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幸せのちゅちゅ

【大雪の日のドライブ】大雪と娘の受験と自分の変化|スキーを楽しむ如く

先週の6時間ドライブからちょうど1週間経ちました。

今日は娘が志望する高校の入学試験日。

学校引率ではないために

家の者が責任を持って

連れていきます。

遅れるわけにはいきません。


こんな日だったのですが

先週に引き続き

またまた大雪です!


どうするか?

電車で行くか

車で乗せていくか


選択しないといけません。



ここで

先週の体験が生きました!



その時の状況を見て決める

決めたら

後は。。。。楽になるはず



結局車で行きました。

余裕を持ちすぎて

行ったときには

1時間近く早く着いてしまいましたが

娘と

遅くなるよりかいいね


二人で

色々とお話をして楽しめる時間が持てました。


受験直前にこんなこと話すか?

みたいなお話をたくさんできたので

娘もリラックスできたようでよかったです。


高校の駐車場から学校までの行き帰り

降りしきる雪の中を

娘と傘をさして

手をつないで歩いていると

雪もいいなあと感じました。



話を戻して

娘を学校に無事に届けて

午後向かえに行くときに

雪の勢いがかなり強まりました。



娘を今度は学校経由で

奥様の家まで送り届けるのですが

もう

ジタバタドタバタと騒がない自分に気づきました。



今までと比べての明らかな変化を感じました。


そう言えば

途中で息子から電話がありました。



奥さんの家の方の雪の振り方がすごいよ

そして

国道も事故があるみたいだよ



教えてくれました。



ここでもすごい変化を実感です。


前ならね

なんでそんな不安を増幅させるようなものをわざわざ言ってくる💢

となっていたはず。

絶対に怒りが出まくっていた。


でもね

昨日も書いたように



息子の

思いはそこにはないなって思ったのね。


多分

気をつけてきてね


にあると思う。



そうなると

心配してくれてありがとう!

って思いが出てきた。



だんだんと

変化してきた自分が実感できて

なんか

ちょっとうれしい気分です。



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コメント一覧

aribaba2017
まかろん様、こんにちは。

再びコメントをいただきましてありがとうございます。
前回は、本当に私達夫婦のさりげない一場面に「ほんとうに良い」とお言葉をいただき、私の喜びを共感していただけた気分ですごく嬉しく感じました。

今回はご自身の背景や思いまで語っていただきまして、私でお役に立てるならばと思い精一杯の思いでコメントを返させていただきます。(文字数の関係もあるので、敢えて謙虚な表現は省略させていただきます旨、ご理解いただきますようお願いいたします。また、書いていく中で続きのような形になる場合もあるかもしれませんが、それも含めてお願いいたします。最初に書くべきではないかもしれませんが、以下書いていくのは私の思いです。単なる閃きと言っても良いかもしれません。なので、まかろん様が嫌な思いになってしまう場合もあるかもしれません。その場合には、お読みいただくのをやめていただき、その旨お知らせください。削除など対応させていただきますので、お気軽に申し出てください。)

最初にお伝えしたいのは、まかろん様を混乱させてしまうかもしれないという申し訳無さも感じつつ、「私の変化は一瞬で起きた」のも事実ですし、「何らかの気づきや行動の積み重ねの結果で起きた、起きたというよりは『こういうことかも』と分かった」のも事実です。

私は、理想の自分の像を長年抱いていました。それは同時に、受け入れたくない嫌な自分の像も常に感じて生きている状態です。そして、理想の自分になれば、嫌な自分は消え去るのだろうと思っていました。

ある意味、変化の一番初めは、この前提が正しくないと知った出来事にあります。たまたま、ブログなど全国区でキラキラと輝いている方と深く知り合える関係になり、その方から言われたのですごく印象に残りました。メディアなどでも注目されお金も心配なく、自分で選んだ生活を自由に謳歌されているように見える人が語った「悩みや嫌な思いはいつになっても存在する」の言葉は衝撃でしたが、この人が言うのなら事実なのだろうとすんなりと自分の中に入りました。

つまり、前提として、悩みや不安不満はあっても、それで自分がダメとはならないと思えるようになりました。

続いて、大きく影響したのは、10月から11月頃ブログでも書いた「自分の中に大きな愛が存在している」と感じた出来事です。私がどんなに怠けていようが、罵詈雑言を口から出していようが、意地悪な思いを抱いていようが、自分の中の【魂 命 神】は私が生きる状態を保ち続けています。楽しく輝いている自分だけではなく、どんなに美しくない醜い自分にも、別け隔てなく全力で動いていると気づいた時、驚きました。自分には愛がないと思っていたのです。しかし、私がずっと求めていた愛は、すでに私の中にあったと知ったのです。

凄いと思いました。無償の愛です。自分は無償の愛を受けている、その愛は自分の中に常にある。大きな喜びを感じたのを覚えています。

先ほどの「悩みや不満は、無くならない」ともつながりました。悩んでいても、落ち込んでいても、醜い考えで満ちていても、普段の自分では感じられない大きく深い部分では、自分は自分を許しているのだと思ったのです。

悲しんではいけない ではなく 悲しんでいる自分をとことん感じてよいとなります。 ここも自分で驚いた部分です。悲しんでもいいんだ。自分の悲しみを見つめて、何に悲しんでいるのかを聞いて良いんだ。 


そして

最近書いた選択の言葉が大きな意味を持ってきます。

悲しんでもいいし、文句を言ってもいいし、落ち込んでもいいというか、そういう自分をせめる必要はありません。

しかし

自分は今生きています。大きな愛に見守られて包まれて今自分は生きています。その自分は今どんな気分を選ぶのか。どんな気分を選んでもよいのです。

悲しみ続ける自分を選ぶのか、文句を言い続ける自分を選ぶのか

このあたりが、まかろん様が今回仰った自分の変化ですね。

雪道運転を例にブログに書きましたが、自分は今まで、トラウマになる出来事があったせいもありますが、雪道運転は本当に負担だし怖いと思っていました。安全運転が関係していますので、ある意味これはこれで大切なのですが、あまりにも思いが強すぎたのです。

結果、ブログに書いたように、雪を初め天気に文句を言い、雪道運転しなきゃいけなくなった原因の出来事や人に文句を言い、一緒に車に乗っている人にも嫌な思いをさせるのが当たり前となていました。

でもこれらは全て責任を人に転嫁していただけでした。要するに自分の意思が何もなかったのです。仕方ないから運転しているみたいに、自分の人生なのに、自分で選択をしていない自分の姿にやっと気づきました。どうしようもない雪を相手に文句を言う人生、雪道運転を私にさせる状況や人に文句を言う人生。自分はこういう人生を選んでいたと気づいたのです。絶望しました。かっこ悪すぎです。

なので、違うものを選ぼうと思ったのです。これが先週の木曜日のブログです。大雪注意報が出ていたけど、息子を病院と奥さんの家まで連れて行くと自分が選んだ。結果、予報通りの大雪、本当に最悪のシナリオの一つであった6時間もの大渋滞ドライブとなってしまいました。

でも不思議に文句が出てきませんでした。自分で決めたからです。それを承知で自分で雪道運転すると決めた。なので、ブログに書いた通りに、安全運転第一です。大渋滞にあっても安全第一でいると決めました。

そしたら、何か繰り返しになっているような気もしますが、本当に文句が何も出てこないで、安全運転だけに集中している自分に気づきました。そして思ったのです。この状況で今やるべきは安全運転しかないと。気持ちが楽になったのです。

うまく説明できませんが、この感覚が昨日も働いたのです。

再びの大雪の中、娘を奥さんの家まで連れて行くと決めた。そこに息子から「国道事故多発中」と教えてくれる電話。多分、今までのように自分で決めなかったら、人が不安でいるのになんでわざわざ事故なんて縁起でもない情報を提供するのだ💢となったはずです。

でも、自分で選び、今やるのは安全運転と分かった状態の自分が聞いたら、そのままの順番でお話すると、まず、驚きの感情を抱きました。「あれ、前なら怒っていたけど、今日は怒ってない」「息子は何で電話してきたのだろう?」「気をつけてきてねという気持ちだったのかもしれない」「そんな風に思ってくれたのはありがたい」「自分変わったな」こんな感じです。すると、息子にも伝えたい大切なものが出てきました。「国道事故多い」でお終いにしてしまうと、例え相手を気遣っていたとしても、不安に思う人もいるかも知れません。「国道事故多いそうなので、気をつけてね」などの言葉を添えたほうがいいねと伝えるのは大切だなと今気づきました。

自分の思いだけで一方的に書いてきてしまいました。伝わっていただければうれしいですが、遠慮なくお言葉をいただければうれしいです。

あと、その都度その都度で、自分のいわゆるマイナスな感情が出た場合には、なぜそうした思いになったのかについて考えてきました。

雪道運転のように、雪が悪い、こんな日にお医者の予約するからいけないのだ との思いをそのまま受け止めて、見続けたら、私の場合には、嫌なものを人任せにしてする自分、責任を人に押し付け自分は悪くないと言いたい自分、悪いのは相手だという自分の姿が最後にでてきました。これこそが、雪道を運転したくないの一番根っこ部分にあった私の気持ちでした。別な言い方をすると、私が選んだ生き方でした。

こんな自分サイテーだし、かっこ悪すぎです。その選択を即刻やめようと決意しました。これが、最初に書いた一瞬で変えられるの部分です。
文句を言う自分を選ぶのではなく、雪道運転する責任を自分で負う、つまり、安全に最大限注意して雪道の運転をすると自分で決めるの選択をしました。

当然、雪の程度や時間や距離などによっては、断るの選択もありです。それを相手にきちんと伝え、そこで相談する。これは、これから色々な場面で生きるのだろうなと思いました。

すると、すごく気分が楽になったのです。少なくとも文句を言いたいと言う気持ちではなく、すごく静かで落ち着いた状態になりました。

これで終わりみたいに書いておいて、またまた続けてしまいました。くどいですが、わかりにくかったり、不快な思いをしてしまった場合には遠慮なくお伝え下さいね。

長くなってしまいましたが、よろしくお願いいたします。

お陰様で、時分もだいぶ整理できました。
まかろん
今日は。 aribaba2017さん、
どうやったらそんなに変化できるのですか?

すごい心境の変化ですね。
先日のも、なんて良い言葉だ、と思いましたが、

この記事のは、本当に変わっていないと
思えない・出来ないことだと思いました。

このようにいろいろ見方を変えられるようになったのは
何かきっかけのようなことがあったのでしょうか?


私は虐待経験者で、
人生をずっと親に抑えつけられて生きております。

15年くらい前から、これはおかしい、自分を変えなければと
手探りで、哲学とか自己啓発とかスピリチュアル系(願望実現)のブログとか

いろいろ読み、また表現活動などしてきました。
(団体には属してないです。あくまで個人の活動です)

自分のなかの思い込みを、見つけては
どうしたら解除できるのか、どうししたら人生を変えられるのか

ということを、ずっと考えてきました。


少しずつ変化もして、私への
踏みにじられるような扱いも変わってきましたが、
aribaba2017さんは何があって、こんなに変わることができたのですか?

以前の記事に書かれておいででしたでしょうか・・?


私一人に長々返信のお手間を取らせるのは
申し訳ないので、もし良かったら細切れにでも

気が向いたときに、記事の一部にでもしていただけたらと思っております。


またの記事を(全然違う内容でも)
楽しみにしておりますね。

娘さんの受験がうまくいきますように!!☺️🙏✨
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