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3.11

2016-03-11 15:48:30 | 日記
あの震災からもう5年もたつんですね。

私もちょうど、仕事をしていましたが突然、物凄い揺れ。
正直、怖かったですね。

息子もあの頃は小学生でしたし、まず
最初に確認したのは息子の安否でした。

続々と見えてくる東北地方の被害の大きさ。
あの津波に襲われているテレビの映像はとても衝撃を受けるものでした。

車通勤の私がいつもなら50分の通勤路を渋滞を避けながら2時間近くかけて
一番ホッとしたのは息子の笑顔に会えたことでした。

日がたつにつれ明かされる被害の大きさ。
ホントにジワジワきましたね。

必死に避難を投げ掛けていた役所女性職員、消防隊。福祉施設職員など、
自分の仕事の使命をまっとうし失われた命。

自衛隊関係者からは、本来の仕事は
国防ですが、被爆する可能性があることを説明した上で救助や支援に向かう希望者はいるかとたずねたところ、隊員全員が手をあげたという話もききました。

気仙沼に住む友人からきく、当たり前のように道端に横たわっている被災者のご遺体。
土砂に埋もれている自動販売機の中に残っている飲み物も奪い合いになっている等の現場。

その後の支援にあたる人々の暖かと、それと同時に人間の醜さを、同時に見ました。

それに対して私ができたことと言えば
募金に協力や、被害者の友人に頼まれたものを送ること、親しい人に手に入れた米や水、パンなどをおそそわけする程度しかできませんでした。
私自身も被災の影響のなかった地域に住む両親にトイレットペーパーや電池、水などを送ってもらったりしてる立場、気持ちに余裕がありませんでした。

本音とたてまえの格闘がありましたね。
なにかをしても自分を所詮、偽善者だなと自分の器のなさを責めもしました。

結論、何が言いたいのかよくわからなくなって、しまいますが、
色々な意味で辛い震災だったことは間違いありませんでした。

あれから5年たち、なにもなかったような生活が私はできていますが、
あの時のことは決して忘れてはいけないなと心底思います。