食の思い出を語り始めるときりがないのだが・・・・
サツマイモ(蒸かした)だけの夕食やスイトンも記憶にある。
サツマイモだけの時、それが毎日であった訳でないから「イモでなくご飯が食べたい」と思った記憶はない。
蒸かしたイモが皿に2~3本だったろうか。
スイトンはそうダシをとったわけでない汁、場合によって味噌汁の中に小麦粉の水で溶いたものを入れたものだった。
勿論そう美味いものではなかったが文句も言わずに腹に収めていた。
しかし、自分が親になって考えてみると「そうした物しか与えられない」親の無念がよく分かる。
しかも社会全体が貧しかったから我が家だけであった訳でもない。高度成長期に向かうはるか以前の食事事情だ。
だからこそ、たまに家族で出かけた際の「ラーメン一杯」がどんなに美味かった物か・・・・・今の子どもらには分かるまい。
サツマイモ(蒸かした)だけの夕食やスイトンも記憶にある。
サツマイモだけの時、それが毎日であった訳でないから「イモでなくご飯が食べたい」と思った記憶はない。
蒸かしたイモが皿に2~3本だったろうか。
スイトンはそうダシをとったわけでない汁、場合によって味噌汁の中に小麦粉の水で溶いたものを入れたものだった。
勿論そう美味いものではなかったが文句も言わずに腹に収めていた。
しかし、自分が親になって考えてみると「そうした物しか与えられない」親の無念がよく分かる。
しかも社会全体が貧しかったから我が家だけであった訳でもない。高度成長期に向かうはるか以前の食事事情だ。
だからこそ、たまに家族で出かけた際の「ラーメン一杯」がどんなに美味かった物か・・・・・今の子どもらには分かるまい。
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