昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

天皇陛下と皇室との想い出

2014-04-30 05:44:53 | 昭和の思い出
昨日に昭和天皇の事についてふれさせていただいた。
今日は私自身と皇室のことについて想い出を記してみたい。

初めて皇室の方のお姿に触れたのは高校生の時でありました。
当時通っていた高校が浅草の沿線で放課後はしょっちゅう浅草を散策していました。帰路は浅草駅から東武線で帰るのですが、ある日人だかりで賑わっております。
日光でご静養されていた皇太子殿下ご夫妻(今上天皇ご夫妻)が東武線にてお帰りになり、浅草駅からお車に乗るところでした。二階からエスカレーターに乗られて降りられてくるお姿を拝見したのがその時でした。
その時が昭和30年の後半ですから、ご成婚後まだ6~7年の時だと思います。
オーラがおありになる、率直な印象はそれでありました。

時期を同じくして、父親が新年のご参賀に皇居に行くからと家族で出掛ける機会がありました。
初めて二重橋を渡り、既に広場には多くの国民がいます。
さて、昭和天皇をお始めに皇族の皆様がお出ましになりました。どこからとなく「天皇陛下万歳!」の声が湧き上がり、私も又それに声をあわせました。
感動する場面であったと記憶しております。

それからだいぶ経って舞台は北海道札幌でした。
国道の沿線で車にのって仕事中、私も含めて総ての車が国道から脇道に誘導されました。
一台の車もなくなった国道を天皇陛下がお乗りの車が、多くの先導者に誘導されながら走り去ってゆきました。陛下のお姿を認める事もかないませんでした。
札幌の隣町、野幌の百年記念塔に行幸の時の一コマでした。

秋田に来る数年前、当時いた富山市であるパーティーがありました。
そこにご臨席いただいたのが高円宮ご夫妻で、なんと円テーブルで同卓でありました。
先般のオリンピック誘致の演説でご立派にお役目を果たされた久子様は大変に社交的で、お酒も随分といただいていた記憶があります。
憲仁親王殿下はその後に若くしてお亡くなりになりました。

私が子供の頃、近隣の家や親戚の家には天皇陛下のお写真(御真影)が飾られているのが珍しくはありませんでした。
我が家には陛下のお写真はありませんでしたが、二重橋のお濠に白鳥が三羽連なっている写真が飾られておりました。取り留めもない話で・・・・・
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