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仏教の心「布施」
ありがとうございます。
東日本大震災があってから1月が過ぎました。
今いろんな所で東日本大震災の
チャリティー募金イベントが行なわれています。
私も3月はいろんなチャリティーイベントを開催させて貰いました。
テレビで写った被災者の状況を見て、心が詰まるような思いから
自分に何かできることとして、募金されてる方が多いと思います。
仏教の「布施」という修行があります。
これは人に与えるということから
心を磨き功徳を積む修行です。
お釈迦さまが弟子たちと托鉢(たくはつ)に出かけられました。
お釈迦さまがお弟子の一人が言いました。
「あの大変貧しい者の住む村に行きなさい」
その村は最近の飢饉で餓死する者まで、出ているところです。
弟子は「そんな村に托鉢に行かれても、布施する人はいないではないですか?」
大地主や大商人たちの住む町があります。そんな町なら布施する人も沢山いるのではないでしょうか」
お釈迦さまは言いました。
「布施は貧しい者ほどしなければならないのだ。
彼らが現在、餓死するほどに貧しいのは、
過去世で欲深く、布施の功徳を積まなかったからである。
布施を励んだ人は、豊かな人生をおくる。
施しをしなかった人は、貧しい人生をおくる。
彼らは自らの報いを受けているのだ。
彼らが現在、餓死するほどに貧しいのは、
過去世で欲深く、布施の功徳を積まなかったからである。
布施を励んだ人は、豊かな人生をおくる。
施しをしなかった人は、貧しい人生をおくる。
彼らは自らの報いを受けているのだ。
貧しい中から、米一粒でも布施をして、功徳を積むならば、
彼らは今の苦しい状態から、抜け出せる。
布施の尊さは量ではなく気持ちしだいである。
貧しさに苦しんでいる人ほど、布施をしなければならないのだ」
弟子たちは深く頷いたという話があります。
また布施は相手に期待する気持ちで
おこなってはいけない言われています。
電車で老人に席を譲ってあげても「布施」ですが
その時にもし老人が礼を言わなかったら
「せっかく私が譲ってあげたのに!」
怒るのは「布施」ではありません。
相手がお礼を言おうが、言うないが
自分が「布施」できた事に感謝するのが「布施」です。
最近この仏教の布施を話を知って
自分が人のためにしたことを、こだわって
執着してる自分がいることに気づきました。
それに気づいて捉われを手放すと心がすっと軽くなりました
シェアありがとうございます。
今の時期に必要な話かなと思い
書かせて貰いました。