昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

英霊の遺書や手紙・遺品7 女性御祭神

2015-04-29 03:34:36 | 歴史・神秘
前回に真岡郵便局の九人の乙女をご紹介したが、彼女たちも靖國神社にお祀りされております。
実は彼女たちを含めて靖國神社には五万七千柱の女性が祀られており、神社では「女性御祭神」と呼ばれております。

守られるべき対象の女性ではありますが、国難に際しては銃後を守り、従軍看護婦、軍属として戦地に赴き、また軍需工場などで生産に励み、祖国永遠の平和とその繁栄を願いつつ、尊い命を御国に捧げられた女性達であります。
今日はその女性御祭神の中から数例をご紹介させていただきます。

日赤救護看護婦 山野きよ子命 昭和20年7月10日 ルソン島サフランにて病死

十字星を窓から見て泣いた時、世に名高いマニラの夕焼けにはるかな故国をしのび、帰りたくなった時だつてあります。
幼い子を見る時、洋司を思ひ、また嘉代子、英子と思ひが走ります。
年若くして国を離れる、これはこれからの長い清子の人生に大きな役をしてくれるでせう。
清子は体の続く限り白衣の人として生きるつもりです。切断のあとを見る時、又これに処置の時、生々しい傷を見るにつけ、
ここは第一線だ、戦場だと働きがひを全身に感じ、すべてを忘れてしまひます。
清子は山野の家を代表した女の勇士です。皆様に心配させるやうなことは致しません。体の続く限り働きます。靖国の宮で・・・。
皆様の御健康御多幸を祈ります。



真新しき 双(もろ)の眼帯 かけつつも ふと想ひたり この兵の母を
赤十字歌集に載った、従軍看護婦の丹野ふみ子氏の作である。この歌では、両眼を失った兵に対
し「可哀そうだ」という意味の言葉を一言も使わず、ただ「眼帯をかけながら、その兵の母の事を
思った」とだけ歌っている。
 しかし読む人をして、思わず「可哀そうだ!」という感じを起こさせる。それは、「この兵の母
を」という一句で、すべてを表しているからである。母という言葉の中に、「誰よりも、その子を
愛し、子の為にはいかなる犠牲をもかえりみない、絶対愛」の姿があり、その母が、両眼を失った
「我が子」を見たら、どんなに悲しむであろうか、ということは誰にでも想像し得ることであるか
らである。自分がその兵に対し、可哀そうだと考えているものの何十倍、何百倍いやそれ以上の思
いを抱くであろう「母」の心を推し量って、自分の気持を押えて詠んだ所に、この歌の素晴しさが
あると思う。
 この歌から察すると、この看護婦さんは、「母」には及ばないかも知れないが、それ以外の誰に
も負けない真剣なまなざしで、この兵を見護っているようである。
 表面的には、情ひとつかけない厳しい態度で「この兵」に接しているのかも知れないが、眼帯を
かける時の気持は、いかばかりであったろうか、また「母」にも会えない、両眼を失った兵にとっ
ては、「母」の代りとなる「希望」であり「光明」であったことであろう……と想像は限りなく広
がる。
 たった三十一文字(字余りはあるが)の中に、このように深い意味を秘めている和歌について認
識を深めて戴ければ幸いである。
 蛇足ではあるが、更にこの歌の中で生きている句として「ふと想ひたり」をあげてみたいと思う。
 本当は、その兵を見た時からずーっと「可哀そうだ」と思い続けているにもかかわらず、自分の
気持は「ふと想ひたり」という表現にとどめ、すべてを「母」の気持に託した所により深い悲しみ
を表現しているように思える。


日赤救護看護婦 西澤都彌命 昭和18年6月22日 中国九江にて戦病死

日記
眠れぬと思ひつつ明方うつらうつらする中、点呼の鐘で目がさめる。昨日来の暑さのほとぼりさめず、むしむしする。
ラジオ体操後、医長殿の戦局のお話しあり、山西省安慶方面の苦戦の様をきき、暑さの為不平を云ってた事を恥しく思う。
朝はさすがに河中に碇泊して居るので冷たい。はるか遠く、みどりの野がつづき、そのはてがあを空と続いて居る。
大空のもとに、横たはる大地のいかに小さいか、そしてその中で互ひに相戦ひ合って居る人類の小ささが痛感される。
江岸にそよぐ高粱の葉・花が手にとる様に見える。時々ジャンクが音をたてて通りすぎる。
午前中病室のベッドを造り、汗は滝の様に流れる。


母のみ名 呼びつゝ兵の みまかりぬ アカシアのかほり しるき夜更けに
日赤救護看護婦の西澤都彌の命(みこと 戰死され靖國神社に祀られている方)のお歌である。
 母の名を呼びながら兵士が亡くなったことと、夜更けにアカシアの香りがしたことは一見何の関
係もなく、仮に外国語に訳したとしたら「何の事を言っているのか意味不明」となってしまうが、
この一見何気ない「アカシアのかほり しるき夜更けに」の中に限りない悲しみが込められている。
 最期に母の名を呼んで息絶えた兵士の声の後は、誰も言葉を発せず「ほのかにアカシアの香りが
漂ってきた」のが更に更に悲しみを増してくる。何処にも可哀そうだとか哀れであるとかの言葉を
用いていないのに、読む人に「兵士の心の叫び」そして「渾身の看護をした人のやるせない気持」
を伝えているものである。短い言葉の中にこれだけの思いを込められるのが「和歌の特徴」であり、
これを歌の専門家や学者でない一市井の人が詠んでいるところに日本の素晴らしさがある。
 萬葉集以来の歴史と伝統がしからしめるものと思う。先に掲げさせて戴いた丹野ふみ子氏の歌と
ともに、看護婦となられた方は単に看護技術に秀でておられるだけでなくその優しい心遣いから
「兵士の心のケア」にも貢献されたことが察せられる。日本軍が精強であったことの陰に「負傷し
ても、心優しい看護が受けられる」との思いが有ったのかも知れない。
   

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