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あるくくまもんの居候部屋

【期間限定?】まったりとした空気を届けます

2番目の地位に留まれるか

2022-11-24 12:28:41 | コミュニティで生きる
長年生きていると、色んなコミュニティの人間関係や権力関係を嫌でも沢山見ざるを得なくなってくる。

自分がいた学校でもそうだし
自分が働いていた職場でもそうだし
政治家の世界もそうだし

あちこちの色んな人間模様が目に入って来る。



そんな、あるくくまもんが少し前に見た、残念な光景をちょっと語ってみよう。
別にあるくくまもんの職場の上司の話とかじゃないから、そこは勘違いしないでね(笑)

あるコミュニティがあって、そこには数十人の構成員がいた。
そして、そこには「No.1」の存在がいた。
基本的に、「No.1」が主導して、その組織を動かしていたんだけれど
ある日、ちょっと大きなプロジェクトを実行しなくてはいけなくなった。
普段だったら、「No.1」がみんなに指示を出して乗り越えるんだけれど
実は同時期に他の大きな仕事も抱えていて、「No.1」はそちらに専念せざるを得なくなった。
そのため、ちょっと大きなプロジェクトは「No.2」をリーダーにして、任せることにした。

「No.2」
その人は、コミュニティの中で一番優秀で、最も賢く、常に冷静で素晴らしい判断ができると言われていた。
今まで、「No.1」が主導してきたものも、実は裏で「No.2」が支え続けていたから乗り越えられたものだと言い切っても問題がないくらい、素晴らしい能力を秘めていた。
だから、「No.1」は安心して「No.2」に任せたし、全ての権限を与えていた。

そして
新しいプロジェクトが始まった。

結果、どうなったか。

きわめてシンプルだった。

「No.2」が暴走を始めたのだ。
別に権力をかさに着て自分のやりたいように、しまくっていた訳ではない。
全ての仕事を自分一人で抱え込み、自分が理解・納得したことのみを、周囲に指示するようになった。
もちろん、新しいプロジェクトは一気に動きが遅くなった。
それだけじゃなかった。

「No.2」は自分が把握している情報を、誰にも共有しなくなった。
別に、隠そうと思って共有しないわけではない。
周囲に共有をしようとする発想自体が頭の中から消え失せて、そんなことを考える余裕すらなくなっていたのだ。
もはや、危険な状態に陥りかけている。
中学高校の部活動や、大学のサークルのような集団だったら、多少ケンカになるくらいで最後はどうにかなるものだけれど
たくさんの人間が動き、たくさんのお金が動いている状況だ。
笑ってごまかすこともできないし、怒られておしまいにできる話でもない。
かといって、権力をもって「No.2」の暴走を誰も止められない。

たくさんのドタバタを経て
その後、強い力が「No.2」を抑え込んで、ようやく正しい方向に動き出し、最悪の事態を止めることができた。
その後、「No.3」以下、多くの人が好ましい動きをし始めることができ、100点満点にはたどり着けなかったものの、新しいプロジェクトは60点くらいの結果までは行くことができた。
誰もがホッと胸をなでおろした瞬間だった。

その後、「No.2」が、コミュニティの中でどういう評価を受けるようになったかは、とりあえず秘密ということにしておきましょう。



それにしても
不思議なものだよね。
「No.2」が「No.2」のポジションにいた時は、大活躍していて、その人なしにはコミュニティが回らないとまで言われていたのに
「No.2」が一番上のポジションに行き、権力を持った瞬間に、急に仕事ができなくなった。
というか、おかしなことしかしなくなってしまった。

なんでこんな悲劇が生まれてしまったかというと
結局のところ「適材適所」なんだよね。

表に出て、みんなを引っ張っていくことができる人もいれば
裏に隠れて、トップを支えることができる人もいる。

表に出て、みんなを引っ張っていくことができる人は、誰かを支えることができなかったりして
裏に隠れて、トップを支えることができる人は、みんなを引っ張っていくことができなかったりする。
やっぱり、人はみんな得意・不得意があるんだよね。



さっき話した「No.2」の人は、まさに
裏に隠れて、トップを支えることが得意だったけれど、みんなを引っ張っていく能力はない人だったんだよね。
そう言う場合は
自分の弱いところを自覚して、みんなを引っ張っていく力を伸ばす努力をするのもアリだし
自分の得意分野である、トップを支えることに専念し続けるのもアリなんだよね。


実際
政治の世界なんかを見ても
本当に力のある人は、トップには出てこないよね。
常に裏方のトップに立って、見えないところで、色んなことを密かに動かし続けている。
それがいいか悪いかは別として。



自分がトップに立てるチャンスがやってきた時に
「権力を全部握れるぞ!ひゃっほー!!」と思って、権力におぼれていくか
自分の得意な力を発揮して、みんなを引っ張っていくか
自分の苦手さに気付いて、自分を磨いて、みんなをどうにかして引っ張っていこうと努力するか
自分の苦手さに気付いて、権力には目もくれず、ひたすら自分がいるべきポジションに専念するか

どの道を選ぶかによって
自分自身の未来も
そのコミュニティの未来も
変わっていくんだよね。



あなたは、どのタイプですか?

サンキュー ソーリー

2022-10-31 10:41:26 | コミュニティで生きる
ありがとう

この言葉を言えるかどうかで、その人の人間性は大きく変わる
この言葉を言えるかどうかで、その人の評価は大きく変わる


ごめんなさい

この言葉を言えるかどうかで、その人の人間性は大きく変わる
この言葉を言えるかどうかで、その人の評価は大きく変わる


あなたが、この世界に生まれてから
今日にいたるまで
何度も何度も聞かされたこと
いいことをされたら「ありがとう」と言いなさい
悪いことをしたら「ごめんなさい」と言いなさい

耳にタコができるくらい
もう飽き飽きするほどに
こどもの頃は何度も何度も親や先生から言われ続けたこと。

だから
少なくとも日本で育ったこどもたちは
いいことをされたら「ありがとう」と言うものだ
悪いことをしたら「ごめんなさい」と言うものだ
そう思っている。


ある時期までは、そのことを「正しいこと」だと思っているし
「当然のこと」だと思い込んでいる。
だから
少なくとも日本で育ったこどもたちは
いいことをされたら「ありがとう」と言うし
悪いことをしたら「ごめんなさい」と言う。

でも
ある時期から、大人が言ったことや先生が言ったことを
「間違っているかもしれない」
「嘘を言っているのかもしれない」と疑うようになる。

これは、人間の発達上はきっといいことだ。
大人が言っていることが正しいとは限らない
先生が嘘を言っているかもしれない
こう思えるようにならないと、プログラムされたロボットのような生き物がひたすら再生産され続けるだけだ。
疑うことを知ったからこそ、人は様々な思想を持てるようになる。
そして、「人間」という生き物がバリエーション豊かな生命体へと進化していける。
とてもいいことだ。

だけど
やっぱり、少し哀しくなる。
それが「小学生」や「中学生」というものになったタイミングなのか
「思春期」と呼ばれる、第二次性徴期に入るタイミングなのかは違うだろうけれど
急に「ありがとう」と言わなくなる。
急に「ごめんなさい」と言わなくなる。

もしかしたら
「言わなくなる」ではなく「言えなくなる」なのかもしれない。
「ありがとう」と言えなくなる。
「ごめんなさい」と言えなくなる。

それでも
「大人」になる中で少しずつ人間は、再び「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えるようになる。
一方で、年を取れば取るほど、頑なにこの言葉を言わない人もいる。

あるくくまもんは、強さだと思っている。
「ありがとう」と言えること
そして
「ごめんなさい」と言えることが。

大人になると、気恥ずかしさがどんどん増して行って、感謝の言葉や謝罪の言葉を発することが難しくなる人がいる。
気恥ずかしさを持っている人を「弱い」と言うつもりはない。
でも、気恥ずかしさを乗り越えて、感謝の言葉を言える人は、謝罪の言葉を言える人は、とても「強い」人だと思う。

言いたい気もちはすごくある。
だけど
やっぱり恥ずかしくて、素直に「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えない。
そういう人は、少しふざけた感じで、ギャグのように言ってみるといい。

「さんきゅ~」と。
「そ~り~」と。

そして、慣れてきたら
心が抵抗しなくなったら、素直に言ってみよう。
「ありがとう」と。
「ごめんなさい」と。

その時、あなたは、一歩ずつだけど「強く」なっているはずだから。



恥ずかしがりなあなたに、あるくくまもんから最後にメッセージを送るよ。

そ~り~
いつも、本当に迷惑や心配ばかり、かけているよね。

でも

さんきゅー
あるくくまもんは、今とっても幸せだよ。

対立する二大派閥の中で

2022-10-13 12:26:51 | コミュニティで生きる
組織は大きくなればなるほど、異なる意見を持つものが増えていく。
時に喧嘩をし、時に論争をし、時にののしり合い、時に憎み合う。

自分の意見を何が何でも押し付けようとする者もいれば
人の意見を聞くと言いながら、全然受け入れない人もいれば
自分の意見を持たずに、受け身の人もいる。

こども同士のケンカだったら
最後に殴り合いを行い、加害者もしくは双方が謝罪をすることで、終わりになることもあるけれど
大人の世界では、残念ながら、そんな訳には行かない。
大声で罵ったり、暴力を振るったりすれば、それは感情をコントロールできないものとみなされ、組織ひいては社会の中で生きていくことすらできなくなるものだ。
大人とは実に生きづらい生命体なのだ。



例えば、20人のコミュニティがあるとする。
20人の職場を思い浮かべるのが一番、分かりやすいと思う。

その職場の未来を決める重要な決断をする時がやって来た。
8人は左の道を進もうと主張している。
他の12人は特に何も意見を口にしてはいない。

左の道に行きたい勢力は、あと3人仲間を集めて11人になれば20人のコミュニティの中では確実に「多数派」になれる。
どうにかして、12人の中から自分たちの仲間を集めようと、あの手この手で努力を始める。

さて。
自分の意見を口にしていない12人なんだけれど
実はそのうち、6人が右の道を進みたいと思っている。
でも、左の道に行きたいグループの勢いに負けて、自分たちの意見を言いにくい空気と闘っている最中だ。

そして、5人は完全に日和見主義で、自分の意見は何も持っていないで、流れに乗って「ついていきます」と言うだけの人達がいる。

残った1人が、周囲から見ると何を考えているのかよく分からない、不思議な存在だ。

往々にして、コミュニティとは、そんな形で意見が分かれている。

まとめると
左に行きたい8人
右に行きたい6人
何も考えていない5人
謎の生命体1人だ。


あるくくまもんって、大体、自分のコミュニティの中で論争が起こった時に
何も考えていない5人か、謎の生命体1人になっていることが多い。

そんな、あるくくまもんの姿を見て
「あるくくまもんは、常に状況を一歩引いたところから冷静に見ていて、適切な判断ができている」といった感じで褒めちぎる人もいる。
・・・それは言い過ぎ・・・ではなく
勘違いだ(笑)

あるくくまもんは、何も考えていない訳ではないんだけれど「自分の考え」というものを、しっかりと持っていない。
だから、「右派」にもなれないし「左派」にもなれない。
単に、どっちつかずのダメダメなやつというだけなのだ。

で、そんなどっちつかずの、あるくくまもんに、左からも右からもお誘いの声がかかって来る。
「ねぇ、あの左派のトップは偉そうに自分の考えは正しいと勘違いしているのよね。本当にどうしようもないクズだわ。あるくくまもん、あなたは右に行くべきだと思っているわよね?」
「なぁ、あるくくまもん。右派のトップは自分のことしか考えていない本当に自分勝手なクソだよな。おまえは、絶対に俺たちと一緒に動いてくれるよな・・・?」

あるくくまもんは、適当に笑ってごまかす。
右派の誘いには「左派の考えってよく分からないんですよ」と言い
左派の誘いには「右派の考えってよく分からないんですよ」と言う。
八方美人な態度を取っている訳じゃない。
本当にどっちの意見も、よく分からないので、ただ単に事実を述べているだけだ。

結果として、あるくくまもんは、どちらの味方につかないまま時間が過ぎていく。




どうして、あるくくまもんは、そういう変なポジションにいることを望んでいるのか。
絶対的な理由が1つあるんだけど。

「左派」と「右派」の論争になった時に、
最終的に、多数決の結果「左派」の意見を取り入れるとなった場合、「右派」はそれでも抵抗を見せる。
でも、そのことで抵抗をし続けても無駄だと途中で気づき、また別の機会にどうにか闘いで勝とうと考えるようになり、その論争については、妥協をする。
大人の社会とはそういうものだ。
そんな対立関係になっていればいいんだけど。

厄介なのが
「左派」と「右派」の論争になった時に、
それぞれのメンバーは、絶対に自分の考えが正しいと思って戦っているんだけど
例えば、「右派」のトップが
「気付いてないかもしれないけれど、右に行くと、★★とか、○○とか、いいことがあるのよ」とか説明をした直後、
急に、「左派」のトップが
「確かにそうかもしんねぇ!あ、俺、右派に行くわ」とか言い出して、裏切って、残された「左派」の人間が置いてけぼりをくらうなんてことがあるのだ。

そうなると、もう「右派」と、トップを除いた「左派」の対立は、コミュニティの中の絶対に消えない地獄の対立構造へと定着していく。
もう、組織がドロドロの泥沼関係になって行っちゃうのだ。
さらに、厄介なのが、元「左派」のトップが
「俺、あいつの言葉にだまされて、右も正しいと思ったけれど、あれ間違いだったわ。がっはっは」とか言いながら、素知らぬ顔で、戻ってこようとするのだ。
自分が信頼されない生き物に落ち切ったことにすら気付いていない残念な元トップ


そんな、めんどくさいコミュニティを見てきたので
あるくくまもんは、結果として、その中に入らないようには努力している。

ちょうど、自分の「状況理解能力が低い」から、結果として入らずに済んでいるってのもあるんだけどね(苦笑)


ちなみに、謎の生命体である、あるくくまもんは
「右か左か」という論争が起こったら
「まっすぐじゃダメなんですか?」
「一度左に行って、大丈夫だったらそのまま、ダメだったら一度戻って右に行きましょう」とか言ったりする。
そこで、抑えておけば、さっきも言ったように
「あるくくまもんは、常に状況を一歩引いたところから冷静に見ていて、適切な判断ができている」と評価してもらえるのだ。

でも、実際、そうなることはほとんどない。
だって、あるくくまもんは最終的に自分の意見を言っちゃうんだもの。
「一度、みんなでご飯食べません?食べ終わったら、穴掘ってみましょうよ」と。

みんな、ポカーンとしてしまう。
あるくくまもんは本気で言ったのに、誰も理解していない。
口をそろえて「ダメだこりゃ」と言い出す。

あぁ、余計なことを言わなければ、英雄になれたのに、もったいないぞ、あるくくまもん!

でも、そういう生き方もありですよ。
だって、楽しいもの(笑)

適材適所と管理職の役割

2022-08-27 12:33:33 | コミュニティで生きる
「私はコミュニケーション能力が弱いので、この仕事には向いていないかもしれません」

よく、そんな言葉を口にする人が増えてきた気がする。
個人的には、特に若い子の中に、この言葉を発する人が増えてきたと思っている。

あるくくまもんは、この質問があった時には
「半分正解で、半分間違いだ」と答えることにしている。

「私はコミュニケーション能力が弱いので、この【仕事】には向いていない」というのは、往々にして正解な場合がある。
しかし、同時に
「私はコミュニケーション能力が弱いので、この【職場】には向いていない」
というのは、往々にして間違いな場合があるからだ。



例えば
「デパートや百貨店」で働いていたとする。
コミュニケーションに苦手さを感じている人の中に
「私にはデパートで働ける能力がない」という人がいる。

これは間違いだ。
デパートで、「化粧品を売る」という仕事には向いていないかもしれないけれど
「化粧品を陳列する」ことは得意かもしれないし
「化粧品を適量仕入れる」ことは得意かもしれない。
「化粧品の宣伝」が得意かもしれないし
「化粧品の適切な組み合わせの説明用紙を作る」才能を持っているかもしれない。

1つの仕事で
「なんでもできる」ことを求められがちな、最近の日本社会だけど。
実際に、なんでも完璧にできる人なんていない。

一般に
「コミュニケーション能力が高い」と言われている人たちの中に
「全部それなりにできる」人が一定数いるだけという話だ。
そういう人に限って
「何か1つ得意なこと」がなくて、器用貧乏なんて言われたりしている。



そんな感じで、
「なんでもできる」人なんかいない状況で
企業や会社の上層部がするべきことは
適材適所の人員配置をすることなのだ。

つまり、簡単に言うと
営業周りが得意な部下には、外回りの仕事をさせましょう。
事務作業が得意な部下には、社内の仕事をさせましょう。
ということになる。

これができない上層部の人間が、最近増えている気がする。
自分の部下たちの中に
「何ができる人がいるのか」
「何ができない人がいるのか」
これをきちんと把握しないまま
「男だから/女だから」
「若いから/高齢だから」
といった、偏見で仕事を割り振って、組織がおかしくなっていくことは、本当によくある話だ。

最悪の場合、男の上司が、自分の好みの若い女性社員を優遇するがゆえに、組織の他の人がどんどん辞めていって・・・みたいなことも、身近で実在した。


管理職や上層部になるということは
ただ単に権力を掌握してなんでもやり放題になっているということではなく。

きちんと、自分の部下たちのことを把握して
会社や組織を、より上へ上へと成長させていくべき立場なのだ。
これを第一にできない、組織には、残念ながら輝かしい未来は待っていてくれない。

その上で
あくまでも、それを実行した上で、組織や会社に余裕ができた時に初めて
何でもできる部下を増やしたいと考えるべきであり
当然
ちゃんと部下に説明した上で、
ちゃんと会社のもっと上層部に伝えた上で

営業周りが得意な部下にも、社内の事務作業をさせてみましょう。
事務作業が得意な部下にも、外回りの仕事をさせてみましょう。

これができれば、どんどん組織が成長します。

でも
ここまではやっている組織や会社
結構あるんです。

でも、この先ができないところが多いんです。
それが何かというと・・・


得意なことをさせた場合でも
苦手なことをあえてさせた場合でも
部下が、何か失敗をした場合、管理職は必ずその責任を受け止めましょう。

これができない上層部が本当に多いんです。
ここで、ちゃんと上の立場の人が責任を取って守ってくれれば、
部下は頑張ってより仕事ができる人間になります。
そして、その会社もどんどん業績をあげていくのです。

でも、多くの上司はそれをしません。
急に
「私は悪くない。悪いのは失敗した部下だ」
と言って、まさかの部下に責任転嫁をするのです。

こうなると、部下からの信用なんて全部なくなります。
当たり前のことです。
でも、そんな愚かな決断をする人が減らないからこそ、日本の組織はどんどんおかしくなっているんですよね。



みなさん自身が下の立場だったら
どうにかして、まともな上層部のいる会社や組織を見つけ出して、そこで働きましょう。
そして、自分が上に立った場合は
ぜひとも、部下の責任を受け止める素敵な人になってくださいね。

心にもないことを熱弁する

2022-07-13 10:43:25 | コミュニティで生きる
人間という生き物は、非常におかしな生き物だと感じることがある。

例えば
「触っちゃダメだよ」と言われると
触りたい気持ちがどんどん強くなって、触らずにはいられなくなる。
「絶対に!!絶~~~~~対に触っちゃダメだよ!!!!」と言われると
もはや「触れ」と命令されているかのように手がふっと伸びていってしまう。
しかし
いざ「触れ!!」と命令されると
なんか触ること自体が、「自分が負けた気がしちゃう」ので極力触らないようにしようと思う。
結局はちょっとだけ触るんだけれども。

そして、「触れるものなら触ってみな、後でどうなっても知らないけど」と挑発されると、人によって反応が異なる。
怒られることに恐怖心を抱いている人間であれば、その瞬間、絶対に触らなくなるし
先のことを考える力のない人や、言葉をそのままの意味で受け取っちゃう人は「触ってもいい」って言われたと解釈して触り始めることだろう。

同様に「触ってもいいよ」と爽やかに言われた場合も、人によって反応が異なるだろう。
触りたい気持ちを強く持っているのであれば、「あっ、触って良かったんだぁ」と安心して触るだろうし
元々触りたいという気持ちを持っていなければ、許可が下りても特に触ることはないだろう。

人間とは不思議な生き物である。



ここまで読んで、女の子のお尻を触ったり揉んだりする、おっさんのことを想像していたあなた
逮捕です。
妄想が激しすぎます。
ウーーーーーーウーーーーーーーー
ほら、ちょうど、パトカーが来たので連行されて行ってください。
あっ、お巡りさん、この人です、よろしくお願いします。

ウーーーーーーウーーーーーーーー

・・・
さぁ、危ない人もいなくなったので、話を元に戻しましょう。

ちなみに、さっきの話は
お家の中にある、大きなツボの話です。
台の上にあるツボに、手を伸ばして触ろうとする4歳くらいの男の子とお母さんのやりとりです。
変な妄想する人にも困ったものです。

今回、あるくくまもんが話したいことは、妄想の話や、ツボの話ではありません。
人間とは、人から何かをするように命令されると、その逆の行動をしたがる傾向があるという不思議な特性についてです。


さっきのツボの話で言ったように、人間という生き物は、他人から何かを強制されることを嫌がる傾向があります。
特に、自分の意見と真逆の指示が出されると、嫌で嫌で嫌で、いかにしてその流れに逆らうかを考える傾向があります。

あるくくまもんは、この人間の不思議な特性を理解した上で、あえて自分の信念とは真逆の意見を声高に叫ぶことがあります。
実際、うちの職場の会議でも、たまにそういう悪い手法を使っちゃうことがあります。

具体的に言うと、身バレしちゃうので、ちょっとまた例え話にしますが・・・

【今年の夏、3000人規模のイベントを開催するかどうか】
という議論が行われていたとします。

あるくくまもんの立場は大賛成です。
そのイベントで仕事をすることになるので、身体も心もヘトヘトになっちゃうから、楽したいって意味では、開催されない方が本当に楽でいいんだけど。
でも、夏くらい、楽しいイベントで大騒ぎしたいですよね。

周囲の様子を見ると、
「そろそろ開催してもいいのでは?」
「いや、これで開催してクラスターでも起きたらどうなるんだ?」
賛否両論・・・
にはなっていないのです。

みんな口をそろえて
「そろそろ開催してもいいのでは?」
「開催してもいいけど、食べ物の販売は危険じゃないか?」
賛成派の中で、具体的にどうしていくべきかという議論が起こっています。

あるくくまもんの意見は、大賛成派です。
「もう、細かいことは気にしなくていいよ。みんなノーマスクで楽しくイベント開催だぜ、ベイベー!!!」
そう主張したいのです。
しかし、そんな本音を言ったら、どうなるでしょうか。

「あるくくまもん、ちょっと調子に乗り過ぎよ。もし、そんなことして、何かあったら、うちの職場があちこちから風評被害を受けて・・・ブツブツ」
そう反論されてしまうでしょう。
それだけならまだいいです。
あるくくまもんが超賛成の意見を言ったことを受けて、急に周囲が気持ちを切り替えます。
「たしかに、開催してもいいと思っていたけれど、何かあったら危険だねぇ。開催はもう少し慎重に考えた方がいいかもねぇ」
そんな感じに、今まで存在しなかった反対派がどんどん生まれだしてくるのです。
そうなったら、全てが終わりです。
あるくくまもんの希望も完全につぶれるし、あるくくまもんだけが悪者になっておしまいです。
主張しただけ損をしてしまいます。


そういう訳で、このようなシチュエーションでは、あるくくまもんは、こういう風に主張をします。


みんな口をそろえて
「そろそろ開催してもいいのでは?」
「開催してもいいけど、食べ物の販売は危険じゃないか?」
賛成派の中で、具体的にどうしていくべきかという議論が起こっています。

あるくくまもんは、スッと手を挙げて、こう言います。
「みなさん、すっごい浮かれていますけれど、本当にそれでいいんですか?もし、っこれでイベントを開催して何かあったら責められるのは私たちなんですよ。開催すること自体には反対しませんが、せめてこれなら文句を言われないってくらいの徹底した対策をしておかないと危険すぎますよ」
と。

楽しそうに盛り上がっていた空気が一気に冷めます。
「空気読めよ。いいじゃん、そんな細かいこと・・・」
そんな気持ちを持っている人がいることが伝わってきます。
すると、みんな、不満を露骨に表しながらも
「これならいいんじゃないの?」みたいな提案をどんどん、あるくくまもんに対してしてきます。
こうなれば、こっちのもんです。

【あるくくまもんだけが悪者で、反対派】という構造ができました。
あるくくまもんと同じだという意見を主張する人は出にくい雰囲気です。
「あるくくまもんだけを説得できれば、開催できる」という空気が出来上がりました。

後は簡単。
賛成派の色んな人が提案してくる内容を、嫌々ながらも
「いえいえ、私は元々、その開催自体に反対していたわけではありませんから」と渋々受け入れるフリをするだけ。
それだけで、イベント開催に向けて、組織が一致団結できる。
もう、そこに反対派が生まれる可能性は一気になくなるのだ。

ただ、このやりかたも危険な点が2つあって。
別のグループが新しい提案をしてきて、自分が望んでいないとんでもない方向に動き出しちゃう可能性が存在する。
例えば
「開催に反対意見があるようなので、イベントをネット配信すれば問題解決しますよね。人を集めないで、オンライン配信するイベントにしましょう」
みたいなものだ。
こうなったら、大変だ。
周囲がその意見に賛成しないように、また気持ちを自分に向けるように調整しないといけない。
操縦桿は誰か他の人に譲ってはいけないのだ。
そこが大変。

あともう1つ大変なのは。
これを、いっつもやっていると、周囲から嫌われるということだ。
普段、ロクに仕事もしないし、会議の時も寝ているのに、変な時だけ自分のぶっ飛んだ主張を始める厄介な輩という評価を貼られてしまう。
これだけは防がなくてはいけない。
本当に重要な時だけ、このテクニックは使う必要があるということだ。



さて。
ここまで熱く語ってきたけれど。
実は、この技法が通じるのは、大人を相手にしている時だけなのです。
こどもには通用しません。

触ってもいいよと言えば、こどもは最高級の笑顔で結局は触ります。
触っちゃダメだよと言えば、こどもはこっそりとバレないように触ります。

10分後には
ガッシャーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!
そんな音が、遠くから聞こえてくることでしょう。

そして、さらに1分後には
あなたが、大声で怒鳴り散らしている姿が目に浮かびます。
お気をつけ下さい。

掃除のおばちゃんを大切に

2022-05-16 10:52:06 | コミュニティで生きる
あるくくまもんが、まだ学生だった頃
学内を掃除しているおばちゃんがいっぱいいた。

そのうちの何人かと、あるくくまもんは結構仲良くなっていた。
お互い、名前は言っていないけど
「おばさん、こんにちはー。今日もキレイにしてくれてありがとうございまーす」
「あら、あんた。今日も元気だねぇ」
こんな感じの挨拶を、ほぼほぼ毎日、会うたびにしていた。

時には
「そういや、あんた。どこに住んでいるんだい?」
「うちですか?●●ですけど・・・」
「あら!うちと近いじゃない。うちは▲▲なのよ」
「えー。そうなんですか!」
「そういえば、うちの息子がねぇ・・・」
みたいな、濃い話をしたこともあった。

どうして、あそこまでプライベートな話とかをする関係になっていたのに、お互いに名前を言わなかったのかは今でも謎だったりする。



そんな学生時代を過ごしていたんだけど。
ほぼ同じ頃、とある大学の先生からこんなことを言われた。
「あるくくまもん。いいかい?
 もし、今後、あるくくまもんが仕事に就いて、その職場に掃除担当の人がいたら、絶対に仲良くしなさい。それが、職場で生き残る重要な要素になるんだからね。」
と。

あるくくまもん自身、学生という立場ではあるものの、実際に掃除のおばちゃんと仲良くしているので、特に何も感じることなく
「はい、分かりました」とだけ返していた。


その後、あるくくまもんは、某所で働くことになるんだけど。
働き始めた頃、職場の上司の女性からこんなことを言われた。
「あるくくまもん。いいかい?
 もし、これは私が学生時代に先生から言われていたことだから、あなたにも伝えておくわね。掃除のおばちゃんとは、絶対に仲良くしなさい。それが、うちで生き残る重要な要素になるんだからね。」
と。

どこかで聞いたセリフだなぁと思いつつも
実は既に、その職場の掃除のおばちゃんとはそこそこ仲良くなっていたので、そのことを伝えると
「あら、あなたも手が早いのねぇ」と返された。
そして、学生時代に教えられた話を言うと
「ふふふ。私と同じことを言ってた大学の先生がいたのね」と微笑んでいた。


その職場を離れて、色々あって
現在の職場で働いているあるくくまもん。

働き始めてから・・・
よくここに出てくるおぢさんや、お兄様、お姉様たちよりも先に、あるくくまもんは仲良くなっていた。
掃除のおばちゃんと(笑)
別に仲良くしようと思っていた訳じゃない。
でも、学生時代から染みついたものがあるようで、いつの間にか掃除のおばちゃんと仲良くなっているのだ。


時が流れ
おぢさんや、お兄様、お姉様とそこそこの関係が出来上がった頃のこと
ある掃除のおばちゃんとお喋りをしているあるくくまもんを見た、お目目パッチリお姉様に、こんな言葉をかけられた。

「あるくくまもん。掃除の人と仲いいのね。」と。
「いやぁ。なんだか、よく分からないんですけれど、学生時代からいつもすぐに掃除のおばちゃんとは仲良くなっちゃうんですよ・・・」と答えると
「あら?私とは仲良くなれないってことかしら?」って言われちゃったので
「ひゃあああ!!!そ、そういう訳じゃないです!お姉様とも仲良くさせていただきたいですー(汗)」ともてあそばれた(苦笑)。

「ふふふ、冗談よ。でも、私も、学生の頃はよく言われたものよ・・・」
どこか遠くを見るように、お姉様はこんな話を語り出した。

「これは私が学生時代に先生から言われていたことなんだけどね・・・

『いいかい。お目目パッチリ。もし、今後、君が仕事に就いて、その職場に掃除担当の人がいたら、絶対に仲良くしなさい。それが、職場で生き残る重要な要素になるんだからね。』

・・・そう言われたのよ。」

なんか、ここまで来ると、この「大学の先生」が全部同一人物なのではないかって気持ちすらしてくるよね。
でもまぁ、実際はそういうことじゃなくて。
少なくとも一定数の大学の先生の中には共通して持たれている認識なんだろうね。



これは
掃除担当の人がいる職場だったら、共通することだろうし。
掃除担当の人がいない職場だったら、おそらく「事務員」や「用務員」がそれに該当することだろうと思う。

たまに、残念なことに、こういう人がいる。
「掃除しかできないババァのくせに・・・」
「いい年して、就職できず清掃の仕事にしかつけなかったジジイが・・・」

職場で正社員として働いている自分は偉くて
掃除をしているアルバイトやパートは下だと思っている輩が。

部長や課長のように、立場で上下があるのは当然だけど。
「職業に貴賎なし」って言葉が示すように
仕事の種類や雇用形態の違いによって、上下は生まれないはずなんだけど・・・
どういう訳か、自分のことを上だとアピールしたいがゆえに残念な発想をもっている人がいる。
そして、そういう勘違い達が大体、問題を起こしてその職場を窮地に陥らせることがある。
思えば・・・
きっと、「掃除のおばちゃんと仲良く・・・」という話をしていた大学の先生たちは
「自分が大学の先生になったからって、偉くなった訳じゃないんだから勘違いするんじゃないぞ」という言葉を、先輩たちからかけられ続けたのだろう。
実際、あるくくまもんが若い頃には、まだ、そういう勘違いをした大学の先生って存在していたもんね。

そして、それは、大学の先生に限らず
全ての職業に共通することなんだと思っている。


ふと
清掃の仕事をしている人たちを見渡してみる。

あるくくまもんが若い頃は、みんな「おばちゃん」ばかりだった。
こどもが大きくなって、そこそこ働ける時間ができた母親たちが、パートでやっていることが多かったのだろう。
でも、今は、60代以上の男性が増えてきている。
定年退職後、第二の仕事としてやっている人が多いのだろう。
さらには
20代と思われる人たちも多くいる。
本人が望んでいるかどうかは分からないけれど、本職として清掃の仕事を選んでいる人も増えてきているのだろう。

繰り返すけれど
職業に貴賎なし
立場が上の仕事も、立場が下の仕事も存在しない。

勘違いしないで、自分の立ち位置を考えて
しっかりと生きて行きたいものですね。

弱者の印籠

2022-05-10 11:52:38 | コミュニティで生きる
ある日のこと
電車から降りて、職場へ向かう時のこと

その日も、いつも通り、電車を降りて、駅のホームを歩き、エスカレーターの列に並んだ。
階段よりもエスカレーター派のあるくくまもん

階段を使えば早く行けると分かっていても、エスカレーターに乗りたくなるのは、熊のサガなのである。
さて。
既にエスカレーターに乗ろうとする人の列は20人くらいになっていたんだけど。
その列のど真ん中に、横から初老の男性が、ずかずかと入ってきた。
その初老の男性は、あるくくまもんより少し大きめの体型をしていた。
そして、右手には杖を持っていた。

近くにいる人は、「譲った」のではなく、無理矢理入ってきて強圧的な態度を取っているので、たじろぐように固まって「仕方なく入れて差し上げた」ようだった。
そんな光景を2mほど後ろから見ていたあるくくまもんは、すごく違和感を覚えた。
みなさんは、どうだろうか。

あるくくまもんは、人間性のかけらもない危険な熊さんなので
もし、そんな巨体の老人が偉そうに割り込んで来たら・・
きっと、エスカレータの一番上から突き落としていたことだろう。
割り込まれた人が、あるくくまもんではなかったので、その老人は命拾いをしたということになる。
あるくくまもんも、危うく殺人容疑で逮捕されるところだった。
危ない危ない。
セーフ!

でね。
多分、なんだけど。

もし、20人くらいの列に並んでいる最中に
杖を突いた老人がその近くに立っていたとしたら
あるくくまもんは立ち止まって「入りますか、どうぞ」って言えるんだよ。
ってか、普段のあるくくまもんはそうやって、譲っているんだよね。
別にいいことをしているつもりも、自慢をしているつもりもない。
困っているお爺さんがいたら、助けるのが「普通」だと思っているから。

だけどね。
今回の老人に対しては、そういう普段思っている気持ちは持てなかった。
むしろ、真逆の気持ち、不快感しかなかった。
これは間違いない。

何が違うって聞かれればね。
今回の老人は「自分は譲られて当然だ」っていう態度をあからさまに出していたんだよね。
「俺は杖をついた、足腰の弱い老人なのだ。列に入ることくらい問題ないだろう。譲って当然だろう?」
そういう気持ちが露骨に態度に出ていたんだよね。
正直
「知るか!」
って思う。

なぜ、「高齢者だから」という理由で、並ぶ順番を譲らなくてはいけないんだろうか。
なぜ、「高齢者だから」という理由で、何もかもを優先させなくてはいけないんだろうか。
「高齢者だから」譲るべき時もある。
「高齢者だから」優先させてもらえる時もある。
でも、常にそうであるとは限らないはずなのだ。


これ、同じような話が他の場合でも言える。
よく、「子どもを連れた親」が、すっごい自己中な態度を取ってくることがある。
「俺は今、こどもを育てているんだから、これくらいいいだろう?」とか
「私は必死に、2人の子育てをしているところなの!それくらい配慮しなさいよ!」とか
そういう態度を露骨に取ってくる親がいる。

もしくは
4~5歳のこどもが列に割り込んできたり、他人の物を勝手に取ったり壊したりした時に
「幼いこどもがやったことなんだから、そこまで目くじら立てて怒らなくたっていいでしょう?許してやってくださいよ」
みたいなことを主張し始める保護者がそこそこいる。

うん。
こどもは貴重な存在だよ。
こどもは「国の宝」だよ。
こどもがいなくなったら、この国が滅びちゃうから、こどもを守る社会である必要があるよ。

でもね。
じゃあ、国の宝だったら、何をしてもいいの?
こどもを育てていれば、何をしてもいいの?
それは違うんじゃないかなぁって思う。


同じ理屈が、障害者にも言える。
「障害者」だったら、何をしてもいいの?
「障害者」だったら、その家族は生活の全てを保証されるべきなの?

「障害者だから」譲るべき時もある。
「障害者だから」優先させてもらえる時もある。
でも、常にそうであるとは限らないはずなのだ。


高齢者も、こどもも、障害者も
一般に「社会的弱者」と言われる人たちだ。
ただ、「社会的弱者」と言われているからって、そのすべてを守られて、何もかも優先される存在であるのは、どう考えてもおかしいと思う。

赤ちゃんも、3歳児も、年長男児も、小学4年生の女児も、中学2年生の男子も、高校3年の女子も、大学2年の男子も・・・
サラリーマンも、OLも、学校の先生も、スーパーの店員も、パティシエも、トリマーも、市役所職員も、ダンサーも、アイドルも・・・
46歳のおじさんも、62歳のおばあちゃんも、81歳のおじいちゃんも・・・
そして、障害のある人も、障害のない人も・・・

み~~~~~~~~~~~~~~んな、社会の、コミュニティの一員なのだ。
それぞれが、メンバーの一人として、自分ができること、するべきことを、していく必要がある。
そうしないと、そもそも社会が回っていかないのだ。

ただ。
自分ではできないことや、対応しきれないことがあったら、それをお互いに補填しあい、補完しあう
それが、本来の社会のあるべき姿なのではないだろうか?

「社会的弱者」は、そうではない人に比べて、守られることが多いだけである。
決して「すべて」が守られる存在ではないはずだ。


あるくくまもんが、重要視する観点は、ただ1つだ。
【お互いに「ありがとう」「いえいえ」と言って、譲り合う気持ち】
これを持てるかどうかってところがすべてだと思っている。

人間の生きる社会というところは
お互いに「迷惑をかけて」「迷惑をかけられて」過ごす場所だ。
全てはお互い様なのだ。

お互い様だからこそ、「お互いに」相手を思いやれる気持ちが持てることが重要なんだと思う。



数年前に話はさかのぼる。
以前、ヨーロッパの実情に詳しい専門家に、この話をしたことがある。
「ヨーロッパでは、そういう人がいたら譲るのが当たり前で、お礼を言わなくちゃいけないとか、遠慮しちゃうって言う発想自体が日本的だ」
みたいなことを言っていた。

それはそれ、これはこれだと思う。

だって、ここは日本だもの。


みなさんは、どう思いますか?


もし、あるくくまもんのように憤慨しても
エスカレータの上から突き落とすのだけは、我慢した方がいいですよ。
お気を付けください。

築城十年落城一日

2022-03-23 13:05:41 | コミュニティで生きる
「築城十年落城一日」という言葉がある。

ただ、これも正しい言葉なのかどうか分からない。
色々調べても
「築城三年落城三日」が正しいとか
「築城三年落城一日」が正しいとか
色んな記述でいっぱいだ。

別に言語学者じゃないから、気にせず、個人的に気に入った「築城十年落城一日」で今日は話をすることにしよう。

「築城十年落城一日」

「ちくじょうじゅうねん らくじょういちじつ」と読むらしい。

読んで字のごとく
「お城を建てるのには10年かかるけど、お城は1日で落とせる」
ということだ。

「城が落ちる」という言葉が分かりづらい人のために言い換えるのならば
「敵からの攻撃を防ぐために、お城を建てるのには10年かかる。でも、どんなにいいお城を建てても、負ける時は1日で負けて、城は敵のものになっちゃう」
こんなところだろうか。


戦争が起こって負けたことを表現しているけれど
この言葉の意味は
「どんなに長い期間、コツコツと作り上げてきたものでも、失う時はほんの一瞬」というものだ。

多くの場合、人間や会社が【信頼を失う】時に使われるらしい。

信頼

確かに、信頼とは難しい生き物だ。

信頼してもらえれば
色んな仕事や役割を任されるようになる。
また、信頼している人からの頼みであれば
人はその頼みを迷わずに聞いてくれるものだ。

多くの人間が「人から信頼されたい」と思っている。
でも
どんなに頑張っても、短期間で「信頼を勝ち取る」ことはできない。

短期間で、言うことを強制的に聞かせることは可能だ。
暴力を使ったり、脅迫すれば他人は言うことを聞いてくれる。
「いいから、これをやれよ!(ボコッ)」
「これやらなかったら、お前のこどもを消すぞ」
そうすれば、多くの人は言うことを聞いてくれる。

信頼がなくても、人は言うことを聞いてくれるのだ。
ただ、信頼と違って、暴力や脅迫は、何度も何度も通じないことが多い。

そして、暴力や脅迫で人に言うことを聞かせていた場合
暴力を使えないほど自分が弱くなった場合
脅迫を使えないほど自分が弱くなった場合
今度は、自分自身が暴力や脅迫の被害者になる。
最悪の場合、自分自身の命が奪われる結果になる。

つまり
安心・安全な状況で、他人にお願いを聞いてもらうためには
「長い時間」が必要ということになる。


このことを理解できない人たちが、一部存在する。
彼らは
「この世には、【正しい考え】がある」ことを、何度も何度も口にする。
そして
「これが正しいんだから、その通りにしなよ」
と上から目線の言葉を発する。
もちろん、そんなこと言われても誰もついてはこない。
そして
「正しいことを教えているのに、それが理解できないなんてバカどもだ」
と捨て台詞を発して、自分の考えを受け入れてくれる人を探す旅に出て行かれる。

残念ながら
彼らには理解してもらえない。

信頼を勝ち取るためには、長い時間が必要だということを。

そして同時に
信頼を勝ち取ることができれば、たとえそれが暴論であっても、自分の考えを聞いてくれるようになることを。



2000年
雪印乳業の製品を飲んだ大量の人が、食中毒になる事件が起きた。
今でこそ、その後の自浄努力などで立ち直り、メグミルクが販売されるようになったけれど
食中毒事件をめぐる社長の対応の失敗で、あわや、今まで大儲けをしてブランドとなっていた雪印を潰す寸前まで行ってしまった。

食中毒を巡る記者会見を、10分で終了した社長に対して
記者が「なんで、10分で終わらせるんですか?」と言いよると
社長が
【わたしは寝ていないんだよ】と言ってしまった。

もちろん、その質問をした記者自身が、自分のこどもが雪印製品を飲んで食中毒になった「被害者の親」だったから感情的になっていたのもあるけれど
マスコミが不当に感情的な質問を浴びせるという不適切な対応をしているのは、昔からのあるあるだけど
それでも、そんな感情的な質問に対して、事実であるにせよ、売り言葉に買い言葉で
何より、偉そうな態度で、あのセリフを言ってしまったのが、全ての問題だった。
あそこで、謙虚な対応をしていれば、また違った。
そう今ならば思う。


その3年前の1997年
山一證券が様々な問題を引き起こした結果、潰れる時のこと
会見に現れた、社長は最初は冷静に話し続けるものの
途中で感情的になって
「私らが悪いんであって、社員は悪くありませんから。どうか、社員のみなさんに(を)応援してやってください」という言葉を涙ながらに語って、世間の評価は変わった。
山一證券自体の印象は最悪だったものの、社長のこの言葉と、実際に社長があちこちを回って社員の再就職支援に全力をかけたことが伝わり、上層部は罰を受けたものの、社員はその後もマトモな人生を送れるようになったという。

同じ感情的なコメントではあるものの
時と場所、そして態度の違いによって全く違う結果となってしまった。
雪印の社長も、3年前のこのことをよく学んでいて、ちゃんとした対応ができていれば、また違ったはずなのに、と思わずにはいられない。

しかし、同時に
ちゃんとした記者会見のような場所だと、用意したとおりに言うべきことを言えるけれど
そこで喋ることが「本音ではなかった」場合
ちゃんとしてない場所で質問された時には、やっぱり「本音」が出ちゃって同じなのかもしれない。


いずれにしても
築城十年落城一日

どんなに長い間、会社の価値を高めていったとしても
どんなに長い間、自分の価値を高めていったとしても

ちょっとした、不用意な一言で
会社の価値も、自分の価値も、一気に崩れ去ってしまうのだ。


あるくくまもんは、日常の仕事をする時と、外回りの営業的な仕事をする時ではスイッチを少し変えている。

外回りの営業的な仕事をする時は
「営業スマイル」的な意味での表情は出すけれども
極力、自分の感情は出さないようにしている。

こっちがリップサービスとして口にした言葉が
実は相手にとって不快で、今までの関係性が崩れたり
初めて会った人だと、こちらの印象が最悪になって、二度とこちらの話を聞いてくれなくなることがあるから。

・・・
正直な話ね。

とっても、めんどくさいよ。

自分の言いたいこと、やりたいこと、自由にやっていきたいよ。
「これが正しいことなんだ!いいからその通りに言うこと聞けよ。信じろよ」
って言えたら、どれだけ楽だろうかって思うこともあるよ。

でも、そんなことしたら、どうなるか分かっているから。

プライベートでそういう行いをして、自分の価値が下がる分には、自分自身で責任が取れるからいいけど。
オフィシャルで、そんなことしたら、賠償しようがないし、謝って許されることじゃなくなるからね。

疲れるけれど。
これも仕事
生きて行くためには仕方がない。

さぁ、明日も明後日も、その次も。
気を引き締めて、暴走しないように、しっかりと仕事をしていこう。

愛を叫ぶ朝の家

2021-12-11 13:16:28 | コミュニティで生きる
ある冬の寒い日のこと

太陽がもうすぐ顔を出すのか、空が薄い水色に染まり始めた時間帯
基本的に、そんな時間に外に出ることはない。

「もう少しだけ、もう少しだけ」と
布団の中に潜り込み、出てこない。

仮に食事をして着替えをして、仕事に行く準備をしても
「もう少しだけ、もう少しだけ」と
暖房の中でまどろみ、出てこない。

いつもだったら、そんな時間帯だ。

ただ、その日は、どうしてもコンビニに行って朝一で宅急便で送らなければいけないものがあったので、動きたくない欲望を押し込めて、荷物片手に歩いて数分のコンビニに向かった。


外仕事で遠出する時くらいしか、コンビニを利用しないあるくくまもんにとって
コンビニって実はちょっと怖い空間
「宅急便をお願いします」って言って
「は?うちでは扱っていませんけど(笑)」とか返されたらどうしよう・・・とか不安になるくらい、コンビニって自分の生活の中にない。

コンビニに入る
ピンポーンと音が鳴る
店の中には誰一人いない
しばらくして、ちょんまげ姿の男の人が出てきた。
「た、宅急便を・・・」と言うと、ちょんまげ男はレジを打ち出し、何か色々と質問をしてきたので、やりとりをした。

そんな彼の姿を見て、ふと思った。
「あぁ。なんか、昔の漫画やアニメに出てきそうな、典型的なイメージのコンビニ店員だなぁ」と。
愛想が悪いけれど、仕事を淡々とこなしていく。
きっと、この店員も
「こんな時間に宅急便なんかもってくるんじゃねえよ。ったく、めんどくせえな」とか思っているんだろうなぁとか、被害妄想をしてみる。

でも、「愛想が悪い」って言ったけれど、日本のコンビニ店員に求められているコミュニケーション能力自体が異常なんだよなぁ。
海外で、そんな話あまり聞かないもの。
あるくくまもんが、アジアの某国と某国に行った時
コンビニ店員は、基本、店員通しでずっと喋りまくりで、レジ打ちの時も客とかかわらずに、ピッとやって、お金を受け取って品物渡しておしまい。
あるくくまもんが日本人だからってことじゃなく、地元の客に対しても同じ対応だった。
それを考えれば、普通だってことだよね。
そんなことを考えながら、コンビニを後にした。

・・・寒い。
急いで帰ろう。

すると、道の向こうから若い女の子が歩いてきた。
一瞬、身体が硬直して、目を奪われた。
その女の子にではない。
その女の子が持っているヒモの先を歩いている巨大な犬にだ。
犬が苦手なあるくくまもんには全く分からないけれど、ミラバケッソ的なアルカパのような犬だった。
ってか、女の子とほとんど体型変わらないよ。
ってか、女の子、犬に引っ張られていない?
大丈夫なの?
不安になりながら、家に向かった。


1分後
近くの家の中から、愛を叫ぶ声が聴こえてきた。
別に、うっふ~ん、あっは~んな声じゃない。

「らーぶ らーぶ あーいを さーけーぼー あーいーを よーぼおおお♪」

こんな早い時間から、ドリカム全開。
窓が開いてますよ、お兄さん(お姉さんかも)。
でも、隣の家の前まで歩くと、歌声は聞こえなくなった。
あぁ、さすが一軒家だなぁと思った。
あるくくまもんのオンボロアパートじゃ、こんなの無理すぎるわ。
「やっぱり、一軒家を建てて、深夜に音楽をガンガンかけてもトラブルにならないような生活を送れるようにしなければ!!」
とか熱い想いが胸に灯った。
そう考えると、寒い帰り道も、気にならなくなった。


熱い気持ちで歩き続け、あと1分で帰宅するという時
「ウーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
遠くから消防車のサイレンが聴こえてきた。
この時間に生活している人がいる。
そして、きっと朝ご飯の調理中に何かアクシデントが起こったのだろうと思った。
熱い想いを胸に抱くことはいいけれど、火事にはならないようにしないといけないと強く思った。


家に入ると、とても暖かった。
あぁ、暖房をつけたままで出たんだった。
冬に帰宅した時、家が暖かい状態って幸せだなぁって思った。


ちょっとコンビニに行っただけだったのに
ほんの10分ほどの時間の中に、様々なイベントが起こったのでした。

つまようじシーシー

2021-12-04 13:11:27 | コミュニティで生きる
子どもの頃、つまようじでシーシーするおじさんを沢山みてきた。

自分の父親もそうだったし
親戚のおじさん達もそうだったし
近所のおじさん達もみんなそうだった。

なぜか分からないけれど。
おじさんと呼ばれる世代の人たちって
みんな食事を終えると、必ずつまようじで歯と歯の間に詰まったものを取っていた。
そして、必ずその時に、シーシーをしていた。

シーシーと言われても分からないかもしれないので
具体的に言うと
口を「イ」の状態にした上で、息を吸い込む行為だ。
大抵、口の中に、よだれか唾が残っているので、「シーシー」というよりは「ズィーズィー」というような音が出る。

おじさん達は、つまようじを使いながらシーシーするし
使い終わった後も、みんな必ず最後にシーシーしていた。

20歳になった頃
お弁当を食べ終わった後に、ついていたつまようじを見て
歯の間のゴミをとりたくなった。
とってみた。
うん、スッキリはするね。

そして、不意に思い出して、シーシーをしてみた。
「確かに、シーシーではなくズィーズィーだなぁ」とか思いつつ、何回も何回もシーシーしてみた。
その感想
別に何も思わない。
やってみたけど、何がいいのか良く分からなかった。

それから長い年月が流れた。


今も通っている歯医者
そこの先生に出会った日に言われたこと
「あるくくまもん、歯間ブラシ使ってる?」
答えはNoだ。
そして怒られた。
「あのねぇ。よくちゃんと歯磨きをすれば虫歯にならないって思い込んでいる人が大量にいるんだけど。実際は、歯ブラシをどんなに丁寧に上手に使っても、虫歯の原因の2割くらいしか排除できないんだよ。
 むしろ、歯と歯の隙間につまったクズから虫歯は始まるんだから、ちゃんと歯間ブラシ使ってよね。」
と。

もうだいぶ長い間、その歯医者に通っているけれど。
先生に歯を見てもらった時に
「ちゃんと磨いてね」とか
「ちゃんと磨いてる?」と聞かれたことは一度もない。

この前、行った時も、その前も
「ちゃんと歯間ブラシ使ってる?」
「上手に歯間ブラシ使ってる?」
とばかり聞かれる。

ふと、シーシーしていたおじさんが頭に浮かぶ。

も、もしかして・・・
あの、おじさんたちは、実は虫歯防止ための行動を取っていたのか!?
前衛的な行動を取っていたってことか!
スゴイ人たちだったのか!

ちょっとビックリした。

ちなみに
歯医者の先生に怒られまくられて以来
ちゃんと歯間ブラシで、歯の間をキレイにしようとする習慣がそこそこついてきた、あるくくまもん

歯間ブラシを使用した後
シーシーして・・・
いない。
歯間ブラシを使った後、やってもいいのに、全然シーシーという動きが起こらない。
とても不思議だった。

そして、つい最近
とある土日の仕事で、出てきた高級なお弁当。

つまようじがついていたので、なんとはなしに、歯の間に挟まったものをとってみた。
シーシー

・・・!
え?

シーシー

なんと気付かないうちに、シーシーをしていたのだ。
自分でもビックリした。

同じ「歯の間のゴミを取る」という行為なのに
歯間ブラシを使っている時は、シーシーしないのに
つまようじを使っている時は、自然とシーシーしていたのだ。

おそるべし、つまようじ。
シーシーの原因はつまようじにあったのだ。
まさか、この年齢でそんな事実を知ることになるとは思いもしなかった。



一般的に、女子、特に若い女の子は、シーシーが嫌いだ。
100年の恋も冷めると言われている。

別に若い女子じゃなくても
他人のシーシーを聞いて幸せな気持ちになる人はいない。

今回のことで、1つ分かったことがある。
歯の間のゴミを取ることはとても大切なことだ。
でも、シーシーは嫌われている。
でも、シーシーの原因はつまようじにあった。

ということは、結論としては

【つまようじじゃなくて、歯間ブラシを使おう】
ってことなのかもしれない。

でも、こんなこと言ったら
つまようじ会社に怒られちゃうかな?

日本つまようじ推進協会のみなさま
心より謝罪申し上げておきます。

訴訟しないでね。

ゴミを拾うか 運を拾うか

2021-10-11 11:41:36 | コミュニティで生きる
【キレイキレイシリーズ第1話】

ある日のこと、Youtubeのおすすめにメジャーリーグの大谷選手の動画が出てきた。

普段、メジャーリーグの試合を見ることは、全くないあるくくまもん
だけど
ネットニュースで「大谷30号!」とかいう記事を見ると、気になっちゃって、ホームランの動画を探して見る習慣がついたから、きっとYoutubeくんは大谷選手の動画をおすすめしてきているのだろう。

その時、出てきた動画は
「ショウヘイの登場で、エンゼルスのベンチがきれいになった」というものだった。

どうしたんだろう?
なんか、サッカーのワールドカップの後に、
「日本人のファンがスタジアムのごみを持ち帰る姿に、相手チームのファンが衝撃を受けた!」
みたいな報道をされることがあるけれど。
そんな感じのことをしているのかな?

ちょっと気になってきた。
20世紀のメジャーリーグのイメージと言えば
ベンチの手すりの下の床に、排水溝みたいな、少し・・・数cmくらい下がっているエリアがあって
選手たちは、試合の様子を見ながら
ガムをはむはむはむはむと噛んでは、
そのエリアに、「ぺーーーーーーーーーーっ!!」
ヒマワリの種をバリボリバリボリと噛んでは、
そのエリアに、「ぺーーーーーーーーーーっ!!」
喉の奥にからみついた、痰を
そのエリアに、
「かぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁああああっ、ぺっ!!!!!!」
と捨てていたものだった。

21世紀に入ってかなり改善されたとは聞いていたけど。
調べてみると、エンゼルスのベンチは、それはもうゴミだらけで、誰も掃除とかをしない超絶汚い場所になっていた。

そして、試合をしている球場の芝生の上にも
どこからやってきたのか分からないゴミたちが舞い落ちていて
選手たちは、そんなゴミなど気にもせず、試合をし続けていたという。

しかし
大谷選手が、グラウンドに出ると
ゴミが視界に入るたびに、試合の進行に問題がない状況であれば、まずゴミに向かって歩き出し、それを拾って自分のポケットに入れることを何度も何度もやっていたそうだ。
近くにいるコーチは、それを見て
「ゴミがポケットに入っていたら、100%のプレーができない」と思い、大谷からごみを受け取り、自分のポケットに入れるようになった。

これを繰り返す中で
グラウンドにゴミがあったら、まず大谷が拾って、それをコーチが受け取るという流れが定着したようなのだ。

そして
そういった流れの中で、大谷選手だけではなく、周囲の選手やコーチたちも、ゴミを拾って、適切な場所に捨てるようになって
ゴミだらけで汚かったベンチには、余計なものがない、非常にきれいな空間になったという。

実に素晴らしい話だ。
しかし、大谷選手、ゴミをいちいち拾うなんて、ちょっとあまりにも「いい子ちゃん」過ぎるんじゃないか?
ちょっと、「僕、ゴミを無視してませんよ」アピールをし過ぎなんじゃないか?

正直、そう思った。

ところが、色々調べていくと、彼の出身高校である花巻東高校のとある教えに辿り着いたのだ。

そして、その教えを聞いて、衝撃を受けた。

それは
【ゴミを拾うことは、他人が捨てた運を拾うことだと思いなさい】
というものだそうだ。

なるほど、一理ある。
車の窓から、ゴミの入った大きなビニール袋を投げ捨てていた若者とか
電車の座席の下の空間に、飲み終えたビール缶を静かに置いて降りて行った中年とか
ゴミを平気で公共の空間に捨てている人を、結構見てきたけど。

その人たちって
「幸せな人生を送っていそうな人」には見えなかった。

むしろ
「幸せな人生を送っていなさそうな人」に見えた。

人を見た目で判断しちゃいけませんって言われるけど。
それでも判断したくなっちゃうくらい、そういう見た目の人がいっぱいいた。

なるほど。
あの人たちは、「不幸だから、平気でゴミを捨てている」のではなく
「平気でゴミを捨て続けるから、どんどん幸運ではなくなっている」のか。

この観点は、とても衝撃的だった。


話はゴロっと変わるけれど。
つい先日、コピーライターの糸井重里さんが「届けに来たウーバーイーツの配達員の見た目が汚らしい」と言って、賛否両論が巻き起こったそうだ。

前にも言った通り、あるくくまもんはウーバーイーツを利用したこともないし、今後利用するつもりもない。
そんな立場から言わせてもらうと、正直な話
「そりゃ、食べ物を注文して、汚らしい人が送ってきたら嫌だわー」
になる。

ウーバーイーツのシステム上、食品関係の仕事に就いていない人が配達してくる可能性が、とてつもなく高いわけだし。
その中には一定数、自分の見た目の汚さを、そしてそれが周囲にどんな影響を与えるのかを理解できずに配達している人がいることも事実だろう。
もちろん、逆に言うと、配達員の中にも一定数は、食品業界のことや、自分の印象が周囲に与える影響のことをよく知っていて、きれいな身なりの人もいるはずだ。

何にせよ一概には言えない。

でも結局のところ

人間って「汚い人」よりは、「きれいな人」の方を好きになるんだよね。
昔、俳優の古田新太さんがバラエティ番組でさらりと言っていたのを思い出した。

顔がカッコいいとか、可愛いとか
服がオシャレとか、化粧が上手とか
そういう表面的なこと以前の問題で

汗だくで叫ぶおぢさんとか
何日も洗っていない服を着ている人とか
そういうのを好きになれない遺伝子を持っているんだと思う。



え?
小汚い熊が何を言っているのって?

そうだね。
あんな人たちと一緒にされたら困るから、もっと小奇麗になっていかないと。

よーし!
ゴミを拾って、身なりをきれいにして・・・

心も身体も幸運で幸福になるぞーー!

すっぽかし

2021-05-01 10:35:18 | コミュニティで生きる
数か月前のある日のこと

背中の筋を、いや~なものが、つ~~~~~~~~っと流れた出来事があった。

その日は、特に何もない一日で
前日に、「今後の予定」を珍しくきちんと確認していて
のんびりまったりと、自分のやりたい仕事をしていた。

午前中から、色んな仕事のメールが次々に来たけど。
「これは、明日でも問題ない。今日は気にせず、自分のしたいことをするぞ!!」と思っていた。

そんな感じで1日が終わると思っていた。

15時を過ぎるまでは・・・。

15時を回った頃、ふとメールを確認したところ
普段、この曜日、この時間にメールを送ってこない人からのメールだった。

気になって、中を読んでみる。

ふむふむ。

しかし、なぜ、こやつは★曜日なのにメールを送ってきたのだろう?
今日は仕事がお休みなのか?
・・・ん?

ふと、そのメールが送られてきた日付を見ると・・・

その日の日付が書かれていた。
・・・そして・・

その横に・・・

●曜日・・・と。


え!?

そこからはもうパニックだ。

「明日は午前から重要な打ち合わせだ!お隣の偉い方々もやってくる重要なやつだ。これだけはすっぽかしてはいけない。今夜はしっかり眠らないと!!!」

そう思っていた出来事が

まさかの、その日の午前に既に終わっていたことを・・・

15時過ぎに気付いた。



簡単に言うと
昼過ぎまで「今日は火曜日」だと思っていたら
実は「今日が水曜日」だということに気付いた。
そして、その週、「火曜日はお休み」だったが
「水曜日の午前に重要な打ち合わせがあった」

悲鳴を上げながらも
一度心を落ち着かせて

夕方なのに職場にダッシュ

そして、あちこちのお姉さまのところへ向かい
謝罪行脚


ただ
ここでまた、衝撃の事態が!!



お姉さまAとの会話
「お姉さま!!ごめんなさい。明日だと思って、今日の重要な打ち合わせをすっぽかしてしまいました。誠に申し訳ありませんでした!」
「え?すっぽかしたての?」
「はい、ごめんなさい。」
「いなかったのは分かっていたけど。いつもたくさん仕事をお願いしていたから、【今回は、あるくくまもん、来なくてもいいわよ】って、私が言ってたと思ってたわ。」
「いえ。そんなことありません。今までこの職場で働き始めて1度も仕事をすっぽかしたことがなかったのに、ついにやってしまいました・・・」
「まぁ、この時期はしょうがないわよ。これから気をつけましょうね、お互いに・・・」
「はい・・・失礼しました」


お姉さまBとの会話
「お姉さま!!ごめんなさい。明日だと思って、今日の重要な打ち合わせをすっぽかしてしまいました。誠に申し訳ありませんでした!」
「え?すっぽかしたての?」
「はい、ごめんなさい。」
「いなかったのは気付いていたけど、ここまであるくくまもんが何回も基礎固めをしてくれていたから、今日は【あるくくまもんなしで、私たちがしっかりやるべき時なのね】って思って、やり終えたのよー。だから、気にしなくていいわよ。というか、わざわざそれを言うために来たの?もう、そんなことしなくていいのに~」



いや、ほんと。
怒ってほしかったけど、怒ってもらえなくて困っちゃったなぁ。

ただ
同時に
【1回失敗しちゃったとしても、許されるくらい、日々真面目に働いている】
って、とても大事なことなんだなぁって再認識させられた。

みんな言うんだもん。
「あるくくまもん【でも】、そんなことしちゃうんだねぇ」って。

これがさぁ。
「また、おまえ、すっぽかしたのかよ」
って言われたり、思われたりしたら、どうしようもないもんね。

裏でも表でも【すっぽかしのあるくくまもん】なんてアダナがつけられたら、恥ずかしくて生きていけなくなっちゃう。

真面目って、バカにされることあるけど、やっぱりとても大事なことね。



これを読んでいるみなさん
もし「日に真面目に生きて、仕事をしている」みなさんが
つい、すっぽかしをしてしまったら

必ず、迷惑をかけた人全員のところに行って、謝って下さい。

その時は、改まった態度で、心から謝罪することをおすすめします。

くれぐれも、フランクな感じで
「ごめんね~」とか
「またやっちゃった。てへっ」とか
「ごめんね。でも、いなくても、どうにかなったでしょ?」とか
そんな適当な態度は控えた方がいいでしょう。

すっぽかしたこと自体よりも
それを悪いと思っていない、その軽々しい態度があなたの信頼度を、今まで以上に地獄へ落とすことになるので。



予定のチェックはもちろん。
曜日のチェックも、大事ですね(苦笑)

マスコット5-56

2021-04-17 10:13:31 | コミュニティで生きる
あるくくまもんはかつて、大学生になりたての頃、クラスのみんなから、こんなことを言われた
「あなたがいると、クラスや学年全体が、ほんわかした気分になるの」
「あなたは、うちのクラスのマスコットね」

それから、しばらくして、学生生活が安定し始めた頃
「君がいると、怖い先輩が怖くなくなる」
「あなたは、ほっこりとした空気をいつも出してるわね」
そんなことを、ずっと言われ続けてた。

あるくくまもんが、そこにいるだけで、なぜかピリピリした空気はなくなり、穏やかな空気がそこに流れていたらしい。
自分の目からすると、穏やかな空気が流れているところしか知らないので、実感は全然なかったんだけどね。

その後、あるくくまもんがご卒業されて、いなくなった瞬間、そこにいた「厳しい」人間が急に強気になり出して、それぞれの集団が、すごく「圧」の強い組織やグループに、急変していたらしい。
当時はよく、たくさんの後輩たちから泣きついたメールが送られてきたものだった。
「あるくくまもんさん、戻ってきてください。あなたがいなくなっただけで、ピリピリしすぎて、もう大学に来るのが嫌になります・・・」
と。

ただね。
現実をどう評価するかは、人それぞれでね。
あるくくまもんがいなくなったことで、みんなが必死に真面目になり、生産性がかなり向上したらしいのよ。
自分がいた頃は、あまりにゆったりまったりしすぎて、何も動かなかったことが、一気に動き出していたらしい。
だから、偉そうなことは言えないんだよね(苦笑)
「すごいでしょ!エッヘン!!」なんてね。



そんな あるくくまもん
今の職場では、最年少
一番年下
いまだに変わらない。
心はいつまでもうら若き乙女(笑)
何の「力」もない
誰かに命令できる立場でもない。

本来であれば、ただただ言うことを聞くだけの下っ端な存在。

だけど。
なんか、学生時代と同じようなポジションの役割を担うことが未だにある。

他の人が言うとトゲになって、空気が悪くなることでも
あるくくまもんが言うと、なんかネタっぽくなるというか・・・
厳しいことでも、空気がほっこりすることがあるらしい。
まぁ、学生時代と違って、今は「仕事だから」、自分の与えられた役割を淡々とこなすだけなんだけどね。



こういう話をしている時に
必ず思い出すエピソードがある。

学生時代、何をするにも一緒にいて、周囲から「腐れ縁」と呼ばれた男友達がいた。
そんな彼から、かつてあるくくまもんがつけられたアダナがある。

ずばり
「クレ5-56」
だ。

「おまえは、存在が潤滑油なんだ。お前が何かをしなくても、そこにいるだけで、みんながしたいと思っていることがまとまっていくんだ。そう。お前は、油なんだ。もはや、人間ではないんだ!!」

・・・

後半ちょっと失礼だけど。
そんな彼も、素敵なお姉さまと結婚されて、今では素敵な家庭を築いている。
久しく会っていないけど、今度会ったら、そのことを今更ながら指摘して、怒ることにでもしよう(笑)



しかし。
あるくくまもんは、どんな学校に行っても、どんな職場に行っても
いつまでも、潤滑油で居続けるようです。

まぁ、いいんです。

自分のいるべき役割は、それぞれにある。
あるくくまもんが、この世の中に存在してもいい理由があるとしたら
きっとそれは、油として存在することなんです。

油は油らしく、生きていこうと思います。


みなさんも、自分がいるべき存在価値を見つけて、そこで咲き誇ってください。



・・・・

あぁ、ベタついてきた・・・。

GOに従え

2021-03-16 10:40:07 | コミュニティで生きる
その昔

とある大学のトップにいらっしゃった教授が、卒業生にこんな言葉を送っていた。

【郷に入っては郷に従え】

特に目新しい言葉でもないし、その教授のオリジナルの言葉でもない。
それでも、その教授がわざわざ選んだ言葉だ。

新しい地域にやってきた時には、その地域の習慣に従って行動しなさい。
そういった意味だ。

英語でも
「ローマにいる時は、ローマ人がするように行動しなさい」という言葉がある。
世界共通の考えなのかもしれない。

日本では
「その組織のルールに従いなさい」
といった意味合いで使われることが多いかもしれない。



今の職場で働き始めた頃
あるくくまもんには、強みと弱みがあった。

弱みとは
働き始めたばかりなので、今の職場のルールや歴史をよく理解していないこと

強みとは
前に別の場所で働いていたので、今の職場の状況を客観的に評価できる目を持っていること


ただ。
最初の一年は、自分自身に強く言い聞かせていた。
「どんなに納得いかないことでも、今年一年は素直に従おう」と。

だから、会議や打ち合わせの時も
「はい、わかりました」
「なるほど、了解しました」
こういう反応をし続けていた。

絶対に口にしないようにしていたのは
「前の職場ではこうだったんですけど」
という言葉だ。

この言葉は変革の風をもたらす一方で、確実に抵抗と嫌悪感を増長させる。

でも
「前の職場ではどうだったの?」
と聞かれた時には
「環境や状況が違うので同じ次元では言えませんが・・・」と前置きをした上で、意見を述べていた。


二年、三年と働く中で、徐々に信頼関係もできてきて、今の職場の雰囲気や理念や歴史を少しずつ理解してきたので
ちょっとずつ、本当にちょっとずつ自分の意見を言うようにしている。
ただ
自分の意見を押し付けるのではなく
不必要な発言は極力控えて
本当に必要なことや、言うべき内容についてだけ主張するようにしている。

無駄な雑談して、会議が長引いても嫌だしね。
会議を楽しく面白くする努力をするくらいなら、とっとと終わらせて自分の自由な時間が欲しいもの。


自分が大人になってから
色んな職場で色んな大人を見てきた。

「変化を受け入れない会社はつぶれる」とか
「欧米では、つねに自分とは違う考えを受け入れてる」とか

そういう言葉を旗印にかかげて

その職場で働き始めて、間もないにもかかわらず
あたかも「自分が100%正しい」と言わんばかりの態度で
考えを押し付けようとする人間を結構見てきた。

当然、そういう人は煙たがられる。
そして
「自分はみんなからいじめられてるんだ」とか
「これだから、日本は三流国家なんだ」とか
意味不明で根拠のない主張を始める。

これが20歳前後の若者だったら、実はまだ許される可能性がある。
「若いな。まだ、何も知らないガキんちょが(笑)」
とは言われるけどね。

でも、これを30歳、40歳にもなってやると
もう、誰も味方にはなってくれない。

遠く離れた距離から
「あいつはヤバい。極力かかわらない方がいいぞ」
とつぶやかれる暮らしが待っている。


だからこそ。
【郷に入っては郷に従え】

この気持ちを忘れずに生きていくことは。

20代の若者にとっても
40代のおぢさん・おばさんにとっても

大切な考えなんだと思う。

謙虚な気持ちを忘れずにね。

真の客観的評価

2021-03-11 10:19:04 | コミュニティで生きる
自分の会社A社があるとする。
同じ業種のB社があるとする。

業種が同じであっても
そこにいる人間によって、会社の雰囲気や中身は全く違うものになりうるものだ。
社長などトップの思想や方針によって影響される場合もあれば
主任など、実際に現場で動いている人間の生き様に影響されることもある。

「お客さんに喜んでもらうことが第一」と考える場合もあれば
「1円でも多く、顧客から搾り取ることが第一」と考えることもある。
「社員がみんな笑顔で働ける会社づくりを優先」することもあれば
「暇があったら、休まず魂削をって働け」と迫り続けることもある。
会社の色は、みんな違っている。

そんな中、例えば「X」という考えがあったとしよう。
想像するのが難しければ、「儲け第一」とか「顧客第一」とか、そういう具体的な思想を、当てはめながら読んでほしい。



A社では、「Xは正しい」と考えて仕事をしている。
B社では、「Xは正しくない」と考えて仕事をしている。

自分がずっと、A社で働いていると「Xは正しい」ということが、当たり前のような気がしてくる。
何か、会社の経営が傾きそうとか、倒産しちゃいそうとか、そんな危険な状態にならなければ
「Xって、本当に正しいのかな?」とか考えたりはしない。
人間とは、そんなものだ。

ただ。
実際のところ、「Xは正しい」という思想が、真実である保証はない。

永年、同じ組織にいると、疑うことを忘れてしまうことがある。
自分の組織の中で、あたかも「絶対的に正しい」と言われていることであっても、「もしかしたら正しくないのかも」と思う気持ちが必要になる。
常に、「疑う気持ち」や「疑問に思う気持ち」を忘れないことが大切だ。

かといって、常に自分の会社のことを疑ってばかりだと、心も身体もすり減ってしまうので、そういう気持ちだけは持ち続けるくらいがきっといいのだろう。



A社で働き続ける中で、ふと「もしかして、Xって正しくないんじゃないか?」
そう思った時にB社の人が不意に現れて
「Xって正しくないですよ~」と言ってきたとする。
自分が思っていたことと、全く同じことを誰かが言ってきた時
人間はつい
「あぁ、やっぱりXは正しくなかったんだ。」
と思ってしまう。

さらには
それを自分に伝えてきたB社の人を「信用できる」人だと思い込みやすい。
人間なんて、そんなものだ。

当然のことだけど。
B社の人間が言ったことが正しいとは限らない。
でもやっぱり
自分に都合のいい情報に向かいやすいバイアスがかかっていることに気付けない状態だと
「やっぱりXは正しくない。B社の人は正しい。信用できる」
そう思い込んでしまうものだ。



だけど。
冷静に考えてほしい。
B社は、自分にとって同業他社だ。
つまり、B社の人は【自分が、Xは正しいとされているA社で働いている】ことを知っているのだ。
それを知った上で、「Xは正しくない」と言ってきているのだ。
これが、本当に客観的な意見だと言えるのだろうか?

本当に客観的な意見が欲しいのであれば
業種の異なる人の意見を聞く必要がある。

もっと言えば
「【A社はXが正しいと思っている。B社はXが正しくないと思っている】ということを知った上で、冷静に事実を指摘できる」人の意見を聞く必要がある。


客観的な意見を聞くことはとても大事なことだ。
そして
客観的な意見を聞き入れようとする心がけは、自分の成長にとって、とてもいいことだ。

ただ「本当に客観的な意見なのかどうか」
これを意識した上で聞かないと
実は、自分にとって都合の良い、耳障りの良い意見だけを聴くことになりかねない。

どうか、そうなりやすいことだけは忘れないでいてほしい。