昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

私が生まれ育った昭和という時代29

2012-01-13 14:26:03 | 昭和の思い出
私達が小中学校生であった時、完全に「給食」が毎日提供されていた訳ではない(昭和30年~35年)。
よく覚えていないが給食の時と弁当持参の時とスケジュール化されていたように思う。

弁当はアルマイト製の弁当箱でしゃれも素っ気もない「ドカ弁」といってよい代物だった。これを新聞紙にくるんで持ってゆく。
おかずがどんな物であったかはそう記憶にない、ただ、覗いた友達の弁当のおかずはご飯の上にただ魚肉ソーセージを並べたもので、当時は手間も何もかかっていないそれが羨ましく見えた。
弁当が事情で持ち込めない友達は正門前でパンを買うのだが、毎日弁当持参の私はそれが羨ましくてならなかった。

給食の時は必ず牛乳がついたが、これが「脱脂粉乳」だった。
ひどい味であったらしいが、日常牛乳に縁のなかった私には違和感がなく残さずに飲んでいた。今でも「スキムミルク」と洒落た名前になってあるらしい。


おかずもはっきりとは覚えていないが鯨肉(竜田揚げ)がよく出た事は忘れられない。
私は何でも食べるほうであったので、給食に不満はなかった。


電車に乗って通い始めた高校は食堂があって、カレーやそば・うどんがいつでも食べられた(昭和40年近く、東京オリンピックの頃)。
今思えばだいぶ食事情も改善に向かっていたのだと思う。
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