父親の田舎に連れて行かれる時は急行列車で半日以上もかかったであろう(細かくは覚えていない、もっとかかったかも)。
車中では家で作った”鮭入り握り飯”であった様に思うがお茶は車内販売の物を与えてくれた。
今のようにペットボトルや缶入りがない時代だ。
このお茶容器が角ばった急須の形をした瀬戸物製で、たしか蓋が茶碗になっていた、持つ部分は針金であった。持ち帰り、遊びで再活用した
列車に乗った時しか手に入らない特別の物であった。
さて、帰路は駅弁が与えられた。
今は貴重な経木に入った弁当だ。
蓋を開けると蓋の裏に沢山の米粒が付着している、まずこれを喰らう事を教わった。
米の字を分解すると「八十八」でこの数だけお百姓さんが苦労して作った、無駄にするなと毎回の指導であった。
米は家の在庫にも米虫がついた。日中にゴザに広げてこれらを駆除した、最近は米虫など見たこともない。
車中では家で作った”鮭入り握り飯”であった様に思うがお茶は車内販売の物を与えてくれた。
今のようにペットボトルや缶入りがない時代だ。
このお茶容器が角ばった急須の形をした瀬戸物製で、たしか蓋が茶碗になっていた、持つ部分は針金であった。持ち帰り、遊びで再活用した
列車に乗った時しか手に入らない特別の物であった。
さて、帰路は駅弁が与えられた。
今は貴重な経木に入った弁当だ。
蓋を開けると蓋の裏に沢山の米粒が付着している、まずこれを喰らう事を教わった。
米の字を分解すると「八十八」でこの数だけお百姓さんが苦労して作った、無駄にするなと毎回の指導であった。
米は家の在庫にも米虫がついた。日中にゴザに広げてこれらを駆除した、最近は米虫など見たこともない。
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