昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

私が生まれ育った昭和という時代24

2012-01-13 14:22:35 | 昭和の思い出
衣食住を振り返ってみる、まず食だ。

我が家は両親に5人の兄弟である事は前に記した。持ち家であったが暮らしはどうだろう、中流の下といったところだろうか。
食事は基本的に庶民の和食であった、洋食と言えばカレーライスくらいであったろう。ま~洋食とよべる様なものではなかったが。

この頃周りでは「パン食」も散見される様になったが、我が家では皆無であった。それは何となく理解できた。
コッペパン10円、甘食5円の時代であったが育ち盛りの5人の食欲はすごい。
パンであったら山のように用意しなければならなかったろう、それは我が家計では無理と子どもでも分かった。
しかし、ご飯そのものは「もっと喰え、もっと喰え」と制限された覚えはない。


通っていた珠算塾の並びに肉屋があった、店頭でコロッケを揚げて売ってもいた。
ある日からこの店頭に「餃子」の看板があがった。

餃子って何だろう、どういう味がするのだろう、一度食べてみたい・・・・・この思いがフツフツと湧いた。
ある日10円玉を握り締め「餃子一個」を買いに行った。「揚げてやるか?」と店の人が言うが買っている所を見られたくない、頭をふってそのまま貰ってきた。
そう、生の餃子を一個そのまま持ってきたのだ。物陰でそれにパクついてみた・・・・・結末はおわかりだろう・・・・・・・
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