか。

それで、大きく違ってくる。

苦手ではあるものの、どうにか取り組むことができる仕事である場合
嫌だけど
面倒だけど
頑張って、実行していかなければいけない。
事務作業が苦手でも、命がけで書類を書き続けている人もいる。
人とのかかわりが苦手なのに、命がけで営業まわりをしている人がいる。
「そんなの無理!!」と反論したいのであれば、単純労働者になればいい。
【総合職】なんて響きに満足したいがために苦しまずに、1つの作業をただひたすらし続ければいい。
単純労働者よりも総合職が優れているわけではない。
それが現実だ。



能力的に、「絶対に」自分には実行することが不可能であるのだとすれば、それは上司がおかしい。
組織の上司とは、手の空いている人に仕事を流す存在ではない。
自分の組織の人間の能力や状況をきちんと把握して、その人間にあった仕事を適切に配分しないといけない。
それができないようであれば、管理職などになってはいけない。
定年まで、平社員として堂々と働き続けるべきだ。
平社員が格好悪いなんて発想はやめたほうがいい。
自分にできることを、得意なことをやり続けていた方が、はるかに健全な生き方だ。

そうはいっても、そもそも組織の中に、適した人材がいないこともある。
事務作業がメインの職場なのに、事務作業が苦手+コミュニケーション能力高め
営業まわりがメインの職場なのに、コミュニケーションが苦手+事務作業が得意
そんな人材ばかりを集めていることもある。
それはもう、その職場の人事の人間が、組織内の現状を把握していないからである。
そんな状態が続くようであれば、所属する人間はどんどん病んでいくし、最終的に組織は消え去るだろう。


つらい仕事が降りかかってきて、ストレスで心がいっぱいになった時に
自分にとって【都合の良い他者】を悪者にすることで、ストレスを発散するのではなく
問題の本質から目を背けずに、そこを改善する努力をしていかないと
いつまで経っても、仕事ができる評価は受けられないし
生きていてつらくなるだけ。

敵を見誤らないように、正しく主張して、生きていかないといけない。

いじめといじり

2020-10-05 10:18:40 | コミュニティで生きる
「Aくんにいじめられていた」と訴えられたBくん
Bくんは、素直にこう言う
「Aのこと、いじってただけだよ。別にいじめてなんかいないよー」

最近、こういうことがかなり増えている。
「いじめ」と「いじり」の境界線は、とても難しい

特に、テレビで芸人が「いじられている」という笑いをたくさん見て育った世代の中では、「いじること」に抵抗がない人間が増えている。
場合によっては
「いじられているうちが幸せなんだよ」と口にする人もいる。

あるくくまもんなりの、境界線の定義がある。
①相手の気持ちが大事
まず、何より、いじられている相手の気持ちを考えているかどうかが重要になる。
「いじられて美味しかっただろう?」と言う風に、いじっている方が勝手に思ってはいけない。
周囲は確かに笑っているし、いじられた方も笑っているようにみえるが、心の中では嫌がっている可能性があるから。
自分がいじりたいから、ではなく、相手がどんな気持ちになるかを考えることが重要になる。

②役割交代できるか?
その上で大事なのは、逆に自分がいじられる立場になっても喜べるかだ。
「人に言うのは好きだけど、人から言われるのは嫌だ」
それは、完全にいじめだ。

ながらく、自分の中では、この2つが満たされていれば、「いじりという名のいじめ」は起こらなくなる

・・・そう思っていた。


ただ、最近、新しい観点が現れてしまった。
③周囲がその光景を見て、不快に思わないか

これがすごく厄介
B「みんなー。Aはどうしようもないから、この世から消してしまおうね~」
A「なんだとー。うるせえ、てめえみたいなクソは死んでしまえー」
B「おう!クズのお前と一緒に死んでやるわ!殺せるものなら殺せや!」
A「なんだとー!」
B「なんだよー!」
AB「「ううううううう。・・・・わははははははは」」
こんな会話が交わされたとする。
本人たちは言いたいこと言いあいながらも、最後は仲良く爆笑している。

でも、それを見たCさんが
C「嫌だよー。なんで、すぐ死ぬとか殺すとかそういうこと言い合ってるの・・・。怖いよ・・・」
こんなことを言い出したら、ABのやりとりが「いじり」じゃなくなることがありうる。

正直に言おう。
「実にめんどくさい」

なんで、自分たちのおふざけの会話を、いちいち周囲の人の反応を意識しながら考えて言わなくちゃいけないのか。

もう一度言おう。
「実にめんどくさい」

ただ、現実的な話。

世の中は、Cさんを守る方向に動き始めている。

「Cさんの感覚は正しい」と思う人が少数派であったとしても
Cさんを守る方向に動き始めている。

これから、どんどん息苦しい時代になっていくのだろう。
つらいけど、それが現実。
Aさん・Bさんの世界で生きている人は、残念だけど、自分の価値観を少し変えて生きていかなくちゃいけなくなるかもしれない。

そんな息苦しい時代になったら、世の中どう変わっていくんだろう?
もしかしたら
カラオケBOXのような「いじりあいBOX」みたいなスペースが有料解放されて
信頼し合える友達同士だけで集まって、お互いを「いじり」あう
そんな世界が待っているのもしれない。

Cさんや、優等生・委員長たちは、後ろ指を差しながら
「うわ。DがいじりあいBOXに入ってったよ。人間として最低だね。不良だ、不良だ。」
とか言い出すのかな?


そんな息苦しい時代になった時
Cさんは何を思うんだろうなぁ。

朝★暮〇 其二

2020-09-23 11:22:37 | コミュニティで生きる
問.■にそれぞれ、異なる漢字を入れて、四字熟語を作りなさい。
「朝■暮■」

(ただし、漢数字は除く)

正解はもちろん
朝三暮四!
でもなく

当然
朝一暮五!
でもなく

「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」なんだけどね。


朝の命令が暮れには改まる
ってことで、朝令暮改は
「言ってることがころころ変わる」という、一般的に悪い意味でつかわれることが多い。

ただこれって、すごい難しいんだけど。
朝令暮改が悪い時と、いい時とが実際はあると思う。

自分の中で、きちんとした芯みたいなものがなくて
<朝>
 社長「Aプランでいくぞ!!」
 社員「「「「「はい!!」」」」」
<昼>
 常務「Bプランの方がいいんじゃないですか?」
 社長「そうかもな。おーい!社員よ!やっぱりBプランで行くぞ!!」
 社員「「「「「・・・え。・・・あ、はい」」」」」
<夕方>
 専務「Cプランの存在をお忘れですか!」
 社長「そうだった!おーい!Cプランで行くことにするぞー」
 社員「「「「「・・・・・・・・・」」」」」

こんなことになったら、もうその組織は壊滅するしかない。
でも、似たような状況でちょっとだけ違うこともある。

<朝>
 社長「Aプランでいくぞ!!」
 社員「「「「「はい!!」」」」」
<昼>
 社員「社長!まずいです。Aプランは欠陥が見つかりました。このままだと危険です!」
 社長「なんだと!それはまずい!他に方法はないのか!?」
 常務「Bプランならありますが・・・」
 社長「それがあったか。おーい!社員よ!Aプランはまずいことが分かった!Bプランに変更してくれ!!」
 社員「「「「「よかったぁ・・・」」」」」
<夕方>
 社員「社長!Bプランでも無理でした!このままだと終わります」
 社長「なんだとーーーー。しまった、他にもう手立てはないのか・・・」
 専務「Cプランの存在をお忘れですか!」
 社長「そうだった!おーい!Cプランで行くことにするぞー」
 社員「「「「「よーし、乗り切るぞーーーーー!!」」」」」

こんな感じの朝令暮改だったら、実はとってもいいこと。
まぁ、こっちは、正確に言うと。
機に臨んで変に応ず=臨機応変になるんだけどね。


一番最悪のパターンは
<朝>
 社長「Aプランでいくぞ!!」
 社員「「「「「はい!!」」」」」
<昼>
 社員「社長!まずいです。Aプランは欠陥が見つかりました。このままだと危険です!」
 常務「Bプランの方がいいんじゃないですか?
 社長「だめだ!Aプランで行くと決めたんだから、このまま突き進め!!!」
 社員「「「「「・・・・・・」」」」」
<夕方>
 社員「社長!まずいです。もうAプランはもう限界です。」
 専務「今からならCプランにすればどうにか持ち直せます!!」
 社長「だめだ!Aプランで行くと決めたんだから、このまま突き進め!!!」
 社員「「「「「・・・・・・・・・」」」」」
・・・沈没


やっぱり上に立つ人間ってのは、決断力が大事だね。
時には朝令暮改も大事

優柔不断
ではなく
臨機応変に決断できる上司の下で、働きたいものですね。

ふかんちょうかん

2020-08-31 10:13:42 | コミュニティで生きる
長い間、失敗ばかりの人生を過ごしてきて今がある

そんな、あるくくまもんにとって、重要な観点と言うのは

「自分がしていることを客観的に見ること」である。

ドンピシャな言葉が見つからないんだけれど。

おそらく、一般に使われている言葉で、一番近い言葉は【俯瞰】や【鳥瞰】



本来、人前で話すことや、人に何かをアピールするのが超苦手なあるくくまもん

だけど、最近は営業的な仕事をすることが、とても多くなってきている。


営業的な仕事の重要なことは、結果が出ること

理想の状況は
「あるくくまもんさん、素敵ね。こんな素敵な人が言うんだから間違いないわ。買っちゃいましょう。」
と言われること。

逆に、最悪な状況は
「あるくくまもんさん、面白いわね。(おしまい)」

ステキとか面白いとか思ってもらえても、結果が伴わなければ何の意味もない。

自分のしていることが相手にどう響いているのか
自分のしているどんなかかわりかたが、相手にどんな影響を与えているのか

そんなことを考えながら、営業活動はやっていかなくちゃいけない。

だから、実は
「あるくくまもんさん、口も悪いし、態度も悪い。人間として最悪だけど、話しているこの商品の価値は確かにあるわね。じゃあ、買いましょう」
これも、営業としては実は悪くない。
結果が出ているから。


営業のスタイルも、実際は人それぞれ。
明るいキャラクターで売り上げを伸ばしている人もいれば
無口に近いけど、素直で真面目なキャラクターで信頼を得て、売り上げを維持している人もいる。

絶対的な正解はない。

ただ、自分のしている営業がうまくいかなかった時に
先輩や上司、同期とか、他の人からの意見を聞いて
【使えるな】と思ったところを改善していけば、また結果が出せるかもしれない。

独りよがりな、自分勝手な営業活動は絶対に身を滅ぼす。


ふと、そんなことを考えた8月の夜

9月は、8月よりはほんの少しだけ、自由にやりたいことができる時間ができそうだ。

・・・

ほんの少しだけ。

組織論

2020-08-12 11:28:00 | コミュニティで生きる
まだ、日本列島がぽかぽか陽気に包まれていた頃
年収1000万円でお馴染みの、暴走大学教授と、しばし語らい合った。
あるくくまもんのブログについて

「あなたのブログって、組織という枠組で物事をとらえていて、その中でどうやって生きていったらいいかを問うている内容が多いよね。我輩は、そもそも組織という枠組なんかどうでもよくて、いかに自由に生きられるかしか考えていないから、とらえかたが違うよね。」
と言われた。

半分当たっていて、半分違うと思ったので、反論してみた。

あるくくまもんとしては、組織の中でいかに生きていくかを語っているが、それが物事の本質だとは思っていない。
現代社会で生きていくためには、最低限、仕事をしてお金を稼がなくてはいけない。
最低限のコミュニケーションも求められる。
だから、面倒くさいことを乗り越えて生きていくために、【表面上】問題を起こさずにお金を稼ぐために・・・
どうしたらいいのかを説いているだけ。

職場の人たちと、友達のように、親しくなる必要はない。
【生きるためのお金を稼ぎに】行っているんだから。

このブログで仕事について、職場について語っている時
それは
【組織でどうやって生きていくか】
という表面的な内容を載せているように言えるかもしれないけれど。

背景としては
【組織でうまく生き抜ければ、それ以外の時間を充実させることができるよ】
という考えがある。

暴走大学教授の思想とそこは共通していて、【いかに自由に楽しく、生きていくか】を考えている。



みんな、不自由な時間をささげている分、自由な時間はたくさん楽しもう♪





そんな不自由が嫌ならば、世捨て人になって・・・
山にこもり、仙人を目指すしか道はない。



仙人にも魔法使いにもなれなかった、あるくくまもん
今日は、短い夏休みの合間のお仕事Day
1日しっかり乗り越える!!
これが終われば、短い夏休みの後半戦

余計なことを考えすぎず
まったりと、今という時を楽しく生きていこ~

争いの火種

2020-08-01 10:13:45 | コミュニティで生きる
戦争は唐突には起こらない

喧嘩だって、いきなり起こることはない

必ず何らかのきっかけがあって、それが徐々に広がり大きくなる。

自分が闘いの中に巻き込まれると・・
どっちの味方に付くべきか、どっちがいいのか/悪いのか、どっちが正しいのか/間違っているのか
そんなことを考えたり、迷ったりする。

闘いの中にいると
どうして、その闘いが起こったのか
その原因を考えようとはしなくなる
そんな余裕がなくなる

ただ
気をつけないといけないのは。
自分自身は、いきなり始まった闘いに巻き込まれた被害者のつもりでいたけど。
実は、自分のした、ちょっとした行動が
自分が放った、ささやかな言葉が
その闘いの引き金になっている可能性がある。

でも、言った本人は、した本人は、そのことに気付かない。
自分はすでに、被害者だと信じ込んでいるから。

だけど
自分が争いの火種になっていることを知ったら
気付かされたら・・・
素直に謝らなくてはいけない。




・・・日々、反省。

ほどよく主張する

2020-06-17 12:30:50 | コミュニティで生きる
あるくくまもんのオンボロアパート
築うん十年

入居した時は、「いつでも高級なところに引っ越しできるように」って理由で、オンボロアパートを選んだ。
色々あって、そのまま数年間住んでるけど・・・。
それはさておき。

ちょろちょろちょろちょろ・・・

入居直後から、トイレの水がなかなか溜まらなくて・・・
タンクがいっぱいになるのに30分近くかかってた。
独り暮らしだし、オンボロだし、そのうち引っ越すし、まぁいっか。
そう思いながら住んでいた。

ところが、最近、トイレのタンクに全く水が溜まらなくなった。
調べてみると、タンクの底のゴムのふたが古くなっているらしい。
しばし悩んだ上で、不動産屋に行って話をしてきた。
「なるほど。じゃあ、水道屋さんに連絡しますね。2~3日お待ちください」と言われた。

普通の人なら「そんなに待つのかよ!」と思うかもしれない。
でも、あるくくまもんは、自分で自分をほめたかった。
「ちゃんと、言うべき人のところに行って、言うべきことを言えたね。えらいえらい」と。

あるくくまもん
すっごく苦手なのだ。
こういう主張をするのが。

そして、それから、しばーーーーーーーーーーーらく経った。
でも、連絡がこない。
悩んだ。
すっごく悩んだ。
けど、勇気をもってもう一度連絡をした。
「★★日前に~~って連絡をしたんですが~(以下略)」
そしたら、1時間後には水道屋さんがやってきて、無事トイレは直った。
しかも、今まで水が溜まるのにかかっていた時間が30分から1分に短縮された。
(自分でも昔、試したけど、栓が硬くなりすぎて、開かなくて。業者の人も必死で数分かけて開けてくれてた)

そして、1分で溜まる水の音を聞きながら・・・
また、自分をほめてあげた。
「ちゃんと、言うべき人のところに電話して、言うべきことを言えたね。えらいえらい」と。




自分の欲望のおもむくままに、主張をし続ける人間はどうしようもない
でも、相手の気持ちばかり考えて、自分の主張を我慢するのもよろしくない

あるくくまもんは、後者だ。
ちゃんと自覚はある。

だからこそ。
主張はほどよい感じでしていかないといけない。

相手の気持ちを考えつつ
相手に配慮をしつつ
でも、やってほしいことは確実に
適切な言葉遣いで主張しなくてはいけない。

そんな気持ちになった。

さぁ、今日もトイレを遠慮なく流そう。



じゃああああああああああああああああああああ


どぼどぼどぼどぼどぼどぼどぼどぼどぼどぼどぼ
(お、1分でまた溜まった♪ ふふふふふふ・・・)

正しいと思われること

2020-06-02 10:45:00 | コミュニティで生きる
「正しいこと」を言っているのに、周囲が理解してくれない
「まともなこと」を言っているのに、周囲からバカにされる

こんな思いに苦しんでいる人が一定数いる

俗に「真面目」と評される人間が苦しむことがある
また、一方で
「自分は頭がいいのに」とか「俺は私は誰よりも真実を理解しているのに」とか主張したがる人も、同じように苦しむことがある。

苦しんでいる人たちには、気付けないことがある。
苦しんでいる人たちには、理解できないことがある。




多くの人間は、「正しいこと」を「正しい」とは思っていない
多くの人間は、「正しいと思われること」を「正しい」と思っている


そもそも、「本当に正しいのかどうか」なんて、誰にも分からない。

だから、人間は、「その人それぞれが、正しいと感じていること」が「正しい」と思うようになる。

でも、自分自身の判断能力に自信を持てないので・・・
「周囲の人が、何を正しいと思っているか」を気にするようになる。

だから、最終的に「みんなが正しいと言っていること」を「正しい」と思うようになる。

多くの人間は、そんなもんなのだ。



そんな中で、苦しんでいる人たちは、こんな主張を始める。
「みんな分かっていない」
「俺が、私が正しいことを言ってるのに、聞き入れないのはおかしい」
「俺が、私の話を聞かないのは、みんながバカだからだ」

そのように、周囲を批判するようになる。

でもね。

多くの人間が、どのように「正しい」を感じているか、判断しているかを理解すればいいだけの話なんだよ。

「何が正しいのかを言えば、理解してくれる」と思うのではなくて
「どのように言えば、正しいと思ってくれるのか?」を考えればいい。


自分が思っている正しさを伝えたいのであれば
「正しい」と主張するのではなく
「正しいと思われる」主張をすればいい。

正確には
「正しいと思わせてしまえ」ばいい。

理解してもらえない時に。
人を責めるのではなく。

自分の表現能力の弱さに気付いて、受け入れて、自分自身を変えればいいだけの話。

情報収集

2020-06-01 10:06:40 | コミュニティで生きる
学生時代
「Fくんと、Gちゃんが別れた」という話を聞いて

「えっ?Fって、恋愛には興味ないと思っていたのに、恋人居たんだ。ってか、1年半も付き合ってたの?」
とか思ったことがある。

それを別の友達に言ったら
「えっ?2人が付き合ってるの、有名じゃん?マジで知らなかったの?」と返された。

あちこち聞いてみると、自分以外、ほぼ全員が知っていた。



そんなエピソードが、何度も続いた時、ふと思った。
自分のところにだけ、情報が集まってこない。
・・・
もしかして、あるくくまもん、みんなから嫌われてる?
さけられてる?
実はいじめられてる?
そんな不安と闘っていた日々もあった。



それから長い年月を経て、色んな経験を積んで、ようやく真実にたどり着いた。

情報って、勝手に集まって来るものじゃないんだってことに。



インターネットが発達して、「アメリカの大統領が10分前に何て言ったか」とか
「今度出る、プレステの特徴は何か?」とか
そういう情報は知ろうとしなくても、どんどん近づいてくる。
知る気がないのに、目に、耳に入って来る。
だから、つい、情報は勝手に集まってくるものだと勘違いしちゃう。

でも、勝手に集まってくる情報ってのは
自分と遠い世界の情報ばかり

自分の友達や、仲間の中でどんなことが起きたのか
職場でどんなことが起きたのか
親戚の家でどんなことが起きたのか
そういう身近な情報は、勝手には入ってこない。
冠婚葬祭レベルの内容ではないと、あちらからやってきてはくれない。

いくらメールやらチャットやらLINEやらが発展して、浸透してきていても。
コロナ騒動で、オンラインでのやりとりが増えてきたとしても。
身近な情報は、勝手には入っては来ない。



戦国時代は、どれだけ情報を集められたかで、生き延びることができるか/できないかが決まっていた。

それから、450年。
こんな情報まみれの時代だからこそ。
無駄な情報ばかりが、大量にやってくる時代だからこそ。
自分から、必要な情報を集めに動き出すことが大事なのかもしれない。

能力の高さと 認められ欲求

2020-05-27 14:35:20 | コミュニティで生きる
夕方7時ごろからよく放映されている、カラオケなんちゃら選手権
「14歳の女子中学生が、セミプロの★さんを破って、優勝~↑↑」
なんてオチが待っていることが多い。

プロの歌手の世界でも、2~3年に1人くらい
すっごい音程がいい人、声量がある人が現れて、大騒ぎされる。

でも、そのほぼ全てが、2曲目か3曲目を出したころに、そ~っと消えていく。

【わずかな】ファンたちは、こんなことをつぶやく

「みんな分かってない。顔だけで歌も下手なアイドルが売れて、こんな歌唱力のある人が売れないなんて、おかしすぎる!」と。

でもね。
現実問題。

世の中が欲しているのは、それじゃないんだよ。

「能力が高いこと」と「評価の高さ」は比例しない
「能力が高いこと」と「需要」は比例しない
「能力が高いこと」と「認められるかどうか」は関係しない

「評価されたい」なら、持っている高い能力を、もっと高めればいい
「評価されたい」なら、アピールの仕方を変えればいい
「評価されたい」なら、評価される能力を高めればいい


ただし。
絶対に、この言葉だけは言ってはいけない。
「こんなに自分には能力があるのに、周りは分かってくれない。みんなおかしい。頭悪い。みんなは能力が足りないから、理解できないんだ」


能力が足りなくて理解できてないのは、その人自身
自分の持つ特定の能力の高さに、独りでおぼれてしまっているだけ。
周囲が見えていないことに、気付けなくなった、可哀想な裸の王様



そんな評価されるか、されないかという世界で、無駄に力を使いすぎる必要はない

「評価されなくてもいい」と思えばいい。

そう思えれば、自分らしく生き続けられる。

「評価されるに、こしたことはないけど。私は自分らしく生きたい。」

それだけで人生は楽に生きていける